(132 / 274) 原作沿い (132)

月島に連れられ誰もいない谷垣とチカパシの宿泊室だった部屋へと移った。


「…話とはなんだ」


水城と引き離されたことへの苛立ちが声に出てしまう。
それでも鯉登は隠す気もなかった。
月島もそれに気づきながらも気にも留めず、鯉登へ振り返り、彼に告げた。


「鯉登少尉殿は性の知識はどこまでありますか」


苛立っていた鯉登だったが月島の言葉に唖然とし、目を丸くして月島を見る。
呆気に取られたように口をポカーンと開ける鯉登は珍しく、月島は内心『珍しい反応だな』と思う。
点、点、点、と無言が続き、鯉登はやっと月島の言葉を理解したのか眉を潜める。


「…それが雪乃を1人にしてまでして話したい事か」


明らかに機嫌が悪くなった。
当たり前だ。
大切にしている相手が気分を悪くしているのに話があると言って連れ出された挙句、その内容がどうでもいい事だったのだ。
水城を大切にしすぎている彼が月島に怒りを覚えても仕方ないだろう。
しかしそれは月島も予想しており反応はない。
一見どうでもいい話ではあるが、大事な話である。


「これは大切な事です」

「何が大切なのだ…私はそんなくだらない問いに答える義務はない」


くだらないと切って捨てる鯉登は水城の傍にいてやりたいと部屋を出ようとする。
しかし月島がそれを見越してドアを背に立っていたため、阻まれてしまった。
水城のもとへと戻ることを阻まれた鯉登は苛立ちを込め低く唸る様に『どけ』と命じようと口を開いたその時――


「今、彼女は苦しんでいます」

「それは分かっている!だから―――」

「彼女は性欲が高まっているのです」

「な…な、に…?」


鯉登は言葉を失った。
突然すぎたのか、予想外だったからか、月島の言葉を上手く処理できなかった。
目を瞬かせ驚いた表情で月島を見るが、彼の表情は変わらず自分を見返している。
月島はあまり感情を表に出すことのない男ではあるが今の鯉登には、それが冗談なのか、本気なのか、動揺しているせいか見抜けなかった。


「……冗談を言っている場合か?」

「いえ…体が火照って困っていると彼女が私に助けを求めに来ましたので…」

「…なぜ貴様に?」


信じ切れずにいる鯉登だったが、月島の言葉に本気だと認めざるを得ない。
しかし月島の言葉に鯉登は目を細め彼を見る…否、睨む。
なぜ自分ではなく月島なのか。
もしかして月島と水城はそういう関係なのだろうか。
と疑心暗鬼になっていた。
それを読み取ったのか月島はすかさず否定した。


「彼女が助けを求めてきたのはそういう意味ではありません…私ならばそれ以外の方法で何とかしてくれると思ったのでしょう…」

「……出来るのか?」

「出来るわけがないでしょう」


鯉登の問いに月島は即答で答えた。
水城だけではなく部下や鶴見や鯉登の世話を焼いているし、立場的に頼りになる男ではあるがそこまで万能ではない。
鯉登もつい『出来るかもしれん』と思ったが、返ってきた即答に『お、おう…』となった。


「恐らくですが…媚薬を盛られたかと…」

「媚薬だと…?誰に盛られた」


経験がなく、見合いや紹介を断っているとしても、やはり友人達から猥談を聞かされることも多々ある。
その中に媚薬の話もあり、知識だけなら鯉登も知っていた。
媚薬を盛られたと月島の言葉に一体誰が水城に盛ったのだと眉を潜めながら問うが、流石に月島も分からないのか首を振られた。
鯉登は腸が煮えくり返るほどの怒りを感じ、殺意が隠し切れていない。
月島が犯人を知っていると言い、その人間の名を言った瞬間、軍刀を手にその人物を斬り殺しかねないほど憤りを感じていた。
当たり前と言えば当たり前だろう。
媚薬を盛られたのは死んだと言われ続けても想い続けた恋人だ。
それも手を出すのを躊躇するほど大切にしている恋人なのだ。
怒るのも無理はないだろう。


