子供は明日になっても目を覚まさず、点滴では命の危険があるからと経管栄養――鼻から食道へチューブを通して直接胃に栄養を入れて栄養を補う事になった。
異物が入っても、子供は一切身じろぎもせず起きる気配もない。
反応さえしない子供に、大人達は不安ばかり積もる。
「ルー君?ルー君、どこ?」
昼すぎ。
ミコトが片づけを終えると、弟の姿がない事に気づいた。
この家には女医とホンゴウ、シャンクスがガープの自宅に泊まり込んでおり、弟は懐いているシャンクス達が自分の家で泊まるのが嬉しいのか、ここ数日はしゃいでいた。
それでも姉のお手伝いをする良い子だが、最近、気づいたら弟が傍にいないのだ。
今日も気づいたら弟の姿がなく、ミコトは探していた。
危険と言えば山賊くらいしかない平和な村だが、何が起こるか分からない。
人買いに攫われる可能性だってゼロではないのだ。
シャンクス達が停泊し続けてくれているのでその心配はあまりないが、それでも姉としては可愛い弟の姿がないのは心配になる。
「どうした?」
一度、船の方へ顔を見せに行っていたシャンクスが戻ってきてリビングに顔を出す。
弟を探すミコトに気づき、早足に歩み寄ってきてくれるその姿に、ミコトは目を細める。
さり気なく肩に手を回すシャンクスに、ミコトはパチンと叩き落とす。
「ルフィが家にいないみたいで…」
「遊びにでも行ってるんじゃないか?」
「遊びに行くときはちゃんと言ってから出かけます」
ミコトとルフィの保護者は、祖父であるガープとなっている。
父親は全く寄り付かずどこかの海にいるらしいく、一度も戻ってきてはいないらしい。
ガープも普段は海に出て海兵となり、海賊達を海に還しているため、まだ12歳のミコトがこの家の全てを担っている。
それは勿論、弟の教育も含まれており、ルフィもモンキー家の血を強く継いでいる大らかな性格をしているが、出掛ける時はちゃんと姉に一言言ってから出かける習性を付けさせられている。
姉には逆らわない(逆らえない)ルフィが、姉に何も言わず出掛けるとは思えなかった。
「あの子のところは?あいつのいる場所って言ったら大体あそこだろ」
あの子、とは、シャンクスが保護した奴隷だった女の子の事である。
子供自体が珍しい村なため、自分以外の子供――それも女の子が珍しいのか、暇さえあれば女の子のところへ向かい、ほとんど一日をそこで過ごしている。
最初こそ追い出していたが懲りずに何度も来てしまうので、女の子にも器具にも触れず大人しくしていることを条件に入室が許されるようになった。
絆され、微笑ましいなんて思ってしまった時点で、大人達の負けである。
その為、ミコトも最近は弟を探すときに、まず女の子の部屋を覗くようになっていた。
しかし、ミコトは首を振る。
「いえ…先ほど覗いたのですがいませんでした…先生や下僕その5もルフィを見ていないと言っていました」
下僕その5―――それはホンゴウの呼び名だ。
ミコトは可愛い可愛い弟がシャンクスに懐いたことが気に入らないらしく、シャンクスを『変態』、赤髪海賊団の船員達を『下僕』と呼んでいる。
だが、ミコトはそう呼ぶことを許されている。
シャンクスを本気で惚れさせた相手とは――ミコトのことだからだ。
子供相手であろうと本気で惚れさせたからには、一途に、正面から、口説くのが筋というものだろう。
攫って物にすることだって可能だが、それでは心まで手に入らない。
欲しいのはミコトだ。
身体と、心――ミコトの、全てが欲しいのだ。
欲をかいてこその、海賊である。
とはいえ、気のない相手から言い寄られるのはいい迷惑である。
それがまだ恋心も理解しきれない12歳なら、余計に。
それに、ミコトは祖父の後を継ぐように、将来海軍に入隊するつもりである。
まだ入隊していないとはいえ、いずれ海兵となる身である自分が、海賊と友人関係ならいざ知らず、恋仲になるのは、さすがに問題があるだろう。
そのため、ミコトが『下僕』や『変態』と罵っても、赤髪海賊団は笑って流してやれるし、その資格があると思っているのだ。
自分が子供に骨抜きなのは事実なので、自分を変態と呼ぶミコトの呼び名など気にも留めず、女の子部屋にもいないというルフィの行方に首をかしげる。
「おれはさっきまで船にいたからなァ…今日はルフィを見ていないな」
一日の行動にルフィの姿があったかと思い出しているシャンクスの返答に、ミコトは『役にも立たない変態ですこと』と辛辣に突き放す。
