(138 / 274) ラビットガール2 (138)

アスカはとりあえず落ち着き、ソファに腰を下ろしていた。
その隣にローが座る。


(お、驚いた…まさかルフィにキスされる日がくるとは思わなかった…)


アスカは驚いていた。
むしろ驚愕していた。
ルフィと共に暮らし、共に生きて10年以上…まさかルフィとキスするとは思ってもみなかったのだ。
ルフィと言えば食欲魔人…そして絶世の美女とも言われている海賊女帝、ボア・ハンコックに求愛されてもスルーできる鉄の理性を持つ男である。
アスカも含めたこの船にいるクルー達はルフィに性欲など存在していないと思っており、性とルフィを結びつかないほどルフィはそういう事は興味がないのだと思っていた。
それが…まさかその性に関心を寄せる暇があれば食べ物に関心を寄せるであろうルフィと…
そして落ち着いたアスカの感想は、『世の中って不思議な事があるんだなァ』とだけだった。
悲しいかな…ルフィとは真逆にアスカは性に耐性がついていた。


「アスカは…」

「?」

「……麦わら屋と付き合っているのか?」


まだドキドキとした胸の高まりが落ち着かず胸に手を当てていたとき、ローが声をかけてきた。
それも恐る恐る声をかけてきたがアスカはローの心境などつゆ知らず呑気にも首をかしげていた。
そんなアスカにローは間を置いた後問う。
その問いにアスカは首を振って答え、その返答にローはホッとした表情を浮かべる。
その表情を首を傾げながら見つめていたアスカだったが、ふとローがここに来た目的が何なのか聞いていない事に気付く。


「ローの話って、なに?」


アスカはもう落ち着いて、朝のように取り乱す事はなかった。
でもこの先また取り乱してローに色々酷い事を言ってしまうかもしれないという怖さもあった。
それでもローが二人きりで話したいことがあるというから、ルフィを追い払ってまで聞こうと思った。
こうして冷静になってローと向き合えるのはルフィのおかげだな、と思いながらローに問えば、ローもルフィの行動にショックが隠せなかったのか思い出したようにハッとさせる。


「…リサの事を、話しに来た」

「!」


ローの言葉にアスカは目を丸くする。
正直アスカの問いに答えようかと一瞬考えた。
来た理由はリサの事を隠さず話すためで、ちゃんと覚悟も決めてきたのに…本人を前にするとどうしても二の足を踏んでしまう。
あれからローも食事を取らず色々冷静になり反省し、そして考えていたのだ。
リサの事をアスカはずっと気に病んでいたためにあんな喧嘩が起こったのだ。
この先ドフラミンゴとの戦いがどうなるかは分からない。
ドフラミンゴがアスカと接触するかもしれない。
だが今の状況ではアスカはドフラミンゴについていきそうで怖かった。
ドフラミンゴは口が上手い。
アスカの不安を汲み取り甘い言葉でアスカを攫って行こうとするだろう。
だから、そうならないためにも…ローは全てを話す決意を固めた。
アスカは口を開きかけたローに『待って』と止め、止められたローは怪訝とした目でアスカを見た。


「…リサって子は……私なんでしょ?」

「…気づいていたのか…」


アスカの言葉に今度はローが驚く番だった。
アスカは驚くローをよそに気付いた事に頷きどうして気づいたのかも話した。
ローは自分の不注意さを呪った。
気づかれないように気を付けているつもりだったのに、ドフラミンゴと言い合いをして頭に血を上らせアスカに気付かせたのだ。
自分の失態にローは溜息をつく。


「ねえ、ローは小さい頃の私を知ってるって言ってたよね…記憶がない空白の私を…」

「ああ」

「…少しでもいい…ほんのちょっとでもいいから教えて…私が失った記憶を…」


アスカの言葉にローは息を呑んだ。
ローがここに来たのはリサの事を話すために来たのだ。
記憶を失った頃の事など……昔の事なんて話す覚悟はまだできていなかった。
口を閉じ黙り込むローをアスカはまっすぐな目で見つめる。
その目にローもしばらく迷っていたが、逃げられないと察したのかローも真剣な表情を浮かべ、アスカを見返す。


「…おれが知っているのは少ないが…いいか?」

「うん…なんでもいい…少なくてもいい……私、自分の事が知りたい…」


ルフィは自分がアスカだろうがリサだろうが自分は自分だと言ってくれた。
何者だろうがこうして冒険をしてきたのは紛れもない自分、だと。
その言葉にアスカは救われた。
救われ、前を向こうと思えた。
救われて…自分を知ろうと思った。
アスカの強い眼差しにローは戸惑う。
正直、アスカの過去の事はあまりアスカ本人に言いたくはなかった。
しかし、結局ローもドフラミンゴと同じくアスカに甘い男である。
ローはアスカの強く真剣な瞳に根負けた。


