(76 / 274) 原作沿い (76)

水城達はこのまま気球に乗って移動していた。
しかし、エンジンが止まり途中で降りて森を進むことにした。
気球のおかげであれから東に40キロほど移動できたが、気球から馬に乗って追ってきている兵士が見えた。
それに目立つ気球に乗っていたのだから位置を把握されているだろう。


「グズグズしていたら追いつかれるぞ」

「待て、水城の出血が止まらない…手当しないと…」


双眼鏡で見ても今は兵士達の姿はないが、追いつかれるのも時間の問題だろう。
だが、水城の怪我の治療もしなければならない。
アシリパはノコギリソウを見つけたので治療することにする。
水城はアシリパに言われた通り上の服を脱ぎ、傷を見せる。


「音之進が撃った拳銃は26年式…『豚の鼻に当たってポトリと落ちた』で有名な低威力の拳銃よ…そんな銃で私が殺せるわけがないわ…」


残った銃弾を取り、水城はアシリパにノコギリソウの葉を揉んで塗られ治療をされながら呟く。
肩を撃った銃は水城が持っていた銃で弾は貫通していたが、胸元を撃った銃は鯉登が撃った低威力の拳銃だった。
だから体の中に弾が残ってしまったらしい。
その銃は揶揄も込めた言葉が残っている。
だが…


「鈴川は豚の鼻より弱かったが…」


豚の鼻に当たってポトリと落ちたと言われるほどの低威力だが、鈴川の命を奪うには十分だったらしい。
ポツリと呟かれた言葉に水城に包帯を巻いていたアシリパが水城を見る。


「鈴川はやっぱり殺されたのか…」


アシリパは眉を顰めていた。
それは嫌悪ではなく、悲しさだろう。
犯罪者とはいえ協力してくれたのだ。
彼女にとって殺さなくて済むであろう人間である鈴川の死は悲報だった。
そんなアシリパの言葉に水城はただ何も言わずアシリパを見つめるだけだった。


「…………」


その二人を…いや、水城を尾形は感情のない目でじっと見つめていた。



◇◇◇◇◇◇◇



治療も終え、水城達は先に進む。
もしバラバラとなったときのことも考慮していたため土方達と無理に合流することをせずまずは前に進むことにした。
しかし…森なら隠れる場所はあるが、開けた場所に出てしまうと見つかるのはそう時間もかからなかった。


「見つかった!!急げ!大雪山を超えて逃げるしかない!!」

「マジかよ…!この山を…!?」


双眼鏡から兵士達がこちらに気づき向かってきているのが見えた。
しかし前には雪が積もった大雪山が聳え立っており、後ろは兵士。
文句を言いつつも前に進むしか他になかった。
兵士から逃げるため走って大雪山へ足を踏み入れる水城達だったが、その足は次第に遅くなる。
風が水城達の行く手を阻んでいたのだ。
進めば進むほど天気が崩れていき、その風は凍えるように冷たく、水城達の肌を刺す。


「この高さだと燃やす木が生えてねえ!!戻って下山しよう!」

「馬鹿を言え!追手が来てるんだぞ!!」


この風では相手も無理に追ってこないだろう。
しかし下山したとしても兵士達が待ち構えている場合もある。
雪では穴を掘って避難することもあるが、そのためには身を隠せるほどの雪が残っていなかった。


「白石の様子がおかしい!」

「風をよける場所を探すんだ!!低体温症死ぬぞ!」


4人の中で一番薄着なのは白石だ。
そのため、低体温症になるのも早かった。
寒い寒い言っていたのに今ではへらへらと笑い出し目も遠くを見てとろんとしていた。


ユク(鹿)だ!!水城!!オスを撃て!!」

「エゾシカを撃てばいいの!?」

「大きいのが3頭必要だ!」


この山でもシカはいるようで、鹿の群れがこちらを見つめていた。
それをアシリパが気が付き水城に鹿を3頭撃つよう指示を出す。
それに雪乃が慌てて銃を構えたが、その前に尾形が2頭同時に鹿を撃ち、素早く残りの1頭も撃ち殺す。


「2頭同時に…!?」


水城は射撃の腕はいいことは知っていたし認めてはいるが、2頭同時に一発の弾で撃ち抜くのを見て驚いた。


「急いで皮を剥がせ!!大雑把でいい!!」


狩るためではなく寒さを凌ぐためなため、アシリパに習い水城と尾形も皮を適当に剥がす。
水城はふと白石が気になって白石の方へ見れば、彼はいつの間にか全裸になって訳の分からない踊りを踊っていた。


