(126 / 274) 原作沿い (126)

店主の不安そうな目線も無視しながら肩に掛けてあったコートを脱ぐ。
やっと試合がはじまると待ちくたびれた観客達からはいつも以上の声援が上がった。


「やっちまえ!日本の兵隊さん!」

「兵隊の姉ちゃん!がんばれよ!!」

「俺はあんたらに賭けたんだ!!姉ちゃん!兄ちゃんたちの足を引っ張ったら承知しねえぞ!!」


日本の観客の多くは同じ国の人間ということで月島達にエールを送った。
それに対し、ロシア人達は…


『殺せッ!!』

『女なんかに負けんじゃねえぞ!!』

『お前らに賭けてるんだ!負けたら承知しねえぞ!!』


反応は同じではあるが、水城に侮辱された分熱気や殺気はロシア人の方が高い。
完全にアウェーではないものの、多数がロシア人なため、若干疎外感はある。


『お前小さいな…子供は帰って寝ろ』

「………」


水城と話していたロシア人の仲間も対戦相手の日本人にはマイナスな印象しかない。
それに勝負前の挑発も日常的なため、女の水城を除いた3人の中で一番背がい低い月島に相手がいつも通りの挑発を送る。
ロシア語が出来る月島はその意味を理解し、何も言い返さず無言で睨む。
文句があるなら拳で黙らせるだけである。


Внимaниe(用意)!」


審判らしき男が手を上げる。
それに合わせて水城達はグッと拳を握り構えた。
そして…


Бeй(殴れ)!!」


ゴングの代わりに審判のその合図と同時に試合が始まった。
その瞬間水城の顔に拳が飛んできた。
その拳を水城は寸前のところで交わし、自分に殴りかかろうとした相手の顔に向かって拳を叩きつけようとした。
しかし相手もそれを読み交わし、また顔を狙う。
相手は煽り煽ってきたロシア人だった。
今度は交わそうとしたが頬をかすってしまう。
しかし水城は一度も相手に触れられておらず、まずは相手がリードしていると言えよう。
それに相手はニタリと挑発めいた笑顔を向け、水城はピキリと青筋を立ててその挑発に乗ってしまった。
相手が調子に乗りもう一度拳を向けられる前に水城がすかさず顔に向かって拳を突き付けた。
しかしまたしても拳は避けられてしまい、避けた相手はやはり勝気な笑みを水城に向ける。
それを見た瞬間、水城は考えるよりも手が動き、交わされた拳を引かせず思いっきり相手の顔横へ叩きつける。
相手はそれを察知できなかったのか、思いっきり水城の拳が顔に叩きつけられ体が揺らぐ。
その隙にもう一度拳を叩きつけた。
相手は散々挑発された意地なのか、倒れるどころか膝も付かなかった。
女にしては重い拳に驚きながらも相手は鼻から血を流しながらグラグラと揺らぐ脳を無視し水城を睨みつけ思いっきり拳を叩きつけようとする。


「―――っ」


その拳は見事水城にヒットしたが膝を尽かせるほどではなかった。
女というのもあってすぐにギブアップすると思っていた相手はしぶとい水城に驚きながらもすかさず今度は腹を目掛けて拳を叩きつけた。
顔を殴られ体勢を整えようとしていたところの攻撃に水城は避けられず受けてしまい前かがみになる。
そんな水城にとどめと言わんばかりに顎に向かって拳を下から振り上げた。
続けざまの攻撃に水城は避けれずその拳を受け、その衝撃で後ろへ倒れかけた。


『おっと!まだまだ楽しませてもらわなきゃ客に愛想を尽かされるだろう?』


そう言って相手は水城の谷間の隙間に指を入れてサラシを掴み、水城のダウンを防ぐ。
水城は相手に支えられているように頭と両腕がダランと垂れており、観客達は相手のロシア人が勝ったとばかり思いこんだ。
『なんだよ!もう終わりか!?』やら『戦わせろという割には弱いなぁ!お嬢さんよぉ!』やら『だから女なんか参加させるなって言ったんだ!』やら好き勝手水城を罵った。
そんな煩い外野からの言葉は水城の耳には届いていない。
水城はペロリと唇を舐め目を細め――――勢いよく体を起こし観客に向かって腕を上げ勝利を確信している男に向かって拳を叩きつけた。
観客に意識を向け、そしてすでに勝った気でいた慢心さに油断していた男はもろに水城の拳を顔に受け止めてしまう。
ぐらりと身体を傾かせる相手など気にも留めず水城はもう一発男の顔に拳を向ける。
顔を狙うのはもう意地でもあった。
あんなに挑発し、挑発に乗って盛り上がったというのに相手のロシア人はあっけなくも仰向けになって倒れてしまった。

―――その瞬間、試合終了の声が上がる。


「うおおお!!すげぇ!勝ったぞ!日本軍!!」

「あの姉ちゃんなんなんだよ!!強いじゃないか!!」


試合終了の声が上がった途端、日本の観客達が声を上げた。
その雄たけびにも似た声を聞きながら水城は倒れた男に向かって手を差し出す。
水城の行動にロシア人は驚き、同情かと思ったのかギロリと睨んだ。
しかし水城の笑みが挑発している時の嘲笑ではなく自然な女性の笑みなのに気づき、女に倒された悔しさもありつつ倒されたのは事実だと認めたのかロシア人もフと笑う。


『負けたよ…強いんだな、お前…』


水城もロシア語は分からないが、案外表情やジェスチャーなどで意味は通じるものなのか、相手が馬鹿にしていないのに察し笑みを深めた。
そんな水城にロシア人も笑顔を深め、差し出された手を取り立ち上がる。
そのまま握手をされ何かロシア語で話しかけられたが、流石に内容までは分からずとりあえずは笑って流す。
後で月島に聞こうと思っていると…


