東京は新年の集まりの際のみの一年に一度しか行かず、友達もいない。
そのためオススメのお店を知らない二人は必然的に神社の周辺にある店に入る事になる。
入った店はこじんまりとしていても繁盛しており、メニューも雪乃達の地元の店よりも豊富だった。
流石東京だと思いながら二人は暖かく甘味物のおしるこを頼んだ。
勿論今回は儲かった雪乃持ちである。
他愛ない話をしながらおしるこで体を温めていると…
「そういえば…おじ様達と何を話してたの?」
ふと雪乃が思い出したように鯉登に問いかけた。
その瞬間おしるこを啜っていた鯉登は口に含んだおしるこを思いっきり吹き出しむせた。
吹き出した鯉登に雪乃は悲鳴を上げて驚き『大丈夫!?』とむせて咳き込む鯉登の背を撫でる。
店員も心配しておしぼりや水を持ってきてくれたり少し騒がしてしまったが、咳き込んでいる鯉登は謝罪やお礼を言う余裕はなかった。
暫く雪乃に背中を擦ってもらってやっと落ち着いた鯉登は水を思いっきり飲み込む。
向かいに座り直した雪乃は先ほどの回答を待っていた。
そんな雪乃の目線に鯉登は気まずげに目線を外す。
「お前には関係なか事や」
「…本当に?」
雪乃に疑いの目で見られ鯉登は頷く。
それでもまだ疑いの目が向けられるのでいい加減鯉登も腹を立て不機嫌そうに呟く。
「なんでそこまで気にすっ」
「ぅ"……別に…気にしてなんかいないし…」
今度は鯉登が雪乃をジト目で見た。
その目に雪乃は言葉を詰まらせ目を逸らし唇を尖らせながらサービスで出された少し冷めたお茶を飲んで誤魔化す。
お互いはっきりと言えない理由があるらしいその話題がとりあえず逸らせて鯉登はホッと安堵し、食べ掛けだったおしるこを口にする。
(言ゆっわけなかじゃろうが……――――春画を貸してやっち言われちょったなんて)
あの時、親戚の大人たちに捕まっていたのは…シモ系の話をされたからだ。
雪乃とはどうだ、雪乃とはどこまで進んだんだ?、雪乃とは寝たのか?やら要らない世話までされ鯉登はうんざりしていた。
次第に将来雪乃と寝るんなら童貞のままじゃ駄目だろ、ちゃんと経験を積んでリードしてやれ、と遊郭やそういう意味合いの店に誘われた。
勿論断った。
まだ14歳の男にとってその誘いは嬉しかろう。
だが、鯉登には雪乃という想い人がおり、今は絶賛純愛を育み中である。
雪乃以外の女性となんて考えられなかったのだ。
しかしそう断る鯉登に悪ノリした大人たちは今度は『春画』を貸してやろうと言い出した。
鯉登だって健康的な男子…興味がないわけではない。
しかし後にばれて修羅場になり別れることになるのが嫌で春画なら浮気じゃないしいいかなと思い始めた頃に雪乃がやって来たのだ。
もう『春画もNGな?』と言われている気がした。
雪乃は雪乃でその時の様子や空気がなんだか変だった事に気付き、先ほどの問いをしたのだが…流石に深くは聞けずもうこの話題には触れないでおこうと思った。
「そういえばさ」
お互い溜息をついた後、雪乃がまた思い出したように呟いた。
その言葉に先ほどの事もあって身構えた鯉登に雪乃は『もう変な事聞かないよ』と言い、それにホッと安堵する。
「音之進って東京の士官学校に行くんだよね?」
思い出した事とは、卒業後の事だった。
卒業と言ってもまだあと一年ほど残っているので先と言えば先だが、そう遠い先の事でもない。
突然の問いに鯉登は首を傾げながら頷く。
「そうじゃっどん…どげんした、突然」
「ん?んー…寂しくなるなって、思ってさ…」
雪乃の言葉に鯉登は胸が弾んだ。
離れることが寂しい、と思ってくれた事が嬉しかった。
今は雪乃と早朝でしか逢引できなくなったが、鯉登が16歳となり東京の士官学校に通えばもう会えなくなる。
貴重な休日に長旅にもなる九州まで来ないだろうし、士官学校となれば勉強もだが体術やその他の事も学ばなければいけないだろう。
特に鯉登は将来エリートを約束されているのだ…女に現を抜かす暇はないはず。
だから雪乃は寂しかった。
ずっと恥ずかしかったから言えなかったけど、東京に来て、こうして東京の街を一緒に歩いていて何となくしんみりしてしまった。
「雪乃は教師になっんじゃろう?じゃったら東京ん学校で働けばよかじゃらせんか」
鯉登も東京に行けば雪乃とは暫く会えない事を悩んでいた。
しかし父のような軍人になりたいというのは昔からの夢だったし、鯉登家の嫡男としての決められた道でもあった。
鯉登は決められた道を歩む覚悟を決めたが、雪乃は自由だ。
女性だから結婚という道もあるが、雪乃の両親である秋彦や静子は雪乃の好きな道を選ばせてくれた。
教師になるのも応援してくれた。
だったら教師として雪乃も東京に来れば毎日ではないにせよ休日くらいは一緒にいられるだろう。
そう提案するが、予想外にも雪乃からはいい返事はもらえなかった。
雪乃は鯉登の言葉にテーブルに肘をつき溜息をつく。
少ししか残ってないおしるこの器の縁を手でなぞりながら雪乃は悲し気に呟く。
