(143 / 274) 原作沿い (143)

試合は白熱していった。
お互い試合で相見えるのを望んでいたのもあり、水城の相手は必然と囚人の男――岩息となっていた。
筋肉質の男に対して水城は引き締まっているが無駄な筋肉がない女性らしい身体の持ち主…見た目ではどちらが勝つなど目に見えていた。
しかし昨夜の試合で水城の実力は知れ渡っており大本命達の殴り合いに会場は大盛り上がりしていた。
水城は岩息に重い拳を腹に一発、放つ。


「おぐふう――ぅぅぅぅ良い良い良いッ!!杉元さんイイヨ!!」


女の身で男のように力を発揮する水城からの痛みに岩息は喜びを感じた。
ここまで力を見せてくれた女…いや、人間はそう会えなかった。
同じ囚人だった牛山や過去に何人かはいたが、女の身でここまで自分が満足いく殴り合いが出来る人間は水城が初めてだ。
まるで牛山とやりあった時のように岩息は興奮する。
水城もそれに答えるように岩息のパンチに膝をつきかけたが、何とか持ちこたえ、痛みを感じていないわけではないのに力を入れて岩息を殴る。
そして岩息も水城に応じるようにやり返していく。
水城は殴られ続け、少し考えが纏まらなくなっていく。
ぼうっとしはじめ、しかしその手や体は止まらない。
誰もが水城の様子に気づかなかった。
岩息と向かい合っていたが、鯉登と戦っていた男が殴り飛ばされ水城にぶつかり、水城はその男を殴る。


「コラーッ!!私を見ろ!!」


他の男によそ見する水城に岩息が嫉妬し駄々を捏ねる女のようにポカポカと水城を殴る。
水城も殴り返していると思いっきり殴りつけられ水城は後ろへ体が傾きかける。
しかし後ろには谷垣がおり、谷垣にぶつかった。


「杉元!大丈夫か!?」


戦っていると谷垣の背中に衝撃が走り、ドッと何かがぶつかる衝撃にそちらに目を向けると水城がいた。
岩息に殴り飛ばされてぶつかった水城に谷垣は声を掛ける。
しかし、水城からの返事はない。
水城に気を取られている隙に対峙していた相手の拳が顔に当たり、谷垣はやり返した。
そうしている間に相手は4人中3人がノックダウンされ倒れてしまう。


「さあさあ!!刺青の男以外やられたぞッ!!」

「やれぇ!日本軍!!」

бeйиx(殺せ)!!」


三人目の男を月島が倒し、全員残った最後の1人を見る。
最後まで残ったのは、岩息だった。
岩息は水城と殴り合ったというのに元気そのものだった。
グッと力拳を作るように両腕を持ち上げて叫ぶ。


「四人同時に殴って来て欲しいッ!!」


そう叫ぶ岩息に歓声が上がった。
筋肉も日本人にしては鍛えられておりロシア人に負けず劣らずだが、何より岩息がここまで上り詰めたのは頑丈さも備わっているからだろう。
殴られることに快楽を得ているようではないが、殴り合いに喜びや生きがいを感じているのだろう。


「舐めくさりおって…!!」


挑発に乗るように鯉登がそう吐く。
お望み通り四人同時に岩息を殴りだす。
相手は軍人である。
4人中一人は女、そして軍を抜けたが、それでも水城も谷垣も地獄のような特訓を受け体は屈強となっている。
ロシア人をも倒す4人の拳を受けても岩息は平然のように立っていた。


「もっとぉ!!もっとぉ!!んモットォ!!!」


そう叫びながら岩息は4人の拳を受け止めただけではなく、身体を振り回して4人をほぼ同時に弾き飛ばした。


「なんて奴だ…」

「強すぎる」


倒れる月島達は唖然と岩息を見つめた。
歓声を受け両手を上げて観客達にパフォーマンスをする岩息を見れば殴れば殴るだけ強くなっているようにも感じてしまう。
体力の底が見えなかった。


「どうだい、これが私だ」


大歓声は全て自身に向けられたものだ。
その声にうっとりとしそう呟いたその瞬間―――水城の蹴りが当たった。
斜め下から首元に目掛けて蹴りが入り、岩息は不意打ちに倒れてしまう。


「…え?」


負けたと悔しがる暇さえなかった。
突然歓声を浴びる岩息を水城が蹴り飛ばし、月島達は呆気に取られる。


『ふざけるな!!』

『お前らに金賭けてるんだぞ!!』


スチェンカは拳と拳の殴り合いだ。
蹴りはルール違反である。
ルール違反を犯した水城に観客達から一斉にブーイングが沸き起こった。


「杉元どういうつもりだ!?」


呆気に取られていた谷垣が慌てて水城に駆け寄り声をかける。
八百長をしなくていい妙案があるからここまで従っていたのに、水城はルール違反を犯した。
そうなると水城達は負けと決まり、あの店長の思惑通りになってしまう。
わざと負ける気がなかったはずの水城の突然のルール違反に驚いていたが、なぜか谷垣も水城に殴られてしまう。


「あ!そうか雪乃!これがお前の『妙案』なんだな!?」


突然の恋人の変貌に驚きながらも鯉登は水城の妙案を信じているようだった。
しかし返ってきたのは頷きでもなければ、恋人の愛らしい笑顔でもなく…無遠慮の恋人の拳であった。


「落ち着け杉元!!」


谷垣、鯉登、と二人が倒され月島も止めようとした。
しかしやはり水城の拳を顔面に受けてしまう。


『やっちまえ!!!』


暴れ出しルールを破った水城に観客達が怒り出し、フェンスを乗り上げて雪崩れ込んできた。
もはや誰が味方で誰が敵か分からずぐちゃぐちゃに傍にいた人間を殴りだす。
月島も鯉登も谷垣も無差別に襲い掛かってくる男達を殴るしかこの場の防衛方法はなく、殴られた後休憩もする暇もなく次から次へと湧いてくる男達を倒していく。
それは水城も同じだった。
水城は周囲にいる人物を無差別に殴っていく。


