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『』=ロシア語
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夜となり、水城達は店主に連れられチェンカの会場へと向かった。
結局スチェンカの詳しい説明もないまま水城達はスチェンカをすることになってしまった。
会場に案内し、店主は日本の軍人たちに手招きをし扉を開けた。
その瞬間、熱気なのか、扉の隙間から湯気のようなものがあふれ出る。
中に入ればムワッとした熱気と匂いが水城の鼻をかすめ、その熱気や匂いに水城は思わず顔をしかめた。


「熱気と男達の匂いがすごい…!スチェンカとは一体何なの?」


全くスチェンカという賭け事が想像できず、首を傾げながら水城は入る。
水城達の目に写ったもの、それは…


『いけいけ!!』

『殺せ!!』


上半身裸の男達が4対4に分かれ、素手で殴り合っていた。
スチェンカとは、正式名称は『スチェンカ ナ スチェンク』と言い、意味は『壁対壁』という意味がある。
説明するよりも見た方が早いと店主は説明せずここに連れてきた。
そして、興奮したように店主はスチェンカの説明を始める。


『裸の男達が数名で並び向かい合い!殴りあうロシアの伝統的な競技!!肉肉しい男達が並んだ様を『壁』に例えた…!それがスチェンカなのだ!!』


グッと拳を握り締め説明する店主の言葉を月島が訳す。
彼らをもう一度見れば、確かに肉肉しい。
室内の熱気は暖房ではなく彼らの熱気で部屋が暖かくなっていた。
いや、むしろ熱いくらいだろう。


「スチェンカやるしかないわね…私"達"で」

「私…"たち"?」


水城は殴り合う男やそんな男達を見て雄たけびのような歓声を上げり観客達の熱気を感じながらポツリと呟く。
観客の歓声がうるさく、呟いた声は聞こえないはずだがポツリと呟いた水城の呟きを月島達は聞こえてしまった。
全員水城を見れば、水城は真剣な表情で殴りあう男達を見つめていた。
鯉登は『まさか本当に参加するわけじゃないだろうな?』と水城に言い、注意しようと思った時、更に店主が続け水城に声を掛けるタイミングを失ってしまった。


「スチェンカは元々ロシアの村対抗で行われる祭りの余興みたいなものらしい…しかし、ある日…男がやってきてスチェンカを賭けの対象にした」


その賭けの対象にした人物こそ、刺青を持つ日本人…網走監獄を脱獄した囚人だという。
それを聞き水城はますますやる気が起きる。
そんな水城などよそにふと鯉登は観客を見渡す。


「日本人の客も結構いるようだな」

「大泊や豊原の方からも金持ちが賭けに来るそうです」


中には日本人の姿があった。
鯉登の言葉で水城も見渡してみると、一人、聞き込みした男がいた。


「例の囚人は今この中にいるの?」


囚人がいると聞き、観客の中や選手の中を見てもそれらしい人間はいないように見える。
白石や鈴川や姉畑のような一般人に見える囚人もいるため、見た目で判別は出来ない。
それを聞けば月島が通訳してくれた。
しかし、店主の返事は水城が望んだものではなかった。
どうやらこの中にはその囚人はいないようで、水城は残念がった。


「『彼は強い男としか戦わない…興味のある相手がいないとスチェンカに出ない日もある』…だそうだ」

「スチェンカに勝ってそいつを舞台に引っ張り出すしかないってことね…」


店主の言葉を再び月島が訳す。
その言葉に水城が確認のようにつぶやく。
勝てば囚人をおびき出すことができる。
だが、それだけではない。
囚人らしき男を試合に出させることが出来れば刺青を確認することもできる。
刺青が手に入り、一石二鳥ともいえるだろう。
勿論、勝てば、の話だ。


「キロランケ達は諦めて先へ進んだのだろうか…」

「仲間と合流して戻ってくるつもりかも…」

「その囚人は樺太まで流れて来て殴り合っているような男よ…二瓶鉄造とか辺見和雄のような金塊に興味のないやつに違いないわ…そういう囚人は逃がせば厄介になる」


白石や水城に金塊の事を教えてくれた酔っぱらいなど金塊が欲しくて刺青を入れたのならまだ扱いやすい。
だが、二瓶や辺見のような金塊に興味がない男は厄介だ。
その囚人らしき男がどのようなタイプかは分からないが、少なくとも二瓶や辺見のように金塊には興味はないのだろう。


「とにかく私達がスチェンカで勝つからすぐに犬を返さないとその頭の毛を全部毟り取ってホカホカご飯の上にのせて食わせるぞって伝えて、月島軍曹」

「だからなんで『私達』なんだ?」


囚人が出てくるのならチェンカに参加するのは決まった事だし、反対する理由はない。
しかし先ほどから水城が言う『私達』という言葉に引っかかっていた。
確実に巻き込まれる匂いがプンプンする水城の言葉に月島は待ったをかけたが、谷垣も続く。


