パチリとアスカは自然に目を覚ました。
のそりと起き上がろうとすると、身体が重く感じる。
動くとするりと寝具が体から零れ落ちるのを感じながらアスカはベッドから降り、ドレッサーへ移動する。
「……ひどいかお…」
ドレッサーの鏡を見れば、目元を赤く染めた自分が映っていた。
泣いた跡がくっきりと残っており、この年で泣きつかれて寝てしまったことが少し恥ずかしい。
だが、背中を見られてしまった。
以前よりは克服したとはいえ、家族や仲間や恋人以外に見られて平気でいられるほど吹っ切れてはいない。
(でも…おかげで抱かれずに媚薬の効果は消えた…)
頬に触れ、そのまま手を胸元へ下げれば何も感じない。
あれだけ火照っていた熱も、まるで風邪が治ったように引いていた。
あれからアスカは落ち着かない心をそのままに、言われた言葉を思い出して風呂場へと向かいオイルを石鹸と共に落とした。
それのおかげだろう。
(同情なんだろうな……助かったけど…)
同情や憐みは今でも向けられるのはつらい。
だが、同情や憐みならばまだマシだ。
奴隷だったから、奴隷だからと、見下す者は多い。
「…………」
アスカはゆっくりと立ち上がり、寝室の扉へと向かう。
そっと扉を少し開けて寝室の外を覗くように見る。
誰もいないし、気配もない。
それに安堵しながら、扉を閉めた。
「着替えは…あるわけないか…」
クローゼットを見ても空っぽだ。
客室なので当然と言えば当然だが、着るものがないのは困る。
羞恥心はないが、風邪を引きたくない。
とりあえずシーツを体に巻いて応急処置をし、寝室を出る。
誰もおらず、時計を見れば朝方なのが分かった。
昨夜、カタクリがメイド達を下がらせると言っていたのを思い出す。
テーブルにベルが置いてあり、『御用がありましたら鳴らしてください』と書いてあったので手に取る。
だが、この時間帯で鳴らしていいのか悩む。
結局時間が経てば嫌でも着替えなければならないので、それまでゆっくりさせてもらうことにした。
寝台へ戻るとソファに座る。
しかし、何もすることがなく静まり返っている寝室をぼうっとしているだけで暇すぎた。
(海楼石…まだある…いや当たり前だけど…)
シーツの隙間から手を出せば、海楼石がまだ手首に付けられていた。
ゴテゴテな手錠ではなく、着替えられやすいようなシンプルな作りだが能力を奪う石なのには変わらない。
婚約者にと望まれても結局は捕虜だ。
アスカはソファにコロンと横になり、目を瞑る。
「あっ!アスカがいた!!」
「アスカーっ!!」
暫く目を瞑り時間が経つのをただ待っていただけのアスカの耳に懐かしい声が届く。
夢かと思ったが、何度も名前を呼ばれ、アスカはガバリと身体を起こし周りを見渡した。
しかし、当然ながら周囲には自分以外はいない。
アスカはやはり夢かと肩を落とした。
しかし。
「アスカ!!おーい!気づいてくれー!」
「ここです!アスカさん!鏡見てくださーい!」
また声がし、ブルックの声でドレッサーの鏡を見ると――
「………は???」
ギチギチに鏡一面に仲間が敷き詰められていた。
アスカと目が合うと全員嬉しそうに笑い、狭い鏡の面積で手を振るものだから全員左右の者に手が当たっている。
仲間の顔を見ただけで心細く冷え切っていた心が温かくなった気がした。
アスカは慌てた様子でドレッサーの鏡に駆け寄る。
その際、身体を巻いていたシーツがハラリと落ちたが、アスカは気づいていない。
鏡へ駆け寄るとぬっとルフィの手が鏡を貫くように現れ、その手を驚くよりも思わず取る。
ルフィの手に引っ張られアスカも鏡の中に吸い込まれた。
「ルフィ!ナミ!チョッパー!ブルック!!みんな!!」
鏡の中に吸い込まれたアスカは、ルフィに抱きつく。