「―――私が不死身の杉元だッ!!」


錯乱しているように水城は意味の分からない言葉を叫ぶ。
日本語のため通じるのは月島達だが、今の状況では日本語が通じても熱気と興奮に誰も気にも留めないだろう。


「雪乃!!一体どうした!!」


水城の急変に鯉登が傍に向かおうとするも行く手を雪崩れ込んできた男達に邪魔されてしまう。
目の前の男や背後から襲ってくる男達を倒しても波に流され水城から離れていくばかりだった。


『これだ…人の殴り合いをただ見ているのはスチェンカじゃない…!』


ステェンカを見に来ていた老人がその光景を見てホロリと目から涙を流す。
彼はスチェンカを見に来ているが、心は本物のスチェンカを望んでいた。
ただ見ている試合形式となってしまったスチェンカ。
だが、スチェンカは元々村対村の戦いだ。
乱闘こそがスチェンカなのだ。


『これこそがスチェンカなのだ!!』


老人はそう叫んだ。
感極まり、老人は叫ぶ。
惜しまれくは年老いてしまったため争いに参加できないという事だろう。


「雪乃!!大丈夫か!!」


鯉登はやっと障害を乗り越え水城のもとへ駆け寄ることができた。
しかし…


「!」


ぶしゅ、と血が鯉登の手から垂れた。
しゅるしゅると切れたバンテージが足元に落ちていく。
鯉登は突然の痛みに目を瞬かせ手を見る。
小指側の側面が一本線を描くように切られており、そこから垂れる血で白いバンテージが赤く染まっていた。
その傷を見た後水城へ目をやる。
水城は壁にかけてあった弓湾曲の鎌とカナヅチを手にしていた。


「杉元?」


鯉登は何が何だか分からなかった。
心配して駆け寄ってみればなぜか味方のはずの水城に切られなければならないのか、と。
谷垣が困惑したように声を掛けると水城はカチャリと金属音を立てて鎌とカナヅチを構える。


「第七師団…」


水城が鯉登の手を切ったのを見て周囲が静まり返っていた。
そのため水城の呟きは谷垣達にも聞こえ、水城ゆらりとゆっくり月島達の元へ歩み寄ろうとしていた。


「鯉登少尉殿!!これは『妙案』じゃありません!!『殴られ過ぎ』ですッ!!!」


向かってくる水城に鯉登は下がることなく立ち尽くしていた。
愛した女に切られたのだ…ショックだったのだろう。
しかしよく見れば水城の目は虚ろで、視線は鯉登に向けられてはいるが焦点は合っていなかった。
更には尾形から受けた頭の傷跡から液体が流れ、それがどこか泣いているように見えて鯉登は胸を締め付けられる。
正気を失っているらしい恋人を助けたい一心で鯉登は水城に立ち向かおうとした。
しかし、それを月島が止める。
月島は鯉登の腕を掴み水城から放す。


「放せ!!雪乃を正気に戻さねば…!!」

「杉元は刃物やカナヅチを持っているのですよ!?今は無理です!!とにかく杉元から逃げてください!」

「しかし…!」

「素手の我々が刃物を持っている相手に勝てません!!それに鯉登少尉殿をこれ以上傷つけたと彼女が知れば悲しみますよ!!今は彼女から距離を置き頃合いを見て正気に戻しましょう!!」

「…ッ」


月島は水城と鯉登の仲を取り持つ任務もあるが、何よりも上官である鯉登を守ることも月島の仕事の一つだ。
それに水城は男顔負けの戦闘力を持っている。
下手をしたらこの村にいる全ての男を相手にしても生き残れるくらいの腕力と戦闘力を持つ女である。
そして、水城は死に直結するような傷を負っても生き残るほどの豪運持ちだ。
月島と谷垣は戦場で不死身の姿を見ていたから水城の強さに信頼を置いているが、鯉登はまだ戦場に赴いたこともなければ水城を唯一ただの女性として見ている男だ。
月島の『自分を傷つけたと水城が知ったら傷つく』という言葉に鯉登はグッと言いたい事を飲み込み無理矢理納得して水城から離れた。
乱闘していた観客達も武器を手に持つ水城に慌てて逃げだしていく。
逃げていく観客を追っていくと立ち上がろうとした岩息を見つけ、水城は岩息に向けて鎌を振り下ろした。


「おわッ!」


その鎌を何とか避け岩息は水城の豹変に目を丸くさせた、その時――


「金…塊」

「―――!!」


ポツリと水城は焦点の合っていない目で岩息を見つめ、岩息は水城の言葉に更に目を見開く。


「最初から私の刺青が目当てか!?酷いじゃないかッ!!分かり合えると思ったのに…!!」


水城を試合で見た時から何か特別な感情を持っていた。
女の身でなぜ軍人の恰好をして、なぜ軍人たちと行動を共にしているかは分からない。
しかし分からなくてもいいと思った。
自分と水城はすぐに共感したようにお互い意識をしていた。
分かり合えると思ったのだ。
拳と拳で分かり合えると。
岩息は女は殴らない主義だが、水城は別だとすぐに意識を変える。
しかし、結局水城の狙いは自分ではなく金塊の在処を示す体の刺青だったと知り、岩息は…哀しきモンスターである岩息は涙を零しながら水城から去っていった。
その後を月島達は追いかけ、外に出る。

143 / 274
| 目次 | 表紙 |
しおりを挟む