「し、白石が低体温症で錯乱してる…!!」

「バウチカムイに憑りつかれたんだ…!!」


バウチカムイとは、アイヌの伝わっている神のことである。
バウチカムイはあまり心の良くない淫魔の神のことで、その神に憑りつかれると素っ裸になって踊り狂うと言われている。
そう、目の前の白石のように。
実際は低体温症の症状なのだが、言い伝えとは昔の人なりの解釈なのだろう。


「白石!馬鹿!全裸になったら余計に危ないでしょうが!」


水城はやりかけだった鹿の皮を剥がす作業をアシリパに代わってもらい、白石を追いかけて服を着させる。
意識も飛んで踊り狂う白石に服を着させるのは苦労したが、何とか服を着させることに成功し、水城はアシリパがやってくれた鹿に白石を突っ込んで皮をかぶせる。
尾形も処理を終え寒さを防ぐために鹿に潜り込み、水城もアシリパと共に鹿に潜り込む。
水城は小柄なアシリパを後ろから抱きかかえるようにしながら二人で天候が落ち着くのを待つ。


「傷は痛むか?水城」

「うん、大丈夫だよ…明日の朝には良くなってるよ」


水城は今日散々な1日だったなと思う。
怪我を負い、死ぬかもしれない悪天候で足止めをされた。
何より、会うと思わなかった元恋人と一方的とはいえ再会してしまったのだ。


(音之進…元気そうだったなぁ…よかった…私のこと引きずってないみたいね…)


半分は安心し、半分は残念に思った。
安心は見た目は健康的だったこと。
残念に思ったのは、自分を吹っ切れたように元気だったことだ。
忘れてほしいのも本心。
だけど忘れてほしくないのも本心だ。
会いたいと思っていたのも本心。
だけど会いたくないというのも本心だ。
この感情だけは水城はぐちゃぐちゃに散らかっており、水城本人も整理しきれない。
いつまでも引きずってる自分に水城は笑ってしまう。


(結局、吹っ切れてないのは私の方じゃない…もういっその事…静秋にお父さんでも作ってあげようかしら…)


気にしているのは自分だけのような気がしてなんだか悲しくなってしまう。
鯉登を忘れられないのは自分だけだと思い知らされ、鯉登を忘れるために夫を迎えることも考えた。
今は無理でも全てが終われば旦那探しの旅でもしようかと思っていると、息子のことを考えてしまったためか無性に息子に会いたくて仕方なくなった。
あの太陽とお乳の匂いがする可愛い我が子をこの腕で抱いたのは2か月以上前だ。
今まで目の前を見ることで息子への会いたい気持ちを誤魔化してきたが、それも限界のようだった。
息子の事を思い出しているとアシリパに呼ばれ、水城は意識を戻す。


「水城」

「ん?」

「鈴川は…苦しんだか?どうやって死んだ?」

「………」


待っている間ヒマなのかな?と思っていた水城だったが、直球な質問に黙り込む。


「アシリパさん…鈴川は悪人よ…悪人は人の心が欠けているから普通の人間より痛みも感じないわ……だから一々同情しなくていいの」


水城はアシリパの問いに答えなかった。
それがはぐらかされたとアシリパは思ったのかムッとした声を零す。


「子供だと思ってバカにしてるのか?そんな理屈で誤魔化すな」


アシリパはしっかりした少女だ。
大人顔向けなことを色々と知っているし水城もアシリパに沢山助けられた。
水城はアシリパに甘い。
それはアシリパ本人にも気づかれており、実際アシリパに甘いため、アシリパは子供扱いされたと思ったらしい。


「私はそう思うようにしてきたわ…戦争の時も、露助は私達日本人とは違って苦しまずに死ぬはずだって…」


しかし、そうではない。
本当に水城はそう思っていた。
そう"思うことにしている"。


「戦場では自分を壊して別の人間にならないと戦えない…私たちはそうでもしなきゃ生き残れなかったの…」


戦場に女だとか男だとかは関係ない。
無法地帯…言葉で表すならこんな言葉が当てはまるだろうか。
味方か敵か。
日本人か、ロシア人か。
それが以外はすべて敵であり、すべて殺すべき対象。
しかし同じ人種だと思ってもスパイという者がいる。
隙を見せれば明日は死んだ同僚が自分になるだけの話だ。
あの世界では人間の存在意義はないも等しい。
水城は何度も戦争で気が狂った軍人を見てきた。
だからこそ自分の心をいくつもの鍵をつけ、心を殺してきた。
同じ人間にしか見えない露西亜兵も人と思わなければ殺せるほど水城は心を殺してきた。
その言葉にアシリパはもう怒る気すら起きなかった。
戦争を経験した者の言葉は重い。


