(237 / 293) ラビットガール (237)

アスカは青年に助けられた。
自分に親しそうな青年。
しかしその目の前の青年とは会ったことがない。
だからアスカは…


「だれ」


と零してしまう。
その呟きに青年は目を丸くした。


「アスカ?何言って…お前、おれを忘れたのか?」

「………」


青年はアスカの言葉を心底信じられないような表情を浮かべ、アスカを見ていた。
どうやら青年曰くアスカは彼に会ったことがあるようだが…生憎、アスカの記憶にはない。
過去を思い出しても彼のような不健康そうな男性は会ったことはない。
ここは人買いや賞金稼ぎが多い場所だから、助け出して知り合いのフリして捕まえるつもりなのだろうと思い、アスカはこちらを見つめてくる青年を怪しむような目を見せながら青年から離れようと下がる。
だがそんなアスカの腕を青年は咄嗟に掴んだ。
その瞬間、アスカの脳裏に一瞬だけ風景が浮かぶ。
それが何なのか分からず、急にこの目の前の男が怖くなってアスカは人買いとか賞金稼ぎとかごちゃごちゃになりパニックを起こし腕を掴む男の手を振り払おうとする。
だが、逃がさないと言わんばかりに男の手の力は強くなり、片方の腕まで掴まれ何かを責められるように揺さぶられる。


「アスカ…まさか……、っ冗談…だよな?おれだ…ローだ…!トラファルガー・ロー!!覚えているんだろ!?本当は!!」

「し、らない…!!あんたなんか知らない!放して!」

「知らないはずがない!!おれとお前はずっと一緒にいたんだから…っ!!―――ッ!………もしかして……お前…、許して…くれてない、のか…?なあ…"おれ達"の事、恨んでるのか!?だから…忘れたふりしてるのか!!」

「知らないったら知らない!!」

「あれは仕方なかったんだ!!"あの時"はああするしか…!!"あの人"だって本当は―――」

「キ、キャプテン!キャプテン!!落ち着いて!!アスカ、嫌がってるよ!!」

「うるさい!ベポは黙ってろ!!」

「黙ってられないよ!!アスカ、痛がってるよ!キャプテン!!」

「…!」


何をどう勘違いしているのか…ローと名乗った青年はアスカを知り合いだと勘違いし、覚えていないアスカを責め立てた。
アスカはその青年が…ローが怖くなってずっと俯いて顔をローから逸らしていた。
ローは覚えていないというアスカにショックを覚えたのかアスカの様子に気付かずずっと責め立て、やっとベポと呼んだ白クマによってハッと我に返り気づく。
落ち着きアスカを見下ろせば、背が小さいため俯くアスカの頭しか見えずアスカの表情は分からなかった。
しかし掴んでいる腕が震えているのを見てアスカが怯えているのに気づく。


「アスカ…」

「………」


すまない、と続けようとローがアスカの名を呼べば、アスカの体はビクリと跳ねた。
それを見てローはその先の謝罪が口にできず、苦し気に顔を歪める。
でも、アスカの腕を放したくなくてアスカの腕を掴んでいる手の力は弱くはならない。


「キャプテン、落ち着いて話しましょう…冷酷ウサギだって突然の事で驚いて咄嗟についた嘘っていうのもありますし…とにかく腕を放してあげては?」

「……駄目だ…放したら逃げるかもしれないだろ……もしかしたら…"あいつ"がいるかもしれないのに…もうアスカを"あいつ"には渡したくない。アスカはおれの船に乗せる。」

「…!!」

「"あの人"がこんなところにいるならその情報はもう手に入ってますし、冷酷ウサギがこんなところを単独で歩いてるわけがないですって!」

「アスカ…!アスカもキャプテンに言ってあげてよ!!どこにも行かないって!!キャプテンから逃げないって!!」


助け船を出したのは白クマ以外の男達だった。
全員お揃いのツナギを来ており、同じマークがついているという事はこの男の仲間なのだろう。
しかし今アスカがそれを分析するほど余裕はなく、仲間達の説得も空しくローはアスカの腕を引っ張り歩き出した。
『おれの船に乗せる』という言葉にアスカはカッとなり声を上げる。