「出るのは杉元だけで充分じゃないか?」

「そもそもお前が殴ったのが悪いんだぞ」

「は?連帯責任でしょ??」


水城は月島と谷垣のブーイングなどなんのその。
むしろ跳ね返していた。
『いやいや、そこは杉元の責任だろ?』『いやいやいや、私ちゃんと警告したし、連帯責任以外ないでしょ』『いやいやいや(略)』『いやいやいやいや(略)』と責任の擦り合いしていた水城と谷垣と月島に鯉登が割って入ってきた。


「雪乃!」


鯉登の怒鳴り声に水城はビクリと肩を揺らした。
間を裂くように入ってくる鯉登にはもう慣れっこになってしまった2人はとばっちりが来ないよう静かに鯉登と水城から離れる。
月島と谷垣がスッと離れるのを見て『ちょっ、ちょっと待って!』と鯉登と二人きりになるのを避けたがっている水城は離れる2人を引き留めようと近くにいた月島の服を掴もうとした。
しかし、失敗し水城の手は空を切ることになる。
鯉登は月島に助けを求める水城に苛立ち、つい肩を掴む手の力を入れてしまう。
お嬢様時代なら『痛い!』と叫んでしまうかもしれないが、もうそんなか弱い時代は足で蹴り落としている。


「まさか本当に参加するつもりじゃないだろうな!?」

「し、しますけど」


『それがなにか?』とそっぽ向きついツンツンな対応になってしまう水城をよそに鯉登は肩を掴む力を更に強くする。
それには流石に痛かったのか、水城は顔を顰める。
しかし、水城が男達に交じって殴り殴られる賭けに参加すると聞いた鯉登は気づいていない。


「絶対にダメだ!谷垣一等卒に参加してもらえ!」

「谷垣にも参加してもらうし月島軍曹も鯉登少尉殿も参加してもらいます!私も入れば丁度参加人数合ってますし試合できますし!!!」


巻き込まれた谷垣がギョッとさせ、月島は水城の言葉に溜息を吐く。
谷垣はガッと鯉登に肩を掴まれ、水城にも肩をガッと掴まれ、バカップルに挟まれた。
月島はその気配を察知し、ササっと回避したため、谷垣が選ばれたと言える。
水城は先ほどから鯉登に怒られてばかりなため、何となく止められると分かっていた。
鯉登の手を振り払い、谷垣の腕にしがみつく。
別に鯉登に嫉妬させたいとかではなく、『よくも逃げたなこのやろう』という巻き込む気満々である。


「大体!!私がなんて呼ばれてるの知ってるでしょ!!『不死身の杉元』よ!!不死身の杉元が負けるわけがないわ!!ね!谷垣!!」

「えっ」


水城の言葉に頷きたいが、関係ないのに巻き込まれ谷垣はぎょっとさせた。
更に水城がしがみつく反対の谷垣の腕を鯉登はガシリと掴まれてしまう。
好いた女が自分以外の男にしがみついているのが気に入らず、谷垣に向けるその視線は鋭い。


「不死身だがなんだろうがお前は女だろう!!女があんな野蛮な賭けに出る必要はない!そうだな!谷垣一等卒!」

「えっ」

「なによそれ!男女差別よ!!言っておくけどね!私がこの中で一番強いから!!ね!そうよね谷垣!!あんた達いつも私の事をゴリラだって言ってるもんね!!」

「えっ…いや、それは白石が…」

「なんだと!?雪乃のことをゴリラと呼んでいるのか貴様!」

「ち、違います!!俺は言ったことありません!!」

「でも思ってるでしょ?」

「……………」


鯉登は恋人がゴリラだと言われていると知り目を吊り上げた。
しかし、そんな失礼な事谷垣は言ったことがない。
やめたとはいえ上官になる鯉登の怒鳴り声に谷垣は必死に首を振った。
だが水城の言葉に谷垣は思わず黙り込んだ。
言ったことはない。
ゴリラと言ったことはないが…思ったことはある。
いやいや、しかし…仕方ないと思わないだろうか。
見た目は美人であるが、中身は男にも負けない攻撃力がほぼカンストしているのだ。
ゴリラと言い出したのは白石だが、それを否定する者はあの中には誰もいなかった。
そう…谷垣でも。
そっと目を逸らす谷垣に水城は鯉登へ目をやり『ほら!!』と言った。
水城はドヤ顔しており、鯉登は鯉登で恋人のドヤ顔に『むぜ(可愛い)…』とほっこりとしていたが、その目は鋭く谷垣を睨んでいた。
谷垣は内心『やめてくれ…!これ以上鯉登少尉を刺激しないでくれ…!!』と朝日が拝めなくなるので心底やめてほしかった。
インカラマッには帰ってくるまで死ぬなと言っておきながら自分がその前に死にそうになっていた。
それだけは男としてかっこ悪く、何としても止めたかった。
決して『俺、この旅が終わったら結婚するんだ』とは言わないと谷垣は鯉登の目線にメッタ刺しにされながらそう決意した。


