水城が眠ってしまい、鯉登も倒した椅子を直して座り、気持ちを切りかえるためか残っているコップのお酒を一気に仰いだ。
水城が眠ると月島達のテーブルは静かだった。
不思議と周りは酔っ払いで騒がしいのにそう思った。
月島も気分を変えようと酒を仰ぐ。
気づけば谷垣も潰れて水城同様テーブルに突っ伏しており、それに気づいて静けさに納得した。
主に水城と谷垣が絡まれていたため、絡みの対象が潰れロシア人達もそれぞれ店内に散っていき、月島と鯉登はやっと静かに飲むことが出来る。
月島と鯉登はそれからそれぞれ自分のペースで飲んでいた。
「月島軍曹、意外と酒が強いのだな」
すでに時間は日にちを跨ぎ、店内にいた男達も大半が帰宅しているのか店内には数人しか残っていなかった。
やっと普通の店程度の音量となった店で鯉登は潰れている水城を見つめながら月島に静かに呟いた。
月島とはそれなりの付き合いであったが、度数の強い酒を顔色一つ変えないのには驚いた。
何回か付き合いで誘ってはいたが、お互い完全に酔うことなく毎回解散していたので強いとは思っていたが、それは上官の自分が一緒にいるからセーブしているのだと思っていた。
鯉登の問いに月島は『そうですね』と零す。
「どちらかと言えば強い方だと思います…しかし鯉登少尉殿や薩摩の方々に比べれば弱いですが」
鯉登や鶴見と飲む際上官だからとセーブはしていたし、何より鶴見や鯉登と行く店は高級店が多いため下品で酔いやすい安い酒は振舞われないのもあった。
それでも月島は他の人間に比べてアルコールに強いらしい。
飲み比べするほど酒が好きなわけではないのでどうかは分からないが、薩摩出身者に比べれば弱いのは確かだろう。
水城同様次々と注がれるためチマチマ飲んでいたが、度数が度数だからか顔が少し赤らんでいるが、自分よりもハイペースで飲んでいた鯉登の顔色は全く変わっていない。
自分はもう酒を持て余しておりどうしようか迷っているのに、鯉登の飲む速さはそう変わらないところから彼と自分の肝臓の性能の違いを見せつけられる。
鶴見から鯉登の父である平二も飲兵衛だと聞いており、やはり薩摩出身者は強いのだなと感心してしまう。
そんな月島に鯉登は肩を竦める。
「薩摩出身者でも酒に弱い者は多い」
「そうなのですか?」
「ああ…私の父方の親戚も何人か酒に弱く、飲めない者もいる」
やはり身内に薩摩出身者がいない限り、薩摩出身者は酒に強いというイメージが拭えないのだろう。
鯉登の父方の親戚も何人か酒が苦手な人間もいるらしい。
だからこそ酒が強い人間の血を引こうが、それはすなわち、酒が強いというわけではないのだ。
「雪乃は酒が飲めるようになったのだな…」
水城と再会してから新しい発見ばかりの連続だった。
水城が不死身と呼ばれるほどの力があった事、あれほど女らしかった水城の口から出る男言葉や仕草、そして酒が飲めるようになっていることだ。
まだ吉平に攫われる前の頃は未成年というのもあって酒を飲むイメージはない。
年齢からして飲めるようになるのは不思議ではないが、まだあの頃の印象が強く酒が飲める事に少し違和感を感じた。
あまりにも酒を次から次へ注がれるので心配になって注意して見てみれば案の定潰れてしまった。
水城が谷垣ほど深酒しなかったのは、鯉登が見ていてくれたおかげともいえる。
鯉登の独り言のような言葉に月島もテーブルに突っ伏している水城を見つめ頷く。
「そうですね…私は彼女とは別師団だったので飲んだ事がないのですが…意外でした…結構飲めるんですね」
「叔父上に似たのだろう…叔父上も飲む方だったからな」
「叔父…というと…空軍にいらっしゃった川畑少将殿ですね…確か川畑少将殿も薩摩の出身だとか…」
