(80 / 274) 原作沿い (80)

水城達はアイヌの男…キラウシと呼ばれた男と共にキラウシのコタンに向かっていた。
キラウシの元に同じコタンの子供たちが犯人が捕まったと知らせたからだ。
コタンにつけば村はざわめき立ち、男たちは殺気立っていた。
子熊の檻に男たちが集まっており、よく見れば子熊の檻に手首を縛り谷垣が捕まっていた。


「殺してはダメだ!!」

「でも逃がせば同じことを繰り返す!家畜を殺されれば俺たちが飢える!!」

「和人なんだから警察に連れていけッ!!」


近づくとざわめきが言葉として水城の耳にも入ってくる。
予想通りアイヌの男たちは谷垣の処罰について口論していた。
アイヌ達は谷垣が犯人だと思い込んでおり、あの興奮状態では言葉も通じないだろう。
『さて、どうするか…』と勿論庇うつもりはあるが、頭に血がのぼっているアイヌ達をどう説得するか考えているとアイヌの食糧庫に予想外の人物の姿が見えた。


(なんで尾形が…?白石達と一緒だったんじゃ…)


その人物とは尾形だった。
尾形は白石とインカラマッとチカパシと一緒に行動をしていたはずなのだが、なぜこのコタンにいるのか水城は首を傾げた。
そんな水城など気づかず、尾形は楽しそうに谷垣の裁判を見ている。


「警察に連れて行ってもたいした罪にならない!!家畜の次は俺達の女房や子供たちかもしれんぞ!!」


「ソンノソンノ!!」(そうだそうだ!!)


和人なのだから和人に任せるか、アイヌの地で起こした罪なのだからアイヌ流で罪を償わさせるか…この二つで意見が分かれていた。
しかし一際ガタイのいいアイヌの男が割り込んできた。


「俺達のやり方でこいつを裁く!!鼻と耳と足の腱を切る!!!」

「ネノ アンキ ロク!!」(そうしよう!)


どうもアイヌの中でも過激派らしく、物騒なことを言い出した。
アイヌの刑罰には死刑はない。
最も重いものに足の腱を切って不具にして追放するものがあると以前アシリパから聞いた話を水城は思い出す。
男の言葉に周りも同調し始め、水城は『まずいな』と焦り、このままでは本当に耳と鼻と足の腱を切られかねないと思い間に入ることにした。


「ちょっと待った」


水城は『話を聞いてくれ!』と叫ぶ谷垣と、そんな谷垣の声に聞く耳持たず刃物を取り出そうとする男の間に割り込んだ。
突然現れた和人に男は怪訝とさせ、睨みつける。


「オマエもこの男の仲間か!?どけ!!」


そう怒鳴りつけ拳を水城の顔に叩きつける。
しかし水城は身動き一つせず、殴られたため顔を斜めに傾けながら男を見つめ冷静な口調で続ける。


「まあまあ、落ち着きなって」


男は殴っても足一つ動かない水城を黙って見つめた。
冷静そうな口調の水城に男は逆上した様子はない…が、水城の腹に一発再び拳を叩きつける。
続いてもう一度顔を殴りつけ、一方的な殴り合いが始まってしまった。
そうなれば周りのアイヌ達もその場の空気に感化され興奮したように声を上げる。
水城は完全にアウェイだった。


「水城…ッ!!」


熱気が高まるアイヌ達を見てアシリパは脳裏に鈴川がいたコタンの光景を思い出す。
全て囚人とはいえ、アイヌの恰好をした男達の亡骸が転がっているあの光景だ。
信用していないわけではないが、また水城が暴走したら水城も罪人となってしまう。
顔を青ざめたアシリパの声は水城の耳に届いているらしく、殴られて少し血が付いた顔をそのままに水城はアシリパが駆け寄ろうとしたのを手で制し、ニコッとほほ笑む。
その顔はまるで『大丈夫だから』と言っていた。
その瞬間――――水城は一発、男を殴り返した。


「……………」

「……………」


一発。
たった一発。
相手は何発も殴りかかってきたのに、水城は一発の拳で自分よりも大柄の男を倒した。
男はピクリとも動かず仰向けになって気絶していた。
それを見てアシリパはスンッと真顔になり、谷垣は何とも言えない無表情で倒れた男を見つめていた。
ただ、尾形だけは一発だけで男を殴り倒した水城に拍手を送り上機嫌に笑う。
熱気が高まっていた周囲も、コタンの中でもガタイのいい男が一発で倒されシンッと静まり返った。
そんな周囲を気にも留めず、水城は谷垣に手を向け、アイヌ達に別の犯人がいると言う。


