遺体



「お昼は沢山お話しするけど、夜のデートは初めてだねぇ。危ないから手離しちゃだめだよ?」
「こっちも。手解こうとしらすぐに部屋戻すからね」

 右手側にはぶるーく、左手側にはきんとき。前方には先陣を切り地下室へ続く非常階段を降りるスマイルとシャークんの姿がある。

「今日のお昼はスマイルに取られちゃったけど、零魔は僕とデートしたくてここに来たがったんでしょ?」「スマイルと何話してたの?もしかして僕の自慢?」と普段以上にふわふわとした口調で捲し立てるぶるーくに、曖昧に微笑みながら時折きんときの表情を盗み見る。ぶるーくとの会話には抜け道がなく永遠に続いてしまい、途中で箸を休めなければこちらまで想像上の会話に参加してしまいそうだった。きんときは相変わらず、天使かはたまた妖精か、そんな生き物を観察するような完璧な微笑みで私を見守っている。

「おい、あんま煩いとバレるだろ」

 図書室の書庫で埃を被っていたらしい旧式のカンテラを片手にしたスマイルは、一度足を止め淡々と私達を咎める。主に抗議の声を挙げたのはぶるーくで、ショッピングモールで駄々を捏ねる子供のように唇を尖らせた。

「だってだって、スマイルがお昼独占したのが悪いんだよ!零魔と話さないと僕の一日終わらないんだもん」
「はぁ…分かったから静かにしろ、アイツらに見付かったら全員正座だぞ」

 「でもぉ!」と再びスマイルに突っ掛かりそうなぶるーくをシャークんが宥める。そろそろ階段も終盤、平坦な通路に複数人のまばらな足音が響いた。

「それで、零魔のお目当ては手術室だっけ?」

 私の顔を覗き込んだきんときに疑問を浮かべながらも、首を横に振りやんわりと否定する。

「嗚呼そっか、霊安室だった。手術室に用はないもんね、今のところ」
「地下なのに手術室があるの?」
「あれ、覚えてないんだ」

 「まぁ、覚えてない方が幸せだよ」と含み笑いを浮かべたきんときに、髪を梳くように頭を撫でられる。
 病室や診療室、図書室など他の部屋とは違い、霊安室のプレートの漢字は古典の教科書の文字の様に整っている。「取ってくんの大変だった」とけたけた笑いながら、鍵束の中から霊安室の錠前に嵌まる鍵を探すシャークんを見守った。

「じゃぁ…開けるからな」

 後戻りするならば今の内とでも言いたげに、最終確認を取ったシャークんに頷いた。
 好奇心の赴くままに。スマイルの台詞が、頭の中で反芻された。

霊安室の中は随分と殺風景だった。遺体の腐敗が進む酷い異臭や、遺体に捧げる白檀のお線香の香りが充満していると覚悟していたが、全くもって想像の逆だった。霊安室は夏の夕暮れ時の様にひんやりとしていて、湿った空気で満たされている。そこに不快感は一切存在せず、ただ部屋の一室に霊安室という大層な名前を付けて、物置として使用しているようにも感じられた。

「零魔、こっち」

 容赦無く覆い打ちを取り払ったスマイルが、カンテラの淡い光で遺体を照らす。漂白剤の香りを連想させる真っ白なシーツで、グロテスクな胴体(あくまで私の想像ではあるが)を丁寧に隠されたそれは、今にも動き出してしまいそうだった。結局遺体は男性の物であったが、呼吸をしていた人間であった事を彷彿とさせない蝋人形のようで、寧ろ性別の概念など初めからなかったのではないかと思ってしまう。

「…寝てるみたい」
「きっと眠りについて、そのまま最後を迎えたんじゃないかな。こんなに穏やかな死なら、自分が死んだことにも気付かないと思わない?」
「死んじゃったら、自分が死んじゃったこともわかんないよ」
「そうかなぁ?僕だったら朝普通に起きちゃうかも。それでいつも通り普通に過ごして、ずっと成仏できないかなぁ」

 「死んだことないからわかんないけどね!」と不謹慎極まりない言葉を放ったぶるーくに、きんときが薄い苦笑いを溢した。

 もしも彼がまだ自身の死を理解できず、この病院を彷徨っていると考えると、何だか胸の奥で氷がじんわりと溶けていくような感覚に襲われた。亡霊に対する怖気ではない何かが、電流のように全身をピリピリとさせた。この後焼却を待つだけの遺体を見ていると、うまく考えをまとめることができない。私はたまらずスマイルの手から覆い打ちを引き抜き、彼が再び呼吸を始めませんようにと祈りながら、慎重に布を元の居場所に送り届けた。

「あれ、怖くなっちゃったの?今日も僕が一緒に寝てあげよぉか?」
「ううん…何で私、これが見たかったんだろう」

 霊安室の室温よりもずっと冷たい自身を抱き締めるようにカーディガンを握ると、ぶるーくの温もりに包まれる。私は、日中の自分が怖くて堪らなくなった。なぜこんなにも遺体に執着していたのか、死に固執していたのか。自身を突き動かしていたのはなかむ先生からの宿題ではなく、私から湧き出る好奇心だと悟った。そしてこれは、白痴に濡れた好奇心の代償だった。








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