(119 / 274) 原作沿い (119)

外国に比べれば北海道とそう遠くはないためもうすぐ樺太に着くだろう。
着いたのならまずは聞き込みをし、それから徐々にアシリパ達との距離を詰め、尾形と会えれば尾形を殺す。
そう考えていると平二がこちらを見ているのに気づく。


「鯉登少将殿?」


水城は軍人として声を掛ける。
平二は内心その余所余所しさに眉を下げる。
雪乃だった頃は堅苦しい呼び名ではなく、『叔父様』と呼んでくれていたのに。
しかしそれを隠し平二は真剣な表情を浮かべ、水城もつられて引き締まった表情を浮かべ、平二を見つめた。


「音之進とはあれから話をしちょらんらしいな」


鯉登の名に水城はドキリとさせた。
平二の目を見れば水城を責めてはいないようではあるが、悲し気でもあった。
水城に声を掛けたのは先ほどの言葉を伝えたかったのもあるが、息子の事もあった。
水城は何か言いかけたが、その口を閉ざし、平二から顔を逸らして海を見る。


「…私は杉元水城としての人生を歩むと決めました…元々お兄様…いえ、川畑中尉とは川畑雪乃の人生を捨てる約束でしたので…川畑中尉が死んだとはいえ、交わした約束を違えることはできません……」


水城は約束と言ったが、流石に平二相手でも『契約』とは言えなかった。
しかし『約束』という言葉に平二は眉を潜めた。
吉平の事は鶴見から全て聞いている。
あの甥がまさか義理の妹である雪乃を軍人にし息子との間を裂いたとは信じられなかった。


「鶴見どんからすっぱい(全て)きっ(聞いた)…ほんのこて吉平が雪乃を…?」


本人に聞くのは可哀想かと思ったが、しかし、平二に対する吉平の態度はどこにでもいる甥だった。
好青年で、どこに出しても恥ずかしくはない男…そして軍人に育った。
しっかりした性格になったのはあの長男を見てきたからだろう。
そう思っていたのに…水城の頷きに吉平への好印象が粉々に砕け散る。


「お母様にはどうか…」

「言ゆっはずがなか…息子が娘をけしんだ(死んだ)こちして軍人として戦地に送ったなどと…」


ユキにも言えまい…、と零す平二に水城はホッと安堵する。
鯉登や平二やユキに気づかれてもいい。
本当は避けれるなら避けたいが、何より母に知られるのが一番嫌だった。
あの優しい母にこれ以上負担も辛さも、悲しさも…掛けたくはなかったし、背負わせたくはなかった。
ふと母の事を思い出し、平二に母の事を聞く。


「母はご健在ですか」


水城の問いに平二は『それは自分自身で確認しなさい』と出かかったが、それを言って静子のところに帰る子ならば息子とはすでに和解しているだろう。
平二は少し間を置いたが口を開く。


「…はっきりゆて危うか…続けざまに家族全員を失うたんじゃ…心を蝕まれるんも無理なか」

「…っ」


その言葉に水城は唇を噛み、拳を握る。
やはり母は心を病んでしまったらしい。
元気でいると思っていたくて考えないようにしていたが、父どころか息子二人を失い可愛がっていた養子でさえ自殺したのだ。
それで心を病むなという方がおかしいだろう。
だが、それでも水城は母には会えないと頑なだった。


「以前んごつ出歩っこともなっなった…一日中部屋に引きこもり、人と()ことを拒んじょる…ユキが毎日会いに行っちょっが……姉のユキですら()ことを拒んじょる…カナから()たが笑わんくなった」


母は活発な人で、よく水城を連れて散歩をしたり買い物をしたりと何かと出かけることが多い人だった。
それが今は引きこもってしまい、人と会う事すら拒んでいる。
そうさせたのは何者でもない…水城だ。
水城がもっと上手く立ち回れていたら吉平から逃げることだってできたはずなのだ。
母の心を蝕んでいるのは水城だ。
母から笑顔を奪ったのは水城なのだ。
水城は何から何まで母から奪い取る最低な人間だと自分で自分を責めた。


「一目でも()がならんのか」


同情を引いて水城を妻の妹に会わせたいというわけではない。
そんな簡単なら今頃水城は帰ってきているだろう。
平二も水城のせいだとは思っておらず、ただ純粋に義理の妹に会ってやってほしかった。
一目でも会ってやれば…娘だけでも生きていると知っていればきっと静子は元気を取り戻せる。
そう思った。
しかし水城からは首を振られてしまう。


