アスカが天竜人の元奴隷。
それはジンベエの予想に反した言葉だった。
…が、先の戦いでハモンドに殴りかかった時の事をジンベエは思い出す。
ロビンに奴隷達の解放を頼みホッとしたのも束の間…ハモンドを倒したのはロビンではなくゼオと戦っていたはずのアスカだった。
ハモンドの頭を掴み思いっきり地面に叩きつけたのは一瞬で、目のいい者でもアスカの動きは見切ることは出来なかっただろう。
自分も気を抜いていたとは言えアスカの動きを見切ることできず驚かされた。
アスカは自分に背を向けていた為表情は窺うことは出来なかったが何も言わずただ突っ立ってハモンドを見下ろしている様子はどこか可笑しく見えた。
だからずっとジンベエの中で違和感を感じていた。
アスカは冷静で冷酷だ。
だが本当に心許す者に対しては逆に優しく甘える仕草も見せるほど普通の人間の少女なのだ。
インペルダウンで出会ってから今日まで、アスカから冷たく淡々とした雰囲気など見たことがなく、正直ジンベエから見たハモンドを見下ろしていたアスカは感情がないただの人形にしか見えなかった。
だからジンベエは違和感を覚え、そしてあんなにも人は感情を無くし人形のようになれるのかと恐怖した。
そのずっと喉に突っかかっていたような違和感が…やっと理解できた。
アスカは元天竜人の奴隷だったのだ。
それも間違えて売られ、貴族と海賊の奴隷でもあった。
しかも間違えて売られたのなら普通は諦めるのに関わらずその天竜人はアスカに何故か執着を持ちずっと探し続けたという。
ジンベエはその話を聞き、2年前の戦争で黄猿の『天竜人に渡さないと色々煩くてね』という言葉を思い出し『それでか…』と納得するように頷いた。
天竜人の奴隷…
それはどんなに辛いことだろうか…どんなに傷ついただろうか…
まだ幼い子供が3人の人間に奴隷と扱われ深い傷を受けた。
魚人だからと差別を受けてきたジンベエですらアスカの心の傷の深さを完全には理解することも察することも出来ないであろう。
ジンベエは自分の腕に中で眠るアスカのあどけない表情になんだか無性に泣きたくなり、しかしここで泣いては自分を信用し身体をも任せてくれているアスカに申し訳が立たずグッと拳を握り、瞳を力の限り瞑り我慢をした。
「っまだ…天竜人はアスカ君を諦めておらんのか…」
「多分…」
「2年前…シャボンディ諸島でアイツらはアスカちゃんを"間違えて売った"と言ってたからな…この手配書を見る限り生け捕りは多分"アイツ"だ…」
「天竜人なんだから金なんざ腐るほどあるだろうしな…」
「アスカは奴隷じゃねェのに…アスカは人間だ……人間で…おれ達の仲間なんだ…」
諦めていないからこそ生け捕りとさせ言い値で買い戻そうとしているのだろう。
あんなにも気遣っていたのにアスカの辛い過去に気付くことが出来なかったジンベエは顔を歪め俯く。
そんなジンベエの気持ちを察し、ナミ達は見て見ぬフリをしてくれる。
それに感謝しながらも声は震え、情けなく思い、同時にまだアスカを求めているらしい天竜人に怒りを通り越し殺意が湧き上がる。
「まあ、でも!これからはおれ達がいるんだ!!もしアイツらが来たっておれ達が追い返せばいい!奪われたって奪い返せばいい!!なんたっておれ達は海賊だぞ?取られたモンは取り返せばいい話だ!」
「ルフィ…」
「そう…だよ、な…うん!そうだよ!!アスカをおれ達が守ってやればいいんだ!!」
人というものは、心から恐怖する者の前では動くことはもとより呼吸すら止まるモノである。
また一度天竜人がアスカの前に現れればアスカはどんな強敵の前でもいつもの平然とした態度は取れないであろう。
あのシャボンディ諸島でのアスカの様子は2年経った今でもナミ達の記憶に新しい。
重々しい空気が漂う中、食べ物を頬張っていたルフィは口の中にあった食べ物を飲み込んだ後ナミ達に振り返り、ニカーッといつもの晴れ晴れしい笑顔を向ける。
ルフィの言葉に沈んでいたナミ達も自然と前向きになり、船医でもあり皆より先にアスカの秘密を知ってフォローをしてきたチョッパーはルフィの言葉に何度も頷きグッと拳を握った。
例えアスカが天竜人を前に動けなくなったって自分達の誰かがアスカを担げばいい。
例えアスカが天竜人に奪われたって仲間である麦わらの一味全員で奪い返せばいい。
自分達はそうして幾度も奪われた仲間達を奪い返し、守ってきたのだから。
それはチョッパーだけではなくナミも、サンジも、ウソップも、ゾロも……ここにはいないがロビン達もそう思うだろう。
