(238 / 274) ラビットガール2 (238)

カチコチと秒針の音と食器の音だけが部屋に響く。
カタリとアスカの前に紅茶が置かれ、アスカは無言で紅茶に砂糖を入れて溶かす。


(いつも着る服じゃないから着慣れなくて今すぐ脱ぎたい…)


あの後、アスカはビッグ・マムの夫のおかげで1人で着替えることが出来た。
捕まって勝手に息子の嫁にされそうになっているが、そこに関してだけは感謝したい。
逃げ出さず着飾ったアスカを見てビッグ・マムはますます機嫌が良くなっていた。
アスカはレースをふんだんに使用された大人っぽい服装に着替えさせられ、その姿は黒蝶やハンコックほどではないが誰もが見惚れるものだった。


(これからどうしよう…逃げ出せる隙がある人だったらいいんだけど…)


砂糖の混ざった紅茶を飲むが、やはりサンジの入れた紅茶が一番美味しいと思う。
アスカにはすでに嫁ぎ先を用意されているらしい。
逃げる気は勿論あるので、隙のある男を用意されていればいいなと思うが、そう簡単に上手くいくか分からない不安もある。
なんて言っても夫と選ばれた男はあのビッグ・マムの血を継ぐ男である。
手練れなのは会わなくても分かる。
込み上げる不安を紅茶を一気に飲むことで押さえる。
コトリとソーサーに空になったカップを置いた時、扉が開けられ1人の男が入室して来た。


「お前がフレイルの娘か」


入ってきたのは長身で鍛えられたガッシリとした身体の男。
小豆色のした短髪に、鍛えられた身体を見せつけるように晒された肌にはピンク色の入れ墨が彫られていた。
口元から肩まで大きなファーで巻かれ、鋭い視線をアスカに向け見下ろす。
そんな男にアスカはカチンと頭にきて睨むように彼を見上げた。


「初対面とはいえ妻となる人を種族で呼ぶなんて…私の夫となる方は随分と礼儀知らずのようね」


男のその態度は結婚させられるのが気に入らないからか、ただ単純にアスカが彼の趣味ではないからか、それとも種族的に見下しているのか。
それは分からないが、あっちだって母に言われて仕方なく結婚を承諾したのだろう。
そのためアスカのこの八つ当たりは同情を誘うが、この婚約が気に入らないのはこちらだって同じだ。


「私はアスカというのだけれど…あなたは?」


男からしたらフレイルだからという理由で母に気に入られ図に乗っていると思っているのかもしれない。
それもないわけではないが、捕らえられたからと言って相手に屈するつもりはない。
夫婦と言ってもビッグ・マムには孕み袋としか見られていない。
どうせ目の前の夫となる男もビッグ・マム同様アスカを孕み袋としか見ていないのだ。
本気でこの男と結婚する気はないし、わざわざ敵対する相手と仲良くする気はない。
そんな強気な態度の女に、男は鋭い目を静かに細めた。


「カタクリだ…シャーロット・カタクリ」


夫の名を聞いてもアスカは『そう』とだけ返し、メイドが新しく淹れてくれた紅茶に砂糖を入れる。
しかし、立ち尽くすように動かずこちらを見下ろすカタクリに気づき、対面の席を手で示すと案外素直に従ってくれた。
向かい合わせに座りメイドがカタクリのために紅茶を淹れるも、それに彼が手を付けることはなかった。


「………」

「………」


ザ・無言。
お互い今日が初顔合わせだし、お互い恋愛を経て結ばれたわけではないので、仕方ないだろう。
勝手に攫われて勝手に嫁入りされそうになって腹を立てていなければ気まずさに息が止まるほどこの部屋には沈黙が流れている。
控えているメイドは教育が行き届いているのか微動だにしないが、何となく気まずげに感じているように見える。