「犯人の名前は姉畑支遁…上半身に入れ墨がある男だ」


そう言って水城はなぜかコタンで別れた時よりもパンパンとなりはちきれんばかりの谷垣のシャツの隙間から指を入れ、ボタンを弾き飛ばす。


「この谷垣源次郎は寝ている間に犯人に田村銃を奪われたドジマタギだ!」


あらわになった豊満な胸に生えている胸毛を掴んで思いっきり引き抜いた。
ブチィ、と容赦なく抜かれる毛に谷垣は痛みに顔をしかめた。
水城は毛を風に乗せて放つ。


「私達が必ず姉畑支遁を獲ってくる…だから谷垣の処罰は待ってくれ」


ふぁさぁぁ、と風に乗って放たれた毛はそのまま風の軌道に乗ってアシリパに掛かり、アシリパはドジマタギの胸毛が鼻をくすぐられ派手なくしゃみをした。
人だかりの隙間から水城と共にコタンに帰ってきたキラウシが日本語が話せないらしい村長に通訳し、話し合う。


「三日やる…三日以内に真犯人とやらをここへ連れて来い…それまでその男は預かる…村の者たちにはその男への処罰を待たせる」


水城はキラウシの言葉に内心ほっと安堵した。
三日内のうちにあの広い森の中から一人の男を探せというのは無茶ぶりだが、ひとまずその場での谷垣の処罰は免れた。
どうやら焚きつけた男を一発で殴り倒した事によってアイヌ達も冷静になってくれたらしい。
それまで谷垣は牢屋代わりに子熊の檻に入れられることになった。


「それで構わない」


水城はアイヌ達の言葉に頷き、もう一回…先ほどより多く胸毛をむしった。
勿論、これは私情である。
とりあえず処罰は免れ、谷垣は子熊の檻に入れられた。
水城とアシリパは辺りに人気が少なくなったのを確認し、話を聞くために檻に入っている谷垣に近づく。


「あら子熊ちゃん、無駄に似合ってるわね…これからはそこで生活する?」

「…杉元…迷惑をかけてすまないとは思っている…だが…俺は確かに毛深いが人間だ…」

「そうなの?てっきりブブ(水城が拾った子熊)のお兄さんかと思ったわ」


にっこりと笑う水城の静かな殺意に谷垣はそっと目をそらす。
檻に入っているから安全…というその辺の獣と水城を同列に並べてはいけないのをここ最近谷垣は学んだ。
しかし棘のある言葉に谷垣は今回の事以外で水城が怒っていることに気づく。
しかし身に覚えはない。


「杉元…俺はお前に何かしてしまっただろうか…」


水城はおずおずと聞く谷垣ににっこりと笑っていた笑みを深めた。
しかし呟かれたその声は低く、怒りを込められていた。


「お前、尾形がコタンに来た事黙ってただろ」


その一言で谷垣は全てを察した。
『あっ』、と素直に声を零してしまい、谷垣は目線どころか顔ごと反らす。
にっこりと笑った顔は美人なのに、声は恐ろしく震え上がるほどだった。
そのギャップがまた恐怖を仰ぐ。


「す、すまない…話そうとは思っていたんだが……その…どう話せばいいか分からなくて話せず…」


本当に申し訳ないと思っているのかしぼむ声に水城も情にほだされるように怒りが収まっていく。
尾形と再会したばかりだったら一発殴っていただろうが、尾形と再会して時間も経過している。
怒りを持続させるほど谷垣に対して恨みも怒りもなかったため、次第に消えていったのだろう。
謝る谷垣に肩をすくめてみせた。


「まあ、いいわ…尾形が来るの分かってて何もしなかった私も悪いんだし」


さっき余分に毛をむしったのでそれでよしとしよう、と水城は怒りを収める。


「それで、姉畑の行き先とか聞いてないの?」


もう水城が怒っていないと安堵していた谷垣は水城の問いに少し考える素振りを見せるが、すぐに思い出し頷く。


「姉畑支遁と出会った夜に奴が話してたことがある」


インカラマッとチカパシが寝た後二人で暫く色々と話したことの事。
谷垣がマタギだと知ると、カモシカの話になった。
カモシカ…マタギ達にはアオシンと呼ばれるその動物に姉畑は興味を持った。
この時姉畑の『アオシン…味わってみたいです』というのは、食べる事だと思っていた。
だが今思えば…犯したいという意味だろう。
その時、シカを調査で探している姉畑に調査するなら湿地や草原の方を探したほうがいいとアドバイスをあげたが、同時に熊もいるからと注意した。
しかし、それが逆に姉畑の興味を持たせてしまった。


『やっぱりヒグマもそこに沢山来てるのですね?』


ゴクン、と喉を鳴らし上目で見つめる姉畑に谷垣は『ヒグマも調査するのか』と聞いた。
それに姉畑は頷いた。


『すごくすごく興味あります…あの力強く美しい生き物の事をもっとよく知りタイ…』


そう頬を赤らめ目を潤しながら語っていた。
その顔はまるで片思いしている少年のようだっと谷垣は語る。
谷垣のその話を聞き水城はギョッとさせた。


「それやばいやばい!!ヒグマに恋しちゃったら入れ墨ごと喰われちゃうじゃない!!!」

「水城!姉畑支遁がヒグマと出会う前に…!ウコチャヌプコロしようとする前に捕まえないと!!」


対象がヒグマであれシカであれ、どんな動物であれ、姉畑のしていることは許せないことだ。
ヒグマに喰われるかもしれないと焦りながら水城とアシリパは谷垣を救う事も含め、どうにかして姉畑を捕まえなければならなくなった。

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