(113 / 274) 原作沿い (113)

二発の銃声が辺りに響く。
ジャギ、と音を立てて水城とウイルクを撃った人物―――尾形は新しく弾を入れ替える。
用無しの弾が地面に落ちる音を聞きながらもう一度水城に向けて弾を撃った。
しかし、その弾は水城の顔ギリギリに着弾し、外れる。


「もう少し左か…?」


尾形は双眼鏡を覗き込み、外れた場所から計算しなおす。
双眼鏡を覗き込めば水城の顔が視界に写る。
気を失っているのか、はたまた死んだのか。
水城は目を瞑りピクリとも動かない。
だがその上にはのっぺら坊が覆い被る様に倒れており尾形はその光景を見てクツクツと笑う。


(まったく…とんだバケモンだよ、お前…あれは考えての行動じゃねえな…本能か…だからお前は不死身と呼ばれるんだろうな)


のっぺら坊が上に覆い被さる様に倒れているのは、水城がそうさせたのだ。
水城の行動を見ていたが、のっぺら坊を撃った瞬間水城はのっぺら坊を盾にするため手が彼の服に伸びた。
それは考えての行動ではないのを尾形は気づいている。
それは水城が生きようという本能がそうさせたのだ。
そのせいか計算が狂い水城の額には当たらず、左上の頭に当たったのだ。
それでも致命傷ではあるのだろう。
だが、彼女の異名は『不死身』だ。
こんな傷で死ぬとは尾形も思えなかった。
クツクツと笑っていた尾形だったが、その笑みがスッと消える。


「水城…残念だ…お前を囲うのも手懐けるのもどうやら無理なようだったな……本当に、残念だよ水城…」


水城の体は手に入った。
あとは手懐け、心を手に入れれば完璧だと思っていた。
だが、どうも心に何重もの鍵を掛けているようで、結局手懐けるのは無理だと尾形は判断した。
残念だと思い、そして勿体ないとも思う。
水城ほどの女などきっともう現れないだろう。
なのにそんな女を己の手で殺すことを選んだ。
しかし、それに反して気持ちが今まで以上に高揚していた。
あの不死身をこの手で殺せることへの優越感、そして興奮。
あの殺しても死なないような不死身を自分が殺すのだ。
鶴見の悔しがる顔が浮かんだ。
しかし同時にあの男の恨みも買うだろう。
そう思うと高揚し興奮していた気持ちが少し降下していくのを感じ、苛立ちを表すように舌打ちを打つ。


(まさか鯉登少尉と恋仲だったとはな…あんなボンボンのどこがいいんだか…水城、お前は見る目ねぇなぁ…)


その男とは、鯉登音之進の事である。
水城は鯉登と恋仲だったのだ。
それがまた腹立たしさを感じさせる。
尾形と鯉登は水と油のごとく気が合わない。
見ているとイライラするのだ。
それが単に嫉妬だとしても、気に入らない相手を好いている女など尾形は必要とはしない。


(水城…お前よぉ、あのボンボンを愛しているんだろう?だからあの時俺の言葉には返せなかった…)


行為中、聞いたあの質問。
鯉登を愛しているかという問いに水城は答えなかった。
だが、その瞳は尾形の問いに答えていたのだ。
水城は今でも鯉登を愛している。
その瞬間、尾形は水城を殺すことを決めた。
囲えるなら死ぬまで愛してやろうと思っていた。
その時の気分次第では息子を迎え入れることだって考えてやってもよかった。
だが、他の男の腕に収まるのなら水城を殺すと…尾形は決めていた。
その決心は今も揺らいではいない。


「安心しろ、水城…あいつは俺が責任持って育ててやる」


あいつとは息子である静秋の事だ。
息子だという認識は一応はある。
自分にそっくりなのは気味が悪いがあの琥珀色の目は気に入っていた。
同じ顔だがあの目がある限りあの息子は自分と水城との間に結ばれた縁だと嫌でも分かるため、似ていることもそれほど悪い事ではないのかもしれない。
尾形は息子から母を奪うというのにそう呟き笑いながら引き金を引こうと指に力を入れる。
軌道を修正し、この一発で水城を殺す。
そう尾形は思っていた。
しかし…


「―――!」


水城の体が動いた。
やはり水城は生きているのかと思ったが、どうやらそうではないようで水城の足元を見る。
水城の足首を誰かが握って引っ張っているのが見えた。
双眼鏡で覗けば見覚えのある袖口が見えた。
尾形はその腕目掛けて一発、放つ。


「マタギ野郎が…邪魔をするつもりか」


それは谷垣の腕だった。
その腕に水城を殺すはずだった弾を当てる。
だが谷垣は怯まず水城に覆い被り水城を守る。


(何を考えてやがる…お前がそいつを守る理由なんざないだろうが)