「ばっ…雪乃!!」


鯉登の怒号が耳に届いた。
水城は内心『またか…』とげんなりしつつロシア人からその声の方へ目をやれば鯉登が青い顔をして慌ててコートを掴んでこちらに向かってきているのに気づいた。
なぜ青い顔して慌てているのだろうかと首を傾げていると鯉登が抱き着いてきた。


「なっなな、な…!な、なにするの!!は、放して…!」

「馬鹿者!今の自分の恰好を見ろ!!」

「え?―――あ…」


ガバッと鯉登に抱きしめられ水城は顔を真っ赤に染めた。
鯉登はコートを着る前にこちらに来たらしく、彼も上半身裸で、水城は鯉登の肌が間近にあり恥ずかしさにテンパっていた。
グッグッと押し返そうとするが、本気で力を入れていないため鯉登に更に強く抱き寄せられてしまう。
人前で抱き着かれ恥ずかしさに顔を真っ赤に染めていた水城だったが、鯉登の言葉で理解した。
水城は今、胸が丸見えだったのだ。
ロシア人が倒れる際、サラシが耐えきれず破れたのだろう。
鯉登はコートを肩に掛けようとしたときに胸が丸見えの水城に気づき慌てて駆けつけた…ということだ。
水城はサラシが破れていたことに気づかなかったが鯉登のおかげで気づく。
『早く閉じろ!』と姑のごとく煩い鯉登に水城は『はいはい』と適当に返事を返しながら掛けられたコートに袖を通し前を閉じる。
水城は基本、裸を見られても雪乃時代に比べると羞恥心がなかった。


「これでい――」


これで満足?、とばかり顔を上げて『いいでしょ?』と言いかけた水城は言葉を切る。
顔を上げると水城の目が鯉登の目とバチリと合ったのだ。


「……………」

「……………」


お互い目と目が合い、予想外の近さに固まった。
何か言わなければと、これでいいでしょ、と言えばいい事だと水城も分かってはいるのだが、じっと見つめるように固まる鯉登に水城も思わず口を閉ざし彼を見つめてしまう。
場所が場所で、恰好が恰好でなければ、恋人同士または両片思い中の男女の見つめ合いに見えなくもない。
だがここは試合会場のど真ん中である。
見つめ合う二人の間にコホンと一つの咳払いが邪魔をした。


「鯉登少尉殿、杉元、次の対戦が始まるらしいので退きましょう」


咳払いの声の主へ目をやればそこには月島がいた。
月島の言葉に二人は場所や状況ではなく見つめ合っていた事に気恥ずかしさを感じ、水城は顔を赤くして鯉登から視線を逸らし、鯉登は照れた表情を浮かべる。


(…?)


月島と鯉登の後ろを水城が続くように会場を出ていくと、ふと目線に気づく。
そちらへ振り返れば、観客の隙間から見える男性と目と目がある。
その男性は水城と目が合うと静かに会場を後にし、水城はその男性の後を追うように会場を出る。


「ねえ、そこのあなた…」


外に出るとコートしか着ていないため寒さに体を震わせた。
しかし去ろうとしている男の背中に水城は声をかけ、男は水城の声掛けに立ち止まって振り返る。


「やあ、良いスチェンカだったぜ、君たち…」


そう言って笑う男は日本語を話していた。
顔つきも日本人であり、水城は不死身のと名付けられた男としての本能か、それとも女の勘か、その男の正体がなんとなく察しがついた。


「服の上からでも分かるくらい日本人にしてはガタイが良いのね…あなたもスチェンカをするの?」


そう鎌をかければ相手は何も言わなかった。
だけど水城には無言こそ肯定だと思う。
水城はすっと手を差し出し握手を求めた。


「私は杉元水城よ」

「岩息舞治と申します…日本人が握手であいさつとは珍しいですな」


まだ今の時代、日本人が挨拶で握手をするのは珍しかった。
それに驚きながらも穏便に岩息と名乗った男は水城の手を取り、グッと握る。
その瞬間、2人の体に痺れるような感覚が走る。
その感覚に水城は笑みを深め、岩息は目の輝きを増した。


「杉元さん…近いうちにまた会おう」


そう言って岩息は水城の手を放し、背を向けて暗闇に消えていく。
岩息が水城から離れたと同時に水城を探していた鯉登が現れ、水城に駆け寄った。


「雪乃!ここにいたのか!」


去っていく岩息を黙って見送る水城に、鯉登は水城から岩息へと視線をやる。
ガタイのいい『男』を見つめる水城に鯉登は隠さず不機嫌そうにしながら水城へと視線を戻す。


「誰だ…何を話していた」

「何も話してないわ…さ、チカパシ達待たせているし…行きましょう」


水城の姿がないから探してみれば、外にいただけではなく見ず知らずの男と話をしているではないか。
鯉登は焦りと嫉妬で慌てた。
水城は鯉登の視線を無視し、横を通り過ぎようとした――が、手を鯉登に取られた。


「!、な、なに…?」

「また勝手に離れられては困る…こうしていればふらふら勝手にいなくならないだろう?」

「…っ」


突然手を取られ水城は目を丸くした。
後ろにいるとばかり思っていた水城の姿がなかったときの鯉登は誰よりも焦り心配していた。
あの時もそうだった。
吉平に攫われた時も何の前兆もなく水城は、雪乃は消えた。
だからもう自分の知らないところでいなくならないよう、手を握って繋ぎとめておこうとした。
水城は鯉登に触れられカッと顔が赤くなったが、手を振り払う事はなかった。
その赤くなった顔を見せたくなくて俯いていたためか、水城は鯉登の表情を見ることはなかった。

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