ルフィの首に腕を回し抱きしめると、ルフィもアスカの腰に腕を回して抱きしめ返してくれた。
ぎゅっと力を入れられて抱きしめられ、苦しいと思うよりもアスカは嬉しくてそれどころではない。
「ルフィ…!ルフィ…っ!」
怖かった。
2人と離されて、ルフィとロー以外の男に嫁がされそうになって、昨夜は背中を見られてしまった。
本当に恐怖を味わったのは牢に入れられたルフィとナミや敵地で別行動をしていたブルック達のはずなのに、アスカは怖くて仕方なかった。
じわりと涙がアスカの目を濡らしていく。
ひ弱な女性ではないのだから、攫われたことも勝手に嫁入りさせられそうになったことも、襲われそうになったことも、怖くはなかった。
ただ、背中を見られた。
たったそれだけだが、アスカはそれだけがとても怖くて仕方なかった。
まだ背中の秘密を知られる前だったら我慢できたが、奴隷だった自分を受け入れてくれる仲間と出会い人の温かさを知った今、アスカの心は弱くなってしまった。
しかし、周囲が静まり返っているのに気づき、アスカは周りを見る。
「ナミ?チョッパー?ブルック?なに?」
水を打つように静かな周囲を見渡すと、ぎょっとさせたように自分を見るナミ達がいた。
首を傾げているとそっと肩に上着を掛けられ、アスカは上着を掛けた人物を見上げ目を丸くさせる。
「ジンベエ!!?」
アスカの身体に上着を掛けてくれたのは、元七武海のジンベエだった。
仲間になることは決まっているが、まだ正式に仲間にはなれない事情があって魚人島で別れたジンベエがこの場所にいることに驚いた。
目を丸くさせながらもジンベエの姿にルフィから離れてジンベエに抱きついた。
「ジンベエ!何でここにいるの!?」
「わ、わしの率いる海賊団はビッグ・マム海賊団の傘下だったんじゃ」
ジンベエは両手を上げてアスカに触れないようにしている。
それに疑問に思わないアスカは懐いているジンベエと再会できた嬉しさのあまりぎゅーっと抱き着いていた。
しかし、強い力でベリッと剥がされ身体をグルグルと文字通り腕に巻き付かれる。
腕の持ち主は考えなくても分かる。
「…なに、ルフィ」
感動の再会を邪魔されたアスカはムスッと後ろから抱きしめるようにゴムの性質を持つルフィを見るが、アスカ以上にルフィの顔には不機嫌が張り付けてあった。
ムッとさせていたアスカだったが、ルフィの不機嫌さにやっと周囲に気づく。
「……えっと…なに…怒ってるの…」
「……………」
いつも煩いぐらい騒がしいなのに、ネジ巻きが切れたのかってくらい静かだった。
不機嫌さをあらわにし、恋人になる前から甘々だったルフィが珍しくもアスカを睨んでいた。
つい一歩足が後ろへ向かってしまうが、それさえルフィは許さずグッと力を入れて引き戻され、更に密着する。
何も言わず睨むルフィにアスカは怒るよりも困惑した。
助け舟にとナミを見ると、ナミは気まずげにルフィが怒っている理由を教えてくれた。
「…その格好が…原因だと、思うわよ…」
「恰好?」
とはいえ、ナミからの助言もはっきりとは言えなかった。
気まずいのもあるし、アスカを気遣って言えなかったのもある。
ナミからのヒントに、アスカは自分の身体を見る。
そして、ルフィが怒っている理由を理解し顔を青ざめる。
アスカは自分の恰好に今になってやっと気づく。
アスカは今、ベビードールを身に包んでいる。
それもエッチな。
別にベビードールが破廉恥というわけではなく、ベビードールにも可愛い物や上品な物がある。
だが、アスカが今着ているベビードールは、シルク生地のように身体が隠れるものではなく、身体が透けている男性を誘うようなものだ。
これでは疑うなという方が無理だろう。
騒がしいルフィがここまで一言も言葉を発さないことで、彼の怒り具合が分かる。
