水城の許可も得たという事で土方は『では、失礼する』と一声かけて水城の前に移動して手を伸ばす。
「……………」
「……………」
そっと水城の顔にある傷に触れる。
その手はとても優しくて、まるで壊れやすい物に触れるように慎重だった。
土方とこうして間近で顔を合わすのは初めてで、水城は自分に触れる土方を見る。
(やっぱり鬼の副長というのもあるのかしら…囚人だったと思えないくらい年齢に対して老けてないわね)
土方の年齢は70歳ほどだ。
しかし普段のしっかりした様子やその辺の若い男達とは比べられない強さを持っているからか、到底70歳とは思えないほど若々しく見える。
しかし顔のシワや髪の白さ、声の渋さから、体は若く見えてもやはり老人なのだろう。
だがそれを分かっていても、土方の生気溢れる姿は人を魅了する。
土方の灰色の瞳に魅入るように見つめていると、水城の傷を愛でていた土方の指がスッと横一本線を描く傷痕に触れる。
「この傷はどのように負った傷だ?」
そう問われ水城は一瞬土方から視線を逸らす。
横一本線の傷痕は所謂不名誉の傷だ。
他の体にある傷痕のように戦場で負ったわけでも、最近の戦いで負った傷でもない。
暴漢であり強姦魔である男の手に付けられた忌まわしい、忘れたい傷痕だ。
この傷のせいで母は悲しみ泣いた。
母を悲しませてしまったのだ。
父と母を大事にしていた水城からしたらつけられた傷ではあるが、忘れたい傷であった。
「これは…この、傷だけは…言いたくない…」
誤魔化すこともできた。
適当に言ったって土方には気づかれることはなかっただろう。
だけど、老人にしては力強い目が誤魔化すことを許さなかった。
誤魔化せないから、水城は濁らせる。
しかし深く追求するつもりはないのか、水城の濁らせた言葉に『そうか』と返し、土方から見て左にある頬まで流れる傷に触れる。
『これは?』と再び問いてきたので水城はその傷の原因を話す。
目立つ傷は覚えているが、流石に体全ての傷痕の原因は覚えていない。
ただ、顔だけは三本の線全て覚えていた。
その説明に土方は大人しく聞き、目を細める。
(女とはなんとも不思議な生き物だ…本来顔を傷つけられれば女は嘆き悲しむというのに……吹っ切れたのか開き直っているのか…どちらにせよこの傷も含めこの女は美しい)
水城の説明を聞きながら土方は上機嫌に目を細め笑った。
土方も水城を間近で見るのはこれが初めてだった。
ずっと遠目で見ていた顔がこんな近くにある、というのはなんとも不思議で、心が躍った。
大志を抱き近藤という男に惚れこみ新選組の副長までになった自分だが、好いた女がいないわけではなかった。
土方には琴という婚約者がいた。
兄達が勝手に盛り上がり婚約者となった女だが、嫌いではなかった。
しかし、その婚約が果たされることはなく今に至っている。
女とは数回会ったが、とても美しく出来た女性だった。
その婚約者に感じた感情が、70にもなった今土方の体に流れていた。
それを恋と呼ぶのか、それともただの興味と呼ぶのかは定かではないが、好ましくは思っている。
「この傷は?」
そんな土方に気づかず、水城は大人しく土方が傷を触れるのを許していた。
大人しくする水城に次の傷に触れる。
そこは反対側にある目元から顎まで伸びる傷痕だった。
ツ、と傷痕をなぞる様に触れる土方の指は唇に触れた。
その傷が唇まで伸びていたからだ。
ふに、と一瞬であるが水城は思わずドキリと胸が鳴った。
それが緊張からか、単純にドキリと胸を弾ませたかは水城には分からない。
しかし表情を変えない土方を見て、恥ずかしがるのはなんだか意識しているのは自分だけだと思われそうで嫌だった。
何とか平然を装って傷の説明を淡々と続ける。
(見れば見るほど女にしか見えないな…やはり見た目や思い込みという事だろうか)
無反応に見えた土方も平然と装っているが、土方は水城の唇に触れた瞬間感情が高ぶったのを感じた。
それは男としての自分である。
行動を共にしている間、何となく水城を観察していると水城は鈍いことが分かった。
勿論戦闘能力は特化しており、その辺の男よりも何倍も彼女は強いし、敵わないだろう。
そもそも牛山さえ認めたのだから敵うはずがない。
これが新選組だったら、女が、規律が、男として生まれなかったのが惜しい、と思っていたかもしれないが、今は女人禁制の組織ではない。
むしろ今は男と対等に戦える能力を得るのにどれほどの苦労と辛さを積み重ねてきたのだろうかという同情と哀れみ、そして女でありながらその強さを得たことへの敬意だけだった。
(よく今まで無事でいられたものだ)
チラリと土方は水城の体を見る。
水城はまだ浴衣の姿のままだった。
白石達は普段着のまま温泉に行ったのでそのまま普段着に着替えれることができたが、水城は通報されるのを防ぐため浴衣姿で温泉に向かった。
