(221 / 274) ラビットガール2 (221)

暗く深かった意識が浅くなっていくのを感じる。
アスカは不思議と自分が眠っているのだと分かった。


―――アスカ、そろそろ起きないと遅刻してしまうよ


それが兄とは異なる男の人の声だと分かった瞬間、アスカは瞼を開けた。
目を開けると室内だと気づいた。
顔を上げれば階段を下っているようで、そこでアスカは誰かに背負わされているのだと気づく。


「アスカ!起きたのね!よかった…!」


見慣れた背中に、自分を背負っているのはルフィだと分かった。
アスカが顔を上げたことで意識が戻ったと気づいたナミが声をかけてきた。
そちらに視線を向ければ胸を撫でおろし笑顔のナミがいた。


「ルフィ、ありがとう…降ろして」

「ん!」


どうやら自分はいつの間にか気を失っていたようで、ルフィが背負って運んでくれたらしい。
それにお礼を言いながら降ろしてもらうとアスカは辺りを見渡す。


「ここどこ?」

「クジラの中よ」

「くじら?」


辺りを見渡すアスカの問いに、ナミが答えた。
今いる場所は遠くから見えていたあのクジラの木の中らしい。
蔦を上って隠し扉から入り、下に続く階段を下りている最中だった。
目的は雷ぞう。
彼は今向かっている先にいるらしく、錦えもん達と共に迎えに行く最中にアスカは目を覚ましたらしい。


「アスカ、大丈夫か?」

「え、うん…私いつの間にか寝てたの?」


ローが心配そうに話しかけてくれたが、アスカは怪訝そうに眉を顰めるばかりだった。
アスカの言葉にローだけではなく全員が首を傾げた。


「…あなた気を失ったのよ?覚えていないの?」


ロビンの怪訝そうな言葉にアスカはますます眉のシワは深まるばかりでついにはコテンと首をかしげてしまう。
アスカは気を失ったと言われても全く覚えがなかった。
アスカからしたらパッと画面が切り替わるように気づいたらルフィの背中で寝ていたとしか思えなかった。
それを聞いたナミ達は傍にいた仲間と顔を見合わせる。


「記憶がないのか?」

「えーっ!?アスカまた記憶喪失になっちゃったのか!?」

「えっ!うそ!やだ!ねえアスカ!私のこと分かる!?」


記憶喪失は稀だが、アスカはその記憶喪失を経験し、長い間記憶は戻ることはなかった。
それもあるのかナミ達は過保護かと思うほど心配になる。
今度は自分達を忘れてしまうかもしれないとナミが聞くと、アスカは覚えていると答える。
それにホッと胸をおろす。


「一時的な記憶喪失みたいだな…体調に異変はあるか?」


医者であるローがそう聞けば、アスカは首を振った。
体調に変化はないと知ると安堵するローは、アスカに喪失していたきっかけの記憶を伝えることはしなかった。
『よかった』と安心したようにアスカの頬に触れる。
二年経って年相応に成長し健康体に戻ったアスカの頬は女性特有に柔らかく、恋人関係というのも相まって時間が許す限りずっと触れていたいと思う。


(記憶を封じたのか……アスカの反応からしていい思い出なんかないんだろうな…)


ローはあの場にはいなかったが、ルフィ達から聞いた話から察して、アスカは虐待された可能性があると思った。
解離性健忘という症状がある。
健忘という名前の通り、この病はストレスなどによっておこる記憶障害のことだ。
恐らく、今のアスカもその類の症状だろう。
アスカは母親に対して何かトラウマを抱えていて、精神的に負担がかかるため脳が一時的にトラウマを消したのだろう。
だが本来人間はそう簡単に健忘などにはならない。
ならば、よほどアスカは母親に対してトラウマを抱えているのだろう。
だが、ローは正直信じられずにいた。
ローはアスカの兄であるエイルマーを知っているのだ。
その中でアスカとエイルマーの両親の事も知っている。
アスカの両親はアスカがまだ幼い頃に死んでいる。
エイルマーの話しか知らないが、彼らからは虐待ではなくその真逆の愛情を与えられていたのだ。
例え幼すぎてアスカは覚えていないとしても、トラウマを抱えるような記憶はなく、あったとしてもそれは別人だ。
しかし、異常な執着を持っていたドフラミンゴからだって愛情を与えられ、誰もアスカを虐待したことはない。
奴隷だった頃の記憶なら分からなくはないが、トリガーが母親というのがローには分からない。
そこをあえて突っつくことは医師としても恋人としてもしたくはないローはこれ以上の話はさせないよう話を切り変えた。