月島の言葉に鯉登は頷いた。
川畑秋彦の事は名前だけは知っているが会った事はない。
それもそのはずだ。
まだ月島が若い頃にすでに事故で亡くなっていたのだ。
つい鯉登を見れば、鯉登は懐かしそうに水城を見つめていた。
「きっと叔母上は雪乃が酒が飲めると知れば叔父上に似たのだと笑われるだろうな」
月島はその言葉に口を噤んだ。
遠く離れた叔母、水城の養母を思い浮かべているのだろうか…鯉登の表情は痛々し気だった。
「早く叔母上に雪乃が生きているのだとお知らせしたいものだ…そうすれば…叔母上も元気を戻られるだろう…」
珍しい弱り切った声の鯉登を月島は見つめる。
水城を見るその表情も痛々し気の他にもどこか悲し気にも見えた。
「それほど杉元の母上殿のご容態は思わしくないのですか」
月島も水城の養母の事は鶴見から聞いている。
長男は牢屋に入れられ、夫を亡くし、続けて娘である水城が死んだ事にされ、唯一残った吉平も戦死した。
それから水城の養母である静子の元気がなくなり、笑わなくなったと聞く。
美しい女性だったが、悲しみのあまり老け込んだとも聞いた。
しかし話を聞いただけではどの程度なのかまで汲み取ることはできない。
つい零してしまった問いに月島は表情を崩さないまま『しまった』と思ったが、遅い。
しかし鯉登は怒ることもなく頷いた。
「叔母上は私の母と共に美人姉妹だと噂されるほど美しい女性だったのだ…それが息子や夫だけではなく雪乃までも失ってしまい心を病んでしまった……叔母上は雪乃を可愛がっていたのだ…本当の娘のように思っていた……あれほど美しく笑われた叔母上の笑みが雪乃が死んだと聞かされた時から失われてしまったのがその証拠だ…」
雪乃は本当に静子や秋彦に愛され育った。
それこそ血を分けた自分達の息子よりも雪乃を愛した。
だから静子の心は雪乃が死んだと吉平に聞かされた時から狂ってしまったのだろう。
少しずつ、少しずつ。
じわ、じわ、と。
静子の心を侵食していった。
吉平もあれこれ医師や病院を調べ母をどうにか治そうとしていたが、結局は無駄に終わった。
あの頃鯉登の両親も吉平の戦場に居ながらも母を治そうとするその姿に心を打たれたようだが、真実を知った今では腹立たしいことこの上ない。
あの従兄は母を心配していると言わんばかりの顔をしながらも母のいないところでは雪乃を扱き使っていたのだ。
吉平は叔母が心を病むきっかけを作った犯人なのだ。
「……今日は飲みすぎましたね…明日に響かないよう水を持ってきますので杉元を起こしておいてください」
黙って聞いていた月島だったが、切なそうに恋人を見つめる鯉登を見てられずカウンターにいる店主の元へと向かった。
今の鯉登に掛ける言葉が見つからなかった。
店主の元へ向かう月島を見送った後、月島に言われた通り水城を起こそうと水城に手を伸ばす。
肩を揺らせばいいだけなのに、ただそれだけなのに、鯉登には勇気がいる行為だった。
「雪乃…部屋に戻るぞ、起きろ」
そっと震える手で水城に触れた。
水城に拒まれるのではないかという怖さもあったが、潰れているのと酒が入っているのもあって、拒まれることはなかった。
それに安堵しながら肩を揺らして起こす。
眠りが浅かったのか、鯉登の声に『ん、』と零しながらゆっくりと目を開ける。
まだ眠気があるが起きた水城にもう一度声をかける。
「もう切り上げる…月島が水を持ってくるからそれを飲んでから部屋に戻れ」
眠気さからか、ぼうっとした目で鯉登を見つめていた。
再会してからこの美しい琥珀色の瞳には警戒が見えていた。
