朝食を終え、水城達は再び森に入り樺戸へ向かっていた。
「見ろ水城!コタンがあるぞ…樺戸までもうすぐだけど休ませてもらおう」
との途中アイヌの村を見つけ、一晩泊めてもらうことにした。
村に入るとやけに静かで人影が少ないのが印象的だった。
多くの村も子供達の楽し気な声が聞こえたり姿を見せてくれたのに、この村は子供の姿どころか大人もいなかった。
しかし色々なアイヌの村に立ち寄った水城はそんな村もあるかもしれないとあまり気にもしていなかった。
「この村にもアシリパさんの親戚がいるの?お婆ちゃんの15番目の妹とか?」
「フチの15番目の妹は釧路にいる…この辺に親戚はいない…初めて来た」
「ぁ…そ、そうなんだ…」
水城としては冗談で言ったのだ。
フチの兄妹は多いと聞いても流石に15番目の妹はいないだろうと水城は思った。
だが、アシリパの言葉に水城は遠い目をする。
その時水城の肩に誰かが触れ、そちらに振り向く。
そこには尾形がいた。
「頑張ろうな」
たったそれだけだが、水城は何を頑張るのか分かった。
しかし突っ込むのもいやでニヤケ顔の尾形を睨みながら肩に触れる手を強く叩いく。
なんで好きでもない男の子供を15人も作らなくてはいけないのか。
いや、好きな人でも流石に15人は遠慮したいが。
「やあ、こんにちは…あんたら何の用だい?」
話していると一人の男が歩み寄ってきた。
牛山が旅をしてこのコタンに寄り、寝床と米などがあったら分けてほしいと説明した。
その説明に頷いてみせたが、水城はアイヌにしては日本語が上手いなと思い、思った事を問う。
「あんたも日本語上手いね」
「俺は若い頃和人相手に荷揚げの仕事をしていて覚えた…山奥で砂金掘りやっている和人たちへ物を届けるんだ」
日本語を流暢に話すのは、やはり外に出ていたかららしい。
それに納得していると、牛山が何かに気付き水城に声を掛ける。
「おい、なんだあれ」
「ん?ああ、あれは小熊のオリ……え?」
指差されて見たそこには小熊用のオリがあった。
それを説明しようとした水城だったが…その異常さに目を疑った。
オリがミシミシと音が鳴るほどみっちりと詰まったように入れられている熊がいた。
どうみてもあれは成長しすぎている。
「あの小熊のオリ…いつからあのままなんだ?」
「ちょっと小熊が大きくなるのが早くてな…大きいオリを作ってうつすところだったんだ、気にしないでくれ」
唖然とする水城達に笑って答える男にアシリパはジッと男を見た後、小熊のオリを見つめた。
そんなアシリパに気付かず男は父である村長に滞在の許可を貰うといいと言ってくれた。
その村長の家に案内され、コタンに初めてくるであろう牛山と尾形に説明してやる。
尾形はアシリパが育ったコタンを含めて二度目だが、恐らく作法など知らないと判断したのだろう。
「アイヌの家を訪問する時はいくつか作法がある…私はこれまで何度かやってるからよく見てて……騒ぎを起こしたくなけらば行儀よくしろよ…尾形」
いや、これはただ単に八つ当たりだった。
隠し続けた息子がバレてしまったこと、アシリパを盾に関係を迫ってきたこと…あとなんか銃が上手くて気に入らない…からの八つ当たりである。
最後はどうなのそれ?と思われるが、水城としては正当な理由になるらしい。
まず、水城は咳ばらいをして見せる。
アイヌの家では和人の常識である『すみません』という声掛けはしない。
水城がもう一度咳払いするとひょこっと若い男性が顔を出し、戻っていった。
「引っ込んじまったぞ?」
「家の若い者が外に出てきた客を無言で確認して主人に報告するんだ…主人が入れるのを許可すればこれから家の掃除が始まる」
牛山が首をかしげていると水城がそれも作法の一つだと教える。
掃除中なのか水城は外で待つことになった。
しかし、いくど待っても家の住人が顔を出すことなく、水城達は長く待たされていた。
「ねえアシリパさん、このアリすっごく大きいよ」
「ほんとだ」
「知ってる?生のアリってすっぱいんだよ」
「アリを食べた事あるのか?」
「うん…美味しくなかった…」
「流石水城だな!この食いしん坊め〜」
アシリパは考え込みぼうっとしていた。
しかし水城に声を掛けられハッと我に返る。
アシリパの言葉に水城は『もうやだ!アシリパさんったら〜』と照れたように笑い、その笑みにアシリパはどこかホッと安堵したような笑みを浮かべた。
