(104 / 293) ラビットガール (104)

部下は敬礼も慌てて忘れ、どこかを指さした部下の言葉がブツリと切れ…部下が倒れる。
倒れた部下の背中にはぱっくりと割れた傷が一本線を描いていた。
血を流し倒れる部下にざわめきが広がり、スモーカーは部下の足元で立つ細身の男を見る。
男は肩で息をし血だらけだった。
その男を見て傍にいたミコトから『あら目を覚ましてしまったの』という声が聞こえ、男からミコトへと目をやる。
その瞬間、男は一瞬にしてミコトとの間合いを詰め、男の剣がミコトの首へと向かって伸ばされた。
その速さはスモーカーやヒナでもとらえられないほどだった。


「黒蝶…っ!!」


男の速さに呆気に取られていたが素早く我に返ったヒナが慌てて能力を使おうとしたのだが…男の剣はミコトの首に食い込むことはなく、少し離れた場所で止まる。
男は全く進まない事に目を丸くしたが、我に返り飛び退いてまた別の場所を攻めようとした。
しかし結果は同じ。


「何をやっても無駄ですわよ?この傾世元禳けいせいげんじょうがある限り、わたくしに傷を負わすのは難しいもの」


ズサ、と砂をまき散らして滑るように着地した男にミコトは微笑んで種明かしをしてやる。
傾世元禳とは、ミコトが常に身に着けている薄い桃色のショールに似た羽衣である。
その能力は主にミコトは防御として使っており、ただショールを持っているだけにしか見えないが、ミコトの周りを常に人の目で見えないほどの薄い膜のようなもので覆っているのである。
その防御力は高く、恐らくだが四皇、七武海、そして同じ大将が相手でないと破る事は出来ないだろう。
しかしその能力にも欠点があり、攻撃性がなければ発動しないと言われている。
例えば空気や香り等。
毒性がある香りやガス等のミコトに害がなければ普通に能力で防ぐことはできないと研究した科学者から言われてはいるが、実際はミコトがそこまで止めるつもりがないからである。
ミコトがその気になれば風だろうが空気だろうが香りだろうが目に見えない虫や微生物、ウイルスだろうが防ぐことが出来る品物であるが、その防御力が高いが故に完全に力を出すとそれなりに体力が削られてしまうためミコトは極力身を守れる程度の力しか出していない。
それでも最強の防御力ではあるだろう。
そのため、目の前の男が東の海で名を轟かせようとも、B・Wで幹部になろうとも、ミコトに傷をつけるのは無理だということである。
更に、ミコトには他にも能力がある。
例えば―――


「――ッ!!?」


物を凍らせる力。
ミコトは離れた男との距離を一瞬にして埋め、そっと手を伸ばす。
男は手を伸ばすミコトから逃げようとするも、ミコトの細く綺麗な指がちょこんと男の触れた。
そう…ただそれだけなのに、ミコトが触れた先から男の腕がピキピキと音を立てて凍っていった。
ミコトの体には悪魔の実の能力全てが揃っていた。
先ほどの凍らせる能力も、同僚の青雉であるクザンが食べた"ヒエヒエの実"の能力である。
男は凍っていく己の腕を見て『ひっ』と声を零しながら腕を庇い再びミコトから距離を置く。
男に逃げられたミコトは『あら、行ってしまわれるの?』と寂しそうな顔を作って男を見送る。
ミコトのその寂しそうな表情や声色にミコトの隠ぺい発言に幻滅し騒めいて逃亡に警戒していた周りのスモーカーやヒナの部下達は一瞬にしてミコトにメロメロになる。
それらに気づいたスモーカーとヒナは部下の鼻の下を伸ばした顔に呆れたようにため息をつくばかりだった。
ミコトは2人の反応、そして2人の部下の反応や男の怯えに笑みを浮かべた。
そして人差し指を一本立てた後、クイッと自分の方へ折る。
するとそれに合わせるように突然男が勢いよく引っ張られ、ミコトの足元で倒れた。
それは本当に文字通り…何かに引っ張られるようで、男は何が起こったのか理解できずに呆然とミコトの足を見ていた。
しかしすぐにハッとさせ男は顔を上げようとしていた。
だが、それをミコトが許さなかった。


「誰が顔を上げてもよいと言ったのかしら」


ミコトは顔を上げようとした男の頭を足で踏みつけ地面に押し付ける。
女とは思えない力で踏みつけられ男は抵抗しても完全に力負けしており起き上がる事ができなかった。
ググッ、とどうしても起き上がろうとするも自分の力に負ける男を見下ろし、ミコトは目を細め微笑んだ。
その笑みは美しく、とても男を踏みつけている女の表情とは思えない。
男はミコトの足首を掴もうとしたのだがそれを察知したミコトの方が一歩早く男の頭に乗せている足ではない方の足で地面を凍らせ男の動きを止めた。
頭を踏まれ地面に押し付けられているため、手足だけではなく、顔の半分も凍ってしまっている。
冷える、という表現で表せないほどの冷たさに男は砂漠の国にいることを一瞬忘れそうになる。
既に体からの信号は冷たい、ではなく痛い、と変わり、その痛いほどの冷たさからガチガチと歯が鳴ってしまう。
男は屈辱と腹立たしさから怒りの炎を燃えたがらせているのだとミコトは思っていた。
しかし、男を見下ろせば、男の顔は笑っていた。
その笑みは嘲笑ではなく心底嬉しさを表す笑みだった。


「やはり…!その力…!!そのどの悪魔の実にも該当しないその力!!!お前もおれと同じだろう!?なあ!!そうなんだろう!!!」


ミコトはピクリと片眉を上げるだけの反応を見せた。
一体何を言っているのかミコトも分からなかったのだ。
ただ力でねじ伏せただけだというのに、男はそれを見て自分と同じだと叫ぶ。
それが理解できない。
黙って見下ろすミコトに、男は尚も続けて叫ぶ。