辛辣な返答と、ゴミを見るような目を向けられたシャンクスは、にぱッと人好きのする笑みで返す。
「ルフィも、もう5歳だろう?お姉ちゃんに隠したいことの一つや二つくらいあるさ」
「まだ、5歳です……………なんですの、その、隠したいこととは…」
ミコトは女なため、男の考えていることは分からない。
ミコトから見ても、5歳は子供だ。
まだ庇護下にいるべき幼い存在で、そして、ミコトには目に入れても痛くない程可愛い、可愛すぎる愛する弟だ。
弟の事を全て知りたいと思ってしまうほど溺愛しているミコトに、シャンクスに苦笑いを浮かべ、先ほど叩き落とされた肩に触れて抱き寄せる。
「そりゃあ、隠したいから隠し事って言うんだろう?この村は平和なんだ…お前がルフィの事を可愛がっているのも、それゆえの心配も分かっているが…あまり束縛してやるなよ」
『束縛するならおれにしとけって!』と笑って続けるシャンクスに、ミコトは心底嫌そうな顔を隠さず、シャンクスの身体を押しのける。
ツン、とそっぽを向くミコトに、シャンクスは身を引く。
しつこく構ってしまうと暫く口を利いてくれない過去があるのだ。
それに、この家には暫くガープがいる。
今は出掛けており留守だが、いつ帰ってくるか分からないというリスクを背負ってミコトを口説くのは、さすがに無謀だろう。
本気な恋だが、早い段階で積まれるのは困る。
本当は放したくはないが、本気で嫌われては元も子もない。
シャンクスは決め事をしている。
―――ミコトが"能力"を出したら、身を引く…と。
「いい加減にしてくださらないとおじい様を呼びますわよ」
「おっと、それはまずい…分かった、今回は身を引こう」
ミコトの周りに氷の刃が生まれた。
空中の水分を"ヒエヒエの実"の能力で凍らせて作られた刃は、ミコトの周りを守る様に囲んでいる。
両手を上げて数歩後ろへ下がるシャンクスに、ミコトは鼻を鳴らして能力を消した。
「変わらずよく分からん能力だな…青雉と同じ能力なんだろう?」
「…………」
基本、ミコトはあまり能力は出さないが、隠しているわけではない。
改めてミコトの能力を見るが、考えれば考えるほど理解しがたい能力だ。
ミコトが先ほど出したのは、ヒエヒエの実の能力。
その実は、海軍大将、青雉が既に食べている。
能力はヒエヒエの実だけではなく、数えきれない程の数の能力を有する実がこの世には存在する。
その能力を全て括って『悪魔の実』と呼ばれており、ミコトはその全ての能力と、それとは別の特殊な能力を有している。
生まれつきの能力らしいそれは、研ぎ澄ませばまさに『最強』の座を得ることができるだろう。
シャンクスのしみじみとした感想に何も返さず、シャンクスを見つめた。
その目は疑念的で、警戒の色が強く滲んでいた。
ミコトが、己の能力のことになると警戒を高めることは既に気づいている。
「ミコト」
シャンクスは近くにあった食卓用の椅子に座り、ミコトに向けて手を広げて名前だけを口にする。
警戒心を解くように微笑みを浮かべれば、根が張ったように動かなかったミコトの足が一歩、また一歩、と進み――シャンクスの腕の中に自ら収まる。
しかし、それでもシャンクスを見つめるその目の色は変わらない。
シャンクスは、簡単に触れる事が出来る距離まで好いた女がいるが、あえて、触れない。
触れないことで、警戒をしているミコトに意思表示をしていた。
「すまなかった…探るために言ったんじゃない」
「……別に、怒ってはいません」
「ああ、そうだな」
「警戒だってしていませんわ…ヘラヘラ笑ってるだけのあなたを警戒するなんて時間の無駄ですもの」
「はは、そりゃそうだ」
辛辣だが、ミコトだって、本当にシャンクスがヘラヘラ笑うだけの弱い海賊だなんて思っていない。
シャンクスという"キャラ"を知っていればそんな勘違いしないだろう。
彼を知っていれば知っているほど、警戒が解けない。
それはミコトの無意識で、意識していなかった。
『シャンクスというキャラ』を知っているからこその警戒。
だが、彼と話していると、身構えていた肩の力が抜けていくのを感じる。
こういう所が厄介だと思う反面、嫌いになれないのだ。
ミコトはシャンクスに触れる。
彼に触れれば、警戒が解かれた合図として暗黙の了解となっており、肩に手を置くミコトを見て、シャンクスは密かに安堵の息をつく。
「すまなかった」
ミコトの腰に腕を回し、引き寄せる。