暇すぎてアリの大きさにきゃっきゃはしゃぎだす水城とアシリパを横目に牛山が疲れたようにため息交じりに呟く。
「なあ…まだなの?」
牛山のぼやきは確かに仕方ないかと水城は思う。
水城もここまで待たされた事はなく、待つだけでも疲れるほどの時間を待たされていた。
しかし、アシリパ曰く、昔和人の偉い役人がアイヌの案内で北海道の奥地を見て回っている時、土砂降りの雨が降り、アイヌの家に雨宿りさせてもらおうとしたがこの手続きをきっちりやり中に入れたのは雨がやんでいた頃だった…という話があるらしい。
そのためここまで待たされてはいるが、もしかしたらそれ以上待たされるかもしれないとも言える。
それに牛山がげんなりしていると、やっと先ほど顔を覗かせた若い男が現れ水城に手を差し出した。
「全員で手を繋ぐのか?」
「背筋を伸ばすなッ!手を引かれて招き入れられる時は腰をかがめるのが作法だ」
牛山は男同士で手を繋ぐと言う暑苦しい作業をしなければならないと顔を顰めたが、作法なら仕方ないかとせめて片方だけは女と繋ぎたいと尾形より早く水城の手に触れる。
背中から無言の圧力を感じたが、無視した。
だって牛山も女の子が好きなんだもんっ
中に入れば村長らしい老人一人に、初めに声を掛けてきた男、先程の若い男、女性がいた。
水城達も座り、水城は帽子を取る……しかし、アシリパは鉢巻きを取らずそのまま家に入った。
そんなアシリパに気にも留めず、村長は両手を口元に持って行く仕草をし、それを水城は牛山達に真似させる。
だが…
「ムシオンカミ」
そうアシリパが村長を指さした。
その言葉に水城達は首を傾げたが、アイヌの人たちはポカーンとさせた後、何故か女性だけがプッと笑った。
「あの子は…どうしてあんたらと一緒にいるんだ?」
すると同じアイヌの少女と一緒にいるのが気になったのか、最初に話しかけてきた男性が問いかけてきた。
「あー…ちょっと駄賃をやって案内させてるんだ…私達はこうやってアイヌの村にも滞在したりするんでね」
時々アシリパを心配し問いかけるアイヌや和人がいる。
そのためあまり突っ込まれないような適当な事情を事前に決めていた。
アイヌは少数民族とは言え、アイヌも狩りをした獲物を売ったり、狩りで必要な銃の弾を買いにきたりと和人との接触も拒んでいるわけではないので大抵は納得してくれる。
男性も納得し、村長である父が認めたということで自己紹介を始めた。
「家族を紹介しよう…そっちに座っているのは私の妻のモノアだ…こっちの若いのは弟の…」
「オソマ行ってくる!」
「へ?」
家族を紹介しようと妻、弟と紹介していく男性の言葉を遮り今まで静かだったアシリパが立ち上がりトイレに行くと言い出した。
「ちょっと…アシリパさん!?我慢できないの??」
「もうオソマが出口まで来てる!!」
「んまぁ〜〜!下品ッ!」
水城の言う事聞かず、アシリパは速足にチセを出て行った。
しかし生理現象ならばしょうがないと水城は男性達に謝る。
「すみませんね…普段は礼儀正しい子なんだけど…他の家ではこういった場で挨拶の邪魔なんていなかったし頭の鉢巻きとかも取ってちゃんとしてたのに…どうしたんだろうなぁ…」
いつもなら取る鉢巻きも取らずにいたアシリパに気付いていたが、この家の人達が気にした様子がなかったから咎めずにいた。
挨拶の時も普段なら口を挟むようなことはしなかったのに、今日のアシリパは少し様子が可笑しかった。
それに首をかしげていた水城だったが、相手は気にしていないらしくホッと安堵の息をつく。
「うちの便所は分かりにくい場所にある…迷ってないかちょっと見てこい」
男性はそう言って弟の背中を叩き外にいるアシリパにトイレの場所を案内させた。
日本語だったが何となく意味は分かったのか弟は静かに外に出る。
「ムシオンカミってどういう意味だ?」
弟がチセから消え、尾形がここに来て初めて口を開いた。
その問いに男達は何も答えず、沈黙だけが落ちる。
「おや?もしかして分からんのか?」
黙り込んでいた男性がその尾形の挑発的な言葉に一瞬眉をひそめたがすぐに表情を戻す。
「ムシオンカミはちょっと聞いたことがない…さっきの娘はこの辺のコタンの子か?アイヌ語にも方言がある」
尾形の問いに男は首を傾げて答える。
それに水城は確かに行者ニンニクだけでも色々な呼び名があると納得すが、尾形はじっと男を見ていた。
