男は地面にコロンと転がった箱を静かに見下ろしていた。
「――――」
耳元で愛らしい声が聞こえ、その声に男はクスリと笑う。
「そうだね…当然この子達を見逃す気ではあったさ…でも退かなかったのはこの子達の意思だ」
「――――」
「それが海賊っていうものだよ…君達は分からないだろうけどね…人間はそういう生き物なのさ」
「――――」
「うん、そうだね…それは"こちらに来る前"の名残かもしれない」
「――――」
声が何か言った。
その声に男は手に持つ箱の1つに視線を落とす。
その箱にはシャンクスの娘――アスカが入っている。
「それは仕方ないさ…最初に会ったのが僕だったら見逃してあげたけど…一緒にミネットがいたということは恐らくクラッカー君には知られてしまっただろうしね」
「――――」
「いや、誤魔化すのは悪手だ…奥さんに一筋なカイドウ君と違ってリンリンは特にフレイルに固執しているから」
見えない何かと会話をしながら、地面に転がっているルフィの入った箱を拾う。
その時、タイミング良くビッグ・マムの子供達が応援に来た。
「義父さん!麦わら達は…ってなんだ、もう終わったのか」
モンドールが話しかけ、背を向けていた男が振り返る。
総勢何人か分からないほどの人数が応援に来て、男は内心リンリンの過保護さに苦笑いを浮かべた。
モンドールも義父の実力は分かっているのか、さほど驚かず問う。
その問いに頷き、手元にある箱を2つ駆け寄ってきたモンドールとアマンドにそれぞれ渡す。
箱を渡されたモンドールとアマンドは箱を見た後義父を見た。
「麦わらの子達が入っているよ…女の子の方は運が良ければ生きて気絶していると思うけど麦わらの子はそのまま入れたから気を付けてね」
「あと何人かいるって聞いたけど」
アマンドの問いに男はコテンと小首をかしげて見せた。
男は内情に関わらないので、ルフィ達が3人以上で入国してきたことを知らない。
「僕が来たときは3人しかいなかったから他のクルー達は知らないなァ」
「じゃあ、あと1人はどこにいるんだファ?」
オペラの問いは当然で、義父にそう問うオペラの疑問は手元にある箱1つを見せることで返した。
しかし、ルフィとナミの箱は自分達に渡すのに、もう一人の入った箱は義父が持っていることに子供達は疑問に思う。
子供達の疑問を察したのか、隠す理由もないため答えた。
「この子はフレイルだからね…僕がリンリンのご機嫌取りついでに連れて行こう」
「フレイルがいたのか…!?」
「しかもルーキーの船に乗っていたとは…驚きだわ」
どよめきが隠しきれない子供達に義父は笑って返すだけだった。
足元にいるミネットを抱き上げて『じゃあね』と義父は能力を使い子供達からパッと消えるように去った。
◇◇◇◇◇◇◇
男はアスカの入った箱を持ってある部屋へと向かった。
部屋には誰もいないが、ここに来る途中にメイドを2人呼んだので直に2人来るだろう。
その前に、アスカを箱から出す必要がある。
放り捨てるように投げると、地面につく前にアスカがポンと現れる。
「ん?」
箱から放り出される際に転がるのは分かるが、倒れたままのアスカに近づく。
降ろしたミネットがミイミイ鳴いてアスカに甘えているが、やはりアスカは動かない。
アスカの顔を覗き込めば、アスカが気を失っているのが分かった。
能力者が海水に弱いとはいえ、こんな短時間で気絶するまでではなかったはずだった。
「…………」
一瞬、1人の少女の姿が脳裏に浮かんだ。
その脳裏に浮かんだ少女と目の前のアスカが重なったのは、海に弱い特徴の他にも、その能力だろう。
彼女と同じ悪魔の実を食べた人間が目の前に現れた時は驚いたが、何よりも強い懐かしさを感じた。
その思い出を追い払うように、頬をペチペチと叩く。
海に弱いとはいえ、それほど長く浸かっていないだろうからすぐに目を覚ますだろう。
「――――」
耳元でアスカを庇うような声が囁かれる。
その声に男は首を振った。