弱弱しく胸元に頭を寄せると、恐る恐るミコトの手が赤い髪を梳くように触れる。
いつも邪険にしながらも、こういう男の弱い時に優しく触れる。
まだ少女なのに、男心を理解しているような素振りに、シャンクスは苦笑いを浮かべる。
同時に、こんないい女を世に放ち奪われる前に――この手で囲い込んでしまいたい衝動に駆られる。
だが、そんなことをしたら一生ミコトの心は手に入らないと理解しているから、シャンクスは我慢をする。
それに、ミコトからしたら、いつも飄々としている男の弱い部分に困惑して慰めているにすぎないのを、シャンクスは理解していた。
―――暫く、静かで穏やかな時間が二人の間を満たしていた。
ミコトは誰かがいるとシャンクスを甘やかしてはくれないので、シャンクスはしばらく…そう、明日くらいまでは誰も来るなよと思っていた。
だが、それを人はフラグとも呼ぶことを、彼は知らない。
「姉ちゃん!ただいまー!!」
「ミコトー!じいちゃんとルフィが帰ったぞ〜!!」
元気な声が二つ、家に響いた。
玄関から元気よく現れたのは、ガープとルフィだった。
ドタドタとけたたましく聞こえる足音と祖父と弟の声に、ミコトは慌ててシャンクスから離れようとした。
だが、シャンクスはそれを許さず、むしろ力を入れてくる。
「ちょ、っと…!」
抱き寄せられ、ミコトは顔を赤らめた。
思春期の彼女にとって、急に距離を詰められれば、照れてしまうのも無理はない。
慌てる姿も可愛くていつまでも見ていたいと思っているが、これ以上はネコパンチがさく裂しそうなので、渋々離す。
シャンクスが力を抜くと、腕に閉じ込めていた愛しい存在があっという間に遠ざかる。
「残念だ」
寂しそうな表情を作って見せれば、一瞬ミコトは気まずそうにしながらも、『フン』とそっぽを向く。
その一瞬の変化はシャンクスも気づいており、目を細めた時―――リビングにガープとルフィが現れた。
「姉ちゃん!」
大好きな姉に駆け込んで抱きつく弟に、ミコトは対シャンクスの表情をやわらげ、可愛い弟を愛おし気に見つめる姉の顔になる。
孫息子の頭を撫でる孫娘を見つめていたガープは、そのまま椅子に座って可愛い光景に頬を緩める海賊へ視線を移した。
その視線は今にも突き刺して殺さんばかりに厳しく、その視線の意味を察しているシャンクスだったが、いつものことだと受け流し、しかし、意味ありげにガープに笑みを向けた。
「おじい様とお出掛けしてきたのね」
「うん!姉ちゃん!見て!これ!!」
姉に頭を撫でられ上機嫌のルフィは、姉にあるものを見せた。
それは花だった。
「まあ、お花?」
小さな手に握り締められているのは、数輪の花だった。
この村には酒場しか店はなく、この国に花屋はあるが中央へと行かないとない。
手に泥がついているということは、その辺に自生している花を摘んできたのだろう。
驚く姉にルフィはニカッと笑う。
「あの部屋に飾るんだ!」
そう言って笑う弟に、ミコトは目を丸くした。
思わず祖父を見れば、可愛い孫達のやり取りに微笑ましそうな表情を浮かべながら教えてくれた。
「どこかで見舞いというものを覚えたらしくてのう…見舞いといえば花だと言って聞かんから花を摘みに行っていたんじゃ」
突っ走るところは祖父から継いだ血だろう。
慌てて孫を追いかける祖父を思い浮かべているのか、ミコトはクスクスと楽しそうに笑う。
その笑みは安堵でもあった。
「では、あの子の部屋に飾るための花瓶をだしましょうね」
主治医たちには了承を得ていると祖父が教えてくれたので、許可を貰っているならと家のどこかにあるであろう花瓶を探すために弟とその場を離れる。
残されたのは、追う者と追われる者の二人。
二人は痛いほどの沈黙を守り続けていた。
「……あまり、ミコトにちょっかいをだしてくれるな」
シャンクスが孫娘を狙っているのは知っている。
今こそ、中将という立場と権力を使うのもいいが、孫娘から『手を出す甲斐性もないだろうから放っておいても構わない』と止められたため、まだ突き出してはいない。
それでも渋っていたが、『ルフィがあれほど懐いているのですから』と言われてしまえば飲み込むしかない。
つくづく、自分は孫達に甘いなとガープは内心溜息をつきながら、シャンクスと同じ空間でいる理由もないため、孫達の後を追う。
その後ろ姿を、シャンクスは何も答えず見送るだけだった。
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