早く帰りたいなぁ、と日が暮れるのを見ながらそう思っていると白石がアシリパに気づく。
「あ!いたいた!アシリパちゃんだ」
「ほんとだ…良かった…無事だったんだ」
白石が指さす方へ目をやればアシリパの姿があり、水城はホッと安堵した。
アシリパだけではなく、インカラマッと谷垣も合流していたのか、二人の姿があった。
水城は速足にアシリパのもとへ向かおうとしたとき…
「キロランケニシパが私の父を殺したのか?」
アシリパの言葉に全員が立ち止まり、その場の空気が凍り付いた。
水城は『え?』と驚く白石の声を聞きながら静かにキロランケに視線をやる。
当の本人は突然の言葉に困惑したようだった。
「俺が?なんだよいきなり…」
咥えていた煙草を口から離し、突然脈略のない話をし出すアシリパに怪訝とさせた。
同郷の出でありアシリパの父を殺したと言われれば誰でもそうなるだろう。
アシリパの言葉に誰もが困惑し驚いているとインカラマッはある物を取り出して皆の前に出す。
「…証拠は馬券に付いた指紋です」
「指紋…?」
取り出したのはアメリカ人牧場主であるダンのところに向かう途中に立ち寄った競馬場の馬券だった。
そこにはキロランケの指紋がつけられていた。
指紋と言われてもこの時代では珍しく、まだ今の時代に比べて認知度は低い。
日本が正式に指紋鑑定を採用したのは明治44年からである。
「私は苫小牧の競馬場で男性方の指紋を採取し照合を依頼したところ、キロランケさんの指紋が数年前ある場所で採取されたものと一致しました……―――アシリパちゃんのお父様が殺害された現場です」
インカラマッは馬券を一枚抜き取っていた。
それがキロランケや白石、水城の指紋のついた馬券である。
水城は当時まだ男だと思い照合したのだろう。
まさかあのお馬鹿騒動がこんな事に繋がるとは思っていなかった。
「遺品のマキリの刃に指紋がついていたそうだ…父とは何年も会っていないと言っていたよな?」
「おいおい…俺が犯人なら監獄にいるのっぺら坊は何者だよ?」
「極東ロシアの独立資金にアイヌの金塊を持ち出そうとした…あなたのお仲間の誰かでは?」
誰でも殺人の疑いが掛けられれば焦るものだ。
キロランケは冷や汗を浮かべながら自分の無実を訴えた。
だがそれをインカラマッは許さないと言わんばかりに追い詰めようとする。
誰もがキロランケへの疑いを晴らせずにいたその時――
「ちょっと待った」
間に入るものが現れた。
カチャリとした音も聞こえ水城がそちらに目をやればそこには尾形がいた。
「この女…鶴見中尉と通じているぞ」
「よせッ!!何を根拠に…」
「谷垣源次郎〜…色仕掛けで丸め込まれたか?」
尾形は肩にかけていた銃をインカラマッに向けていた。
それを見て谷垣がインカラマッを庇いインカラマッと尾形の間に入る。
「殺害現場の遺留品を回収したのは鶴見中尉だ…つまり、鶴見中尉だけが指紋の記録を持っている」
「…!」
その言葉に谷垣は庇っていたインカラマッを振り返った。
インカラマッはギョッとしたような谷垣と暫く見つめあったが…
「鶴見中尉を利用しただけです」
それだけポツリと呟き答えた。
その言葉に、その向けられる冷静な目に、谷垣は何も言えず息を呑む。
そんなインカラマッに尾形は『大した女だな?谷垣よ』と鼻で笑う。
銃を下げる気のない尾形にキロランケが手で制し、下げる。
「俺の指紋と一致したなんて鶴見中尉の情報を信じるのか?殺しあえば鶴見中尉の思うツボだ…この状況がやつの狙いだろ?」
キロランケの言葉に誰もが言い返すことなく黙り込み、その場は静まり返っていた。
白石はチラリと水城を見た。
もしキロランケが本当にアシリパの父を殺したのなら、一番にこの女がキロランケに襲い掛かるだろうと思って。