「それで…鯉登少尉殿はどの程度ほど性知識があるのでしょうか」


鯉登が経験がない事は二人で飲んだ時本人から聞いていたし、鯉登が知っているかは分からないが噂にもなっている。
士官学校時代に死んだ恋人を想い続け出会いを拒んでいると聞けば誰でも童貞かと思うだろう。
まあ、童貞であったのだが。
それを聞いた時、内心驚いた。
ボンボンであり顔が整っており腕もいい。
性格も癖はあるものの悪くはない。
そんな鯉登がモテないわけがないのに、たった一人、死んだ女のために出会いを拒み若さゆえの性欲さえ押さえつけているのに驚いた。
遊郭でさえ断っていると聞くのだから尚更だ。
しかし、だからこそどこまで鯉登が性知識を得ているのか分からない。
月島の問いに鯉登は言い淀む気配を見せながらも水城が媚薬を盛られたと聞き、答えずにはいられないのか意を決して素直に答えた。


「…友人達から聞いた話でしか知らん」

「春画はお読みにならないのですか」

「春画は読まんな…一度友人に面白半分で読まされたが…あのような物で興奮したことがない……そもそも雪乃ではないからな」


これは…、と月島は鯉登の水城への想いが予想以上だと気づく。
明治時代にはまだイラストで販売されていたが、写真が生まれてからは写真の卑猥本も刷られるようになった。
どちらも見たことがあり、どちらもこれといって興奮したことはなかった。
そもそも鯉登は周りが呆れるほど雪乃を一途に想い続けたため、春画などの本自体あまり好まなかった。
それに処理する際は雪乃を思い浮かべるため、お世話になったとしても本の内容と雪乃を重ねていただけだ。
それが月島には意外だった。
いくら出会いを拒んでいるとはいえ、卑猥本を読むくらいは年齢からして当たり前だと思っていた。


(ここまで想われる杉元は幸せ者だな…)


女の幸せを水城は捨てているように月島は思う。
あるのは、母としての幸せだ。
だから水城は気づかないのかもしれないが、水城はここまで想ってくれる男がいることを誇りに思い幸せ者だと思うべきだ。
世の中、鯉登のように相手を想い続けてくれる男などそうそういない。


「では本のみの知識ということですか?」

「そうだな…友人達との猥談を入れても私はあまりそういう行為の事は知らん」


花沢勇作の時も思ったが、将校の父親を持つと性に疎くなるのだろうか。
勇作は仕方ないとはいえ勇作も鯉登も品行方正に育ちすぎたようだ。
…と、言うよりは2人の父親が甘やかしすぎたのだろう。
月島は『ふむ』と考える。
どこから鯉登に性的知識を叩きこもうと悩んでいた。
そして…


(仕方ない…杉元に全て委ねるか…)


月島は諦め水城に全てを投げ捨てた。
あの発言からして童貞を嫌っている様子はないだろうし、なんだかんだ言って水城も鯉登にはベタ惚れのようだからノリノリで童貞を食うイケナイお姉さんになってくれるだろう。
むしろそれさえも興奮材料になるだろうしな―――と考えるのを放棄しそう思う事にした。
とはいえ無知のまま近所のイケナイお姉さんのもとに放り投げるのも鯉登が気の毒だ。
ある程度の知識は入れておいた方がいいかもしれないと月島は判断する。


「いいですか、鯉登少尉殿」


月島が考え込んでいると気づき鯉登は水城も気になりつつ黙って待っていた。
視線を下へと落として考えていた月島は考えが纏まったのか静かに鯉登へ視線を戻す。
鯉登は月島の真剣な声色に釣られ、表情を引き締める。


「貴方は初めてです…なので彼女に全て任せてください」


その言葉に鯉登は眉を潜めた。
その顔に何を思っているのか手に取る様に月島は分かった。
現代ほど女性が表へと出る時代ではないが、鯉登は特に亭主関白が強い出身の男である。
やはり女性にリードされるのは男として納得いかないのだろう。
だが鯉登に知識を埋め込んでも水城との性行為は失敗するのは目に見えて分かっている。
納得いかないだろうとなんだろうと経験者である水城に委ねるしかないのだ。