水城と仲間だからか、と尾形は考えるがすぐに消し去る。
今はそんなことどうでもいい。
やっと水城が手に入るかもしれない機会を谷垣の邪魔によって逃すかもしれないのだ。
尾形は苛立ち弾を入れ替える手も乱暴になる。
しかしもう一発谷垣の体にぶち込もうとしたとき、谷垣は水城の服を噛み、そのまま体を起こして水城を持ち上げ物陰に隠れてしまった。
こうなっては谷垣どころか水城も殺せない。
尾形は舌打ちを打ち構えを解く。


「やっと俺の物になるはずだったんだがなぁ」


生きて飼うのもいいが、殺して永遠と己の物とするのもいい。
やっと長い間求めた水城の命が自分の手の中に納まると思ったのにとんだ邪魔が入った。
風向きが変わり煙が視界を覆ったため、尾形はその場から立ち去る。



◇◇◇◇◇◇◇



谷垣は銃声が聞こえないのと視界に煙が覆ったことに狙撃手が諦めたと判断し、肩の力を抜く。
アシリパの父は完全に息を引き取っており、谷垣は水城の生死の確認を取る。
口元へ手を当てれば微かだが息をしており、何とか生きていることにほっと安堵する。


「杉元…やはりお前は不死身だ…」


まだ安堵は出来ない。
今の水城は虫の息なのだ。
次の瞬間息を引き取っているかもしれないのだ。
とりあえずキロランケ達と合流するため肩に水城を抱え、アシリパの父を腰ひもを掴んで引きずる。
はあはあと息を荒らしながら煙の中を進む。
もしかしたら狙撃手は諦めていない場合も考えて、だ。


「早くインカラマッ達と合流しなければ…」


息を荒らしながらなんとか正門へ到着し、疲れ果てた体では重く感じる門を一人で開ける。
しかし、開けた先に広がる光景に谷垣は愕然とする。


「ッ―――インカラマッ!!」


門を開けた谷垣の目に写ったのは背中を向けて倒れるインカラマッの姿だった。
谷垣は苦し気に声を零すインカラマッの姿にのっぺら坊と水城をその場に起き、インカラマッに駆け寄る。


「どうしたッ!!何があった!?」


抱き起こせばその腹にはアイヌのマキリが刺さっていた。
そのマキリを見て谷垣は嫌な予感を過らせる。
抱き起こす谷垣にインカラマッは息も絶え絶えに告げる。


「ウ…ウイルクが…撃たれた時……キロランケがどこかに合図していました…」

「!――キロランケが…」


その言葉に谷垣は目を丸くする。
嫌な予感が当たったと思う。
あの場にいるアイヌなどインカラマッとアシリパ、そしてキロランケしかいない。
インカラマッは鶴見の内通者であったが、それでも嘘を吐いているとは思えなかった。
思わずインカラマッを抱く力を強くしてしまったその時――――


「谷垣源次郎一等卒」


その声に谷垣は息を呑んだ。
目を見張り静かに後ろを向く。
そこに立っていたのは…元上官である鶴見と、元同僚だった第七師団の兵たちだった。


「鶴見中尉殿…」


唖然と呟く谷垣に鶴見はにんまりと目を細め笑った。
そして息絶えているのっぺら坊と、その傍に倒れている水城を見下ろし、静かに水城の傍に歩み寄る。
首に手を当てればわずかだが脈があった。
水城は頭から血を流していながらも生きているのだ。


「虫の息、か……流石不死身の杉元だ…」


うっとりと水城を見下ろす。
鶴見は今、不死身と呼ばれるほどの脅威の豪運を目の当たりにしているのだ。
傷跡から射撃されたのだろう。
致命傷を外されているとはいえまだ息があることに鶴見は驚き、そして興奮する。
しかし、後ろからポツリと呟かれた声を聞き、鶴見はその声の主―――鯉登へ振り返る。
鯉登は尊敬してやまない鶴見ではなく、不死身の杉元を見ていた。
水城は旭川の一件以来二階堂だけではなく鯉登にも目をつけられた。
彼の死んだ恋人の情報を持っているかもしれないからもしも捕らえたら自分との面会の許可を欲しいと言ってきたときは目を細めた。
眩しかったのだ。
死んだ恋人がまだ生きていると思いたいその若さに、鶴見は眩しく見えた。
どんなに情報を探ろうとその恋人は死んだとしか思えないというのに。
両親や恋人の母親にさえ諦めろと言われても諦めきれないその若さが眩しく、羨ましいと思った。


「どうした?鯉登少尉」


だから可愛がった。
自分を慕う健気さも、恋人が生きていると信じたいその健気さが可愛くて。
目を丸くして不死身の杉元を見つめる鯉登に鶴見は少し怪訝そうに問う。
いつもの彼ならば軍人よろしく返事するのだが、今の彼はそんな余裕がないように見えた。
唖然とする彼はゆっくりと口を開き…


「雪乃…」


そう恋人の名を囁いた。
鯉登はまるで幽霊を見るかのように水城を…雪乃を見つめていた。

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