それを水城は疑っていると思いジト目で尾形を見る。
「一体何を疑ってるんだ、尾形…この人達に失礼な真似は許さんぞ!」
水城の睨みに尾形は目を細め、チラリとアイヌ達を見た。
そして再び水城を見て…
「こいつら本当にアイヌか?」
そうニタリと笑って言う。
その言葉に水城はムッとさせ男性に歩み寄り長い髪を掻き分け耳を見せた。
その耳たぶは大きく、アイヌの村に行けばよく指差されて言われる"それ"ではなかった。
「ほら見ろ!この耳たぶ!アイヌは耳たぶが分厚いんだ!シンナキサラじゃない!」
「福耳にしか見えねえけどな」
それ、とは和人のような耳たぶが薄い耳である。
髪を捲って耳を見れば男性の耳たぶは厚く、何を疑うんだと言うが尾形も尾形で頑固だった。
水城はムスッとさせたが…
「ウンカ オピウキ ヤン!」
窓から一人のアイヌの女性が水城達に向けて何かを叫んでいた。
しかしその言葉はアイヌ語で、和人の水城達には何を言っているのか分からず首をかしげてしまう。
その女性は夫らしい男性に腕を引かれその場を離れ、姿を消す。
「今のご婦人はなんと?」
「知らない方がいい…和人を良く思わない者もいる…でも我々は歓迎するよ…今夜は酒でも飲んで…」
「ウンカ オピウキ ヤン!!」
牛山が何を言ったのか問えば何でもないと答えられた。
歓迎すると言った男性の言葉を遮り、男性の妻だというモノアが叫ぶ。
それは先ほどの女性と同じ言葉だった。
アイヌ語は分からない水城達でも同じことを言われると流石にその言葉の意味が気になってしまう。
しかし内容が内容だからかモノアの夫である男性は水城達には決して訳してはくれず、顔を険しくさせ妻に『出て行け』と言い追い出した。
モノアはグッと何かに耐える様に唇を噛んだ後、静かにチセから出ていった。
「何か奥さんの気に障ったかな?失礼があったらすまない…」
「いやいや…」
アイヌに親しみを持ち、息子をアイヌに預けるほど信頼している水城としてはやはり気分を害してしまったと思い謝った。
そんな水城にモノアの夫は首を振って何か言おうとしたが、それをまた尾形に遮られてしまう。
「やっぱりどうも様子がおかしいぞ」
「まだ言うか尾形!よし、分かった!さっきそこの『シントコ』の裏に落ちてるのが見えたんだが…これを使ってみせてくれ!本当のアイヌなら使い方を知っているはずだ!」
猫の如く疑り深い尾形に『しょうがないなぁ』と溜息を送り、シントコ…儀礼の際に使われる容器の裏からある物を取り出し、尾形達の前に出して見せた。
それは水城は全て惨敗した…キサラキという子供達のオモチャだった。
「ちなみに私はアシリパさんほどうまく使えず全て駄目だしされてしまった……と、いうわけでまずは牛山がやってみて」
「いやどういうわけなわけで俺がやらなきゃならんのよ??」
はい、と渡されたよくわからない物に牛山は困惑する。
しかし水城に笑顔で渡されつい反射的に受け取ってしまった牛山は暫くそのよくわからない物を観察した後、よく分からないなりに頑張ろうと思った。
その結果が…
「あたい未亡人…戦争で夫を亡くしてひとりぼっち…でも体はうずくのよ」
なぜか小芝居が始まった。
牛山は何をどうキサラキから感じ取ったのか、未亡人を演じ、『でもそんな時はこれがあれば満足できるの』と甘い声を出す。
女好きの牛山の演技に水城は『これあかんやつや』と思ったのだが、牛山はその手の中にあるキサラキを背中にやり…
「はあ〜〜かゆい所に手が届く」
水城が考えていたあっはんうっふんな展開…ではなく、孫の手として利用した。
それにすかさず水城は『全然違うッ!!』と怒号を浴びせ、理不尽に怒られた牛山は『いやだって全然知らねえもの、俺…』とブツクサ言い、キサラキを水城に返す。
その後、水城はキサラキを村長である老人に渡した。
「じゃあ次!レタンノ エカシ(村長の名前)」
「!?」
「今のやり取りで何して欲しいか分かりますよね?」
水城達と話していたのは息子だったため、村長は日本語が分からないと水城は思っている。
だが、牛山とのやりとりで水城が何が言いたいのか分かってもらえるだろうと水城はキサラキを渡した。
村長は恐る恐るキサラキを手に取りジッと見つめた。
「早くやってくれよ爺さん」
尾形の威圧感を感じ取ったのか、村長は渋々立ち上がり…なぜか踊り出した。
突然踊り出した村長に水城は首を傾げる。