「あんたの船になんて乗らない!!乗るわけがない!!私は"麦わら海賊団"の一味よ!?なんであんたの船になんか乗らなきゃいけないの!!!いいから放して!!」

「!――アスカ!お、落ち着いて!大丈夫だから!!」

「大丈夫!?何が大丈夫なわけ!?人違いした挙句に勝手に自分の船に乗せようとしてる人のどこが!大丈夫なの!!!」

「人違いじゃねェよ!お前はアスカだ!!そうだろ!?」

「そう!!でもあんたの知ってるアスカじゃない!!私は"東の海"出身で!!"麦わら一味"で!!"冷酷ウサギのアスカ"よ!!」

「―――ッ、"東の海"出身…?」


アスカが腕を掴んで歩き出したローに抵抗し、首を振るベポは慌てて宥めようとした。
ベポからしたらアスカよりもローの機嫌を損ねるのが怖いのだ。
ローはいう事を聞かないアスカに苛立ちが強くなりローもまたカッとなりはじめたが、アスカの言葉に動きを止めた。
アスカは動きを止めたローの隙を突きローの腕を振り払い能力を出し後ろへ飛び下がる。


「ウサギ……の…能力者…」


ローはハッとした。
逃げられたと思い慌ててアスカを捕まえようとする。
しかしアスカの姿に目を丸くする。
飛び下がるだけだからうさ耳とウサギの尻尾が生えており、それを見てローは呆気に取られていたのだ。
動くことなく驚いた顔でこちらを見るローを怪訝とさせながらも逃げるチャンスだとアスカは逃げようとする。
しかし、そのアスカの前に阻むものがいた。


「ま、待ってよ!アスカ!!」

「…!」


その阻むもの、とはベポと呼ばれた白クマ。
両手を広げて目の前に立つベポにアスカは足を止め、立ち止まってくれたアスカにベポはホッとする。


「アスカもキャプテンもとにかく落ち着こうよ!二人とも突然だったから混乱してるんだよ!!ね、アスカ…キャプテンは本当にアスカに会いたいたがってたんだよ?ずっとアスカの手配書大事に取ってて…だからさ、話くらい聞いてあげてよ!」


ベポと呼ばれた白クマは必死だった。
ローの機嫌が損なうからだとか、ローが怖いとかではなく…あんなにもアスカとの再会を楽しみにしていた船長を放っておけなかった。
それはベポだけではなく、他の仲間もそうなのか先ほどからローのフォローに回って落ち着かせようとするもアスカを逃がそうとは思っていない。
アスカはベポの言葉に不審を覚え、フイッと顔を逸らした。


「……そういわれても…覚えてないものはしょうがないじゃない」

「…本当に、覚えてないのか…おれを憎んでるから……覚えてないフリしているのではなく?」

「…憎むもなにも…あんたとは初めて会うし…」

「……………」


ベポが間に入り、ローと離れたことで冷静になれたのか、アスカは落ち着き始めた。
俯くアスカの言葉にベポではなく、後ろにいるローが返したが、アスカはそのまま頷く。
先ほどからローは『許してない』とか『憎んでる』とか『恨んでる』とか『仕方なかった』とかアスカには分からないことばかり言うが、記憶がないのだからアスカが答えられるわけがなかった。


「…記憶喪失」


ローはアスカの話を聞きある障害が当てはまった。
それは記憶障害で起こるものであった。
ローのその呟きにアスカは初めてローへ振り返り、真っすぐローの目を見つめ強く頷いた。
自分の考えが間違っていなかったことを示すアスカの頷きにローは唖然とする。
というよりかは愕然としていた。
まさかずっと会いたいと思っていた少女が『自分を忘れたフリ』をしているのではなく、『本当に忘れた』のだから…ローは信じられなかった。


「…もういいでしょ…私仲間を探さなきゃいけないから…退いて」

「で、でも…」


大人しくなったローを横目にアスカはベポへ向き直しここから離れようとする。
ベポもまさかアスカが記憶喪失だと思っていなかったのか驚いていたが、アスカからローへ目をやる。
ローは考えこんでいる様子だったが、今度は腕ではなく、アスカの手首へ手を伸ばし掴む。
アスカはまた手を掴まれ弾かれたようにローへ振り返る。


「!―――ッだから…!」

「待て……すまない…もう乱暴はしないから…だから…頼む…おれを拒まないでくれ…」

「……、…」


また手を掴まれアスカはキッとローを睨む。
しかし、今のローは最初に会った時のような切羽詰まった顔ではなく…どこか愁いを浮かべており、声も責め立てるような強い声色ではなく弱弱しく今にも消えそうに震えていた。
でも縋るようにグッと握られ、流石にアスカもそれを振り払うのも出来ず…


