(16 / 20) 過去 (16)

エイルマーは決めた。
ドフラミンゴの元から離れることを。
それを聞いたコラソンには反対されたが、それは予想がついていたから、それで決意が揺らぐことはなかった。


「…………」


決意は決して揺らがない。
しかし緊張や恐怖はそれで治まるわけではなかった。
エイルマーは医療器具の手入れしている自分の手が震えているのに気付き、手入れの手を止める。
震える手で器具をトレイへ戻し、ギュッと手を握る。


(ああ…そうだね…怖いよ……すごく怖い。)


エイルマーは目を瞑る。
瞼の奥にはドフラミンゴや幹部達の姿が浮かび、冷や汗が流れた。
力尽きたように椅子に腰を下ろし、額を手で覆い項垂れるように俯く。
吐き出される息は震え、意識もはっきりしない。
エイルマーは恐怖していた。
彼らの力を、己が死ぬことを。
行動を起こすのは今日ではないのに、これからの事を思うと恐怖で体の震えが止まらなかった。


(はは…駄目だなァ…これじゃリサを連れ出して逃げること、できないや…)


涙も溜まっているのか視界が揺らいだ。
エイルマーは能力者である。
しかしその能力はウサギを操るという能力だけ。
ドフラミンゴや他の幹部達のように戦闘に長けているわけではなかった。
純粋な力で言えばドフラミンゴ達が勝ち、能力や実力で言えばやはりドフラミゴ達の方が勝つ。
エイルマーは船医であり、戦闘員ではない。
ウサウサの実もリサを守るために食べた物だったが、心優しいエイルマーとの相性は良い様で悪かった。
どんなにリサのためだと言ってもエイルマーの身も心も医師なのだ。
医者として、例え海賊でも人を傷つけるのは抵抗があった。
だから特訓しても力という力が手に入らなかったのだろう。
心の底で妹を守ろうとしても、心のどこかで医師としての自分が塞き止めていた。
今も恐怖の他にも人を傷つける事に手が震えていたのだ。


(ヤブ医者――そうだね、ドフラミンゴ…そう…ぼくはヤブなんだ……妹一人守れないヤブだ…でも…それでも……人を傷つけたくはないんだよ…ぼくはヤブでも、医者だから…)


耳の奥でドフラミンゴの声が聞こえた気がした。
いつも名前の代わりに言われる『ヤブ医者』という言葉が、聞こえた気がした。
ヤブとは本来腕のない人の事を指すが、人を傷つけることも出来ない自分をエイルマーはヤブだと自傷した。
医者とは人を治す人の事を指すのだから間違ってはいないだろう。
だが、人は必ず選択を迫られる時がある。
エイルマーにとってそれは今だった。
エイルマーが抗っても勝てるほどドフラミンゴ達がその程度の力ではないが、傷を負わせず逃げ切れる相手ではない。
それは知ってはいるのだが、やはり医師とし攻撃はできそうになかった。


「リサ…」


不意に外から楽しそうな愛らしい声が聞こえ、エイルマーは俯いていた顔を上げ窓へと近づく。
そこには妹のリサ、そしてローやベビー5やバッファローがいた。
まだデリンジャーは子供なためジョーラから離れられないが、ファミリー入りしている子供達がエイルマーの医務室の傍で遊んでいるのが窓から見えた。
エイルマーはリサの姿に肩の力を抜く。
リサの姿に安心したのだろう。
ロー達と遊んでいるリサの姿は本来の子供の姿だった。
楽しいから笑い、友達とその楽しさを共有する、本来あるべき子供の姿。


「なあ…リサ…正直、君がいてくれてよかったよ…君がいたからぼくは今まで生きていけた…君がいたからぼくは一人じゃなかったんだ………だから…君はぼくが守る…絶対に。」


