(118 / 274) 原作沿い (118)

それから水城は全治し、ついにアシリパを奪還するため海を渡っていた。
インカラマッの情報からアシリパを連れたキロランケ達は樺太へ向かったと推測された。
のっぺら坊であるウイルクは7人のアイヌを殺した後、金塊を少量持ち樺太へ向かう途中で捕まったらしい。
鶴見は確かな情報を持って本隊を動かすつもりだったと読んでいる。
アシリパという重要な鍵を入手した今、キロランケは仲間と合流する可能性が高いとも読む。
パルチザンにアシリパを確保されれば厄介だと鶴見は言ったが、水城はそんなことどうでもよかった。
アシリパの父親がテロリストであろうと、パルチザンという存在も、アシリパが重大な鍵だという事も…水城にとって奪われたアシリパを取り返し、頭をブチ抜いた尾形を殺すことだけが重大だった。
そこで鶴見は樺太へ向かう少数精鋭の『先遣隊』として、水城、谷垣、月島、鯉登を編成し、樺太へ送る。
陸軍だった水城は船は物珍しく、どこか落ち着かなかった。
気持ちばかり樺戸に向かっているような気がして、焦る気持ちを誤魔化すため傍にいた谷垣に声を掛ける。


「谷垣…いいの?インカラマッの傍にいなくて…」


谷垣とインカラマッはすでに"そういう関係"らしい。
あの夜…チカパシが無理やり二人をくっつけようとしたとき、インカラマッの気持ちを聞き、谷垣は改めてアイヌのやり方で告白すると決めたらしい。
インカラマッにも伝えており、実質二人は両想いだ。
だからこそ、谷垣が今インカラマッから離れていいのかと問う。
インカラマッは鶴見と通じてはいたが、二人の想いは変わらない。
インカラマッは水城と違い普通の女性、普通の体であるため今もキロランケから受けた傷で苦しんでいる。
そんな想い人の傍にいなくていいのだろうかと水城は心配そうに谷垣に聞いた。
水城の気遣いに気づいた谷垣は笑みを浮かび首を振る。


「大丈夫だ…必ず戻るからそれまで死ぬのは許さんと伝えた」

「…そう…ならいいけど……私、あなたを守れないわよ」

「おいおい…俺も軍人だった男だぞ?お前ほどの力はないが自分の身くらい守れるさ」


谷垣の言葉に水城は『ああ、そうだったわね』と返した。
水城は一瞬死んだ幼馴染が浮かんだ。
妻と子を持った男だった。
だけど、その男は妻と子を残し死んだ。
谷垣は幼馴染に似ているのだ。
姿ではなく、妻(インカラマッ)と子(チカパシ)を持った男というところが。
だからついぽろっと言ってしまい、谷垣の言葉に我に返った。
苦笑いを浮かべ『ごめん』と謝りながら水城は谷垣から離れ、上甲板に出て潮風に当たる。


(寅次…私はダメね……あなたを失って一番辛いのは梅ちゃんと二人の子供なのに……まだあなたの死が乗り越えられない…)


ザザ…、と波の音を聞き潮風に当たりながら水城は遠くを見る。
目を瞑ると幼い頃の記憶と共に戦場で共に戦った彼の姿が浮かぶ。
彼に対してすでに恋心はない。
だけど、初恋の彼を特別には思っている。
水城は目の前で彼を失ったショックをまだ引きずっていた。
守ると決めたのに守れなかった。
アシリパもそうだ。
傍にいると言っておいて今彼女の傍には水城はいない。
水城はつくづく自分の約束の守れなさに呆れかえる。
その時、水城はふと視線と何か囁いている小声が聞こえ後ろへ振り返る。
そこには物陰に隠れこちらを覗き込む数人の海兵がいた。
その海兵たちは水城と目と目が合うと慌てたように地位の低い一等卒だった水城に敬礼をし、声をかけるでもなく散っていった。
その様子に水城は首を傾げていると…視界にある人物が入り込み水城はその海兵たちからその人物に全ての意識を向け、姿勢を正す。


「そうかしこまらんでよか」


背筋を伸ばす水城に平二は苦笑いを浮かべる。
だがその表情は少し悲しげだった。
水城に余所余所しくされたこともそうだが、何より女の身でありながらも反射的に上官を前に姿勢を正す姿が平二には悲しかった。
本当なら軍人など家族以外とはそれほど関りが薄く、今頃息子の妻となっていたはずなのだ。
可愛い姪の顔にでかでかと我が物顔に残る傷跡がこれまでの壮絶な人生を歩んだ証拠でもあった。


「うちん若かもんがすまんな」


隣に歩み寄り、そう平二はポツリと呟いた。
その言葉に水城は怪訝とさせ首を傾げたが、『若いもん』という言葉に思い出す。
若いもんとは、先ほどの海兵たちの事だろう。
それは分かったが、なぜ平二が謝るのかが分からなかった。
首を傾げる水城の表情でそれを読み取ったのか平二はチラリと周りを見る。