「えっと……ルフィ…これ…ちがくて…」
どうどう、と暴れ馬を落ち着かせるようにすればルフィは無言を貫きながら、ジンベエの上着を掴んではだけかけている前を閉じる。
そして、深呼吸を二度し―――『よし』と意を決してアスカと向き合う。
「いいぞ!覚悟はできた!」
「う、うん…」
付き合って分かったが、恋を自覚して結ばれたルフィは意外と嫉妬深いらしい。
それはきっと、女として喜ぶことなのだろう。
アスカだって同じ立場だったらきっと嫉妬する。
未遂とはいえ、アスカの恰好では疑われても仕方ない。
「実は…」
アスカは話したが、全ては話さなかった。
相手に手を出されかけた事や、背中を見られた事は隠してルフィに話した。
それを全て信じてくれるかは分からないが、ルフィから放たれるピリついた空気が和らいだのを感じてアスカは胸を撫でおろす。
とりあえずは納得してくれたと思っていいだろう。
「そうか…何もされていなかったんだな…」
息を吐くように呟かれたルフィの声は震えていた。
アスカを守る様に触れている彼の手も微かに震えていて、アスカは自分が思っている以上にルフィが自分を心配してくれたのだと気づく。
心配させてしまった事への償いのように、ルフィの手に触れ、そっと彼に寄り添う。
「それで…どうしてみんな鏡の中にいるの?」
暫くルフィと寄り添い、事が事だけに誰もが見守っていた。
アスカもルフィと触れ合ってやっと悲しさが緩和されて余裕が出来たのか、ふとチョッパー達が鏡の中にいたことを疑問に思った。
周りを見てみれば不思議な空間におり、周囲の壁には様々な鏡が掛けられていた。
聞けば、ここはブリュレのミラミラの実で作られた鏡の中の通り道らしい。
この道を通って鏡から鏡へと移動するらしいが、あの後ブリュレを捕まえてこの便利な通り道をルフィ達は確保したらしい。
話をフムフムと聞いていると、アスカは驚く事実を知る。
「えっ!?サンジ戻ってくるの!?」
それは、サンジの件であった。
アスカはまだサンジとルフィ達は和解し、ルフィはサンジを取り戻したらしい。
そこは信頼しているから疑ってはいなかったが、やはり戻ってきてくれた事を知るのは嬉しい。
嬉しさのあまりルフィに抱きつくと、ルフィからも抱き返してくれた。
そこでアスカはこれからの作戦を聞く。
あのフードを被った謎の男が、イヌアラシとネコマムシが言っていたフレイルの内の1人だと聞いて驚き、更には味方になったことも驚いた。
ベッジというルーキーに身に覚えも聞き覚えもないが、ルフィが彼らと手を組むのを決めたのなら、アスカはそれに異論はない。
「アスカはビッグ・マムに狙われているからここで待機してもらって…」
「ねえ、それ現状維持じゃ駄目かな?」
サンジが戻ってきただけではなく、捕まっていたアスカを助け出すことが出来た。
なら、アスカはそのまま仲間の元にいるのが定石だと思うのは当然だろう。
だが、それをアスカ本人が待ったをかける。
アスカの提案にナミ達は一同、視線をある方向へ向ける。
その視線を伝うようにアスカもそちらへ振り向けば――ルフィがいた。
ルフィは何も言わないが、本当に…ほんっっっとーーに!嫌そうな顔を見せる。
「ほら…急に私がいなくなったらあっちは探すと思うんだよね…ルフィ達がいるって知ってるし警戒も高めると思うの…余計な警戒心はサンジを助け出すときに邪魔になると思う」
顔を顰める恋人に、アスカは必死に説得させる。
アスカが鏡の中にいるとして。
部屋からアスカがいなくなったと知れば、ビッグ・マム達は当然探すだろう。
アスカは認めていないが、ビッグ・マム達はアスカをフレイルと思っているのだ。
ビッグ・マムのフレイルへ向けられる執着の強さを考えれば、むしろ逃げ出すのは得策ではない。
