水城は酔っているせいで足元が覚束無く心配になった鯉登が支えて部屋に向かった。
「こら、ちゃんと歩かんか」
力を抜けばぐたりとその場に座り込むので鯉登は水城の腰に手を回して支えていた。
歩き出したので少し力を抜けば水城がわざと足の力を抜き、鯉登が慌てて力を入れなおして支える。
それを繰り返し、水城は楽しそうに笑う。
遊んでいるように笑う水城に鯉登も困り顔で『仕方ないやつだ』と言いつつも、笑みが隠し切れていなかった。
「潰れている谷垣を一人にできないのでこちらに寝かせます…鯉登少尉殿も杉元の部屋で寝てください」
「…は?」
「杉元も酔っていますし…一人にはできないので」
月島は谷垣に肩を貸しながらそう言い、部屋に消えた。
上官なのに上官の返事を聞かず部屋に消えた月島に鯉登はポカーンと呆けた。
その場に残されたのは水城と鯉登のみとなり、鯉登はチラリと水城を見る。
水城は鯉登の視線に気づいたのか、上機嫌な表情をそのままにコテンと小首を傾げた。
しかし鯉登と目と目が合うのが嬉しかったのか、水城はニコッと笑みを深め抱き着いた。
「おとのしん〜!」
正面から抱き着き足を浮かせたため、鯉登は水城を落とさないように慌てて腰に腕を回して抱きとめた。
水城も鯉登の首に腕を回し、先ほどよりも近い彼の顔に水城はご機嫌になっていく。
「こら!雪乃!危ないだろう!」
「ふふ、おとのしん、いっしょにねんねするの?」
酔っぱらっているためか、口調が幼子に向けるものだった。
幼子に向ける言葉や酔っ払っているせいで舌足らずとなっていることや、再会して初めて見るご機嫌な顔に鯉登はニヤケそうになる。
しかし『ねんね=一緒に寝る』という言葉に思わずカッと顔を赤らめた。
「ばっ…!馬鹿者!おなごが簡単に異性と寝ると言うな!!はしたなか!」
水城は一緒に寝るというよりは一緒に居られることが嬉しかったのだが、素面の鯉登は"そっち"へと思考を傾かせる。
長い間禁欲生活を余儀なくされた余波だろうか。
叱られた水城はキョトンとさせていたが、ムッと頬を膨らませ顔を背け鯉登から離れる。
「じゃあいいもん…わたしひとりでねるから」
そう言って水城は鯉登が何か言う前に月島の部屋の向かいにある自分の部屋に戻ってしまい、鍵もかけてしまった。
あっという間の出来事で、残された鯉登は呆然と立ち尽くしていた。
「……鯉登少尉殿…お膳立てしましたのに…せっかくの好機をご自身で無駄にしましたね…」
「月島ぁ…」
水城に向けて差し出された手は空を切り、呆然としていると後ろの扉が開かれ、溜息と呆れた声が鯉登の向けられた。
後ろへ振り返れば溜息と呆れた表情を浮かべた月島がいた。
聞く耳を立てていたのかという怒りはない。
あれほどの音量で話していれば聞く耳立てなくても聞こえるだろう。
月島は情けない声で自分の名を呼ぶ上官にもう一度溜息をつく。
「せっかく酒のおかげで杉元の警戒も解けたというのに…そこで押さずしてどうするんですか」
「し、しかし…私は酔った勢いで関係を結びたいわけではないのだ…ちゃんと雪乃の意思で私の腕にいてほしい…弱いところを付け込んで繋がっている関係などすぐに消滅するのが落ちではないか…」
鯉登の言葉に月島はピクリと眉を上げた。
しかし水城の消えた部屋の扉に視線を向けていたため鯉登は気づかなかった。
月島は鯉登の言葉を『何を甘い事を』と思う。
彼にも好意を寄せていた女性がいたが、彼女とは一緒になれなかった。
あの時はお互い全ての意味で未熟だったため、今思えば無理にでも駆け落ちをすればよかったと後悔している。
身体だって繋げるには大人ではなかったが、幼すぎるわけではなかった。
