(133 / 274) 原作沿い (133)

鯉登は月島と部屋の前で別れ、緊張した面持ちで水城が待っているであろう部屋のドアノブを捻り入る。
中に入れば誰もいないかのように静かだった。
部屋の奥にあるベッドへ近づけば水城が横たわっていた。
水城はまるで自分を守る様に丸まっており、鯉登は一瞬眠ってしまったのかと思ったが気配に気づいたのか瞑っている目を薄っすらと開け、水城は鯉登へ視線を向けた。
その瞳は熱っぽく、琥珀色が濃くなっているようにも見えた。
火照りからはうっすらと頬が赤らんでおり、薄っすらと開かれた唇からは熱い吐息が吐き出される。
その姿を見て鯉登は思わずゴクリと唾を飲み込んだが、水城が体を起こす際聞こえた衣擦れの音にハッと我に返り慌てて水城に駆け寄る。


「無理をするな!…体を横にする方が楽ならそうしていろ」

「うん…ごめん…」


身体を起こす動作も億劫そうに見えた鯉登は無理に体を起こす必要はないとそっと水城に触れる。
触れる水城の体は服越しなのに熱があるように熱く感じた。
鯉登に触れられただけなのに水城はピクリと肩を揺らす。
いつもなら特別気にすることのない微かな反応なのだが、その反応が火照りからくるものだと知っている鯉登はつい変に意識してしまう。
ベッドに横になる水城の傍に座り鯉登は月島から聞いた話を水城に伝える。
媚薬を盛られたと聞かされた水城は微かに目を丸くしてはいたが、納得したのかすぐに『そう』と返した。


「知ってたのか?」

「ううん…変だとは思ってたから…一人で発散しても火照りが治まらなかったし…」

「そ、そうか…」


媚薬を盛られたとは思ってはいなかったが、聞かされれば納得いく点があった。
鯉登に再会して欲情したにしてはしつこい性欲に違和感を感じていた。
水城の言葉に鯉登は返事を返し、気まずげに水城から視線を外す。
まだ言っていない事があるのだ。


「それでだな…月島から聞いたのだが…その媚薬は恐らく……その……中に出さない限りは治まらないらしいんだ」


水城は鯉登の言葉に呆気に取られ、鯉登を見る。
自分から目を逸らす彼の顔は真っ赤に染まっており、水城は暫く脳が停止していた。


「………は?」


やっと声が出たと思えば言葉にもなっていなかった。
呆気に取られている水城の返しに鯉登はゴホンと咳ばらいをし、覚悟を決めたのか逸らしていた水城の目を見つめる。


「だからな、雪乃の中に精を出さないかぎり治まらないと言っているんだ」

「………は?」


再び水城は言葉にならない返事をしてしまう。
それほど水城は困惑していた。
鯉登は全く理解できていない水城に顔を真っ赤にさせたままもう一度同じことを言う。
もうこれは拷問ではないのか?と内心思いながら羞恥に身体を震わせていた。
しかしその効果もあってか、水城の頭はやっと追いつき、水城は鯉登の言葉を理解した瞬間、血の気を引かせながらも火照りと照れから頬を赤く染めるという器用さを見せる。


「ま、まって…それって…音之進と寝るってこと…?」

「当たり前だろう!私は誰にもお前の肌に触れさせるつもりはない!」


男前の言葉に胸をときめかせながらも水城はガバリと起き上がる。
鯉登の言葉からして性行為をすることが前提に話が進んでおり、水城はギョッとさせた。


「音之進その意味本当に分かってるの!?性行為をするって言ってるのよ!?同衾するってことだよ!?」

「分かってるに決まっているだろう!なぜそれほど慌てふためく!?それほどに私とするのが嫌なのか!!」


気恥ずかしさに襲われていた鯉登だったが、顔を青ざめるという予想外の水城の反応を見てカチンと頭にきた。
なぜそこまで嫌がられなければならないのか。
水城が本気で拒んでいるわけではないと分かったとはいえ、拒まれて気分を害さない人間はいない。
それが好いた女ならば余計にだ。
水城は鯉登の『嫌いか』という言葉に慌てて否定するように首を振る。


「だって…私達…まだ、そんな関係じゃないし…そ、それに…再会したばかりだし…ま、まだ早すぎるっていうか…」


顔を赤らめ視線を逸らす水城の言葉に鯉登はムッとさせた。
そんな関係じゃない、というのが気に入らなかった。
そんな関係もなにも、自分たちは想い合っている間柄ではないのか、と。
怒鳴ってやりたかったが、しかし、それでは堂々巡りだと鯉登は気づく。
落ち着くように息を吸い込み、まっすぐ水城を見つめる。


「……私はこの想いに気づいてからずっと雪乃に触れることを夢見てきた…再会してまだそれほど経っていないのは私も同じだ…崩れてしまった関係を一から築き直さなければならないのも理解している……だが…それでも触れたいのだ…この手で、この腕で、この目で、私の全てで雪乃に触れ、暴き、愛したい…そう思う事に…雪乃を愛する事に時間など必要ないだろう」

「…っ」


鯉登の言葉に水城はカッと頬を赤らめた。
その顔を、その反応を見られたくなくて俯き、手で顔を隠す。
そんな水城に鯉登はそっと顔を隠している手に触れ水城の顔を露にさせる。
水城の顔はこれでもかと言わんばかりに真っ赤になっており、先ほどまで青かった顔が見事に赤く染まっていた。
恥ずかしさからか、顔を赤くし涙目で見る水城の瞳に鯉登は感情が高まるのを感じた。