「おれと、お前が出会ったのは…そうだなァ…10歳の頃だ」

「じゃあ、私が3歳の頃?」


アスカと初めて会った事を思い出す。
目を瞑れば瞼の裏に今でも鮮明に思い出せたその大切な思い出をローは思い出した。


「最初にアスカが声をかけてきてくれたんだ…丁度その時、おれは怪我をしていたからな…怪我の治療もしてくれた」

「…3歳で怪我の治療?私って医療を齧ってたの?」


目を瞑ってその光景を思い浮かべる。
あの時は毎日体という体を傷つけて生きてきた。
残り少ない人生の中、自暴自棄になっていたというのもあったが、何より全てが憎かった。
そんな自分の前に来てくれたのが…アスカだった。
まだ3歳だったアスカは当たり前だが今よりも子供らしく、今も昔もアスカは愛らしかった。
まだ今のように長くないが、短くもない髪を伸ばして自分を小首を傾げながら見るとさらりとした綺麗な髪が頭に合わせて流れ、金色のくりっとした大きな瞳がローを見つめていた。
あの頃は今のようなシンプルな機能性重視の服装ではなく、本当に子供が着る愛らしい服装を着た普通の女の子だった。
アスカはローの文脈から怪我を治したのは3歳の自分だと思ったのか首をかしげていたが、ローは違うと首を振り、少し戸惑うように間を置いた。


「いや、治してくれたのは…エイルマーだ」

「えいるまー?」

「そう…―――アスカの兄だ」

「…ッ!!」


アスカはローの言葉に目を丸くする。
兄、という言葉に驚いたというよりかは、エースやサボ達以外に"家族"がいたことに驚いていた。


「それって…本物の?」

「勿論…エイルマーはアスカの血の繋がった兄で、おれの尊敬する医師だったよ」

「……そう…」


記憶を失った時からアスカはずっと"本当の家族"という存在を考えたことがなかった。
それは考えないようにしていたのかもしれないけど、アスカは意識して"血の繋がった家族"の事を考えたことはなかった。
どうやら『兄』はローが尊敬するほどの医者だったらしい。
と、なるとアスカは医師の家庭で育ったことになる。
正直想像ができなかった。
医療器具に囲まれた生活、医師の両親や兄を持つ妹としての生活、村でも街でも患者を毎日見る生活…その生活に自分が組み込まれている風景がアスカは全く想像できなかった。
ずっとアスカの生活はルフィとともにあり、毎日がサバイバルでもあったのだ…そんな生活をしてきたアスカにその辺にいる子供と同じ生活風景を想像しろという方が無理である。
アスカは『兄』と言われても、そしてその『兄の名前』を聞いても、正直ピンとくるものはなかった。
それに、アスカは少し引っかかってることもある。


「私ってさ、ワノ国の出身だったりする?」


あの錦えもんに言われた言葉。
そして直葉の言葉。
アスカには両親もいるらしいのだ。
それもワノ国に。
父は居場所が分からないと錦えもんは言っていたが、もし彼らの言葉が真実であれば、アスカの家族がワノ国にる。
なら、兄だというエイルマーもワノ国の出身であり、そしてアスカもワノ国の血を受け継いでいるはずだった。
だが、ローは首を振る。


「いや…確かエイルマーから聞いた話によればアスカ達は"北の海"にある小さな町で生まれ育って、その町で兄と妹と二人で暮らしていたと聞いたが…」


ローの言葉にアスカは少し気落ちした気がした。
兄がいるなら両親がいるのが普通である。
錦えもんから自分の父ではないかと思われる『仁』の存在が頭から離れなかった。
しかしローの回答にそれはやはり人違いだと知る。
それに安堵したものの、残念だと思う心もあった。


「ね、私のお兄ちゃんって、どんな人?」

「エイルマー?…そうだなァ……ふふ、」

「?」


エイルマーと言うらしい兄の人柄をローに聞こうとした。
しかしローはエルマーがどんな人かというアスカの質問に突然くすくすと笑い出したのだ。
アスカはいきなり笑い出すローに首を傾げながら『何笑ってるの?』と問えば口を手で押さえ笑うのを我慢しながら『ああ、すまない…ちょっと思い出し笑いをな』と返し、アスカはその言葉の意味が分からなくて首を傾げながらも落ち着くのを待っててやる。
やっと落ち着いたのか、ローはアスカに向き直す。