「アスカ」


ローと話しながら歩いていたアスカは、ルフィに名前を呼ばれた。
ルフィはずっとアスカの傍にいてくれた。
ルフィへ振り向けば、ルフィはアスカに手の平を上にして差しだす。
アスカはルフィの手と顔を何度も見た後、そっとルフィの手の平に己の手を乗せる。
それにルフィはニッと嬉しそうに笑い、その笑みにアスカも釣られる。
ぎゅっと指を絡めて握り、ルフィは歩き出した。


「………」


ローはルフィの行動に溜息をつく。
お互いアスカを共有することを選んだし、ある程度平等を意識してはいるが、常に平等は難しく、更にはお互いに嫉妬は勿論ある。
元々反りが合うわけではない男が、一人の女を取り合わず付き合うのを選んだんだ。
多少の独占は目を瞑ることにしている。


「ロー」


ルフィのアスカに対する独占欲は、付き合う前らしくナミ達はいつものことだと気にも留めていない。
ローもアスカとの触れ合いはまた別の機会にするかと、今はルフィに譲ることにした。
とはいえ、わざわざ一歩後ろに下がる気もないので、アスカを挟んで並行に歩く。
広い道なため邪魔にはならないだろう。
すると、アスカに呼ばれた。
名前を呼ばれたのでアスカを見れば、『ん』と手を差しだされた。
ルフィのように手の平を差し出すアスカに、ローは驚いた表情を浮かべたが目を細めその手の平に自分の手を乗せる。
三人は手を繋いで歩き出す。


「…………」

「…ナミ…顔、顔」

(鬼ババァみたいな顔してる…)


その後ろ姿を大魔神…もとい、ナミが見つめていた。
しかしその顔はまさに大魔神…いや、般若である。
ロビンが指摘しても、般若ナミは引っ込むことはなかった。
相変わらず過保護なナミにウソップは静かに距離を置く。
経験上、過保護化ナミに近づかない方がいいとウソップを含む男性陣は分かっていた。


「下から叫び声が聞こえる」


進んでいくと誰かの叫び声が聞こえて来た。
反響しているため、その声は大きくアスカ達に届く。
そのまま進むと、ついに地下に到着した。


「着いたぜよ!」

「やっほー!忍者どこだ!?」

「忍者!忍者!」


長い階段を下り、地下に着くとルフィやウソップ、チョッパーが忍者忍者と騒ぎ始める。
いつだって男は忍者に憧れるらしい。
しかし、残念ながらアスカは女。
ロボットしかり、忍者と聞いても無反応だった。
アスカも落ち着きを取り戻したのもあるのか、ルフィは手を放し忍者に駆け寄ろうとした。
しかし…


「来たなネコマムシィ〜〜!!」


目の前には華麗に動く忍者ではなく―――ポーネグリフに括りつけられている顔のでかい短足の男がいた。
その男はネコマムシを見つけた瞬間、怒号を飛ばす。


「おぬしなぜ拙者を敵に渡さなんだ!メシ運びの者達は皆怪我をしておったぞ!!国は無事と聞き申したが…!真とか!?もし偽りならばこの雷ぞう貴様を恨むでござる!!」


声は怒り一色なのに、言葉は彼らミンク族を気遣う者ばかりだった。
その男が、ミンク族が死んでも守り通そうとしていた雷ぞうなのだろう。
アスカは雷ぞうに対してイメージをしていなかったが、ルフィ達は忍者だと聞き勝手にきらびやかな想像をしていたらしく、忍者本人に会いイメージが崩れたとショックを受けていた。
雷ぞうにはいい迷惑だが、忍者に興味がないアスカだとしても彼らの気持ちは分からなくはない。