「お前も俺と同じ転生したんだろ!?なあ!そうだと言ってくれよ!!」


転生、という単語に誰もが首を傾げる。
そして、彼らは男を頭のネジが飛んでいる異常者だと認識が生まれた。
それが普通だろう。
転生なんて生きていて聞く言葉ではない。
ただ、一人だけ違った。


「転生…」


ミコトがポツリと呟く。
ミコトと男のやり取りを傍観するしかなかった周囲は当然口を閉ざしているため、その呟かれた言葉は消えずに周囲の耳にも届いた。
スモーカーは意味の分からない事を叫ぶ男からミコトへと視線を向ける。
ミコトはただ男をジッと見つめ、男も顔半分凍らせられながらもミコトを見つめ返していた。
それ以上ミコトは何も言葉を発することはなくその場は沈黙が続くばかりだった。
しかし…


プルプルプル―――


静まり返ったその場に、電伝虫が鳴る。
その場にいる全員が机に置かれている電伝虫を見るも、机にある電伝虫は眠っている。
と、なると海軍の電伝虫ではないということ。
誰もがお互いの顔を見合わせている中、ミコトは男から視線を外さずポケットからあるものを取り出す。


「はぁい、もしもし?」


それは電伝虫だった。
それも持ち運びに便利な子電伝虫。
先ほどから鳴り響いている電伝虫の声はミコトのだった。
ミコトは手のひらサイズの子電伝虫を取ると相手の声に合わせて電伝虫の口が開く。


≪お取込み中申し訳ありません、ミコト様≫

「構いません…ところでなぁに?」

≪――場所を突き止めました≫

「………そう」


電伝虫の口から出てくるのは女性の声だった。
かかってきた電伝虫の持ち主がミコトだったこと、そしてかけてきた人物の声が女性だったことからスモーカーとヒナはミコトの部下だと推測する。
声が女性だからという理由は、ミコトの部下には女性の海兵しか乗っていないからである。
ミコトの部下はミコトがどこにいるのか分からないためか、あえて要件をはっきりと伝えず省略した。
スモーカー達からは分からないそれに、ミコトは理解したのかいつもの微笑みを消したのだが、それは気のせいかと思うほどに一瞬だった。
気づかないうちにミコトの表情はいつもの微笑みを被る。
手短に連絡を終え、ブツリと切れて眠りについた電伝虫を仕舞うと視線を一切逸らさなかった男の上から足を下ろし氷も砕いて解放した。
それでも体の冷えだけはどうにもできず、男は氷に覆われていた腕を摩りながら体を起こしミコトを見上げる。


「この男はわたくしが責任を持ってインペルダウンへ連れて行きます…あとは頼みますね」


そう言ってミコトはスモーカーとヒナの返事を待たず男と共に文字通り姿を消した。
ミコトが男と共に姿を消すと、その場に張りつめた空気が一気に緩和され海兵達から安堵と緊張でほぼ止めていた息を吐き出す。
それはスモーカーとヒナも肌で感じ取っており、味方であるはずの大将一人に情けないと思いつつ、部下たちを責める事はできなかった。


(相変わらず何考えているのか分からん女だ)


スモーカーはミコトの行動全てが読めず、そうぼやく。
ミコトは大将の中でも異端だった。
その常識とかけ離れた力もそうだが、何がしたいのか考えが全く読めないのだ。
海兵なのだから底にあるのは正義だろう。
海賊を滅するという正義。
それは三人の大将も同じだ。
緊張感のない青雉だって彼なりの正義は見て取ることができる。
しかしミコトからは正義が見えない。
噂でしか聞かないが、海賊を見逃す事だってあるというではないか。
そんな噂が下っ端の海兵達にも広がっているということは、上にも届いているということ。
それでも大将の座から引きずり降ろされていないということはその噂はガセだということ。
または、真実だとしてもミコトは実力を買われているということだろう。
人はミコトを美女だと持ち上げる。
当然だ。
ミコトの容姿は女帝ハンコックに並ぶほどの絶世の美女だ。
そこはスモーカーも認めざるを得ない。
そしてミコトをよく知らない者たちは美女の海軍大将をお飾りだと勘違いしている。


(くだらねぇ…大将の座が金や色で買えたら世界政府は海賊たちに滅ぼされてるだろうが)


確かに海兵の中には金で地位を買うクズはいる。
しかしそれにも限界があり、上に行けば行くほど海軍は実力主義となっていく。
CP9の司令官などは例外となるが、実力が必要となる役割ほど金で買えるものではない。
特にその中で大将という地位はそれに当てはまるだろう。
その大金でも買えないであろう大将の座にこの女はついている。
その時点でこの女も化け物並みの力の持ち主だということだ。
そしてその実力は誰もが認めるものだろう。
特に、同僚である三大将にミコトは認められている。
クザンは幼いころから可愛がっている点もあり省くとして、黄猿はつかず離れずの距離を保ちながらもミコトの実力は疑っておらず、ミコトと犬猿の仲と知られている赤犬でさえ普段『女』と呼び忌み嫌っていながらもミコトが大将の座にいることを不満にしないところからおそらく実力は買っているのだろう。
人柄はどうであれ、ミコトは女で若くとも『大将黒蝶』という事だ。
だからか、人より力のある者の感覚は普通とは違う。
だから多少の我が儘は許される。
こちらの判断も聞かず勝手に海賊を連れて行った挙句に、『勲章の話はこちらが勝手にさせていただきますわ』と勝手に話を進められ、スモーカーは結局自分の意見を受理されなかった苛立ちとミコトの相手をして出た疲れを吐き出すようにため息をつく。

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