…否、もう皆心の底では出ていた結論なのかもしれない。
(エースさん…ルフィ君やアスカ君はいい仲間を持っておるのう…)
ジンベエは沈んでいた空気が一変し明るくなったのを感じ、悲しみと怒りで握られていた拳を解く。
力を抜くように息を吐きながら手が白くなるまで握られていた拳は少しずつ開かれ白かった手も少しずつ元の色に戻っていく。
捕まった時にアスカやルフィ、そして姉であるミコトの話を散々聞かされた。
それは度々船に来た時でもエースは嬉しそうに3人の話をしたからもう慣れた事だったが、もうそれが聞かされないとなるとなんだかとても懐かしく感じる。
あれほどもう聞きたくないと思っていたのに…
そのインペルダウンに一緒に捕まっていた時、新たに弟や妹の仲間の事も聞かされた。
危なっかしくて目も離せなかった弟や妹だったが、今ではしっかりしてる仲間達と一緒に海に出て少し安心したと言っていた。
最初ジンベエはルフィとアスカと出会っていないため何の感情もなく、ただ、エースがその話をしていると安堵したような笑みを浮べていたから死に行く彼の不安が少し和らいだ事にこちらも安堵させられたのは覚えている。
その彼の安堵の言葉がルフィの言葉で笑みを浮かべる彼らを見て頭に過ぎった。
あの時はエースが笑っている事で安堵させられたが…アスカとルフィと深い関わりを持った今、ジンベエはエースと同じ意味で胸を撫で下ろす。
(わしも身軽になりルフィ君の仲間になったのなら……アスカ君を全力で守ろう…―――そう、エースさんの代わりにわしらが、アスカ君を…)
エースが死に際に『天竜人から守れなくてごめん』と零したのをジンベエは途切れ途切れだったが聞こえていた。
天竜人の部分は周りの雄叫びや悲鳴で聞こえなかったが今アスカの過去を知りやっと解けなかった糸が解けた気がし、ジンベエはエースが最後の最後まで悔やんだ守れなかった約束を勝手ながら自分が守ろうと決意する。
自分ではエースの代わりにはなれないが、エースが守れなかった約束を自分がすることでエースもアスカも救われる気がした。
それは本当に勝手な思いだが、ジンベエはアスカにもルフィにもそれを話すつもりはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇
「――で!ジンベエ!!姉ちゃんのこと教えてくれよ!!」
1人心の中で亡きエースと約束しているとルフィに声を掛けられハッと我に返る。
ルフィは肉を持ちながら真剣な目でこちらを見ており、ジンベエは忘れていなかったルフィに苦笑いを浮かべた。
「黒蝶か…わしもそう詳しくは知らんがいいか?」
「ああ!!少しでも姉ちゃんのことが分かればそれでいい!!」
『あとでアスカに教えてやるんだ!!』と真剣な表情からニカッと笑い、そんなルフィにジンベエは眩しそうに目を細めた。
しかし今の自分は戦争で七武海の地位を失った身。
ジンベエも詳しくは知らなかった。
それでもルフィは少しでもアスカを安心させたいとジンベエを急かす。
「まず、行方不明だった1年間だが…それは誰にも知らん。」
「知らない…?どうして?」
「黒蝶が全く話さないようじゃ…話によると黒蝶は一切行方不明だった1年間の出来事を話す事なく口を固く閉ざしているという…センゴクや、祖父であるガープにも言わなかったそうじゃ。」
青雉はミコトが帰ってくる頃には既に海軍から離れていたため、情報の中に名はなかった。
ナミ達はルフィやアスカを心から愛し、心配しているミコトの家族想いな所を知っているため祖父に話さないというのには驚きが隠せない。
「おじいさんにも…どうしてかしら…」
「記憶を消されたからとか?あと脅されたとか…」
「あのルフィのお姉さんが?」
「お姉様は美しく麗しく可憐でか弱そうで誰もが守って差し上げたいと思ってしまう方だが……仮にも大将黒蝶なんだぞ?簡単に記憶を奪われたりするか?」
「脅すにも逆にこっちが弱みを握られそうよね…」
「……だよな…」
『まあ、そんな事するような人には見えなかったけど…』とナミはロングリングロングランドでミコトと初めて会った時の事を思い出しながらそう呟いた。
しかし彼女は知らない…ミコトは海軍の科学者のトップの弱みを握っていることを…
ウソップも上げつつもやはりありえないと思っていたのかすんなりと納得し腕を組んでサンジとナミと同じく考えに耽っていた。