「雷ぞうー!」

「おおっ!錦えもん!カン十郎!モモの助様〜〜っ!よくぞ無事で!!」

「おぬしこそ!」


ふと、ネコマムシ以外の人影に気づいた雷ぞうは、感動の再会をする。
別れていた間、仲間と主君を心配していた雷ぞうは笑顔がこぼれる。


「直葉の姿が見えないようだが…どうしたのだ?」

「それは…」


雷ぞうも、直葉の出生を知り、そして直葉と直葉の母の決意を認め、彼女を認めた。
そのため、直葉の姿がないことに雷ぞうは首を傾げた。
直葉はアスカの言葉にショックを覚えたのか、他のミンク族達とルフィ達が戻るのを待つことにした。
だからここにはいない。
雷ぞうの問いに、錦えもん達は気まずげにチラリとアスカを見る。
その視線に釣られて雷ぞうもアスカを見れば、目を丸くして驚く。


「あそこにいるのは仁殿の娘殿ではないか!?見つかったのか!」


直葉から例の仁という男とアスカに似た少女の写真を見せてもらっており、アスカが例の少女だと雷ぞうも勘違いしていた。
良かったな直葉、とここにいない直葉にそう心の中で告げた雷ぞうの口をカン十郎が塞いだ。


「んん!?」

「しーっ!!訳は後で話すゆえ、今は直葉の話や母君の話は避けてくれ!」


雷ぞうを拘束していた鎖を外そうとしていた錦えもんも口元に指を持って行き内緒話のように小声で雷ぞうに頼む。
雷ぞうは錦えもんに口を塞がれながら、意味が分からないものの彼らの様子にコクコクと頷く。
それにホッとしながら錦えもんはチラリとアスカを見た。
アスカは聞こえてはいるが無視することを選んだのか、あえて雷ぞうたちに視線を向けず、雷ぞうたちに近づくルフィではなく付かず離れずの距離にいるローの傍にいた。
そんなアスカに錦えもんは残念そうに溜息をつく。


(…直葉の母君がアスカ殿に何かしたのか…しかし…直葉の母君はそのようなことをする人間には見えなかったが…)


直葉の母…つまりは、カイドウの妻となる。
カイドウの妻、という文字だけなら信用がゼロに近い女性だ。
しかし、錦えもんは会話をしたわけではないが、到底子供を虐待していたようには見えなかった。
ただ、それは外見の話しで、知り合いでもなければ敵対している男の妻という全く交わることのない関係である錦えもんからは彼女の本性は分からない。
だが、直葉を見るに錦えもんは虐待していたと思うことはできなかった。
錦えもんはチラリとモモの助を見る。


(…流石にモモの助様もお元気がない…当たり前か…好いた女子が傷ついているのだ…心配しないわけがない…)


モモの助はここに来る途中から声が聞こえると言って歩けないほど体調を崩していたが、それと同時に直葉の事も心配している。
モモの助を気にしているのは、錦えもん達家臣だけではなく、ロビンやナミも元気のないモモの助を心配していた。
しかし、ふとロビンは壁にある"紋"が目に留まる。


「あれは『光月家』の家紋?…それに赤いポーネグリフなんて見たことがない…なぜ赤い色をしてるの?」


その紋は光月家の証である家紋だった。
その家紋の下に置かれているのは、ポーネグリフ。
しかし、そのポーネグリフは他と違い赤色をしていた。
見たことのない色のポーネグリフにロビンは目を丸くする。ロビンの疑問に答えたのはイヌアラシだった。


「用途が違うのだ…アレを読めるのか?」

「ええ…呼んでもいい?」

「勿論だ」


赤いポーネグリフは用途が違うと簡単な答えが出たが、今まで見て来た色と異なるポーネグリフの解読を許可されたロビンは緊張と嬉しさに胸を高まらせながら震える手でポーネグリフに触れ、文字を目で追う。
その間に、解放された雷ぞうとルフィ達はそれぞれ自己紹介を終え他愛ない話をしていた。
他と違うポーネグリフのためか、解読に少し時間がかかった。
その間、雷ぞうと打ち解けたルフィ達は錦えもん達とくじらの外へ向かう。
アスカはルフィに誘われたが、行く気がなかったので断りロビンが解読するのを適当な場所に腰を下ろしボウっとしながら見つめていた。


(なんだろう…なんか、忘れてる気がする…)