しかし指紋だけの証拠に水城も動く気はないのかジッとキロランケを見つめているだけだった。
しかし、その静けさが白石には恐ろしく感じる。
「アシリパ…父親がのっぺら坊じゃないと信じたい気持ちはよく分かる…でもあんな暗号を仕掛けられる男がこの世に何人もいるはずない…アシリパだってあの父親ならやりかねないと…そう思っているんだろ?」
キロランケの言葉にアシリパは何も答えない。
答えられなかった。
その場は静まり返り、重い沈黙ばかりが落ちる。
「白石、この中で『監獄にいたのっぺら坊』と会ってるのはお前だけだよな?」
「本当にアシリパさんと同じ青い目だったの?」
この中で監獄に居て、のっぺら坊と接触していた唯一の人間は白石だけ。
尾形と水城の問いに白石は話を振られぎょっとさせながら顔を青くさせ答える。
「え?俺は一度も青い目なんて言ってねえぞ…あんな気持ち悪い顔マジマジと見たことねえよ…土方歳三が前にそれっぽいこと言ってた気がするけど…」
確かに白石から青目と言われたことはない。
白石曰く、のっぺら坊は揶揄ではなく本当に顔が無いのだという。
どうしてそうなったかは分からないが、そんな顔マジマジと見るほど白石は度胸はない。
それにのっぺら坊は黙々と入れ墨を掘るだけで白石や恐らく他の囚人ものっぺら坊と会話をしたことはないだろう。
「会話したことがない?じゃあどうやって集団脱獄を企てて実行できたのよ」
「脱獄の計画はすべて土方歳三を通じて俺たち囚人に伝えられたんだ…俺はのっぺら坊と会話なんてしたことねえよ」
「……………」
再び、誰もが口を閉じる。
その場の全員の脳裏にある男の姿が…土方歳三の姿がよぎった。
(のっぺら坊は本当にのっぺら坊なのかしら…確かにこんな真似が出来るような奴はそうそういないわ…―――ひょっとして…すべて土方歳三が仕組んだことなのでは…?)
話を聞いていた水城も疑心暗鬼となりつつあった。
何が正しく、何が間違っているのか。
水城も話だけでは分からない。
土方に聞いてもどうせはぐらかせるか偽りを言われるのは目に見えている。
「俺の息子たちは北海道のアイヌだ…金塊はこの土地のアイヌのために存在している…俺の目的はインカラマッと同じはずだ」
誰もが自分の言葉を信じ切れずにいるのを肌で感じ取り、キロランケはアイヌの男としての言葉を告げた。
だが、それもまた怪しく聞こえてしまう。
誰もが何も言わない中、白石が耐えきれないと言わんばかりに顎を掻きポツリと呟く。
「それで…どうするんだよ…みんな疑心暗鬼のままだぜ?」
「誰かに寝首をかかれるのは勘弁だな」
白石の言葉に尾形も同調する。
誰もが疑心暗鬼となり、隣人でさえ疑いかけたその時―――
「行くしかないでしょ」
水城ははっきりと答えた。
その言葉に一同ハッとさえ水城を見る。
水城は銃を抱えなおし、全員を見つめ続けた。
「のっぺら坊はアシリパさんの父親なのか、違う男なのか…会えばハッキリする…網走監獄へ行くっていうのは最初からずっと変わらないもの…」
確かに、と一同は納得しかけた。
しかし…
「インカラマッとキロランケ…旅の道中もしどちらかが殺されたら……私は自動的に残った方を殺す!!…これでいいかしら?」
その言葉にその場の温度が一気に下がったのを白石は感じた。
それも気づいていないのか、それとも気づいても無視しているのか。
水城は自分の殺意ある言葉に強張る仲間(特にキロランケとインカラマッ)を見て『なんてね!アッハッハ!』と陽気に笑った。
しかしそれを冗談として受け止める人間はこの場にはおらず、笑っているのは水城だけだった。
白石は水城の恐ろしさを再確認したという。
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