夕食時。
今日も今日とて親戚の集まりという名の宴会は始まった。
親戚の男達は苦しむと分かっていても酒を煽り大いに楽しみ、女達はそんな男家族に呆れながらも女は女で楽しんでいた。
「あら…雪乃さんはいないのね」
「音之進さんもだわ」
静子とユキも夫と共に夕食の席で楽しんでいたが、ふと子供達がいない事に気付いた。
昼過ぎに初詣に出かけた娘達の姿がない事に2人は一瞬『もしかしてついに結ばれてそのまま…!?』と大はしゃぎしそうになったが、それを若い親戚の女性と男性が否定した。
「雪乃さん、お夕食は要らないと言っていましたよ?」
「音之進も夕食はいらんって部屋に引篭もってます」
その言葉に静子とユキはお互いを見合う。
『それは可笑しいわ』と両者の顔にデカデカと書かれていた。
雪乃にあの神社を教えたのは自分達女性の親戚達なのだ。
あの神社は恋愛成就で有名で、特に初詣で想い人の事を想いながらお賽銭を入れ、その後絵馬に想い人と恋仲になれるよう書き奉納すればその願いは叶うとされている。
初詣でなければ駄目なわけではないが、あの神社に願い恋仲になった者達の大半は初詣で願い事をした者達が多いと言われている。
それを教えられた雪乃は目を輝かせて鯉登を探しに行ったのだ。
報告によればその後二人で出かけたと言っていたので本来なら機嫌のいい雪乃のまま戻ってきて夕食を鯉登と共にするはず。
だが、若い親戚達の目撃談によれば雪乃が最初に帰ってきたが、雪乃は泣いていたらしい。
その後暫くして鯉登も戻ってきたが女中に夕食は要らないと伝えて部屋に籠ったらしく、その表情はとても機嫌のいいものではなかったらしい。
雪乃も雪乃で部屋に籠ってしまい、夕食の時間になり女中が呼びに行ったら要らないと答えたとか…
それを聞いて母二人はまた顔を見合わせた。
『これは何かあったわね』と。
「お姉様…夜に様子を見に行ってみます…」
「ええ…私も音之進さんに事情を聞いてみましょう」
話してくれるかは分からないが、母として心配になった。
◇◇◇◇◇◇◇
夕食も終わり、静子とユキは女中におにぎりを作ってもらい、それぞれ娘と息子の元へと向かった。
娘に宛がわれている部屋の前に立った静子はトントンと襖を叩く。
「雪乃さん?私です…入ってもよろしいかしら」
声を掛ければ間を置いたものの小さい声で返事が返ってきた。
少し鼻声だった事が気になったが、静子は入室の許可を得て襖を開けて入る。
部屋に入れば明かりはついておらず、布団も敷いておらず、部屋の隅で座って蹲っている娘の姿があった。
静子は行燈の中にある蝋燭に火を付けた後部屋の隅にいる雪乃の傍に歩み寄り握ってもらったおにぎりを差し出す。
「雪乃さん…あなたお夕飯食べていないでしょう?おにぎりを握ってもらいましたから食べなさい」
そう言って差し出しても雪乃は首を振って断った。
しかし可愛い娘が一食とは言え何も食べずにいるのは母親として心配で、そのまま女中に返すのも作ってもらった手前できず『では置いておきますからお腹空いたら食べてね』と言って少し離れた場所におにぎりとお茶が乗っているお盆を置いた。
「ねえ雪乃さん…一体どうしたの?神社に行けなかったの?」
事情を聞こうとしたがその問いには無言で首を振られた。
「では何があったの?」
何も言わない娘に静子はどうしたものかと息を吐く。
泣いていたと知らせがあったため放っておく事も出来ず、何か母としてアドバイスを入れたいが事情が分からない以上何も言えなかった。
しかし暫く静子も静かに娘の傍にいてやれば雪乃はゆっくりと顔を上げた。
「…私…音之進に嫌われました…」
やっと何か話してくれる、と安堵した瞬間…雪乃の呟きに静子は凍り付いた。
顔を上げた娘の顔は先ほどまで泣いていたのか目元が赤く頬が濡れていた。
寒さもあって顔色も悪く、すんすんと今も鼻を鳴らす。
静子は娘の爆弾発言に目を瞬く。
「お、音之進さんに嫌われたって…一体どういう事かしら…」
内心『それはない』と断言していた。
むしろ雪乃に言いたい。
鯉登はどう見ても、誰が見ても、雪乃にホの字で、メロメロで、骨抜きにされている。
鯉登は好き嫌いがはっきり分かれる性格だから好いていなければ女性とは初詣にはいかないし、わざわざ早朝に起きて逢引し、毎日違う花を用意するはずがない。