「駄目だよ、リンリンが我慢できなくなって暴れちゃう…リンリンはフレイルマニアだからね…あの子の癇癪ほど面倒なことはない」
「――――」
「まあ、確かに…海水はちょっとやりすぎたけど…案外あの子達、丈夫すぎてさァ…面倒臭くなっちゃった」
「――――」
「でも君達が守ってくれたじゃないか…これからも頼りにしてるよ」
男は海水の中にいたが、男は海に浸かっていない。
海水の中に居ながらも濡れなかったのは耳元で囁く存在達が守ってくれたからだ。
冗談めいて言えば、呆れたような嬉しそうな声が返ってきて男はクスクスと笑った。
そう会話をしている内にアスカの瞼が震えたのが見えた。
「起きたかい?おはよう」
「…!」
アスカは目を覚まし、目の前に敵として現れた男の姿に一気に目が覚めた。
起き上がろうとするも体は重たく感じ、アスカは海水に浸かったことを思い出した。
ミネットがアスカに甘えるようにすり寄っていたが、構う余裕はアスカにはない。
体が怠いアスカを気遣ってくれたのか、すり寄ってくるミネットを抱き上げてくれた。
「すまないね、濡れて気持ち悪いだろうけどメイドを呼んだからそれまで我慢してくれ」
アスカはそれに答えずグッと唇を噛みしめる。
部屋を見渡すと、客室のようだった。
簡易的なベッドに、浴室とトイレ、テーブル、クローゼット、ソファなど一般的な部屋にアスカは入れられたらしい。
沈黙が痛くなる前に、呼ばれたメイドが2人部屋に現れた。
「旦那様、お呼びでしょうか」
「この子を着替えさせてあげて…リンリンのところに連れて行くから可愛くね」
「畏まりました」
男の言葉にアスカはハッとさせ慌てて立ち上がり隅へ避難する。
まるで猫が威嚇するように男達を睨みつけ、声を荒げる。
「私に触れるな!!私は絶対に肌を見せない!!もし私の肌を見るなら私は今ここで!舌を噛んで死ぬ!!!」
攫われたも当然で、男とは先ほどまで戦っていたためアスカが逃げるのは何もおかしいことではない。
誰だって人に肌を見せるのは抵抗あるだろう。
だが、それにしては嫌がりようが異様だった。
メイド達が困ったように男を見る。
「分かった…だが、こちらもフレイルの君に逃げられたとリンリンに知られると流石に宥めるのに骨が折れるからね…僕達は君の肌を見ない代わりに僕の能力で出した箱を設置する…それは映像や監視ではなく君が逃げ出そうとすれば知らせるものだ…それを呑まなければ僕達は出て行かない」
男の言葉にアスカは少し考えるそぶりを見せたが、背中を見られるよりはマシだと頷いて承諾する。
「海水で体が冷えてしまっているだろうからシャワーだけでも入りなさい…風邪を引いてしまったら大変だからね」
「…分かった」
海水もそうだが、水飴の雨で体がベタベタしているだろう。
敵対していたとしても、同郷の子に風邪を引かせるわけにはいかない。
もしも、この子が"そう"であれば、より風邪を引かせるわけにはいかない。
『支度が終わったらノックしてね』と言って男は先にメイドを部屋から出し、浴室やトイレなども含めて全ての部屋に1つずつ箱を配置し、メイドと共に部屋を出て行った。
「………」
アスカは部屋を出て行った三人を見送った後、ずるずると壁を伝って座り込む。
息を震わせながら吐き、体の力を抜いた。
「ルフィとナミ…どうなったんだろう…」
最後に覚えているのは、海水が落ちてくる光景。
その後は気を失って記憶がなかった。
自分が捕まったという事は、2人も捕まったのだろうが、出来れば逃げきっていてほしいと思う。
「お風呂、入ろ…」
ここで籠城してもいいだろう。
だが、また捕まってしまうのが関の山だ。
そうなれば、もう一人で着替えをさせてはもらえず、背中を…天竜人の奴隷であることの証を見られる。
逃げ出す機会はまだあると考え、アスカは素直に冷えた身体を温めに浴室へと向かった。
シャワーを浴びて海水や水飴を流した後、メイドから渡された服を着替える。