せっかくサンジが戻って来たのに、あちらの警戒心を強くさせて失敗したくはないとアスカだって思っているのだ。
その為なら、敵に捕まっているままでも構わないほどの覚悟はある。
「……ほんとーーーに!…本当に!!…何もなかったんだな?」
上目で窺うように言えば、アスカをジッと無言で見つめていたルフィはグググと唇を噛みながら、上を見上げたり下を向いたり、うーうー唸って考えた。
考えて考えて、考え、絞り出したような声で1つ、アスカに確認をする。
アスカはその問いにヒヤリと肝が冷えた。
しかしそれを表に出さず、アスカはコクリと頷く。
「本当にだな?本当に触れられてないんだな?」
「うん…あっちも母親に結婚を決められて不服そうだったし…あっちにとったら私は子供なわけだし…欲情したくてもできないんじゃない?」
「……………」
嘘である。
エチチなオイルを塗られて発情していたし、手を出されかけたし、背中も見られてしまった。
それを言えば絶対、確実に、必ず、アスカの提案は拒否されるので黙っておく。
どうせカタクリも小娘のことなど興味もないのだからルフィと対峙しても何のアクションも起きないだろう。
ジト目で見てくるルフィにアスカは必死に脂汗を我慢する。
疑っている。
めちゃくちゃ疑っている。
(恐るべし…野生の勘…)
人間、必死になれば何でもできるらしい。
演技派でもない自分でもナミ達は信じてくれた。
だが、流石の野生の勘は侮れなかった。
幼馴染だからこそルフィの野生の勘は侮ってはいないが、野生というだけあって普通の人の想像を超えるのだと再確認した。
「………………………わかった…」
長かった。
長い沈黙の後、ルフィはゆっくりと頷く。
顔も顰めていたので、本当に不服なのだろう。
だが、野生の勘よりも恋人の言葉を信じてくれた。
不服そうなのはおいておいて、純粋に自分の言葉を信じてくれたことが嬉しいが、その反面、罪悪感も込み上げてくる。
「とにかく!サンジ救出の際の混乱で私も動くから…それまで接触はできるだけ控えた方がいいと思う…なんか相手、腕利きっぽいし」
「…………」
「ル、ルフィの方が!ルフィの方が強いと思うけどね!でも!サンジを助け出すまでは下手な動きはしない方がいいと思うんだよね!!」
必死である。
アスカはこれまでにもないほど必死だった。
カタクリとは会っただけで数回しか会話を交わしていないが、それでもルフィと同じく強者だとアスカも感じ取った。
だからこそ、下手な動きはサンジ救出に支障が出るとアスカは考えた。
それを聞いてルフィの顔が更に色を濃くする。
どんな状況であれ、恋人が自分以外の、それも仲間ではない敵を褒める(アスカはそんなつもりは一切ないが)のが気に入らないのだろう。
それを察してルフィを褒めるが、ルフィのしかめっ面は治らない。
だが、アスカだって足手まといにはなりたくないのだ。
「敵の所に戻ろうって思えるのは、ルフィ達が絶対に来てくれるって…ルフィがいてくれるって分かっているからだよ」
説得するための言葉ではあるが、本心でもある。
アスカだって結婚させられる敵の下に戻りたくはないが、サンジ奪還のためだと思えば耐えられる。
それに、ルフィ達と再会して安堵と共に心にも余裕が生まれた。
ルフィ達が来てくれると信頼しているからアスカは頑張れる。
そう伝えると、ルフィはやはり渋々だが、アスカの提案に頷いた。
とはいえ、恋人として、船長として、作戦とはいえ敵の手の中に戻すのは不服ではあるのか最後の足掻きと言わんばかりにアスカを抱きしめる。
ぎゅーっと力を籠めるルフィの抱擁に、アスカも抱きしめて返した。
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