薩摩隼人はそこまで器用ではない。(静子の経験談)
まだ二人は若いため、ちょっとした喧嘩で『嫌い』と言ってしまうのもある。
むしろそう願いながら聞けば雪乃は視線を横へ逸らしながらポツポツとあの茶店であった事を話した。
(あらあら音之進さんったら)
それを聞いて不安だった静子の表情が何故か微笑ましそうに変わった。
母をチラリと見ればにっこりと見惚れるほどの美しい笑みを浮かべており、雪乃は予想外のほのぼのとした表情に困惑する。
そんな娘に静子は手を伸ばし雪乃の頬に触れる。
娘の頬は涙で濡れているのあり氷のように冷たく、静子の手は温もりが吸い込まれるように冷たくなっていくのを感じる。
だが娘の身体が暖かくなるのなら自分体温を全て吸われて失おうと構わなかった。
「雪乃さん、よくお聞きなさい…音之進さんは決してあなたを嫌っていないわ」
母の言葉に雪乃は怪訝とした顔を作る。
雪乃と鯉登からしたらこの騒動は一大事だが、他人からしたらむしろ『リア充爆発しろ』である。
真面目に聞くのが馬鹿らしいそれに母として一つ助言した。
しかし雪乃からしたらあれだけ険悪な空気になって『嫌いじゃない』というのはどうも納得がいかなかったし、なにより雪乃はお茶を掛けてしまった。
しかし母は深刻な顔をするでもなく、ニコニコとどうしてか楽しそうな顔をしていた。
そんな母に雪乃は困惑した表情を見せ、静子は雪乃を安心させるように手を握り笑いかけた。
「音之進さんがあんな事を言った理由はあなた自身が聞かなきゃ駄目…大丈夫…自信を持ちなさい…あなたが思っている以上に音之進さんはあなたを愛してくれているわ」
母の言葉は根拠がないのになぜか信じることができる気がした。
今まで罪悪感と後悔で怖くて部屋に閉じこもっていた雪乃だったが、母の言葉に暗かった目の前が少し明るくなった気がした。
「でもね、雪乃さん…相手の方を不安にさせるあなたもいけないわ」
しかし続けられた母の言葉に雪乃はしょんぼりと落ち込む。
俯きながら『はい』と頷く雪乃に静子は雪乃の両頬を包むように触れ、俯く顔を上げさせる。
「だからね、安心させてあげなさい」
「安心、ですか…?」
「ええ、そうよ…あなたは音之進さんの物だと安心させてあげなさい…」
安心させる、と言われてまず考えるのは『普通の仲直り』だ。
だが母は指の背で雪乃の頬から首筋へ滑らすように撫でた。
その手は意味深で、その意味を理解しカッと頬を赤らめ、恥ずかしさに俯く。
そんな初心な反応を見せる娘を静子は愛おし気に見つめた。
「殿方ってね、案外単純なのよ…あなたが音之進さんの物だと思わせるのも大事だわ」
「…で、でも…そんなの……ま、まぐわいじゃなくても…」
性行為で鯉登が安心するならしてやりたい気持ちはある。
だけど雪乃は鯉登との性行為は気が進まなかった。
あちらは恐らく性行為をした事がないだろう。
しかし自分は無理矢理だとは言え、処女ではない。
処女や童貞を重視しはじめたのは外国の物が国内に入ってきてからで、それまでは日本は性に対してオープンだった。
それでも鯉登はきっと雪乃を処女と思っているはずで…処女ではないと知ってどう思われるか怖かった。
それも強姦被害者だ。
面倒くさいと思われて鯉登の恋心が冷めたらと考えるとどうしても鯉登と一線を越えるのが怖かった。
雪乃が何を考えているのか分かったのか、静子は娘の頭を撫でる。
「あなたの知っている音之進さんは初めてじゃないからって嫌いになる方かしら」
その言葉に雪乃は考えるよりも早く首を振って否定した。
鯉登は気難しい人間ではあるが、意味もなく愛する人を貶すような人間ではない。
それを雪乃はちゃんと分かっていた。
即答で否定する娘に静子は嬉しくなって微笑んだ。
「さあ、行きましょう…音之進さんに安心してもらいましょうね」
母の言葉に雪乃は静かに頷いた。
決心したとは違うが、いつかこの話はしなくてはいけないと雪乃も思っていたのだ。
鯉登と過ごす日々がとても綺麗で、とても楽しかったから、つい話しそびれてしまったがいつかは話すだろうと思っていた。
まだ決心は揺らいでいるが、いい機会だったのだと腹を括った。
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