新世界に、ある国がある。
その国に、四皇の一角が根城に腰を下ろした。
四皇の一角とは、百獣のカイドウその人である。
そのカイドウが支配する国にある屋敷。
その屋敷の奥の奥にある一部以外を除いて誰もが近づくことを禁じられている場所があった。
その場所へと一人の人影が小走りに向かう。
しばらく追われていたが、今から向かう場所に近づくとパタリと追手が消えた。
今日は幹部に追われていたが、例え幹部と言えど今から人影が向かう場所に近づくのは許されていなかった。
追手のことなどすぐに忘れ、人影は慌てた様子である部屋の襖を開ける。
「母さん大変だ!直葉が…―――!!」
人影は、部屋に入るや否や叫ぶように大声を出すが、その言葉は途切れた。
目の前にいる人物の傍に座っている女性が泣いているのを見たからだ。
人影は理由など確かめることなく、獲物である金棒を手にその人物に振りかぶった。
「声もかけず入ってきて早々父親に暴力か?ヤマト!」
しかし、その人物―――カイドウはウォロロ!と笑いながら軽く手で受け止める。
虫を払うように金棒を払われた人影――ヤマトはギロリと父親であるカイドウを睨みつけ、払われたばかりの金棒を父に向ける。
「このクソ親父!まさか母さんに直葉のことを言ったのか!!」
「直葉は俺とクロエの娘だぞ!!言わねえ理由があるかクソ息子!!」
いつも酒を飲み続けている父ではあるが、この時は流石に酒は吹き飛んだらしい。
酔っ払って出されるものとは比べ物にならないほどの父の覇気がヤマトの肌を痛いほど刺す。
それは同時に、それほど直葉は父の怒りを買ったという事だろう。
ヤマトは怯むことなく、むしろこちらも怒りを込めて父に向ける。
しかし、戦闘経験も乏しい小娘と、この世における最強の生物と言わしめる男の差は大きい。
それでも血筋のおかげか対等とは言わないまでも対抗できる力はあった。
2人の覇気がぶつかり合い、建物どころか地面そのものが揺れた。
この部屋やその周辺は妻の世話をするための最低限の使用人以外は人払いされているため騒ぐ人間はいない。
だが、ここ以外ではカイドウとヤマトの覇気に大惨事が起きているだろう。
今回はカイドウもヤマトも頭に来ているのかどちらも覇気を治める気配はなかった。
今頃カイドウの覇気に大看板の2人がこちらに向かってきているだろう。
しかし、大看板とはいえ本気の親子喧嘩を止めれるわけがない。
だが、誰にも止めることができない殺し合いにもなるであろう親子喧嘩を止めることができる人物が、1人いる。
「ヤマト…やめなさい…」
「!――母さん!」
それが、母だ。
カイドウの傍で顔を手で覆って泣いていた女性がゆっくりと顔を上げ、娘を止めた。
女性は言葉に言い表せないほど美しかった。
白銀を思わせるほどの白い髪に、毛先が透き通った海のようなアクアブルーがグラデーションされており、雪国の女性のような白い肌に薄く赤い愛らしい唇。
目は優し気に目じりが下がっており、その瞳は青みかかった白い色を持っている。
その美しい青みかかった瞳を涙で濡らしながら駆け寄ってくる娘を見つめていた。
カイドウも妻が娘を呼んだためか、普段なら止める手もピクリとも動かずただ無言で娘を待つ妻を見下ろす。
「母さん…大丈夫?」
娘から見ても、母は泣き顔であっても美しい女性だった。
その母の容姿を受け継いだのが、ヤマトだ。
目の色や髪質や頭から生えている角こそ違いはあれど、外見は母に似ている。
だが一番母に似ているのが妹の直葉である。
ヤマトは母の手を取ってできるだけ穏やかに優しく声をかけ気遣う。
そんな娘の気遣いに母はまた美しい瞳から涙が零れ落ちる。
「もう用は済んだんだろ…出ていけよ…」
「この部屋はオレの部屋でもあるんだぞ…クロエもオレの妻だ…なんでオレが出て行かなきゃならねェんだ?普通はお前が出て行くもんだろうが」
「母さんを泣かせたのはお前じゃないか!お前が母さんの傍にいると母さんが落ち着かないから出ていけって言っているんだ!」
「ウォロロ!オレに金棒を軽く叩かれた奴がオレに命令できると思ってんのか!!オレからクロエを守りてェならオレに一太刀浴びせてから言え!」
クロエのおかげで2人とも覇気を収めてはくれたが、2人のギスギスした空気は変わらない。
覇気や手は出さないまでも、口喧嘩が始まった。
「2人ともやめてください」
その口喧嘩もクロエが間に入ればピタリと止まった。