「ん?綺麗好き?綺麗好きなジジイ!」
「分かった!お気に入りの服だッ!!」
踊り出した村長に水城は何か伝えたいのかと思い付いたことを零すが、そのまま村長は着物の襟を整い始める。
それに牛山も乗り、まるで伝言ゲームのように二人は楽しみだす。
暫く踊っていた村長だったが、少し屈んで腰に手をやる。
「疲れたッ!」
「腰が痛い?」
それを牛山と水城が思った言葉を告げ、村長は次に…キサラキの上に乗った。
それはまるで椅子のような使い方に村長の息子さえもその場にいた全員が水城を見る。
水城は…
「なるほど…!そういう使い方もあるのか!!」
水城はなぜかそれに納得してしまった。
それに尾形は溜息をつき、水城に手を差し出す。
「もういい、よこせ…俺が正しい使い方を当ててやる」
「ええ〜??尾形に分かるかなぁ〜〜??」
村長から返してもらったキサラキを水城は尾形に渡す。
その際小馬鹿にした言い方の水城に尾形もにっこりと笑って返してやった。
そして、尾形は水城から渡されたキサラキを受け取り―――村長の足の小指に向かって思いっきり振り下ろした。
「痛たあっ!!!」
その瞬間、村長が悲鳴を上げた。
だがその言葉に水城は目を丸くする。
そんな水城をよそに尾形は髪をかき上げる。
「この使い方が正しかったようだな」
「ジイさん、日本語話せたのか?」
牛山はてっきり村長は日本語が話せないと思っていたため驚きと共に怪しむ。
しかし水城は痛みに震える村長に駆け寄り抱きしめ庇った。
「日本語を話せるアイヌなんて珍しくもないでしょう!!何てことするの!尾形!!」
(やさしい)
「ほんとにアイヌなら痛いときとっさに日本語が出るもんかね?」
ぎゅっと抱きしめて庇う水城のその優しさに村長もそっと寄り添う。
それに尾形は村長に向ける視線を鋭くさせるが水城は全信頼を寄せているアイヌの人間に暴力を振るう尾形を睨みながら村長を庇った。
「そもそもこの人達がアイヌのふりして何の得があるっていうんだ!?いい加減にしろ尾形!」
「そうだな…俺もぜひそこが知りたいね…丁度戻ってきた弟くんにも聞きたいことがあった」
丁度アシリパをトイレに案内していた弟が戻ってきた。
尾形は弟に聞きたい事があると弟を横目で見つめ、水城も弟に気付くが、その後ろに大切な少女の姿がないことに気付く。
「あれ?アシリパさんは?」
「あ、ああ…弟が言うにはあの娘は近所の女性に刺繍を教わって夢中になっているそうだ…まあこんなところは子供に見せない方がいいだろう」
オソマと言っていたから遅いのもそれほど気にはしていなかったが、案内してくれた弟だけが戻ってきたことに疑問に思った。
村長の息子は日本語が話せない弟に代わってアシリパが女性に刺繍を教わっていると答えたその瞬間――――水城は尾形からキサラキを奪い弟を殴り飛ばした。
「な、なにをするんだ!!!」
村長の息子は尾形や牛山が疑っている中、疑いもせず信じてくれていた水城が突然弟を殴り驚きの声を上げた。
だが水城は先ほどまでの穏やかな表情とは違い、鬼のような形相で弟を睨みつけていた。
「アシリパさんが『刺繍に夢中』だぁ?てめえ…あの子をどこへやった?」
アシリパはフチに女の子らしくないと言われていた事を水城は知っている。
普段もアシリパは狩りが得意でよくマメ知識を水城に教えてくれる。
博識ではあるが、水城はアシリパは女の子らしい事が苦手だと言うのも知っていた。
だから瞬時に判断したのだろう。
アシリパが戻ってこないのはこの男の仕業だと。
「あ?なんだその足」
牛山が倒れた弟の足元を見て何かに気付き指さす。
水城が牛山の言葉に弟の足を見る。
着物からチラッと見えるその足には入れ墨が入れられていた。
「そうそう、さっきも出て行く時にちらっと足首に見えた気がしたんだよな…その『くりからもんもん』が……ヤクザがアイヌのふりか」
今まで水城はアイヌに対して全面的に信頼し、疑いなど一切持っていなかった。
だから気づかなかったのだが、尾形はこの弟がアシリパを案内するため立ち上がった際チラッと入れ墨に気付いたのだ。
だから怪しんだ。
水城は尾形の言葉にスーッと思いっきり息を吸い…
「う"えろろろごうろろろあ"あ"ッッ!!!」
と叫んだ。
それはまさに耳長お化けの声であった。
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