水城が『あとは私がやるから』と言って熊岸の遺体が死後硬直する前に姿勢や服装を正したりする役目を名乗り出た。
アシリパは死を恐れないが、それでも目の前で悔いを残し死んでいく彼の感情に釣られたのか顔色が悪かった。
水城の言葉に甘え、一足先に外に出ることにした。
すでに辺りは静かでもう戦いは終わったようだった。
しかし、外に出てみればアシリパには信じられない光景が広がっていた。
―――アイヌの格好をした男達の死骸がコタンのあちこちに転がっていた。
それを見てアシリパは目を丸くし、顔を青くする。
青ざめるアシリパの姿に気付き近くにいた尾形はチラリとアイヌに扮した男達を見る。
「水城のやつ…ほとんど一人で偽アイヌ共を皆殺しにしやがった…おっかねえ女だぜ」
そういう尾形の顔は笑っていた。
うっとりと、水城が殺した男達を見渡していた。
しかしアシリパの顔は更に青ざめ、冷や汗が流れる。
目の前にいるのはアイヌの格好をした犯罪者であるのは分かる。
だが、アイヌの服を身に包み死んで転がっている光景は一見、そうは見えない。
まるで本物のアイヌが皆殺しにあったように見える。
尾形はそのアシリパの反応に満足気に見つめた。
アシリパは水城を恐れた。
目の前の地獄絵図を作り出した女を、あのアイヌの少女は初めて恐れを抱いたのだ。
そして、そのきっかけが自分だというのもきっとあの賢い少女は気づくだろう。
二人の間に固い絆があるのは尾形も気づいていた。
まずはその絆を解かなければ尾形の計画は完遂することは出来ない。
二兎を追う者は一兎をも得ずというが、尾形はどちらも欲しいのだ。
しかし、その前に水城とアシリパを引き離す必要がある。
アシリパを優先し、水城を後回ししたとしても水城の中に尾形は居続ける事が出来る。
愛であれ、憎であれ、すでに水城の中には尾形百之助という男は居ついているのだ。
水城を慌てて手に入れる必要はない。
だから先ほど尾形はアシリパにわざと水城が殺したのだと見せつけた。
「………」
アシリパがゴクリと喉を鳴らしたその時―――水城の手がアシリパの肩に触れ、アシリパは微かにビクリと肩を揺らす。
恐る恐る見上げると水城の目と目が合った。
「アシリパさん…怪我はない?奴らに酷い事されなかった?」
アシリパを見るその目はとても心配そうに、不安そうにしていた。
その目にアシリパは何も言えず、ただ息を呑んだ。
水城は何も言わずこちらを見上げるアシリパに首を傾げ、『アシリパさん?』ともう一度名前を呼ぶ。
「い、いや…なんでもない…大丈夫だ…」
「ならいいけど…」
今度は何とか返事をする事が出来た。
しかし動揺が隠せず少し声が震えていた。
それに気づきながら水城はあえて何も言わないでおく。
本当は心配だが、彼女が大丈夫と言うのならこれ以上追及することはできなかった。
「村の女達に全員殺したと伝えてこい…死体をどうするのかもな」
アシリパの様子に気付いている尾形は水城から離れる口実を作ってやった。
尾形がアシリパに顎で使うのが気に入らないのか水城はムッとするも、アシリパは頷き水城から離れる。
アシリパが離れて少し寂しさはあるが、もう敵はいないため水城は追いかける事はなかった。
そんなアシリパを見送る水城の姿は待てをされ置いて行かれた犬そのものだった。
その姿にクツクツとした笑いを抑えながら尾形は近づき、水城の腰に腕を回し引き寄せ水城の耳元に囁いた。
「そんな心配しなくても飼い主に害する奴はお前が殺しただろう?」
囁かれ、そして息を吹きかけられ水城は『んっ』と甘い声を漏らし肩を揺らした。
色っぽい自分の声に水城は頬を赤らめ、耳を抑えキッと尾形を睨む。
敵と見なしていない今の自分では水城の美しさは半減するが、気恥ずかしそうに睨まれるのも嫌いではない。
「そんな呼び方はやめて…アシリパさんは飼い主じゃない」
「へえ…じゃあ、お前の今の飼い主は誰だ?」
尾形は水城の懐きように、てっきり吉平の次の飼い主がアシリパだと思っていた。
しかし水城の言葉に内心意外そうに水城を見る。
尾形の問いに水城は何も答えず、尾形を見た。
―――その瞳を見た瞬間、尾形はゾクリとした感情が過る。
その目は無感情ではなく、どこかどす黒く深く強い執着を感じる色を見せていた。
その色は尾形も見たことがある。
その色は正に…――あの男の目の色そのものだった。
「…………」
暫く見つめ合ったが、水城は何も言わない尾形にもう用はないと彼から離れようとした。
しかしそれに気づいた尾形が腰に回した手の力を入れ、再び水城を引き寄せる。
「な、んなの!もう!」
突然引き寄せられ水城は驚き尾形を睨む。
しかし先ほどまでニヤついていた尾形の顔が無表情に戻っており水城は眉を顰める。
…否、無表情ではない。
水城には無表情を装いながらもどこか怒りを隠しているように見えた。
「お前…まだあいつに囚われてるのか」
あいつ、とは吉平の事を指すのだと水城は分かった。
月島も尾形も、なぜそれほどまで吉平に囚われる自分に怒りを覚えるのか分からない。
だって、そうじゃないか。
月島も、尾形も、所詮は他人事だ。
水城が亡霊に囚われているのがなぜそこまで気になるのか。
水城だって好きで囚われていないのに。
水城は腰に回されていない尾形の手を取り胸元に当て、尾形の手を見下ろすように視線を落とす。
「ここに私の飼い主はいるわ…私の飼い主は死んでも私の中にいるのよ…」
吉平は死んだ。
しかし、彼の呪縛は死んでこそ完成する呪いだった。
吉平が残した傷がある限り、吉平との記憶がある限り、水城の飼い主は吉平であり、吉平の掛けた首輪が首に残っている。
その首輪に繋がっているリードも誰も掴むことなく今もなおダランと地面を引きずって汚している。
水城は尾形の手に己の手を重ね、ゆっくりと指と指の間に己の指を滑らせる。
そして、尾形を見上げ、彼がしたように彼の耳元に口元を寄せ…
「それともあなたが私の飼い主になってくれるのかしら?」
そう甘く囁いた。
その瞬間尾形の喉が上下に動いたのを見て水城は目を細め彼の耳たぶをカプリと甘噛みし、唇を離す際に舌で耳たぶを舐めてやる。
その甘噛みに尾形がこちらに視線をやる。
尾形は熱のこもった目で水城を見ていた。
水城と目と目が合うと尾形は腰に回していた腕の力を入れ更に抱き寄せ、水城に顔を近づけ口づけをしようとした。
だが、その唇を水城は交わし、水城は尾形の口端に口づけをした。
顔を離せば尾形は予想通り不満顔をしており、そんな尾形に水城は目を細めて艶めかしそうに微笑みながら繋いでいた手を尾形の手の平を撫でる様に離れる。
その手を追うように尾形が水城の手首を掴もうとするもそれをスルリと交わし水城はその手で尾形の顎のラインを撫でながら流し目で見つめ艶めかしい笑みを深めながら彼から離れた。
水城の姿を尾形はただ見送るだけだった。
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