「みんな元の人間に戻れなかったのか?」


アシリパの言葉に水城は口を閉じた。
しかしすぐに開く。


「戻れた人もいたでしょうね…故郷へ帰り家族と過ごす時間で元の自分を取り戻せたのかもしれない…でも、日本に帰ってきても元の自分に戻れない人は心がずっと戦場にいる…」


脳裏に様々な人が浮かぶ。
鶴見、谷垣、尾形、月島…そして……
全ての人間が家族が待っていてくれているわけではない。
全ての人間が家族と過ごしても元の自分に戻れるわけではない。
戦争は環境を破壊し人間を殺すだけではない。
兵士達の心を壊すのも、戦争だ。


「アシリパさん?なにか食べてる?」


話していると自分に背を向けて横になっていたアシリパの頬が、もっもっ、と動いているのに気づく。
上からのぞき込めば何か食べているのが分かった。


「シカの肝臓だ…水城も食べろ!たくさん血を失ったんだからその分食べて補給しろ!」

「こんな状況でよく食べれるね…アシリパさん…」

「こんな状況だからこそだ!脳みそも食べたいけど風がおさまるまで我慢しよう」

「アシリパさんはホントに脳みそが好きなのねぇ」


沈んだ気持ちがアシリパとのやり取りで浮上した気がした。
相変わらず脳みそが好きなアシリパに、水城はくすくすと笑う。
その笑い声を聞きながらアシリパは一つ質問をした。


「水城はオソマ以外に何が好きだ?」

「食べ物?んー…干し柿かな」


すでにオソマで通じている水城はアシリパの問いに考えて答える。
嫌いなものなら簡単に答えられるが、好きなものとなると沢山あって迷う。
しかしすぐに浮かぶのは、昔から好きで食べていた干し柿だった。
水城がまだ雪乃だった頃から好んで食べてきた食べ物で、それほど珍しくはないが、アシリパはその食べ物に首を傾げた。


「干し柿?なんだ、それ?」

「え?ああ、そっか…北海道には柿の木が無いのね…」


北海道では柿の木は育たないのか、柿はこちらでは珍しい果物になっている。
知らない食べ物に興味を持つアシリパに干し柿の説明をする。
渋い柿の実を乾燥させ、干すと渋かったのに不思議な事に甘みが生まれる。
珍しいものではないが、干し柿を作る時期になると干したばかりなのによく実母にいつ食べれるのか聞き『雪乃は本当に干し柿が好きなのね』と笑われたほど水城は干し柿が好きだった。


「もう何年も食べてないなぁ…最後に食べたのは……戦争へ行く前だっけ…」


川畑家の時も、水城の好物だからと母と父が庭に柿の木を植えてくれた。
母と干した干し柿が毎年の楽しみだった。
その干し柿も戦争に行く前に食べたきり、口にはしていない。
静秋を妊娠していた時も出されたが、妊娠しているとき妊婦の食の好みは変わるため、あの時は干し柿には一切興味を示さなかった。
逆にレモンなどの酸味物をよく好んで食べていた。


「戦争から帰った時に食べなかったのか?」

「…………」


懐かしい思い出を思い出していると、アシリパの質問に水城は笑みを消した。


「…春だったからね…無かったの」


戦争から帰っても待つ家族はいなかった。
息子は腹の中にいたし、あの時は息子を決して認めなかった。
今でこそ息子がいてくれるが、あの時は本当に孤独だった。
チヨや春子たちがいても水城は一人だった。


「水城も干し柿を食べたら…戦争へ行く前の水城に戻れるのかな…」


うとうととしているのか、アシリパはぽつぽつとか細く呟くが、そのアシリパの言葉に水城は息を呑む。
脳裏に寅次や梅子と幼い頃干し柿を食べた思い出や、両親や鯉登と干し柿を食べた思い出が波が押し寄せるように浮かぶ。
ジワリと目元が熱くなり視界がぐにゃぐにゃと揺らぐ。
水城は瞬きせず前を見つめていたが、その瞳からポツリと涙が溢れた。


「すべてが終わったら…水城の故郷へ連れていけ…私も干し柿を食べてみたい…いいな、水城…」


その言葉に水城は我慢できず涙が溢れた。
眠ってしまったらしいアシリパに気づかれないように水城は息を殺し涙を流し続ける。
自身の震える声を聞きながら水城はそのアシリパの言葉で救われた気がした。

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