だが今は寝ぼけており酔っぱらっているからか警戒心が見えず、鯉登はつい嬉しくて顔が緩みそうになるのを顰め面を作る事で必死に耐えていた。
「おとのしん、おこってる?」
そんな鯉登を見て水城は鯉登が怒っているのだと勘違いした。
酔っ払い+眠気で物事の判断力が低下しているらしい。
コテン、と小首をかしげる仕草、酔っ払っているのと眠気から呂律が回っていない幼げな言葉、怒らせてしまったかもという不安から眉を下げる表情、加えて地位呼びではなく名前呼び…鯉登の口から『ん"ん"ッ』と理解不能な声が漏れるのは仕方のない事だった。
思わず顔を背ける鯉登を水城はしょんぼりしながら見つめる。
「お、怒っていない…」
「ほんとぉ??でも…こわい、かお、してる…」
「元々こんな顔だ」
そう言いながらも顔はむすっとしている。
そんな鯉登に水城は『ほんとうにぃ?』と鯉登の寄っている眉間のしわをほぐすように触れる。
「ふふ、うそつき」
眉間のしわがほぐれたのを見て水城はくすりと微笑んだ。
何が楽しいのか分からないがクスクスと笑い声を零す水城の微笑みに鯉登は目を見張った。
再会してから笑顔を向けられたのは初めてだった。
何年経とうが、傷があろうと、やはり水城は長年想い続け愛し続けた女性なのだと、本質は変わらないのだと…胸が熱くなる。
まだグリグリと指を押し付ける水城を止めたいが、酔っぱらってやっと警戒が解けたのに勿体なくて鯉登は大人しくしていた。
水城は鯉登の眉間に指を押し付けるのに飽きたのかゆっくりと立ち上がろうとした。
しかし、酔いが回っているせいか足がもつれふらつき水城は鯉登の方へ体を倒してしまう。
鯉登に肩を抱かれ受け止められた水城は何が面白いのかクスクスと肩を揺らして笑う。
何が可笑しいのかは分からないが、水城が自分の腕の中で笑顔を見せてくれるのが嬉しくて鯉登は何も言わず水城を見つめていた。
その表情は穏やかで、店主から人数分の水を貰ってきた月島はどのタイミングで声を掛けるべきか迷う。
どうするべきか…と困っていると鯉登がこちらへ視線をやり、月島はギクリとさせる。
「ああ、月島…水を持ってきてくれたのか、すまない」
「いえ…」
鯉登は月島の姿に幸せが終わったと感じた。
月島に対して苛立ちはないが理由がなければ触れられない今の自分の不甲斐なさに腹が立った。
そんな鯉登の心情に気づいていない水城はまだ楽し気に笑っており、鯉登は水城の抱きとめたまま月島から受け取った水城の水の入っているコップを水城に差し出す。
水の入っているコップを差し出された水城はキョトンとさせ鯉登を見上げる。
「水だ…飲め」
「いや、もうおなかいっぱい」
さんざん酒を飲まされた水城のお腹は水分が詰まっていた。
酒を飲むと喉の渇きが強くなるのだが、水城はもうお腹いっぱいだと首を振る。
首を振る水城に鯉登は『そうか、なら仕方ない』とコップを下げようとした。
それを見て月島が鯉登を止める。
「駄目だ…水を飲め、杉元」
水城は渋々月島に言われて飲み、そんな水城に月島は『全部飲めよ』と釘を刺す。
どうも恋人の事になると甘々になるのでそこはきっちり月島が締めるところは締めておかなくてはならない。
月島に言われ水城は渋々全部飲み干した。
水城が全ての水を飲んだのを見送った後、鯉登も渡された水を全て飲む。
「私は谷垣を部屋に運びますので、鯉登少尉殿は杉元を頼みます」
月島も自分の水を飲み干し、谷垣に肩を貸してやり立たせる。
月島の言葉に鯉登は『分かった』と水城の肩を抱きながら一足先に店を出て水城の部屋へと姿を消した。
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