池から上がり、水城は死んでいる姉畑へ歩み寄る。
「安らかな顔ね…」
顔を見ればやり遂げた顔をしており、死んでいると知らなければ眠っていると勘違いするほど姉畑の死に顔は安らかだった。
遠くでは死んだ熊をアイヌの男達三人が捌いていた。
三日が最終日の今日、水城達の帰りが遅いため尾形が谷垣を連れてコタンを逃亡し、それを追いかけてアイヌの男達三人がこの湿地にたどり着く。
そこで彼らも水城が見た姉畑の奇行を目撃したのだ。
おかげで谷垣の疑いは晴れたが、彼らの顔は引きつっていた。
「あのヒグマが人を殺してウェンカムイにならず済んだのが唯一の救いだ…」
アシリパは腹上死した姉畑をまるで鮭のようだと呟いた。
ただ、熊が人を殺さなくてよかったと安堵もしていた。
水城は『そうだね』と頷く。
アシリパは姉畑を見下ろしながらポツリと呟く。
「どうしてこんな馬鹿な真似をするんだろうな…熊に殺された人間は熊に好かれて結婚相手に神の国へ貰われていったのだという話もあるけど…」
「そのアイヌの話…姉畑先生は知ってたのかな」
「アイヌに詳しければ知ってたかもな」
アイヌの逸話や伝説などは動物の事も多く、水城はその話を聞き姉畑を見る。
チカパシ達の話からしてアイヌの事を知っていたようだが、その逸話を知っているかは謎だ。
今はもう亡くなってしまい確認する術もない。
「決死の想いも恋は成就せず…だったわけね…」
水城は自分と姉畑を重ねた。
変態なところは別ではあるが、動物に恋をしたが想いが通じず死んだ姉畑と、結ばれたが悲運が重なり生き別れ恋が実ることなかった水城。
似ていないが、恋が成就しなかったところは同じだった。
そんな水城の事情を知らないアシリパは水城の姉畑への同情の言葉にキッと睨む。
「おい水城!この男を哀れむのか?やめろ!姉畑支遁が本当に動物を愛していたならどうして最後に殺すんだ?姉畑もどこかで動物とウコチャヌプコロするのが良くないことだとわかっていたんだ…あとになってその存在ごと無かったことにしようなんて…本当に自分勝手だ…」
アイヌとして、動物は和人よりも身近な存在だった。
そんな動物を犯すだけではなく、その後殺して終わりなんて非道にもほどがある。
何も答えない水城をアシリパは見上げ、続けて問う。
「どうしてウコチャヌプコロする前によく考えなかったのか…そうすれば殺さずにすんだのに…なあ、水城!そう思わないか!?」
「…えっと……その…」
水城はアシリパの言葉になんて答えたらいいか迷う。
自分も女だから姉畑の気持ちを分かれというのは無理があるが、アシリパよりも男を知っている身としてはアシリパの疑問に素直に答えられなかった。
教えたらアシリパが汚れる…そう水城は思い言葉を飲み込もうとしたのだが…
「男ってのは出すもん出すとそうなんのよ」
「!?」
「オイ!やめろッ!!」
尾形がそれをぶち壊した。
髪をかき上げ告げる彼の言葉にアシリパは衝撃を受けたような顔を浮かべ、水城は慌てて尾形の口を手で塞ぐ。
「と…とにかく!!姉畑の皮を剥ぐからその間アシリパさんはあのアイヌの人たちがこっちに来ないよう見張ってて!!」
尾形の言葉をうけ、アシリパが水城を見て何か言おうと口を開きかけた。
それを見て水城は何か言われる前に話を遮ることにし、それは成功した。
納得していないアシリパの背を押し追い出す。
「ほら!あんたも行って!!ったく…なんで余計なこと言うかなぁ」
「本当の事だろ」
「本当の事でも言っていい事と悪い事があるでしょうが!」
確信犯も背中を押して追い出し、水城は遠くなる二人の背中に溜息を吐く。
「さて…皮を剥ぐか…」
腰に手を当て刃物を取り出し水城はキラウシ達に見られないよう遠くに姉畑の遺体を運び服を脱がす。
いらないのに下半身はもう脱いでいたので上を脱がされると姉畑は全裸となった。
その肌に水城は刃を入れ、姉畑の皮を剥いでいく。
案外皮を剥ぐ作業は力と気を使い、水城は全ての皮を剥ぎ終えると一息吐く。
ふう、と汗を拭おうとしたが、姉畑の血で汚れているのに気づきやめた。
「姉畑先生の事だから地獄でも動物を追いかけてそうだな…」
動物を殺し回っていたのだから当然地獄行きだろう。
地獄には動物を虐待した人間が落ちる地獄があるらしいが、動物を犯し殺したのだから姉畑はその地獄に落ちるだろう。
だが、水城は何だか姉畑なら地獄の動物たちをも追いかけそうな気がした。
◇◇◇◇◇◇◇
コタンではキラウシ達が持ち帰った熊を送る儀式が行われていた。
村長にはキラウシ達三人が冤罪だったことを伝え、何とか誤解は解かれた。
今回行われた儀式はカムイホプニレと呼ばれるもので、神の出発という意味の儀式である。
狩りによって獲った大人のヒグマを『送る』もので、コタンにある檻で育てた飼い熊を送るイオマンテという儀式とは別の儀式らしい。
水城達は今回の冤罪の謝罪も込めて宴に招待され、ついでに夜も更けたためこのコタンで泊まることになった。
「酒飲んで仲直りしようぜシサム(和人)の旦那たち!!」
宴というのもあって豪華な食事が振舞われた。