「…分かった」

「へ?わ、分かってくれたの…?」


谷垣から水城を引き離そうとするが、水城がびくともしなかった。
ぐぬぬ、と力を入れて引き離そうとし、それを拒み谷垣の腕にしがみつき、攻防戦は続く。
余りにも嫌がるので鯉登ももはや意地になっていた。
暫く奇行を繰り返し月島は遠い目をしながらどちらかが折れるのを待っていると、意外にも鯉登が折れた。
溜息を吐き、水城と谷垣から手を離し諦めたように呟いた。
鯉登の言葉に水城はキョトンとし目を瞬かせ、そんな水城に鯉登は頷き…


「月島、その男に雪乃が女だということを教えろ」

「ちょっと…や、やめてよ!!卑怯よそれ!!」

「卑怯も何も諦めない雪乃が悪いんだろう?見た感じ男のみの競技だ…店主は雪乃を出したがっていたが雪乃が女だと知れば出場はさせないだろうし…ならば雪乃も諦めるしかないだろう?」


今度は鯉登がどや顔で言ってきた。
そのドヤ顔に水城は『くそ…無駄に顔がいい』と思いながら悔しそうにぐぬぬと唸る。
事実、スチェンカの試合を見れば女は一人もいない。
水城はやる気だったのに鯉登に邪魔されてしまい、腹を立てていた。
なのに元から断たれてしまいそうになり水城は焦った。
上官の命令に逆らえない軍人である月島は溜息を吐きながら店主に声をかけようとした。
それを水城が背中から抱き着き止める。


「ま、待って!!ちょっと待ってよ!!考えてみて!私が抜けて試合に勝てるとでも思ってるの!?私不死身!!不死身だよ!!」


『不死身ぞ?我、不死身ぞ??』と幻聴が聞こえそうな勢いの水城に月島はげんなりとする。
水城に対してでもそうだが、後ろから聞こえる『馬鹿者!!そう簡単に男に抱き着く奴がいるか!!離れんか!!』と上官の声が聞こえ、月島はもう何度目か分からない溜息を吐く。
基本軍人なため上官よりも水城を諦めさせようと月島は背中に水城がくっついているので首だけ振り返り、会場を指さす。


「杉元、あの男達を見ろ…上半身裸じゃないか…お前、裸になれるのか?」

「なれる!!なれって言われれば全裸にでもなるから!!!」

「ば…ッ!!おなごが簡単に肌を見せっとはないごっ(何事)だ!!!まさか()いにでも肌を見せっんじゃなかじゃろうな!!!」


裸を見られることに水城は抵抗はない。
普段もそれほど抵抗はない水城だが、今はアシリパ>>(越えられない壁)>>羞恥心、とアシリパへの想いが羞恥心に勝っていた。
そんな水城に鯉登がすかさず肩を掴むが、水城は『そんなわけないでしょ!!』と怒鳴られてしまう。
余りにもショックだったのか、薩摩弁が出ているため谷垣には分からないが水城の反応からして何となく理解はした。
谷垣の脳裏に温泉旅館に泊まった時に入った露天風呂の記憶が蘇った。
水城は混浴だからという理由で抵抗なく谷垣達に全裸を見せていた。
それは違うのだろうかと思いつつ、それを聞けば修羅場に巻き込まれるのでやめた。
因みにツンデレのツン的な意味で否定していたが、水城は相手と条件次第では全裸になれと言われたら全裸になる女である。


『戦うのはこの男だけだ…その男が強いのは知ってる』


雪乃が月島を後ろから抱きつき、その水城を鯉登が引き離そうと後ろから抱き着くように腕を回している。
その姿に何となく断られそうなのは空気で察したのか、水城を指さし、店主は傍にいるスチェンカ要員の三人を指さす。
何かロシア語で言っていたので月島が水城と鯉登をくっつけながら訳す。


「『一人抜けた穴を埋めればいい』と言ってるぞ…」

「Вы, японцы, одни не сможете победить русских.」


ロシア語を訳してくれていた月島だったが、続けられた店主の言葉に顔を険しくさせた。
ピクリと反応をさせ顔を険しくさせる月島に谷垣が『どうかしたのか』と問う。


「『お前ら日本人だけではロシア人に勝てない』…だと…?」


店主の言葉は月島達軍人の感情を逆撫でるものだった。
その言葉に水城に抱き着かれていた月島も、水城に抱き着く鯉登も、バカップルに巻き込まれたくなくて離れていた谷垣も、ピクリと反応させ顔を険しくさせた。


「この薄らハゲ…」

「もう日露戦争忘れたか…」


月島に抱き着き鯉登に抱き着かれながら水城は殺る気になった男達に『よっしゃ!』とグッと拳を握りガッツポーズをした。

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