「『不死身の杉元』……そん名は海軍にも届いちょっ…みんな噂ん人物を一目見ろごたっとじゃろう…なんせ軍は閉鎖的な場所じゃっでな…」


水城も平二の視線に気づき、同じく周りへ目をやった。
そこにはチラホラと作業をする海兵たちがいるが、何名かチラチラと水城と平二の方へと視線を向けていた。
勿論仕事はきっちりとしており、手を抜いていないため平二も戦争ではないということから黙認しているのだろう。
その海兵たちの視線は主に水城に向けられていた。
不死身という名はどうやら海軍にも多少なりとも届いているらしく、先ほどの海兵たちも噂の軍人を一目見ようと覗いていたらしい。
鶴見が女だという事を隠してくれているおかげで、この船で水城が女だと知っているのは数人だ。
水城は自分の事なのだがどこか他人事のように聞こえた。


「じゃっで少しだけ見逃してほしか…じゃっどん、もし度が過ぎちょったらゆてくれ」


水城は平二の謝罪に首を振る。
平二の言葉や気持ちは分かる。
軍には娯楽がない。
戦争を終えた今も多くの軍人がいつ始まるか分からない戦争のために訓練し備えているが、軍人も人間だ。
娯楽がなければ息が詰まる。
水城は更にそれに加えて吉平との関係もあって他の軍人よりストレスが強かった。
だから先ほどの海兵たちの気持ちも、それを黙認する平二の気持ちも分かる。


「平和の証拠です」


海兵が浮かれているのは緊張感がない証拠で、樺太に向かう先遣隊の水城達ならまだしも彼らはただ先遣隊を送るだけの仕事だ。
平和なのは良い事だ。
水城はそう呟き、チラリとある方向を見る。
その先には鯉登がいる。
視界に入る場所にはいないが、きっと今頃は船酔いに苦しんでいるだろう。
彼は昔から船に酔いやすい体質だった。
それを頭の端で思いながら水城は平二へ視線を戻す。


「…"鯉登少尉殿"はもしかしたら死体で返ってくるかもしれませんよ」


平二が声を掛けたのは海兵たちの不躾な視線の謝罪ではない。
何が目的かははっきりは分からないが、水城は一応警告をした。
ボンボンだからとかではない。
鯉登の強さは水城が一番よく知っている。
お坊ちゃんではあるしボンボンの甘さはあるが、それでも彼は幼いころから必死に頑張ってきた。
確かに経験不足はあるだろうが、きっと鯉登ならすぐに追いつくだろう。
だが、今回の樺太への先遣隊は戦争と同等の危険をはらんでいた。
相手は軍隊ではないが、尾形とキロランケ…下手をすればパルチザンとなる連中も相手にしなければならないかもしれない。
水城だってこの旅で何度も死にかけた。
それを告げれば平二からは頷いて返され、水城は溜息を吐く。


「『可愛い子には旅をさせよ』ですか?…彼は優秀な上官です…何もこの旅でなくとも鯉登少尉殿ならばいくらでも経験が積めるでしょうに…」


水城の言葉に平二は機嫌を悪くするでもなくポツリと呟く。


「いつ死んでも覚悟は出来ちょる」


その呟きに水城は海を見ていた視線を平二へ向ける。
平二も海を見つめており、その目は覚悟を決めた軍人であり父の目をしていた。


「音之進はいずれ指揮官になっち決まっちょっ…指揮官は大勢の若い命を預かる責任があっど…音之進には我から進んで困難に立ち向かいふさわしい男になっくんやんせ」


鯉登は兄がいたが幼い時に亡くし、それと同時に鯉登が嫡男として家を継ぐことになった。
そのため父として鯉登には色々の経験をしてもらいたかった。
陸軍にせよ海軍にせよ、指揮官となるのならその分、大きな責任を背負うことになる。
鯉登がちょっとでも失敗すれば多くの命が失われるかもしれない。
だから若い内から鍛えておきたかった。
平二はそう話しながら脳裏に自刃した友人を思い浮かべる。


「花沢中将どんは切腹すっときオイへ手紙をくれたんじゃ…息子の勇作どんが最前線で戦死して『愚かな父の面目を保ってくれた』と…オイたっが世代が起こした戦争で大勢の国民の息子たっが戦地へ送った…我が子供可愛さに危険から遠ざけるのは戦死した子供の親んしたちに申し訳が立たん」


水城は平二の言葉に内心怪訝とし、平二を見る。
何故今その話をするのだろうと平二を見れば平二はじっと海を見つめ、続ける。


「のっぺら坊も…そげな父じゃったんだとオイは考えちょる」

「………」

「アイヌに『戦って死ね』とうながすったればまず我が子供を先頭に立たすっとが筋じゃっど…娘ば利用しようちして育てたんとは絶対違いて思う」


水城は平二の言葉に口を閉じる。
平二の言葉は間違ってはいないのだろう。
きっとウイルクは平二と同じ考えでアシリパに色々教えたのだろう。
あの時は感情的になったが冷静になった今、納得はした。


(アシリパさんに伝えなきゃいけないことが沢山ある…早く二人のもとに行かないと…)


平二の言葉を聞き、水城はアシリパのいる方へと目をやる。
ウイルクからの言葉も、今の平二の言葉も、彼女に伝えなければならないものだ。

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