ロビンが解読する姿を見ながらも、アスカはふと自分への違和感に気づく。
目を覚ました時はロー達との会話で落ち着いて考える暇がなかったからかもしれない。
肘をついてロビンを見ながら考えるが、考えても忘れているそれを思い出せない。
そもそも忘れてしまっているのだから無理をして思い出せるわけがないのだ。
何かきっかけや時間経過でふと思い出すだろうとは思うものの思い出せないこと事態が気持ち悪く感じてしまう。


(私あの子に何かしたのかな…)


唯一分かるのは、直葉に関係したことだということだ。
直葉の名前を雷ぞうが出しただけで錦えもん達は慌てて口をふさぎ、チラリとこちらを気遣うように視線を向ける。
アスカはあえて触れないようにしていたが、何かあったことを隠しもしない(本人達からしたら隠しているつもりかもしれないが)その反応に、アスカも流石に気づく。
だが、アスカは覚えがない。
直葉に姉ではないと否定した時から記憶がなく、気づいたらルフィに背負われてくじらの木の中にいたのだ。


(うーん…思い出せない……よし、思い出すのをやめよう!)


もしかしたら、ここに直葉がいたらきっかけになって思い出せたのかもしれないが、直葉はここにはいない。
いないのなら仕方ないし、思い出せないのなら仕方ない。
記憶喪失を経験しているからこそ、アスカは諦めが速かった。
それに安易に聞いて今以上に気まずい空気になるのも嫌だった。
そういうことに無頓着な幼馴染に似てはいるが、だからと言って好きで首を突っ込んだり藪を突っつきたいわけではない。


「ついて行かなくてよかったのか?」


うんうんと考え込んでいるアスカは思い出すのを止めたことで気持ちが晴れた気がした。
それは問題の先延ばしだとしても、アスカは思い出せない記憶を必死に思い出そうとして無駄に時間を費やす方が嫌だった。
それはきっと記憶喪失から得られた考え方だろう。
パッと表情が明るくなったのに気づいたローはアスカに近づき横に座る。
本当は相談に乗るくらいしてやりたかったが、一人になる時間も必要だとあえて声はかけなかった。
その選択が正しかったらしく、声をかけられて頷くアスカのいつもの様子に戻っており、ローは安堵した。


「気を遣わせちゃった?ありがとうね」

「いや…力になりたいがこればっかりはな…」


記憶喪失は外科ではなく神経内科か精神科だ。
一応医師として神経内科と精神科も齧った程度だが学んだとはいえやはり診せるなら専門家のほうが良い。
それに医師に掛かるほど表情が重い物ではないし、あの様子からして思い出した方がいい記憶ではないのだと勝手だが判断した。
それはあれ以来触れないチョッパーも同じ考えに至っているのだろう。
心配そうにはしているが、チョッパーもアスカの取り乱し方を見るに触れて嫌な記憶を掘り越すべきではないと判断したのだろう。
ローの言葉にアスカは『そうだね』と呟く。


「こればっかりは思い出したくても思い出せるものじゃないから……何があったかも思い出せないけど…私が私の記憶に蓋をしたなら無理に思い出したくないかな…」


記憶喪失だった時だってそうだ。
何度失った記憶を思い出そうとしたか。
落ち込むアスカを村の人たちやミコトや父であるシャンクスやエース達が無理するなと言ってくれたが、それでもアスカ本人からしたら思い出せないことが嫌だった。
皆に気を遣われるのも同情されるのも嫌だった。
だけど結局ドフラミンゴに会い、血を見るまでアスカの記憶は仕舞われて閉じられたままだった。
結局はきっかけが全てなのだ。
そのきっかけが何かも分からないのだから考えたって仕方ない。
だからロー達の気遣いがありがたかった。


「でも、雷ぞうって人…忍者は忍者だけど変な忍者だったね」


湿っぽい話になりそうだったのでアスカは話を変えようと、新しく仲間に加わった雷ぞうを思い出して呟く。
その呟きにローも彼を思い浮かべ頷いた。


「そうだな…」

「ロー、ちょっと忍者に憧れてたでしょ」

「…………」


雷ぞうと男性陣達の絡みを思い出してアスカはローを横から顔を覗き込むように見る。
アスカの言葉に、ローは口を閉ざし視線を逸らした。
否定も肯定もしない彼の返答に、アスカはクスリと目を細めて笑った。

221 / 274
| top | back |
しおりを挟む