「…一度でもさっきみたいな事したら許さないから」


アスカはつい頷いてしまった。
アスカの頷きを見てローはホッと安堵の息をつき、アスカはその安心した表情にズキリと心が痛んだように感じ、内心首を傾げた。
表向き警戒しているように見せているため、アスカのその疑問に気づく者はおらず、とりあえず逃げないというアスカの手をローは放すものの、手首から手へと移っただけだった。
手を握られたアスカはローを怪訝とした目で見つめ、ローはその金色の目をじっと見下ろしていた。


「手、くらい…いいだろ」

「…………」


手くらい、と言うがアスカからしたら見知らぬ人と手を繋いでルンルン気分になれるほど人に対しての警戒心は低くはない。
しかしどうしてかローのあの表情を見てしまってからアスカは彼の手を振りほどけずにおり、戸惑いも強い。
無言を肯定として受け止め、ローはアスカに問う。


「いくつか聞いてもいいか」

「………」

「記憶が残ってるのはいくつからだ?」

「………」


記憶喪失なのは理解したローは記憶がない部分がどのあたりなのかが知りたかった。
ローの問いに無言を貫いていたアスカだったが、少し間を置いて渋々口を開く。


「5歳から」

「5歳…じゃあ、それ以前の記憶は全く?」

「………」


ローの問いにコクリと頷く。
その頷きにローは息を吐く。
それは安堵したような息で、そこでなぜ安堵するのかが分からないアスカはローを訝し気に見たが、聞く前にローから次の質問をされる。


「……その能力、は…もしかして…ウサウサの実か…?」


しかしその質問をする時のローが何か様子がおかしかった。
緊張したような表情を浮かべ、アスカの能力を聞く。
アスカは首を傾げながらうさ耳を出して頷いた。
ぴょこんと出る真っ白なうさみみにローは目を見張った。


「そう、か………―――偶然か…必然か…」

「?」


ぴょこぴょこと動かすアスカのうさ耳を見つめながらローはそう呟き、落ち着こうとするように息を吐き出す。
後に呟かれた声が小さすぎて聞こえずアスカは首をかしげたが、気にしない事にし、『じゃあ私からも質問』と次はアスカが問う番となる。


「あんた、私の事知ってるの」

「あんたじゃなくて名前で呼んでくれ」

「…………」

「アスカには、他人行儀に呼ばれたくはないんだ」

「…………」


質問され答えるつもりだったローだが、アスカの『あんた』という呼び方が気に入らなかった。
その呼び方はアスカと自分が全く赤の他人だと思わせるもので、アスカからしたら赤の他人だが、ローにとったらアスカは赤の他人ではない。
アスカは断ろうかと思ったが、また悲し気な表情を見せられアスカは渋い顔をしながらもあの顔を見せられては拒否が出来なかった。


「ローは…私の事、知ってるの」


アスカが渋々彼の名前を呼べば、ローは嬉しそうな表情を浮かべた。
その表情にアスカは『うぐ』と言葉を詰まらせる。
どうもこの彼には強く出れないようである。
それも腹立つが、何より嬉しそうな顔を見て自分も安堵してしまうのもまた腹立たしい。
そんなアスカをよそにローは頷いて見せる。
頷くローを見てアスカは『じゃあ』と何か言いかける。
しかし開いた口をアスカはゆっくりと閉じ、その先を言うのをやめた。


「アスカ?」

「…なんでもない」


何か聞こうとしたアスカにローは不思議そうに見つめたが、アスカはその目線から逃れるように俯き目を逸らす。
問いかけようとは思ったローだが、今の関係が崩れればまたアスカが離れると思いやめる。
片手しか握っていなかったローはアスカの両手を握り、両手を握るローにアスカはハッとさせ顔を上げる。
目と目が合うとローが嬉しそうに笑みを見せ、またその笑みにアスカの胸が締め付けられる。
『何かの病気か何かだろうか…』とそのよくわからない胸の締め付けに首を傾げ帰ったらチョッパーに診てもらおうと思う。


「アスカ…お詫びをさせてくれないか」

「お詫び?」

「そう…アスカを怯えさせてしまったお詫び…おれはもっと今のアスカが知りたい…もう一度、やり直したいんだ」

「…………」


『もう一度やり直したい』という言葉にアスカは引っかかった。
ローの口ぶりからして5歳以下の時に会ったようだが、生憎アスカの5歳以下の記憶がポッカリ無くなっているのだからやり直すも何も今この時がスタート時点である。
むしろ先ほどのこともあってマイナスでもある。
アスカ的には早くローの傍から離れたいと思っていたが、また彼の愁いた表情に勝てず頷いてしまった。
そしてやはり頷くアスカに嬉しそうに笑うローにアスカは勝てなかった。

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