言われた通り終わったことを示すためにノックをすると、部屋の外で待っていた男が入って来た。
「今からビッグ・マムに会ってもらうよ」
「分かった…でもこれだけは聞かせて…ルフィとナミは今どこにいるの」
捕まってしまったため、今は無理に逃げようとするのは得策ではないのは流石に分かる。
ビッグ・マムに会えと言われて嫌だと言ったってどうせ引きずってでも連れて行くだろうし、あちらの方が実力は上なため抵抗するだけ時間の無駄だと分かっているからだ。
ただ、せめてルフィとナミが今どういう現状なのかを知りたかった。
望むのは逃げられたという回答だ。
それは男も察しているのか、申し訳なさげな表情を浮かべながら答えた。
「君の仲間は僕が捕まえた…今頃城内にある囚人図書室に入れられていると思うよ」
アスカは騒ぐことはなかったが気持ちが沈んでしまう。
仲間が捕まっているなら落ち込むのは仕方ないが、弱者が強者に吸収されるのはこの海では当たり前に繰り返されてきた。
相手を恨むのはお門違いだが、やはり気持ちは追い付かない。
「君は能力者だから海楼石をつけてもらうよ」
アスカが能力者だというのは戦って散々見せられたので、流石にアスカよりも強い相手とはいえ逃亡の恐れの要因を見逃すつもりはない。
メイドに持ってきてもらっていた海楼石の手錠を見せると、当然アスカには嫌そうな顔をされたが、アスカには拒否権なんてないため仕方なく両手を差し出す。
ムッとしながら無言で両手を差し出すアスカに、男は苦笑いを浮かべながら両手首に海楼石の手錠をはめた。
その瞬間、アスカはガクリと膝を崩し殆ど倒れ込むように座り込んだ。
「……っ」
「…やっぱり、君は海に弱いんだね」
男はこうなることを分かっていた。
分かっていてあえて一般的な濃度の海楼石を使用した。
座り込みつらそうにするアスカの前にしゃがみ、海楼石の手錠を外してやる。
だが、それは気遣いや優しさからではない。
アスカの手首には新しい手錠がはめられていた。
しかし、先ほどの手錠を付けられた時と違い、怠さが軽減された。
思わず男を見れば、男は複雑な表情を浮かべてアスカを見ていた。
悲し気にも見えるし、嬉しそうにも、懐かしそうにも見える。
なんとも表現し難い表情を向けてくる男にアスカは眉を顰めた。
男はアスカの視線に答えることなく、『行こうか』とアスカに手を差しだした。
その手をアスカは渋々取って立ち上がり、2人はビッグ・マムの所へと歩き出す。
その間、2人の間に会話もなく、無言のまま男に連れられアスカはビッグ・マムが待つ部屋へとたどり着いてしまう。
男は勝手知ったるなんとやらでビッグ・マムの部屋に入って行く。
ビッグ・マムに会いたくない一心でも、捕虜としてはついて行くしかないだろう。
中に入ると、気配を感じようとしなくても分かる威圧感にアスカは無意識にゴクリと唾を呑んだ。
だが、男がスタスタと部屋の奥へ入って行くため嫌だがアスカは仕方なく重い足で先を進む。
すると、巨体を持つ女がソファに座ってこちらを見つめ、アスカが男に促され椅子に座るのを目で追う。
「お前がフレイルかい?」
疑うような視線に無言で返す。
というよりは、無言で返すしかない。
フレイルかどうかなんてアスカには分からないし、そんな海賊王になるための鍵という特別なもの持っていないし自覚もしていない。
ビッグ・マムに問われてもアスカは答えられない。
それはあちらも分かっているのか、男が腕に抱いていたミネットをアスカの膝の上に乗せる。
「みゃぁ」
甘えるようにアスカを見上げて鳴く。
その姿を見たビッグ・マムは目を丸くさせた後、機嫌よく笑い声をあげた。
「マママ!!まさか本当にルーキーの小僧の船にフレイルが乗っていたとはねェ!!」
夫が勝手な行動をし不機嫌だったのが上機嫌に変わったのは、フレイルであるアスカを"保護"したからだろう。
アスカは『フレイルじゃない』と言いたいが、肩に触れている男の手の力が強くなったため口を噤んだ。