「言ったはずです…私は杉元水城としての人生を歩むのだと……川畑雪乃はもう死んだのです…これ以上私は川畑家に関わる気はありません」


鯉登にも何度も言った言葉を、平二にも何度も伝える。
あちらからしたら納得できないだろう。
だけど水城は兄の手を取った時からもう川畑雪乃という人生を捨てた。
…捨てるしか他になかった。
今更戻れるなら、ここにはいない。


()がならん理由(じゆ)は…子供(こどん)にあっとか?」


それが会えない理由とは平二としては少し納得いかなかった。
水城だって会いたくないはずはないのだ。
会いたくなければ母の事を聞かないだろう。
理由が不透明だが、平二は何となく気づいている。
平二の言葉に水城はピクリと指が微かに跳ねた。
その反応に平二は『やはり』と心の中で零す。


「音之進とん子供(こどん)じゃなかで拒んとな?連れ子がおったとしてん音之進はわいへん気持(きもっ)()らっはっがね…静子もわいん子供(こどん)なら喜んで受け()っはずだ…わいが心配(せわ)すっこっはなか」


平二の言葉に水城は『そうなんだろう』と思う。
きっと…いや、母の事だから血が繋がっていなくても孫として静秋を可愛がってくれるだろう。
あの人はとてもやさしい人だから。
平二も庶民の出である雪乃と息子との恋仲を応援していたため、川畑家や鯉登家に他の血が入っても気にもしないのだろう。
まず彼らの最優先は静子の容態と、水城が帰ってくることだ。
子供など二の次であるし、何より血を重視するのなら鯉登との子供を産めばそれで解決する。
一人息子、そして跡継ぎに嫁ぐのなら、令嬢であれ庶民であれ、子供は重要視される。
しかし、水城は鯉登と血は繋がっていないが子供を設けた実績がある。
子供の問題は早々解決したと言っていいだろう。
だが、問題はもっと根深いものである。


「…息子の事も確かにあります……ですが…私自身がそれが許せないのです…」


『どうか、ご理解ください』と続けたのと同時に海兵から樺太へ着いたという声が船に響いた。
水城は荷物を取りに船内に向かおうと平二に『失礼します』と言い背を向けた。


「おいは雪乃がけしんだ(死んだ)て思ちょった…じゃっで音之進にみえ(見合い)を勧めたんじゃ」


水城の背に向かって平二が言葉を投げかけた。
『見合い』というその言葉に水城は思わず立ち止まってしまう。
しかし水城は振り返ることなく、それでも平二は続ける。


「だが、音之進はすっぱい(全て)みえ(見合い)を蹴った…そいがないごてか分かっか」


平二の問いに水城は黙り込んだ。
しかし平二も先を言うでもなく口を閉ざす。
水城の言葉を待っているのだろう。


「さあ…私には関係のない事ですので分かりかねます」


だから水城は突き放した。
何が言いたいのか分かっていたから。
それは恐らく平二にも気づかれているのだろう。
軍人としても人生としても、平二は水城より多くの経験を積んでいる。
だからこそ平二は言うのだ。


「ずっと雪乃を想い続けちょったでだ…音之進は雪乃を心から愛しちょっ…それだけは否定せんじゃってくれ」


どれだけの辛さや悲しさが水城を襲ったのか…男の平二には推し測ることはできないだろう。
男でも泣き出しながら逃げたくなる戦場を水城は経験していたのだ。
その間自分たちは雪乃が死んだと思い、雪乃を信じ愛している息子に別の女を宛がおうとした。
子孫を残さなければならない理由もあるが、平二たちは息子の悲しむ姿を見てられなくなって新しい恋をすれば吹っ切れるだろうと自分達の勝手を押し付けたのだ。
平二は息子に対しても雪乃に対しても、それに罪悪感があった。
だから雪乃が生きていると分かった以上もう口出しはせず音之進の好きにさせるつもりだった。
これから音之進が再び雪乃を取り戻すか、それとも離別するか…それは音之進次第だろう。
だが、父として…一人の親として、最後にこれだけは伝えたかった。
どんなに周りが雪乃が死んだのだと言っても息子は信じていたのだと。
ずっと雪乃を想い続け、愛し続けたのだと。
水城はその言葉に唇を噛む。
そうしないと沸き上がる感情が抑えきれなかった。
ただ、水城は平二の言葉に返事をすることもなく、頷くこともなく…無言で去っていった。
その後ろ姿を平二はただ何も言わず見送るだけだった。

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