直葉の言葉通り、カイドウ達一家はクロエによってギリギリ親と子の関係が保たれている。
「あなた…」
「…………」
言葉はなかったが、カイドウは妻に呼ばれ目をゆっくりと細める。
しばらく無言が続いたが、折れたのはカイドウだった。
カイドウはそのまま何も言わず妻と娘に背を向け、入り口で様子を伺っていたクイーンとキングを引き連れて部屋を出て行く。
クロエに向けて頭を下げ退室する大看板2人をヤマトは父共々睨むように見送った後、心配そうに母と向かい合う。
母は涙が止まったが、その表情は悲し気で、パチリと瞬きをすると溜まっていた涙がポツリと頬を伝って落ちる。
そんな母に、ヤマトは口をつぐむしかできなかった。
「ヤマト…直葉が今どこにいるのか分かる?」
そんな痛いほどの沈黙が落ちるなか、最初に口を開いたのはクロエだった。
クロエの言葉にヤマトは首を振る。
それを見て『そう』とクロエは答え、着物の袖で涙を拭う。
「ヤマト…私は駄目な母親ね…あの子を思っての行動だったのに…それが逆にあの子を危険にさらすことになってしまったなんて…私はあなた達の母親なのに…あなた達をあの人から守ることさえできないなんて…」
父の事だから怒りのあまり責める言葉を向けたのだろう。
それでも普段のカイドウを知る人間からしたら、きっと母に向けられる言葉は天と地の差があるほど優しく聞こえるはず。
それでも、直葉を父から逃がしたのは母だ。
母はきっと直葉の道を外してしまったと責任を感じているのだろう。
母の言葉に、ヤマトはすぐに否定する。
「違うよ母さん!母さんはいつもアイツから僕達を守ってくれるじゃないか!さっきだって僕がアイツに殴られないように間に入ってくれたんだろ!?僕も直葉も母さんがどれだけ僕達を思ってくれているのか知ってるよ!!」
母はいつも娘達を父から守ってくれた。
母の血を受け継いでいるからと言っても、父が娘達にまで甘くなるわけではなかった。
とはいえ、母との子供を可愛がってはいるが母のように大切には扱わない。
自分の跡を継ぐための特訓だって容赦なかった。
父の都合で体罰だって平気でやる人だった。
それでも部下達のように命に関わる怪我を負わされることがなかったのは、自分達が母の血を受け継いでいたからだ。
それに、要領の悪い自分はよく父に殴られ、母っ子だった直葉が、母に泣きつきくっ付いているのを父は許していた。
それは母が父に言ってくれたからだ。
それだけではなく、母は娘を殴る父に苦言を言ってくれたようで殴られる頻度も減り、力も加減してくれていた。
母が言ってくれなければ、今頃体のどこかが欠損していたかもしれない。
それほど父は母に弱く、母は娘達を守り続けてくれた。
父から逃げるという選択をしない母親が娘達を守り続けたとは言い難いと誰もが思うかもしれないが、だったら能力のない一般人が一人でも父から逃げることが出来てから言ってほしい。
それでなくても母は早い段階で心を折られたのだ。
そんな状態でも娘を守ってくれた母には頭が上がらない。
クロエは必死に自分を慰めてくれる娘に心温かくなるものの、やはり心は晴れない。
今、ヤマトが目の前にいることこそ自分が弱い証拠でもあるのだ。
「あなたの望みだって叶えてあげる事すらもできないわ…ごめんなさい、ヤマト…私がもっと強かったらこんな手錠もつけられずあなたを海に出してあげれたのに…」
ヤマトは国を出たがっていた。
本来なら頑固な夫を説得して見送ってやりたいのに、今もなおこの子は国から出られない状態にある。
その証拠が、この細い手首に付けられた手錠だ。
娘の両手をそっと触れると手首に付けられた手錠がジャラリと音を鳴らす。
その音を聞くたびにクロエは心が締め付けられる。
泣きそうな母の言葉に、ヤマトは首を振った。
「ううん、違うよ…これは僕が悪いんだ…僕が島を出たいって言ったからアイツがつけたヤツだ…母さんの責任じゃないよ」
もっと賢かったら、この手錠だって付けられることもなく秘密裏に準備をして母と共に海に出ていたはずだったのだ。
だが、この気持ちを抑えることができなかった。
あの日誌を見て、あの処刑を見て、自分は彼に憧れた。
この気持ちだけは誰にも否定させない。
「僕は嬉しかったんだよ…母さんだけなんだ…僕を馬鹿にせず笑わなかったのは…」
彼になりたい、と言ったら父だけではなく大看板や他の幹部達までもが笑い、そして否定した。
