アスカはあの頃…この世界がどんな世界かも分からなかったくらい幼かった。
しかしそんな幼かったアスカでもドフラミンゴとエイルマーはお互い心から嫌っているのを知っていた。
だからすぐに嘘だと思った。
確かにファミリーを無断で抜ける者の末路は死しかないだろう。
だが、できる事なら顔さえ合わせたくない…ましてや遠目でお互いの姿さえ見たくないほと両者共に毛嫌いしていたエイルマーをたかがファミリーを抜けようとした事くらいで殺さないだろう。
むしろ逃げてくれるなら厄介払いできて大いに結構!、と言わんばかりである。
ドフラミンゴはアスカの言葉に口を閉ざしたが、じっと見つめるアスカの目に負けたのか、ため息に似た息を吐く。
「…ヤブ医者がおれからリサを奪おうとしたからだ」
ドフラミンゴはやっと本音を零した。
その言葉にアスカは目を丸くする。
「本来ならお前が成長していく間におれという存在を刷り込むつもりだった…おれを兄として絶対の認識をさせ、あのヤブ医者から遠ざけた後に逃がすなり殺すなりお前から放すつもりだった…だが、あいつはあの騒動に乗じてお前と逃げる腹だったらしい…ただヤブ医者だけで逃げるなら別に構わなかった…だがリサ…お前も連れていくというのなら話は別だ…」
「私を…兄さんから奪うために……殺したっていうの…?」
「奪うためじゃない…"守る"ためだ…あのヤブ医者からお前を守るために殺した」
「守る?何を守るの?兄さんが私を傷つけるとでも?私を、悲しませるとでも?」
「ヤブ医者はお前を全てから守れねェ…お前と同じ悪魔の実を食べようがどんな実を食べようが優しすぎるが故に人を手にかけることもできねェ…守る者のためになら人も殺せる覚悟もねェ奴がお前を守れるか」
「…だけど兄さんはたった一人の兄さんだった…」
「だからそれが何になる?血が繋がっているに越したことはない…だが、血が繋がっているからこそ、それが逆に脅威にもなる」
「…………」
エイルマーがファミリーから逃げ出す…それは大いに結構。
どうでもいい相手を追うほどドフラミンゴは暇ではない。
それにアスカがエイルマーの妹だったからこそドフラミンゴとアスカは出会えた。
その事への感謝を含め、一度だけなら見逃してやっても良かった。
だが…それはエイルマー"だけ"が逃げるならの話であり、アスカが一緒なら話は別である。
アスカはドフラミンゴにとってかけがえのない存在…出会った当初は妹の代わりとして育てるつもりだったが、次第にアスカはアスカとして見るようになり、二人目の妹として愛するようになった。
その執着はすさまじく、エイルマーがファミリーを抜けて死のうがどうなろうとどうでもいいが、アスカが自分から離れる事だけはどうしても許せなかった。
(…確かに…兄さんは優しすぎる人だった…)
『守るのにはエイルマーでは優しすぎる』、というドフラミンゴの言葉にアスカは内心頷いた。
記憶を取り戻して思い出す兄はいつも優しかった。
躾で怒ることはあるが、それ以外で怒鳴り散らしたり目を吊り上げるところを見たことがなかった。
エイルマーは能力者だった。
それもアスカと同じ悪魔の実を食した『ウサギ人間』だった。
優しい彼は食べた悪魔の実も殺傷能力も皆無な愛らしいファンシーな生き物の能力を引いてしまったのだ。
エイルマーはアスカほどその自らの能力を扱いきれていなかった。
元々争い事を嫌っていたエイルマーがアスカのように戦闘向きの能力に特化させる事など出来なかったのだ。
アスカはドフラミンゴの言葉に納得し、そして目が熱くなるのを感じる。
泣きそうだ、と自分でも思ったがアスカは我慢した。
別にドフラミンゴの前で泣きたくないとかではなかったが、嫌だった。
今泣けば全て終わってしまいそうな気がして。
アスカは泣きそうになってる顔を見られたくなくて、座ったままの体勢で膝を立て抱えた膝に顔を埋めた。
ドフラミンゴは膝に顔を埋めるアスカに手を差し出すこともなく、ただ表情なく見つめていた。
「兄さん、はさ…死んだ両親の代わりに一生懸命私を育ててくれたんだ…医者ってさ、大きな街で有名になれば入るお金は大きいけど…私の故郷くらい田舎の村医者だとね、お金じゃなくて物々交換が主流だったんだよ…それでも食べ物があるだけ幸せだったけど…だけど余裕があった生活じゃなかった……それでも兄さんは私を食べさせるために働いてくれた………なのに…酷いよ……こんな事になるんだったら…あの時ドフィを見つけるんじゃなかった…」
兄を殺すくらいだったらあの時…アスカがドフラミンゴに目を付けられるきっかけになったあの時…怪我をしていたドフラミンゴを見つけるんじゃなかったとアスカは後悔している。