鯉登はどうも水城を大切にしすぎて前に踏み出せないようで、ボンボンらしいと言えばボンボンらしい純愛ではあるが、大切な人を失った男の経験からしてだからこそさっさと好いた女を物にしない苛立ちもあった。
「以前の関係ならそれでよかったのでしょう…しかし杉元と鯉登少尉殿は今や他人にすぎません…下手をすれば敵対関係のままです……そんな今の状況下でそのような贅沢を言っている場合ですか?アイヌの少女を取り戻した先が不透明である以上どんな手を使ってでも杉元を繋ぎとめるべきでは?」
月島の言葉に鯉登は『うっ』と唸る。
痛いところを突かれた、と思った。
鯉登も分かってはいるのだ。
大切にしすぎるのは時には相手を傷つけるのだと。
しかし、鯉登はどうしても水城に強く出れない。
その理由は罪悪感もその一つだ。
鯉登は吉平が水城に好意を持っていると気づいていながら水城を守れず女の身でありながらも戦場に立たせてしまった罪悪感。
あれほど男に乱暴にされていたのに鯉登が守れなかったせいで吉平どころか尾形とも関係を持たせてしまった罪悪感。
罪悪感がずっと鯉登の中にあった。
それに水城は無理矢理の関係しか知らない。
愛し愛される行為を水城は知らないのだ。
尾形とはどういう関係か知らないが、少なくとも鯉登が尻込みをしているのは川畑の長兄菊之丞の件が関係していると言える。
トラウマほどではないが、愛する人を傷つけられた挙句に強姦され、目の前で自分以外の男に体を暴かれた姿は一歩踏み出すのに戸惑うくらいの打撃を鯉登に食らわしていた。
自分もこんな欲を水城に向けていると思うと余計に手は出しにくくなってしまう。
かといって欲がなくなるわけでもなく、鯉登はただきっかけが見つからないだけだった。
「いつまでも彼女の心がご自分のものだと思わない方がよろしいかと…」
「どういう意味だ?」
月島の言葉に鯉登は怪訝とさせた。
怪訝とさせる鯉登は自分の言葉を理解してはいないのだろう。
意味としては分かってはいるが、その全てを理解できていない。
月島はチラリと水城の部屋へ視線を送った後すぐに鯉登へと視線を戻す。
「尾形です」
「………」
一言。
たった一言だが、鯉登は月島が何が言いたいのか理解した。
その瞬間彼の端麗な顔立ちが不快感に歪んだ。
「尾形と彼女の間に愛があり情があったかは私には分かりませんが…子供がいるのです…尾形が本気になれば恐らく彼女は拒絶できないでしょう」
「…しかし雪乃は好いておらん」
「無関心が情へ変わり、情が愛情へと変わることは珍しい事でありません…酔っていたとはいえ彼女は息子の父親を必要としていた…誰よりも彼女の夫の座に近い人間は恐らく貴方ではなく尾形でしょう」
顰められていた眉のしわが更に深まる。
水城は本気で尾形を殺そうと思っている。
それは嘘偽りはないのだろう。
だが、何かのきっかけで憎しみさえ情へ変わり、情が愛情に代わるのが人間だ。
尾形と決別したとは断言できないだろう。
少なくとも尾形と水城は息子の存在で切っても切れない縁が結ばれている。
それに軍にいた頃から尾形は水城に執着しているように見えた。
あからさまな態度はとっていないが、水城と話す時の尾形はどこか穏やかな雰囲気を見せていたように月島は感じている。
今現在、鯉登は尾形よりも優勢だとしても今のまま水城に触れずにいれば逆転されかねない。
いや、逆転どころか下手をすれば別の男に取られるだろう。
酔っていたからこそ、月島は水城の本心は鯉登を想い求めていると考えている。
後は鯉登が覚悟を決めるだけなのだ。
「このままでは再び彼女を失いますよ」
そう言って月島は部屋に戻っていった。
姿勢を正して部屋を戻る月島の言葉に鯉登は返すことはできず、水城が消えた扉を見つめていた。
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