「エイルマーは…なんていうか……自由な人だった」

「自由?」

「そうだ…自由というよりはフリーダムか?ちょっと人より被害妄想が激しい人だった…でも、あの人はとても明るくて誰よりも優しい人だったよ…おれは当時重い病気を患ってたんだ…その病気は人に移ることはないが、感染するというデマをみんな信じて差別されてきた…そのせいでおれは荒んで全てが敵に見えて仕方なかったんだが…エイルマーはそれでもおれを優しく受け入れてくれたんだ…おれはその時はまだエイルマーが信じきれなかったが次第に『この人なら大丈夫』と思えてきてな……本当、あの人は素晴らしい人だったよ…医者としても、人としても。」


ローの言葉を聞いてもやはりアスカは思い出せない。
天竜人の事件で記憶がない事を話し、チョッパーから失ったときの記憶と関わりのある言葉や物を見たりしたら記憶が戻ることもあると聞いていたから少し期待していたのだが…結果は思い出す記憶など1ミリもなかった。
でも、兄だというエイルマーを思い出しているローの表情を見れば決して悪い人ではないのだな、というのが分かっただけでも良しとしようとした。
するとふとした疑問が浮かぶ。


「リサが私だって言うのは分かったけど……リサってなに?私の本当の名前?それとも何か…うーん……ニックネーム的なもの?」


それはリサという名前。
リサという名前の人物が自分だというのは分かった。
だが、記憶を失くす前アスカはリサと名乗っていたのか、それとも本当はリサという名前が本名なのか、はたまたニックネームのような感覚で呼ばれていたのか…記憶がないから分からなかった。


「そうだなァ…そこはおれも詳しくは知らないんだが……おれがアスカと出会っていた時はリサと名乗っていた」

「じゃあ私の本名はリサ?」

「いや…本当の名前はアスカだ」

「どうして分かるの?」

「アスカが教えてくれたんだぞ?『リサって名前は偽名で、本名はアスカって言うんだよ』って」

「えっ…そうなの?」

「ああ、『おれ達だけの秘密』だってな……多分ファミリーの中じゃエイルマーとおれと…あと一人しか知らないんじゃないか?エイルマーには絶対誰にも教えるなって言われてたとも言っていたな」

(そんな秘密をぽろっと喋る小さい頃の私って…)


本名はアスカで合っているらしいが、どうやら小さい頃の自分は少々頭の弱い子だったらしい。
誰にも言っていけないことをローに話してしまった自分に呆れながらも、アスカはある言葉に引っかかりを感じた。


「ファミリーって?」

「…………」


それは『ファミリー』という言葉。
アスカはナミ達に説明していた時は既にここにルフィと閉じこもっていたからファミリーと言ってもどこのファミリーなのかは分からなかった。
ローはアスカの問いに先ほどとは打って表情を険しくさせる。


「…ドンキホーテファミリーだ」

「!」


絞り出すようなローの言葉にアスカは目を丸くした。


「私が…あのドフラミンゴの海賊団に、いた?」


信じられなくてアスカは声に出して言ってみる。
しかしどうもしっくりこなかった。
記憶を失くしているのが大きいのだろうが、何よりアスカは既に麦わら海賊団の一員として溶け込んでいた。
だから自分がルフィ達以外の人間と海賊をやっていること自体想像ができなかった。
唖然と呟くアスカの呟きにローは無言で頷く。
アスカはその頷きに目線を落とし床を見ていたがハッとし弾かれたように顔を上げてローを見る。


「じゃあ、今から行くドレスローザって島にその私のお兄ちゃんがいるわけだよね?」

「ッ!、それは…」

「それとも…私やローがファミリーを抜けたのと同じでお兄ちゃんもファミリーを抜けててどこかにいるの?」

「…………」


自分がドンキホーテファミリーに入っていた事は分かった。
しかし、その兄だというエイルマーが今どこにいるのかアスカは聞いていないのに気づく。
そのファミリーにまだいるのか、はたまた自分やローのようにファミリーから離れてどこかに隠れて暮らしているのか…それをローに聞けばローは口を閉じ、手を組み項垂れるように俯き床を見る。
アスカはそんなローの反応に首を傾げた。


「…………」

「ロー?」

「……エイルマーは…もう、いない」

「いない?じゃあやっぱりファミリーを抜けてどこかの島にいるの?」

「………」


ローはアスカの問いに心臓が握りつぶされそうな感覚に襲われる。
それは罪悪感からだった。
アスカは知らないのだ…


「…エイルマーは……死んだ…いや…――――殺されたんだ…ドフラミンゴによってな」


実の兄がもうこの世にいない事を。

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