着替え終えてすぐこの部屋に連れ込んだので普段着とは違う姿を土方達に見せていた。
まず、目につくのはやはりその胸の大きさだろうか。
女遊びに慣れていた土方さえその胸に目線を向けてしまうほど水城は豊満で女性的な体をしていた。
きっちり着付けされているせいで谷間は見えないが、着物と違って薄い布の浴衣では普段隠れている体の線さえくっきりと男達に見せつけ、浴衣は水城を見事に艶っぽく飾り立てていた。
普段見せない女の姿だからかもしれないが、傷痕があろうと土方はいつも以上に水城を女として見てしまう。
聞けば好きで男装しているわけではなく、19歳までは普通の女性として生活をしていたという。
男装姿しか見たことがないため流していたが、こうして女性らしい姿を見るとよく無事でいられたなと感心する。
実際は無事ではないが、勝手に惚れたと言って女をつけ回し冷たくされて殺すなどという事件は昔から多くある。
よくその被害者ならなかったな、という意味も込められていた。
再びその傷に触れるように装いながら土方はもう一度唇に触れ、そして次は首元へと手を滑らせる。
ツ、と顔から首筋を撫でるように指を滑らせ首筋に残っている傷痕に触れる。
その土方の指に水城は肩を揺らして反応し、その反応がまるで初心な少女のようで土方は目を細めた。
「この傷…銃弾を受けたのか?よく死ななかったな…」
首筋にある傷は一つだけだった。
その傷は顔とは違い切り傷ではなく、銃弾を受けたのか丸く残っていた。
丸い縁をなぞる様に触れると水城は苦笑いを浮かべる。
「これは流石に死ぬなって思ったけどね…案外致命傷でもなんとか生き残れるみたいよ」
「それだけ運が良いという事だろう…女の身で戦場に立ち、生き残れるほどの豪運だ…驚きはせんな」
運だけで戦場を生き残れるわけではないのは土方も知っている。
だが、運がなければそれこそ死ぬだけだ。
運も実力も水城には備わっていると土方は認める。
土方は『そう?』と褒められ照れ臭そうに視線を外して笑う水城に笑みを深め、指の背で頬を撫でる。
傷を見るのではなく頬を撫で始めた土方に水城は視線を土方へと戻す。
灰色の瞳と、琥珀色の瞳が合わさった。
水城の美しい瞳の中に自分が映っているのを見て微笑み、撫でるその手を下へと滑らせ、再び首筋へと触れた。
「…っ」
土方のその手に水城は色を感じた。
そのせいか息を呑み顔を背けてしまい、露になった首筋を土方は愛でるように触れる。
水城は唇を噛み熱くなった吐息を吐き出すのを我慢し、そっと土方の手に触れ拒む。
「……もう、いいでしょ?」
意味ありげに触れる土方につい頬を赤らめる水城に土方は男として満足げに笑みを浮かべる。
そっと首筋から押し返すように離す水城の手を土方は握る様に軽く触れる。
その手に水城は逸らしていた土方へ視線を戻し、再び二人の目線がぶつかった。
「変なこと、しないって…言った」
鈍い鈍いと言われても、水城も流石にここまでされて気づかないほど鈍くはなかった。
頬を赤らめて恨めしそうに上目遣いで呟く水城は男心を擽る女そのものだった。
これが不死身と名付けられた化け物の正体かと思うと土方は愉快でならなかった。
「そうだな…すまない、悪戯が過ぎたようだ」
正確には、土方はそんなこと一言も言ってはいない。
だが水城に触れたということ=言ったも同然となる。
約束は約束だし、流石に遊女でも娼婦でもない女を無理に抱き込むことはできず、そもそも時間がない。
土方は水城から手を放す。
しかし土方は名残惜しいとばかりにするりと水城の手を撫でるように放した。
女を誘う仕草を自然と出せる土方に水城は『流石おモテになられただけあるわ』と内心溜息を吐く。
同時に『土方側の男って碌な奴いないわね』と脳裏に尾形、牛山、家永を思い浮かべた。
唯一男として信用できるのは、永倉と、手下である元ヤクザの夏太郎くらいだろうか。
「じゃあ、私もう行くから…写真の事お願いね」
そろそろアシリパが心配しているだろうと思い水城は退室しようと腰を上げようとした。
しかし土方に手首を掴まれ水城は目を丸くし土方を見る。
「…なに?まだ何かあるの?」
もう土方の戯れは済んだと退室しようとしたのに手を取られ水城は座り直す。
怪訝と見つめる水城に土方は上機嫌のまま笑みを深め…
「私の下に付く気はないか」
そう水城に問いかけた。
その言葉に水城は怪訝とした顔から険しい表情へと変わり、
「あると思う?」
と、答える。
しかしその答えは土方も読んでおり、表情は変わらず上機嫌に笑うままだった。
断られた土方は手を放すでもなく掴んだまま水城の鋭く光る琥珀色の瞳を見つめる。
「では、この争奪戦が終わった後でも構わない…私と共に行かないか」
今度はこの争奪戦が終わった後の事を問いかけてきた。
それはすなわち、土方と共に国を相手に戦えと言っている。
水城は『さっきとどう違うのよ』と、相手が変わっただけの問いに内心溜息を吐く。