「んなもんいいんだよ!!1年間どこにいようが姉ちゃんが無事ならそれでいい!!…で、今姉ちゃんは本当に海軍にいるんだろうな!!」
「ああ…ってお前さん本当に新聞見てないんじゃな…」
ミコトの復帰は新聞でデカデカと書かれるほど大々的に取り上げられていた。
一面を何日も飾った会社もあった。
それなのに本当に何も知らない様子のルフィに流石のジンベエも呆れ返ってしまう。
「黒蝶は1年間秘密裏に動いていた、と記事に書いてあったが…」
「嘘、なんだな…?」
新聞には他の大将の活躍の裏で1人動いていた為に表舞台には出なかった、と書かれていた。
それをナミ達は当然そうなのだと他の人間と同じく信じ込んでいた。
しかし今のジンベエの言葉からするとそれは違うのだとサンジが続け、サンジの問いにジンベエは頷く。
「わしが思うに黒蝶はあの戦争の後誰かに拾われ回復を待っていた…――と、見ておる…その誰かは分からんが…あれほどの傷を負ったんじゃ…1人で動ける訳ではあるまい…」
ジンベエも最後までは見ていない。
それにアスカとルフィを連れて脱出することで頭が一杯でミコトに構っていられるほど余裕はなかった。
後ろから3人の大将に追われていたのだから余計だろう。
「そして黒蝶は今…表舞台に戻り以前と変らぬ地位、そして働きをしておる。」
「そっか…よかった………………………ってよくねェよっ!!!」
ジンベエの言葉にルフィは変らない姉に安堵の息をつ…いたと思ったが長い安堵の息をついたルフィは突然ノリ突っ込みのように声を上げた。
ルフィのノリ突っ込みについジンベエは呆気に取られ、ナミ達も流石に驚いてしまう。
その場(ミコトの話になった途端眠ったゾロと未だ眠るアスカ以外)にいた者達は立ち上がったルフィに目を丸くして見上げる。
「よくねェよ!!よくねェ!!」
「な、なにがじゃ…」
「ジンベエ!!姉ちゃんがケムリンと結婚したっていうのは本当か!?」
「…は?」
首を振るルフィを唖然と見上げていたジンベエだったが、次に出た言葉に更に呆気に取られてしまう。
しかしそんなジンベエをよそにルフィのシスコンを知っているナミ達は溜息を零し誰もが呆れた表情を浮かべる。
口を開けて呆けるジンベエにルフィは更に問い詰める。
「どうなんだ!?本当なのか!?」
「ほ、本当じゃが…」
「…!!!」
ジンベエは何がなんだか分からずとりあえず頷く。
ミコトとスモーカーが結婚したというニュースは新聞にも取り上げられ、そのニュースが出て数日はミコトのファンだった男共の悲痛な叫びと嘆きに世界は包まれた…と言っても過言ではないほど男達は落ち込んでいた。
(ケムリン…?)と首を傾げるジンベエだがミコトと結婚した男など1人しかおらず、スモーカーをケムリンと呼ぶことに突っ込みたいがルフィの形相に突っ込む気力すら湧かない。
ジンベエが頷いたのを見てルフィは余りのショックに背後に雷を落とす。
「ほ、本当…なのか……姉ちゃんとケムリンが……」
ガクッとくずおれ、これでもかと黒い物を背負うルフィにジンベエはどう声をかければいいか分からずにいた。
そしてエースがミコトに対しても、アスカに対してもシスコンなのは当の昔に知っていた事だが、まさかルフィまでもがシスコンだとは予想していなかったのか驚きを隠せないでいる。
身体を震わせ今にも泣き出しそうなルフィにジンベエは見てられずついフォローを出してしまう。
因みにナミ達はシスコンなルフィに慣れたもので落ち込む船長を誰も慰めようとはせず放置していた。
「ま、まあ…落ち込むのは分かるが……黒蝶も女なのじゃ…姉の幸せを素直に祝福…」
「すると思うか!?しねェよ!!ぜってェーしねェ!!姉ちゃんの口から幸せって聞くまでおれはぜってェケムリンをみとめーーーん!!」
「……だろうな…」
今、ルフィは以前アスカがエロ透明人間に攫われ結婚すると聞いたサンジのように炎を纏っている。
もう何を見ても驚きもしないジンベエはゴオオ、と燃え上がる炎の中で鬼のような形相なルフィを眩しそうに…いや、呆れたように目を細めた。
しかし今ここには肝心のミコトもケムリンことスモーカーもいないためルフィはいずれ相まみえるときがくるその日の為に食べ途中だった食べ物を思いっきり口に含み血と肉へと変えていく。
その後ろ姿を見つめ、その場にいた全員が溜息をついた。
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