トノトという酒も振舞われ、水城は当分息子と会えないというのもあって注がれた酒を仰ぐ。
そんな飲みっぷりのいい水城に一人の男が近づき、肩を抱きバンバンと思いっきり叩く。
「杉元ニシパ!お前強いな!!俺は喧嘩で負けたのはお前が初めてだ!!娘を嫁にいらねえか!?」
「あんたの嫁ぇ??」
ニシパ、と言っているということはまだ水城は男と思われているらしい。
この男は水城に殴られて気絶していたため、尾形との熱烈キスをこの男は見ていなかった。
牛山の時もそうだが、アイヌのモテる男とは『力が強い者』が多いらしい。
水城はやんわりと断り、残念がる男に尾形とのキスを見てしまったキラウシ達は『だろうね』と訳あり顔で頷いていた。
「疑って悪かった…もっと飲んでくれ小熊ちゃん」
キラウシはアシリパが水城の方へ歩いていくのを見ながら谷垣に声をかける。
しっかりと調べず、犯人が持っていた銃を持っているのを見たことがあるだけで犯人と決めつけてしまった謝罪をしながらキラウシは谷垣に酌をする。
「え?ヘビ触ったの?怖かった?」
アシリパが来てくれたおかげでしつこい男から解放された水城だったが、アシリパの言葉に目を瞬かせた。
アシリパは蛇が嫌いで、白石が蛇に頭を噛まれただけで大騒ぎしていたくらいだった。
そんなアシリパが自分を助けるために大嫌いな蛇を触ったと聞き水城は嬉しくなる。
怖かった?、という問いにアシリパは頷きながら水城に手を差し出す。
「臭くないか?いっぱい洗ったけど…」
そういわれて差し出された手を嗅げば匂いはしない。
そう言ってもよほど蛇が嫌いなのか、次に尾形に手を差し出して嗅がせる。
尾形は猫のようにクンクンとアシリパの手を嗅ぐも、答えは水城と同じである。
「尾形、お前 誰も傷つけずに谷垣を逃がしたそうだな…水城はすごく疑ってたし私もちょっと不安だったけど見直したぞ」
水城が何度も信用できないと言ったため、アシリパも疑い始めていた。
だが、誰も殺さず傷つけず谷垣を連れて逃げたと知り見直したらしい。
そんなアシリパに尾形は『谷垣源次郎は戦友だからな』と憎まれ口をたたきながら呟き、それを遮るようにアシリパは尾形に手を差し出す。
反射なのか、差し出された手を尾形はもう一度嗅ぐ。
二人のやり取りに水城は『ケッ』とそっぽを向いた。
「アシリパ、お前に大事な話が…―――いや、手のニオイはいいんだ…もっと大事な話だ」
キラウシにグイグイお酌されていた谷垣が引き上げこちらに来た。
アシリパに伝えることがあるという谷垣の言葉を遮りまずはアシリパは手のにおいを確認させる。
一通り嗅がせて満足したのか、谷垣の大事な話を聞くためアシリパは座る。
「俺はフチの事を伝えに小樽から追ってきた」
谷垣はチカパシが言っていた通り、小樽からアシリパを追ってきたらしい。
そして谷垣はアシリパを追うとになった経緯を全て話す。
それを聞き、アシリパも水城も黙り込み神妙な表情を浮かべた。
「婆ちゃんが『二度と孫と会えなくなる夢を見た』って…たかが夢だろう?手紙でも送っておけよ」
尾形は信じなかった。
尾形からしたら孫と会えない夢を見ただけだ。
たかが夢である。
だが、フチは違った。
「フチは昔…ある夢を見た……自分の娘の周りに熊がたくさん集まって…『送っている』夢だった…そのあとすぐに私の母は病死で亡くなったとフチが話していた…だからなおさら夢占いを信じてるんだ…」
アイヌにとって、夢はカムイが自分たちに何か伝えたくて見せるものと強く信じられてきた。
アシリパなど若い者たちは信じているものは少ないが、フチのような年齢のアイヌ達だと信じる者も多い。
更にその夢がカムイが自分たちに伝えるための手段だというのをフチが信じる出来事があった。
それがアシリパの母でありフチの娘の死だ。
フチは昔アシリパの母が熊が集まり中心に横たわる娘の夢を見た。
その夢のあとすぐに娘は亡くなった。
だからこそ余計に信じてしまうのだろう。
グッと拳を握りフチを想うアシリパを見て水城は彼女に声をかけた。
「アシリパさん…一度帰ろうか?」
その言葉にアシリパはハッとさせ顔を上げ水城を見る。
水城はアシリパを心配そうに見つめていた。
「一度顔を見せれば『孫とは二度と会えない』ってフチが見た予言は無効になるでしょ?フチも元気になるわ…我慢、しなくてもいいのよ」
アシリパが心配しているならそれを安心に変えたいと思った。
水城自身フチには息子の事で世話になっているため、フチの不安も拭ってやりたいと思った。
しかし…
「子供扱いするな水城!私にはどうしても知りたいことがある!知るべきことを知って自分の未来の為に前に進むんだ!!」
アシリパもフチの不安を拭ってやりたい。
だが、自分にはやるべきことがあり、知るべきことがある。
父が本当にアイヌ達を殺して金塊を奪ったのか。
そのためにアシリパは小樽を離れここまで来た。
水城はその迷いのない言葉に強く頷く。
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