彼はこの国ではタブーとなってしまったからもあるが、父の息子である自分が彼になれるわけがないと誰もが思ったからだ。
彼を殺したのは、父だ。
その父の血をヤマトは強く受け継いでいる。
それを、誰もが嘲笑い馬鹿にした。
だけど、母だけは受け入れてくれた。
彼の話をすれば母は楽しそうに聞いてくれたし、憧れ故に娘である自分が息子と名乗り出しても驚きはしたが拒むことはなかった。
それでも以前と変わらない態度なのは、娘が息子になろうが母にとってヤマトは可愛い自分の子供だからだろう。
それがヤマトにとって嬉しかった。
母と彼の存在だけが心の支えなのだ。
この気持ちは自分にとって母同様、大切なものなのだ。
その結果、手首に外すと爆発する手錠を付けられてしまったが、それは自分の要領の悪さが原因であって、母に責任はない。
むしろ、母は父相手によく子供達を守ってくれているくらいだ。
「母さん、大丈夫だよ…直葉は昔から僕と違って冷静だし頭も良い子だっただろう?…アイツの血も入っているからその辺の奴なんかにやられるほど軟じゃない…それにアイツに捕まったとしてもアイツが母さんに似ている直葉を傷つける事なんてできやしないんだ…アイツに何を言われたかは分からないけど…どうせ言葉だけだから心配しないで…ね?」
「ヤマト…」
ぎゅっと母の手を握り締めて母を慰める言葉を向けた。
ニコッと笑って見せれば、やっと安心してくれたのか母の表情も穏やかに変わった。
母の穏やかな表情に安堵しながら、ヤマトはハッと思い出し母の傍を離れ一室へ駆け込む。
そこには一面クッションを敷き詰められている広めのベビーサークルがある。
だが、その中にはお気に入りの龍のヌイグルミはあれど肝心の人物がおらずヤマトは母へ振り返る。
「ねえ、コタがいないんだけど…どこにいるの?」
「琥太郎はあの人が来てから泣き止まなくて…今は別の部屋で使用人といるわ」
ベビーサークルには生まればかりの弟、
琥太郎が昼寝しているはずだった。
いつもなら寝ている時間なのだが、弟の姿がないことにヤマトは心配した。
だが、直葉の事で怒りをあらわにしていた父の感情が琥太郎に伝わり、弟は泣いてしまったらしい。
28歳も離れた弟をヤマトは可愛がっていたため、父が弟を泣かしたことに腹を立てた。
「僕、コタの様子を見に行ってくるよ」
「ええ、お願いね」
使用人たちが弟を見てくれているなら心配もいらないだろうが、心配は心配だ。
様子を見に行くため一時母の下を離れる。
娘を見送った後、クロエは窓から外を見る。
思うのはやはり娘の直葉のこと。
(直葉…なぜ言う通りにしてくれなかったの…お母さん、あなたが無事であればそれでよかったのに…危ないことをさせたいからトキさんに頼んだのではないのよ…)
あの時のことは忘れられるわけがない。
可愛い娘との今世の別れだと覚悟してトキに頼んで連れて行ってもらった。
子供を放りだしたのと同じだが、こんなところで生きていくよりは両親の血なんかに捕らわれず普通の女の子として生きてほしかった。
だから夫から直葉が戻ってくると聞き、クロエはショックを受け泣いた。
直葉は夫に宣戦布告したらしく、夫の怒りは相当だった。
だから言葉も多少乱暴ではあったが、ヤマトに慰められ今は少しだけ心穏やかでいることができている。
(アスカ…)
そして、もう一人。
常にクロエの心にいる"娘"の存在がいる。
それが、直葉が姉と疑わないアスカだ。
(アスカ…もしも可能ならあなたに謝りたい…あなたが許してくれるだなんて思わないけれど…でも…あなたは私の可愛い娘なのだと…それだけでも伝えたい…)
夫には決して伝えることのできない血の繋がらない娘。
きっと夫がアスカのことを知ったら、例え妻であろうと無事では済まされないだろう。
夫からしたら夫婦になる前だとしても、妻が自分以外の男と血を残したという事となり、それはあの男からしたら子供もろともその男と国を亡ぼすほどの怒りとなる。
きっとクロエがクロエという人間になる前の事だと言ったって彼らは理解できない。
だからこそ、クロエは隠し通すつもりだった。
特にアスカに対して、クロエは罪悪感と負い目を感じているから、これ以上アスカに負担をかけたくはなかった。
クロエはあちらの世界からこちらの世界に転生した―――フレイルの1人だった。
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