窓にもたれながらリサを見下ろし愛おし気に零す。
リサとエイルマーは歳が離れている。
それは父がエイルマーの母を亡くした後、再婚した若い女性と出来た子供が、リサだからだ。
もうその頃にはエイルマーも大人の仲間入りしていたし、母を亡くした後の父があまりにも落ち込んでいたから正直嫉妬や嫌悪もなく、ただ喜びと安堵があった。
ああ、これで父は悲しまなくてすむんだな、とまず思い、エイルマーは心から祝福した。
義理の母とは上手くいっていたし、生まれたばかりの異母妹に対しても愛情があった。
初めて出来た兄弟…しかも妹。
エイルマーは父や義母よりも誰よりも妹を溺愛し愛した。
しかし、父も義母も、リサの成長を見守ることなく海での旅行中海賊に襲われ死んだ。
エイルマーは残された財産…異母妹を命を代えてでも守ると両親の墓の前で決めた。
育った村では両親を早くもなくした兄妹をみんな助けてくれた。
おかげでリサも問題なく育ってくれた。
そしてエイルマーの愛情のおかげで、リサは村一番可愛い女の子として育った。
エイルマーは可愛い妹の成長を見守り幸せだった。
いずれ村にいる男性か、外の男性か分からないが夫となる人を決め、結婚し、子供も産んで幸せな人生を送ってくれると思っていた。
しかし、事態は最悪な方へと変わる。
リサがドフラミンゴを見つけたのだ。
怪我をしたドフラミンゴを仕事帰りにリサが見つけ、怪我をしていたから医者として連れて帰り治療をした。
それが間違いだと分かっていたらドフラミンゴの前にリサを出さなかっただろう。
医師として傷ついた人が人殺しだろうが悪党だろうが放っておくことはできないため、治療はする。
だが、リサを彼の前には出さなかった。
過去にはもう戻せないし、やり直せないから何を言っても無駄だし、もしも等意味のない事だけど、エイルマーはドフラミンゴを治療した事には後悔はにないが、リサに関しては後悔ばかりである。


(咄嗟に別の名前を出してよかったかもしれない…)


瞳を開け、下にいる妹を見守っるように見つめながらエイルマーは心の中でポツリと呟く。


(別の名前を出してどうこうなる相手じゃないけど…逃亡には少しは役に立つだろうし…)


あの時、ドフラミンゴに攫われるように連れていかれた時、エイルマーは荷物を纏めている間ドフラミンゴの目を盗みリサに今の名前を捨て、別の名前を名乗るよう言い聞かせた。
まだ幼いリサはどうしてなのかを分かっていなかったが、素直な子に育ったおかげでリサは今の名前を憶え、前の名前を封印した。
最初の頃は間違えて前の名前を言いそうになりエイルマーはハラハラしていたが、今ではすっかりと慣れ、エイルマーの前でも今のリサという名前を間違えずに言える。
逃亡すると決め、エイルマーは今度は今のリサという名前を捨て、元の名前に戻すつもりだった。
勝手だと分かってはいるし、名前一つで逃げ切れるほど相手も馬鹿ではないのも知っている。
だが、誤魔化し程度しかならなくても、それで多少時間が稼げるのならそれでよかった。


(ロー…ごめんな…最後まで勉強を教えてやれなくて…)


窓から妹を目で追えばどうしても子供達もエイルマーの視界に入る。
その中に楽しんでいるのか分からないが無自覚の恋心からリサの隣をキープしているローを見て、エイルマーはローへの罪悪感に胸が痛くなった。
自分から医療を教えると言い、下げたくもない頭を下げてまで頼んだのに…結果、中途半端に教え、更には自分に懐いてくれていたローを見捨てて逃げる事になった。
ローのあの復讐心や病気を治すような悪魔の実が見つからなければ三年で消える命の事を思えば、逃げ出すのは延期した方がいいのだろう。
だが、今、ドフラミンゴは少しずつ変わっていくリサを見て気が緩んでいる。
今しかないのだ。
きっと、完全にリサがアリシアになってしまうと逃げ出すどころか、自分は用無しとしていずれ殺される。
腕がいいと褒めても、腕がいい医者などその辺にいる。
探せば自分同様か、それ以上のいい医者を探し船医にすることなど容易い。
だから腕がいいからと言って安心はしていなかった。

エイルマーは揺るがない決心の中、リサ、ロー、コラソンへの罪悪感に苛まれながら窓から離れ、必要最低限の荷物をバレないように纏め始めた。

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