笑い終えると、ビッグ・マムはジロジロとアスカを見下ろす。
「確か…"冷酷ウサギのアスカ"と言ったね?赤髪の小僧の娘らしいじゃないか!」
「娘って言っても養子よ…だからパパはフレイルじゃないわ」
自分がフレイルだと思っていないが、ビッグ・マムは自分をフレイルだと信じて疑っていないためその体で話を進めるしかない。
そのフレイルと思われているのなら、養子と知らないとシャンクスもフレイルと思われビッグ・マムに父も狙われるのは不本意だし、迷惑を掛けられない。
アスカの言葉に『ん?』と首を傾げたが、言っている意味が分かると笑い出した。
「フレイルは種族じゃねェよ!子供がフレイルだからと言ってその親までフレイルなわけじゃないのさ!」
フレイルは政府から機密にされてきた。
そのためフレイルの情報を知っている者はそう多くはない。
フレイルを種族だと思っていたが、種族ではないらしい。
どういう事だと問うよりも前に、ビッグ・マムは遮るように機嫌のいい笑い声をあげた。
「おれの夫もあの小僧と縁がある!お前はおれの所に来るべくして来たんだよ!」
アスカは決めつけられて眉を顰めた。
アスカは自分でルフィの船に乗ると決めたのだ。
ルフィの船に乗り継いでビッグ・マムの所に行くためではない。
同じ四皇ならば、当然、父であるシャンクスの船の方に乗りたい。
我慢できず止められようがアスカは口を開いた。
「私は麦わら海賊団のクルーよ!!縁があろうとなかろうと麦わら海賊団以外の船には絶対に乗らない!!」
噛みつくアスカに男は内心苦笑いを浮かべる。
ルーキーにして七武海に挑み、世界政府に喧嘩を売る海賊の1人に四皇の前だから大人しくしておけという方が難しいだろう。
だが、ビッグ・マムは噛みついてくる小娘に機嫌を損ねるでもなく機嫌よく笑った。
「マママ!!いいねェ!その負けん気嫌いじゃないよ!!そうじゃなきゃおれの子供の妻にはなれェさ!!」
「はあ!?妻!?」
自分も女だてらに海賊になり、名をとどろかせ、四皇にはなっていない。
度胸のある女でなければ自分の家族に嫁げないだろう。
アスカは『妻』という言葉に目を丸くする。
前のめりに驚くアスカに、ビッグ・マムは『そうさ』と笑いながら頷いた。
「お前にはおれの子供に嫁いで子供を産んでもらう!フレイルの血とおれの血ならば強力な子供が出来るだろうよ!子供の出来によってはおれの跡継ぎにするつもりだ!」
妻どころか、子供を産むことを求められた。
アスカはその言葉に我慢できず、立ち上がってビッグ・マムの言葉を拒む。
「私はもう決まった人がいるから無理!!あんたの息子とは結婚できないわ!!」
アスカにはルフィとローという彼氏がいる。
一般的に2人と付き合っている時点で健全とは言い難いが、彼らはアスカを、アスカは彼らを愛している。
だから結婚しろと言われても無理だ。
立場を忘れて断るアスカに、ビッグ・マムは機嫌の良さをそのままにひじ掛けに肘を掛け頬杖をつく。
「お前、自分の立場が分かってねェようだな…お前は負けたから捕まってここにいるんだろうが…そんなお前に選択する権利なんざあるわけねェんだよ」
「…っ」
ビッグ・マムの言葉にアスカは何も言い返せなかった。
アスカは敗者だ。
敗者に選択肢はない。
アスカに恋人がいようが、すでに結婚して子供がいようが関係ない。
海賊は奪う生き物だ。
恋人がいようが家族がいようが、欲しいから奪う。
ただそれだけだ。
グッと言葉を噛み込んだアスカだったが、拒絶の姿勢は変わらない。
「それでも…私は絶対にルフィとロー以外の子供を産むことはない!絶対に逃げ出してやる!」
「ママママ…産むんだよ…それがお前の役割だ」
負けを負けと認めてもなお、格上である自分を睨みつける。
負けん気どころか、強気である姿にビッグ・マムは機嫌良く目を細めアスカを見つめた。
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