もしあの時、あの場所を通って、何となく気にならなかったら…兄は今でも生きていられたかもしれない。
声を震わせながら零すアスカの言葉にドフラミンゴは目を伏せた。
「酷い、か…そうだな……おれが憎いか」
「…っ」
ドフラミンゴはエイルマーを殺したことは後悔していないし、彼に対しての罪悪感はない。
ただあるのはアスカが悲しんでいるという心配だけ。
ドフラミンゴがアスカにそう問えばアスカは息をのみ、目をギュッと瞑る。
「ドフィは、やっぱり酷い……私、ドフィの事憎いって思ってない…」
「思っていない?お前の唯一の兄を殺した相手でもか」
「……憎いって、思えない…兄さんやコラさんを殺したことは許せないけど……悲しいことなんだけど…兄さんのこともコラさんのこと、大好きなんだけど……ドフィの事も…ドフィやみんな事も…大好きなの…憎みたいけど…ドフィ達を憎み切れないの…だから…そんな質問、ずるい…」
「リサ…」
アスカの言葉にドフラミンゴは目を見張った。
あの時…スートの間ではアスカに恨み言を言われていたから恨まれていると思っていた。
しかしアスカは恨むどころか恨み切れずにいるというではないか。
恐らくあの時の言葉は記憶を取り戻したばかりで混乱し感情が追いついていなかったからだろうとドフラミンゴは推測する。
アスカの中ではやはり…当然、憎い、という感情はあるはずである。
だけどそれ以上にドフラミンゴやファミリー達の事も好きだという感情が強いのだ。
同じ誰かを殺された人や、ローにとったらその感情は不快で不可解な事だろう。
アスカだって憎もうと思っても憎み切れない自分の感情に追いつけていないのだ。
ドフラミンゴはその言葉を聞いて心から嬉しいと思った。
ピーカやグラディウス達も、兄とロシナンテを殺した事を告白した事に怒り狂うのだと思っていたからアスカの言葉は嬉しいものだった。
妹と愛したアスカに憎まれ恨まれる覚悟でドフラミンゴは本音を零した。
嫌われようが閉じ込めるつもりでいた。
しかし、実際はアスカに嫌われることはなく…大好きとも言われドフラミンゴはホッと安堵する。
しかし…
「でも…ドフの事、好きだけど…私、ドフィの傍にはいられない」
「どうしてだ?ローや麦わらとは違いおれはずっとお前を守ってやれる」
アスカの言葉にドフラミンゴが怪訝とさせた。
膝に顔を埋めていたアスカだったが、ドフラミンゴの言葉にのそりと顔を上げる。
「今の私はリサじゃないから…今の私は麦わら海賊団の一員で、冷酷ウサギのアスカ…ドフィとは一緒にいられない…私はドフィの手は絶対に取らない」
ドフラミンゴは好き。
グラディウスも、ピーカも…幼い頃一緒にいた人達が好きだった。
でも、今はもうローと同じくドフラミンゴから独立している身でもある。
実家感覚でたまに帰るというものなら大人しくドフラミンゴの言う事を聞ける。
だけど、今は敵対している身…アスカは決してドフラミンゴの手を取るわけにはいかなかった。
だが…―――ドフラミンゴはアスカの言葉にそっとアスカへと手を伸ばす。
「そうなら…リサ…なぜ、今、おれの手を払わない」
「……」
「手を取らないと拒絶するつもりなら今すぐおれの手を払えばいい…」
ドフラミンゴはアスカの頬へ手を伸ばした。
その手をアスカは拒まないのを指摘すれば、アスカは眉間にしわをよせ複雑そうな表情を浮かべる。
「それが出来たらきっと…今、私はドフィを罵ってるよ………私、ドフィの事好きだけど…ルフィやローの事も好きだから……ドフィの手を取らないのはもう私はリサじゃないから…リサは14年前に死んで、今の私がある…私はあなたの手を取らないよ…私には仲間がいるから…」
自分は優柔不断だな、と思う。
欲張りだとも。
だけど、これだけははっきりしていた…自分の帰る場所はドフラミンゴのところではない、と。
自分の帰る場所はルフィ達仲間のもとだと。
あの時…どうしてアスカがドフラミンゴの元を離れる事になったかは覚えていない。
だが、もしあの時行方不明にならずこのままドフラミンゴの元へいたのなら…こんな気持ちにならなかったというのが素直な感情だ。
ドフラミンゴを見捨てることも、ローやルフィを切り捨てることも、アスカにはできなかった。
その言葉を聞き、ドフラミンゴは一瞬表情を険しくさせた。
しかしすぐにニタリと笑って見せ、アスカに伸ばしていた手を引っ込めた。
「グラディウス、あいつを呼べ」
「はい」
座り直したドフラミンゴはアスカを見つめながら扉付近で待機しているグラディウスに『ある人物』を呼ぶよう命じ、グラディスは頷いた後部屋を出ていく。