「納得いかないのは分かっています…好いた女性に任せるのは男の威厳が許せないのも……しかし鯉登少尉殿は一度も異性との行為を経験していないと以前に仰っていましたね?…その場合失敗してしまうでしょう…彼女は媚薬を盛られています…失敗したからと今度にしようなどは出来ません…彼女は体が火照っていますが自分の意思で火照っているわけではなく苦しんでいるのです…どうか愛する女性を想いここは恥を捨ててください」


鯉登は月島の言葉にハッとさせる。
そうなのだ。
こうして呑気に話している今も水城は発散できない火照りに苦しんでいる。
男としての威厳のために雪乃を苦しめるか、雪乃の救うための恥を捨てるべきか…鯉登は考えるまでもない。


「そうだな…すまない……確かに経験がない私では雪乃を傷つけてしまう可能性もある」


頷く鯉登に月島は安堵する。
鯉登は頑固ではあるが、素直なところもある。
今はその素直さに救われた。
月島は全て水城に任せたとはいえ、ある程度の知識を鯉登に教える。
それを真面目に聞き頭に叩き込んだ鯉登を見た後、月島は続けた。


「それと…どんな媚薬を盛られたかは分かりませんが……恐らく中に出さない限りは収まらないと思います」


頭の中で整理していた鯉登は月島の言葉にカチンと固まった。
見事に固まる鯉登に月島は黙って彼が解凍されるのを待つ。


「……中に、出す…というのは…あれか…あれなのか、月島…」

「はい、あれですね」

「…………」

「…………」


流石に中出しの知識はあるのかと思う。
内心中に出すという意味が分からなかったらどうしようかと思ったが、流石にそんなことはなく安心した。
頷く月島を見た後鯉登は再び口を閉じる。


「…子供が出来る可能性があるということだな……」


ぽつりと呟かれたその呟きには嬉しさも焦りもなく、淡々としていた。
それに月島は片眉を上げ意外そうに鯉登を見る。
彼の事だから嬉しく思うのだとばかり思っていた。


「嬉しくはないのですか?彼女の事をずっと想い続けておられたのに」


思わず鯉登にそう問いかけてしまった。
あっ、と思った時にはすでに言葉は音にして鯉登に届いてしまっている。
月島の問いに鯉登は月島を見た後視線を水城のいる部屋の方へと向ける。


「嬉しくないわけではない…私だって男だ…雪乃との間に生まれる子供の事だって考えもした………ただ…実感がないのだ」

「実感、ですか」

「ああ…雪乃はずっと死んだ事にされていたからな…未だにこうして雪乃が生きていて手の届くところにいるのは夢ではないのかと思う時がある…」


水城との間に子供が出来ることは勿論ずっと想い続けてきた身としてとても嬉しく思う。
むしろ今すぐに籍を入れる事も厭わないほどだ。
だがしかし、実感がないのも確かだ。
あまりに雪乃と離れすぎて、あまりにも雪乃が死んだ事にされすぎて、今でも時々これは自分が雪乃が生きていると思い込みすぎて見ている夢ではないのかと思うのだ。
きっと夢ではないと思えるようになるまでは時間が必要なのだろう。


「ところで…どんな媚薬を飲まされたのか分からないのに解消方法が分かっていたな…なぜだ?」

「以前友人が意中の女性を落とすために媚薬を使用したのです…それと倦怠期でした友人が妻に使用したのも聞いたことがあります…意中の女性を落とそうとした友人は子供が出来るのを避けるため避妊をしていたのですが女性の火照りが中々切れず、結局何度か中に出す事で解消したらしいので…倦怠期の友人も最初は避妊していたらしいのですが同じく中に出したと聞いています」


鯉登の周りの友人達も流石に媚薬には手を出していないのか、月島の知識でしか解決方法が分からない。
媚薬など童貞処女でなくてもそうそう使用しようと思う者は少なく、鯉登も月島を通しての経験者からの体験談にすぐに納得する。


「その…回数とかは、決まっているのか?」

「すみません…それは分かりかねます…正直惚気話だと真面目に聞いていませんでしたし媚薬自体に興味はありませんでしたので…」

「そ、そうか…」


申し訳なさそうな月島に鯉登は知らないなら仕方ないとそれ以上は聞かなかった。
月島はこれ以上待たせては水城が可哀想だと言い、鯉登とともに部屋を出た。

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