「明日行われるヴィンスモーク家との結婚式にはお前もおれの婚約者として参列させる…今日の昼食後、ドレス選びをするからそれまでこの部屋にいてもらう」


ヴィンスモーク家…サンジの結婚式にアスカも急遽招待された。
それもフレイルやサンジの仲間だからではなく、カタクリの婚約者として。
それにアスカは不愉快に感じるが、元々アスカはサンジの結婚を阻止するためについて来た。
コソコソと隠れるよりも堂々とその現場にいられた方が行動しやすいかもしれない。
ただ、やはり問題は着替えだ。


「私1人で着替えさせてもらえるなら構わないけど」

「駄目だ…隙をついて逃げる可能性がある以上お前を1人にはさせられない」

「ビッグ・マムの夫っていう人に頼めばいいでしょ」

「着替えのたびに義父に頼むのか?それをママは容認はしないだろうな…義父はママの物でもある…ママの所有物を子供とはいえおれ達が勝手に使用するのは許されていない…それにママからある程度お前の我が儘は容認しろと言われているが度を超えるのであれば分からせろとも言われている」

「1人で着替えさせてくれないなら仲間をダシにされても殺されたとしても動かないから」


嘘である。
仲間を人質にされて脅されたらアスカは抗うことはできなくなる。
だが、そんなことカタクリ達は知らないし、本当に背中を見られたくないので最初に伝えるべく意思だ。
そこで無理矢理着替えさせられるならもう仕方ないと諦めるしかないが、どうやらフレイルという種族に勘違いしてくれている間はある程度の我が儘は聞いてくれるのは分かった。
そのある程度がどの程度なのかが分からない怖さはあるが、探り探りでいけば何とかなるだろう。
強い眼差しに、カタクリは口を閉ざしアスカを見つめ返す。
お互い睨み合うような静かな戦いを経て、折れたのはカタクリの方だった。


「…ママに相談してみよう…だが、絶対ではないということは頭に入れておけ」


カタクリは意思の硬さに根負けした。
頷くアスカを見てカタクリは溜息をつく。
義父と同じフレイルの女を嫁にしろと言われた時は何も思わなかった。
カタクリにとってアスカとの結婚やその後の生活など、母に命じられその命令に背かず随行する程度の認識しかない。
石女でなければ薄い腹に種を宿らせれば後は放置でいいかとも思って会いにくれば、会ってものの数秒で噛みつかれた。
ビッグ・マムという強大な存在に怯えるでもなく、巨体を持ち眼光の鋭い男を目の前にしても太々しい態度を貫く女に出鼻をくじかれたように感じた。
ただ、そこに不快感はないのが不思議だった。


「…では、また昼過ぎに迎えに行く…用があればメイドに言え」


また2人の間に沈黙が落ちる。
いつまでもここにいても仕方ないと思ったカタクリは伝えることは伝えたと言って席を立ち扉へと向かおうとアスカに背を向けた。
その広くて大きな背にアスカが声をかけると、立ち止まって振り返って待ってくれる。
アスカはまっすぐ彼の目を見てお礼を言った。


「我が儘を聞いてくれてありがとう」


その言葉に、彼の目が少し驚いたように丸くなった気がした。
しかし、カタクリからは『…ああ』とだけしか返ってこず、素っ気ない返事だがアスカは気にも留めていない。
少しだけ視線を泳がせた後、カタクリはそのまま背を向け部屋を出て行った。


「………」


カタクリが出て行って、アスカは息をつく。
威勢を張ってはいたが緊張もしていたようで、カタクリがいなくなり緊張の糸が途切れたようだ。
先ほどカタクリが座っていた席を見る。
彼は一度も紅茶やお菓子に手を付けず、話をするだけして帰っていった。
ルフィが三将星を倒し、そして捕まったことで色々とカタクリ側も忙しいのだろう。
捕まった腹いせにざまあみろと思ってみるものの、なんだか複雑だった。
想像したよりも、夫となった男が話の通じる人間だったからだ。
お礼を言ったのは、焼印を隠すために我が儘を通そうとするアスカを頭ごなしに否定しなかったからだ。
ビッグ・マムがフレイルだからと言ってアスカの我が儘をずっと聞いてくれる保証はない。
二度も許した我が儘を三度目も許してくれる保証もない。
紅茶に手を伸ばしながらアスカは覚悟を決めなきゃなと思った。

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