「雪乃…私は薬を盛られたお前を救いたいと思っている…だけどそれだけではない…私は誰にもお前を触れさせたくはない…お前の肌に触れる男は全て斬り捨てたいと思うほどお前が愛おしくてたまらないのだ…私がお前を抱くのは薬のせいだと思いたければ今は思えばいい…だけど私は薬を盛られたからと、媚薬のせいでだからと…そんな言い訳はするつもりはない…私はお前を愛する一人の男として愛したいのだ…」


まっすぐ見つめる鯉登の瞳を見て水城は本気だと気づく。
嬉しかった。
しかしまだ尻込みしてしまっていた。
鯉登の気持ちはちゃんと水城の心にも届いており、水城は勝手な女だというのにまだ愛してくれていることがたまらず嬉しかった。
でも、それでも後ろめたさがなくなるわけではない。
水城は鯉登から視線を逸らすように俯く。


「音之進がまだ私を好きでいてくれるのは嬉しい…でも、私が貴方以外の男の人と寝てたこと…知ってるでしょう?」

「知っている…しかしだからどうした?私は別段処女であることに拘りはないぞ」


鯉登は水城が処女でないことを気にしているのだと思った。
鯉登は童貞で、自分が処女でないことを気に病み、更に相手が毛嫌いしている尾形だということを気にしているのだと思った。
確かに世の中には処女を好む男はいるが、自分はそうではないのだという誤解を解きたかった。
だが、鯉登の言葉に水城は首を振った。


「そうじゃなくて…相手が誰か知ってるってこと」


水城は処女でないことや乱暴されたことはすでに過去に話している。
今でも変わらない気持ちでいてくれることに嬉しさを感じている。
ただ、もうそんな過去の話が問題だという事ではなく…水城が言いたいのは鯉登と別れてからの体の関係を結んだ人物の事だった。
水城の言葉に鯉登は思わず口を噤んでしまう。


「…知っている」

「それって尾形だけじゃないっていうのも?」


水城の言葉に鯉登は静かに頷いた。
頷きを見て水城は『そっか』と小さく呟きながら静かに視線を逸らす。
知っていることに驚きはあったが、すぐに納得した。
吉平は数年前に死んだ一軍人とはいえ、どんなに嫌おうが吉平と鯉登は血の繋がりという縁で結ばれている。
軍にいるのだから吉平と水城の噂は耳にすることもあっただろう。
鶴見から聞いたのか、月島から聞いたのか、それとも誰かが噂しているのを聞いたのか…分からないが、ならば話が早い。


「私、お兄様と寝たよ…何度も…それこそ…尾形よりも…子供を作るために…身体を重ねていたの…」


鯉登がその言葉に息を呑むのを水城は感じた。
言葉も失っている様子の鯉登に水城は彼を見る事さえできず、内心『そりゃそうか』と思う。


(誰が好き好んで毛嫌いしている男二人と寝た女を愛せるっていうの)


尾形も吉平も、どちらも鯉登が嫌っている男達だ。
その男達と水城は体を重ね、内一人とは子を設けた。
どちらも子供を設けるという目的は一緒だった。
吉平も尾形も…水城も…子供を作ることを意識してお互い体を許したのだ。
水城の中ではもう鯉登とは終わりだと思った。
いくら懐の深い鯉登とて許せる範囲を優に超えているだろう。
どれほどの罵倒を浴びようとも水城はそれを受け止めると決めた。
受け止めなければならないことを、水城はしたのだ。
だがかといって怖くないわけがない。
愛し気に見てくれたその目からは冷たく蔑んだ目で見られ、好意を告げたその口からは否定をする言葉が吐き出される。
想像するだけでも耐えがたいが、耐えるしか…否、受け止めなければならない。
奥歯を噛みしめ、来るであろう罵倒にギュッと拳を握る。
それほどまで水城は覚悟していた。
しかし…


「これまでさぞ辛かっただろう…すまない、私がもっと気を付けていればお前にそんな思いをさせずにすんだのに…」


ぎゅっと拳を握る水城の手の上に鯉登は己の手を重ねた。
掛けられた言葉は罵倒でもなく冷たい言葉でもなく、優しい、水城を気遣う言葉や声だった。
その予想外の鯉登の反応に水城は目を丸くし、おずおずと顔を上げ鯉登を見上げた。
鯉登は冷たく見下ろすのでもなく、その感情を隠している様子もなく、水城を労り、悲し気に、しかし優し気に水城を見下ろしていた。
水城は目を瞬かせる。


「…私…お兄様と尾形と寝たんだよ?……私を…嫌いにならないの…?」


普通ならそんな恋人の裏切りを許す男はそうそういない。
いたとしてもすでに恋人への愛情が薄らいだだけだろう。
だが、鯉登からそんな気配は見受けられない。
いくら鈍いと言われていても鯉登への感情が偽りではないのを水城は知った。
ならなぜ恨まないのか。
なぜ憎まないのか。
普通ならば嫌われて当然な事を水城はしてきたというのに。
しかし、そんな水城の言葉に鯉登は首を振る。


「お前が好んで触れさせるとは思えん…何か事情があったのだろう?」

「…っ」


鯉登には水城が自分への想いが変わっていないのを何となく分かった。
なぜ分かったかは鯉登自身分からないが、これが勘というものだろうか。
水城は自分から吉平の手を取り、尾形の手をも取ったと思っている。
しかし吉平は脅され、尾形はそれしか選択肢がなかったのだ。
水城は自分の意思で二人の手を取ったと思う事で鯉登への後ろめたさを自分の罪に変える事で心を守ってきた。
だけど鯉登はそんな水城を責めるでもなく、理解しようとしてくれている。
水城は鯉登の言葉に琥珀色の目に涙を溜める。
顔を手で覆って泣く水城を鯉登は引き寄せ抱きしめ、水城は鯉登の胸に縋った。

133 / 274
| 目次 | 表紙 |
しおりを挟む