「悪いけど私の未来はもう決まっているの…あなた達とは一緒の道を歩めないわ」
『ごめんなさいね』と謝り水城は土方の手を外して部屋を出て行った。
土方は特に慌てることなく静かに水城の後ろ姿を見送った。
「断られてしまいましたな」
土方一人となった静まり返った部屋に男の声が落ちる。
そちらに目をやれば先ほど水城が出て行った入り口に永倉が立っていた。
永倉の言葉に土方はクスリと笑う。
「仕方ない…断ると分かっていたことだ」
「それなのになぜ杉元を誘うのです…それもあんな誘惑までされて…―――もしや、本気になったと言わないですよね?」
永倉はずっと部屋の外で隠れて二人の会話を聞いていた。
盗み聞きというよりは水城の監視だろうか。
仲間となり行動を共にしてはいるが、だからと言って全て信用しているわけではない。
土方組に括られる連中にだって永倉は慕う土方と未熟な夏太郎以外心から信用していないのだ。
事前に永倉は土方に水城を勧誘するとだけ聞いていた。
それが何故か水城に意味ありげに触れはじめ、内心永倉は動揺していた。
確かに土方は若いころモテていたし、女遊びも派手だった。
だが50も下の女…それも傷だらけで戦闘に長けた男のような女に、だ。
永倉の言葉に土方はフッと笑い、永倉を流し目で見る。
「永倉…年を取って枯れたか?あんな良い女を目の前にして口説かない男などいないだろう?」
「正気ですか……あれはじゃじゃ馬どころじゃありませんよ…」
良い女、というのは永倉も認める。
男のような女と言ったが、あの浴衣姿を見せられれば良い女というのは否定できないだろう。
だが、色や情で制御できるようなその辺の女と一緒にしてはこちらが痛い目に合う事は目に見えている。
まだ頭の軽い女を引き入れた方がどれだけ制御しやすく扱いやすい。
その被害は恐らく自分に回ってくるだろうというのも分かっていた。
だからクツクツと楽し気に笑う土方を呆れたように見つめた。
「純粋な戦力という意味では私も杉元を歓迎しますが…あれは"毒"です」
「ほう…毒、か…」
「ええ…あれは男を惑わす毒だ……現に尾形や貴方はその毒に侵されている……あの強さでその辺の奴らに手を出される心配はないでしょうがいつかは仲間内で問題が起こります……色だけではない…強さも厄介な魅力です」
永倉の言葉に土方は『ふむ』と顎鬚を撫で水城が去っていった方へ視線を送る。
確かに、と納得していた。
土方も副長として多くの男達を見てきた。
新選組に集まった者は、自分や近藤や沖田や永倉などの男達に憧れて入る者も多い。
自分たちを見る彼らのその目は盲目的で、輝き、強さを見せてくれた。
まだ自分たちは同性だったから保ってこられたのだろう。
だが、水城は女である。
水城の力に純粋に慕う者もいるだろうが、性別が女というだけで情や色を抱く者も多いだろう。
男は女に焦がれ、そして強い力に盲目的に憧れる。
その両方を備わっているのが水城だ。
土方は水城達が経験した戦争の経験はない。
だが、戦場を知っている。
男でも恐れる命の取り合いに水城は女の身でありそしてそれを隠しながら身を投じ…生き残った。
女だ男だという以前に、一人の侍として、水城は運やその強さは尊敬できる人間であった。
だからだろうか。
土方は水城に強く惹かれている。
だからだろう。
永倉はそれを恐れていた。
永倉の例えに土方は否定しなかった。
現に、永倉が恐れた通り都丹との再会後水城に触れようとした土方を尾形は牽制した。
土方だってそれを分かっているはずなのだ。
だが、分かっていても土方は水城を好ましく思っている。
土方は水城という"毒"に侵された男の一人なのだ。
心配する永倉の言葉に土方はフッと笑った。
「永倉…この私が、毒に侵されたからと腕が鈍るとでも思っているのか?」
「…!」
「確かに私はあの女が欲しい…しかし、私の大志は"たかが女"のために諦めるほど軽く…小さくはないぞ」
永倉の言いたいことは分かっている。
永倉は自分を心配して言ってくれているのだろう。
土方もまさか70にもなって女に興味を持つことになるとは思っていなかった。
しかし土方はその感情を受け入れた。
そして水城を欲した。
勢力として、女として。
だが、土方は己の抱く大志の前ではそんな感情切り捨てることができる。
水城に惚れているからと言って敵となり切り捨てるのを戸惑うほど土方はもう若くはない。
土方は水城と対峙しても恐らく、切り捨てることができる。
そうやって生きたから鬼の副長と呼ばれるようになったのだ。
水城がいなければ土方の夢は叶わないわけではない。
水城がいなくとも土方の想いも、その勢力も、何ら変わらないのだ。
永倉は土方の言葉に口を閉じ頭を下げた。
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