「?」
それをアスカは首をかしげて見送っていたが、しばらくするとグラディウスが『ある人物』を連れて戻ってきた。
その人物とは30代くらいの女性だった。
世間基準で言えばどちらかと言えば美人の方になるであろう女性。
身なりも乱れておらず、髪も化粧も崩れた様子はない。
ただ怯えているようには見えた。
「ああ、すまないな、ルイーズ…お前も忙しいのに呼び出して」
「い、いいえ…その…わ、若さま…御用というのは…」
ルイーズ、と呼ばれた女は背を向け一度もこちらを振り返り見ようともしないドフラミンゴの呼び出しにアスカが見ても分かるほど震えていた。
声も必死に隠しているが震え怯えているのが分かるほど彼女はドフラミンゴへ恐怖の感情を抱いている。
それを見抜けないドフラミンゴではないが、今はそれを揶揄して遊ぶ時間はない。
単刀直入で命じた。
「リサの記憶を改ざんしろ」
「っ!?」
アスカはドフラミンゴの言葉に目を丸くする。
ルイーズもドフラミンゴの言葉に驚いており、しかし傍にいたグラディウスやピーカはなんの反応も見せない。
ルイーズは驚いた表情のままリサと呼ばれた少女を見た。
その少女はドフラミンゴを目をまん丸にして見つめており、ルイーズは似ていると思った。
そう…アスカは娘に似ていた。
外見ではない。
年齢が近いというだけだが、今の彼女にとったらそれでも似ている類に入り、やりにくい相手でもあった。
まず動いたのはルイーズではなくアスカだった。
アスカは座ったまま記憶を改ざんしろと平然と述べるドフラミンゴに顔を引きつらせる。
「なに、言ってんの…ドフィ…」
「すまねェな、リサ…本当はこのやり方はしたくなかったんだが…しなきゃならねェ事情が出来た…おれはもう二度とお前を失いたくないんだ」
謝るドフラミンゴ…その表情も申し訳なさそうに眉を下げていた。
しかしアスカからしたら何をされるのか分からない恐怖からそれすら不気味に見えた。
相手は七武海の中でもダントツにヤバイ男である。
正直今もなお溺愛されているアスカも彼の考えていることは読めない。
それは離れていたからというのもあるだろうが、恐らくそのままドフラミンゴの腕に守られながら育ってきていても深く読み取る事はできないだろう。
アスカは息がつまりそうなほど緊張し、これ彼の傍にいるのは危険だという危険信号に従い素早い動きで扉へと向かって走ろうとした。
しかし…立ち上がったまでは良かった。
足を踏み出し走ろうとしたまでも。
しかしそれ以上足が動かなかったのだ。
それどころか体全体が…指の先から髪の毛一本に至るまで自分の体だというのに動かせなかった。
アスカはその原因を知っており、その原因であるドフラミンゴをギロッと睨んだ。
「何故逃げる?」
「…ッにげるに、決まってるでしょ…!?」
「?、なぜだ?何も痛い思いをさせるわけじゃねェ…ちょっと記憶を改ざんさせてもらうだけだ」
「それがイヤなの!!私は言ったはずでしょ!?もうドフィの傍にはいられないって!もう…!もうドフィの手は取らないって!!」
「………」
その原因…ドフラミンゴは首を傾げ不思議そうにしていた。
その仕草は嘘偽りのない本当に不思議に思っているからこそ出るモノだが、今のアスカからしたら苛立つ仕草でもあった。
だからアスカはドフラミンゴを更に睨む。
何もしないのであれば、逃げるつもりは毛頭なかった。
かといって手を取るつもりもなかったが、記憶を改ざんするというのなら話は別である。
ギロリと睨む愛し子にドフラミンゴは溜息をつき、優雅に足を組み座っていた腰を上げアスカに近づき―――トン、と手刀で首を叩き気絶させた。
アスカは一瞬にして意識を失い、ガクリと膝が折れドフラミンゴに腕一本で支えられた。
「―――うまく、いかねェなァ…」
完全に気を失ったのを見て能力を解除しながらドフラミンゴは腕にアスカを抱き上げ、寝顔を見つめながらぽつりと呟いた。
本当に、上手くいかない。
ローの事、オペオペの実の事、アスカの事もそう。
そして…
―――弟の事も、そうだった。
何もかも上手くいってそうで、肝心なもの全て上手くいっていないのだ。
しかしそういう時こそ冷静でなければならないとドフラミンゴは過去に学んでいる。
否、学ばなければならなかった。
そうしなければアスカは…ロシナンテの二の舞となってしまうからだろう。
アスカが愛しくも…憎く思ってしまう。
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