「吉平お兄様がね、東京は駄目だって反対してて…今それでちょっと揉めててさ……まだどこの学校に行くか決めてないの…先生は東京に行きたいならツテがあるから紹介してくれるって言ってくれたんだけどさ…」
「…!」
雪乃もまだあと3年残っているが、目標は早めに決めた方が勉強にも身に入るというものだ。
しかしそれを反対されてしまった。
親にではなく兄にだ。
それを聞き鯉登の頭は沸騰しそうなほど沸き立った。
昨夜のやり取りがなければ軽く流していたが、あのやり取りで吉平は敵として認識された。
吉平がなんのつもりで妹である雪乃との交際を認めないかは分からない。
そこに恋愛が絡んでいるか分かるほど鯉登は経験豊富ではない。
だが、吉平だけには雪乃を取られたくないと心から思った。
「そいでお前は諦むっとな?あいつに言われたで東京に行っのを諦むっと?」
しかしここは店内。
雪乃もまさか兄が自分と鯉登の交際を認めていない事には気づいてない様子だったので鯉登は怒鳴りたい気持ちをグッと我慢した。
しかし声に出てしまったようで、低く呟くその声に雪乃は何故か鯉登が怒っていることに気付く。
しかし自分の言葉のどこに怒られる要因があったのか分からなかった。
東京に行くと言わなかったから怒っているのだろうかと雪乃は不安に思う。
「だって…何言ってもお兄様許してくれないんだもん」
長男だった菊之丞であれば聞く耳持たないが、吉平はそれほど嫌いではなかった。
あまり兄として接してこないが、しかし菊之丞のように嫌悪を向けることはなかった。
最近になって普通に兄妹の会話も出来るようになるほどの仲だ。
だが、上京するにも住まいは東京にある家だろう。
別に父と喧嘩したわけでもないし、父がそこから通えばいいと言ってくれていたから無理に別の家を探す事もない。
むしろ新米の時は給料は少ないから助かる。
だけどあの家は父だけが住んでいるわけではない。
父の他に吉平も住んでおり、だからこそ吉平の反対で今雪乃は揉めているのだ。
膨れ面を浮かべる雪乃に鯉登は鼻を鳴らし…
「情けなか…お兄様お兄様と兄ん言葉がなかればなんも出来んのか」
そう言ってしまった。
本心ではないが、今の鯉登には雪乃を慰める余裕も、別の提案をする余裕もなかった。
雪乃に想いを寄せてから初めて現れたライバルのような存在が鯉登を焦らせる。
鯉登の馬鹿にするような言葉に雪乃はムッとむくれる。
「なにそれ…仕方ないでしょ、あの家はお兄様も住んでいるんだからお兄様に反対されたら私住めないもん」
「そげんのただの言い訳にすぎん…叔父上が許可すりゃあいつの意見なんち聞っ耳持たんでんよか…あいつが川畑家の当主じゃあらんめえし」
「吉平お兄様は川畑家の次期当主だよ…お兄様の決めた事を私が無下にできないの音之進だって知ってるでしょ?」
「お前、矛盾しちょらんか?どうせ家を出ていくつもりじゃっただろ…じゃって時期当主じゃっで決め事には従うだ?媚売っとに必けしまんじゃな」
「何ですって…?」
「あいつに媚売っとに必死だって
言てんじゃ」
そう言った瞬間、鯉登の顔にお茶が掛かった。
反射的に目を瞑った鯉登は他の客の騒めきや凍り付いた空気を感じながら、どこか冷静な所がありお茶をかけられた屈辱に逆上せず静かに閉じていた目を開けて雪乃を見る。
雪乃は立ち上がってお茶を鯉登に掛け、そのまま鯉登を冷たく見下ろしていた。
その顔は氷のように無表情で、しかし怒りが露わになっていた。
その反応に鯉登は嘲笑めいた表情を浮かべる。
「すまん、図星やったか」
鯉登の言葉に雪乃はピクリ片眉が僅かに上がっただけで、無言のままサイフを取り出してお金を置いてそのまま鯉登を置いて店を出ていった。
鯉登はそれを追いかけるわけでもなく、ただ雪乃がいた目の前の席を見つめていた。
「………」
暫くして身動き一つしなかった鯉登はポタポタと雫が落ち濡れて垂れる髪をかき上げ、溜息をつく。
雪乃がいなくなり、少し冷静になったのか自分の失言に後悔していた。
顔を手で覆い溜息つきながら鯉登は雪乃が置いていったお金を見る。
二人分のお金が置かれており、怒っていても鯉登の分のお金も置いて行ってくれる雪乃に胸が締め付けられた。
ああ、やってしまった、と思った。
しかし、鯉登だって引けない事もあるのだ。
吉平のあの想いは自分しか知らないとはいえ、それを兄心として受け入れている雪乃に腹を立てた。
そんな傷心の鯉登をよそに、店内は騒然としていた。
美男美女のカップルが来たと周囲は眼福と見ていたのに雲行きが怪しくなり、そして修羅場である。
店員でさえ声を掛けれないなか、鯉登は雪乃が置いていったお金を持ってレジへと向かう。
勿論自分のお金で二人分払い出ていく。
後にした店では暫く客や店員達の話題になったとは鯉登も雪乃も知らないだろう。
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