(154 / 274) 原作沿い (154)

それから何時間も練習し、流石に水城も疲労の色を隠せないのか山田から休憩を貰った。
水城は気持ちが落ち込んでいるのもあり素直にその休憩を頂き、天幕の外にある裏側へと足を運ぶ。
1人になって頭を冷やしたかったのだ。
しかし、そこには先客がいた。


「…なにしてんの、谷垣…」


そこには積荷に座ってさめざめと泣く谷垣がいた。
泣き方がどう見ても幼女だった。
こちらも落ち込んでいるし他人なんかを気に掛ける余裕などありもしないので無視してもよかったが、何となく隣に座る。
話を聞くに、どうやら谷垣は少女団にぶち込まれたのはいいが、上手く踊れず振り付け担当のフミエ先生にえらく絞られてしまったらしい。
『俺は少女団のお荷物なんだ…!!』と上手く踊れない事に責任を感じこうして裏で泣いていたらしい。
普段なら『フーン(棒)』なのだが、水城も他人事には聞こえなかったので優しく背中を撫でてやる。


「分かる…分かるよ、谷垣…私もそうだから…」

「杉元も…?」

「うん…私の方はさ、音之進みたいな技術とか谷垣達みたいな踊る練習とか要らないんだけど…どうも斬るときの演技が駄目らしくて……刺さるよりゆっくり引いて斬る方が痛いのにさ…なのに『痛いって言わない!』って怒られて…」

「そんな…ゆっくり引いて斬られた方がすごく痛いじゃないか……思わず痛いと言ったって仕方ないのでは…?」

「でしょ?リアルさを追求したら怒られたんだ…」


谷垣も戦場にいたため痛みにも種類があるのを身をもって知っている。
刀ではないが銃剣で刺された事もある。
なのに座長は『痛いというな』と無茶を言う。
『私はダメなんだ…』と遠くを見る水城に谷垣は見てられず思わず抱きしめた。


「杉元はダメなんかじゃない!!ちゃんと頑張ってるじゃないかっ!!」

「ハハ…うん…ガンバッテル…うん……はあ…」

「ま、負けるな!負けるな杉元!頑張れ〜!!」


谷垣の豊満な胸に顔を埋め(させられ)、谷垣に応援される。
案外他人に応援されるというのは良いもので、落ち込んでいた気持ちも少し和らいでいくのを感じた。


「ごめん、ちょっとだけ胸貸して…」

「ああ!いくらでも貸してやる!!頑張ろう!杉元!俺もフミエ先生に負けない!頑張ろう!!!」


顔を埋め(させられ)てる谷垣の胸に水城は更に頬ずりをしながら、むにっと更に顔を谷垣のお胸様に沈める。
水城ほどではないが、谷垣もインカラマッのヒモになって以来筋肉よりも肉がついてきたので、谷垣のお胸様は男にしては柔らかくて気持ちよかった。
『音之進のとは違う…ふわふわ…気持ちいい…』と筋肉質な鯉登の胸との違い(贅肉と胸毛のクッション)に精神面で参っていた水城は癒されうとうととし始めた。


(なにやってんだこいつら…)


その一連の流れを一部始終月島は見ていた。
谷垣の姿がなく気になって来てみればさめざめと泣いている谷垣がいた。
声をかけようか迷っているとそこに水城が現れ、お互いの傷の舐め合いが始まった。
水城以上に月島の目は遠くを見つめており、スンっと表情さえ浮かぶことはなかった。
しかしこのまま放っておくのもできまい。
谷垣と水城の間に愛情はないとは言え、こんな熱い抱擁を上官に見つかったのなら面倒くさい事になることこの上ない。
『さっさと練習に戻れ』、と鬼軍曹の名のもとに心を鬼にしようと思ったその時―――猿叫が聞こえた。


「雪乃!!!きさん!ないをしちょっ!!」


標準語さえ喋れなくなったその人物の声に月島は頭痛がして頭を抱えた。
はああああああああ、と重すぎて地面にめり込む勢いの溜息を吐き、顔を上げればやはり確認するでもなく鯉登がいた。
鯉登はふと水城の姿がない事に気づき、山田から休憩を貰った事を聞き水城を探していたらしい。
あの喧嘩以来ギスギスな関係を終わらせたくて、探していたのだ。
そしたら見知らぬ男(樺太から共に旅をしている谷垣)と熱い抱擁をしてるではないか。
これが猿叫せず何を叫ぶのか。
鯉登に浮気現場(違う)を見つかった水城だが、慌てるでもなく至って冷静だった。
しかし対して鯉登の恋人である水城を抱きしめているのを見つかった間男(谷垣)はあわあわと慌てて水城から離れようとした。
しかし水城にぎゅっと抱きしめられしまい失敗してしまう。


「何をしているのだ雪乃!!さっさとその男から離れんか!!」

「いやですぅ〜今谷垣に胸を貸してもらってるんですぅ〜離れません〜」

「胸なら私がいくらでも貸してやる!!だからそんな男に触るな触らせるな!!抱き着くな!!頬ずりするな!!!」


うりうりと谷垣のお胸様に水城は頬ずりする。
恋人がいるというのに他の男の胸に顔を埋め抱き着く水城に我慢できず、鯉登は谷垣と離れさせようと水城の腰に腕を回して無理矢理引き離そうとした。
力ずくで引き離そうとする鯉登に水城は更に谷垣に抱き着く力を強くして抵抗する。


「いや!音之進の胸固いもん!!谷垣の胸みたいにふわふわもこもこになってから出直してきて!!」

「騙されるな雪乃!!その肉はただの贅肉だ!!同じ男の胸ならば私の胸でも十分じゃないか!!!私ならこの男よりも優しくしてやるし甘やかしてやるぞ!!だから大人しくその手を放せ!」

「贅肉がなによ!!いいじゃない贅肉!!ぷるんぷるんじゃない!!ぷにぷにじゃない!!!あったかいじゃない!!良い事じゃない!!!謝って!!谷垣の贅肉に謝って!!!」

「なぜ私が謝らなければならないんだ!!いいから!とっとと!その手を!離せと!言っている!!!」


胸を貸してもらうなら何もぽっと出の男(顔出しは原作二巻からの谷垣)じゃなくてもいいのではないか。
そもそも恋人がいるのだからなぜ恋人である自分の元に来ない。
鯉登は嫉妬で苛立ちを募らせる。
谷垣は谷垣で、なぜ馬鹿ップルの喧嘩に挟まれなければならないのか…それも贅肉贅肉と罵られなければならないのか…考えるのも馬鹿馬鹿しく思考が停止していた。
とりあえず何もせず何も言わないのが吉だなと思い遠い目で時が過ぎるのを待った。
しかし水城も女だてらに軍人などやっていたわけではない。
男の力に負けじと水城も必死に谷垣に縋りつく。
頑固な恋人にぐぬぬと唸っていた鯉登だったが、ふと思いつく。


「あそこにいるのはアイヌの少女ではないか!?」


鯉登が思い付いたのは水城の気を逸らせ力を抜けさせようとするものだった。
だがしかし、その言葉の選択に無理があった。
アシリパをダシに使うのはいいのだが、前を進んでいるアシリパがこんなところにいるわけがないというのは誰だって気づく。
しかし…


「えっ!どこどこ!?」


アシリパ厨の水城は見事簡単に引っかかった。
鯉登が指さす方へ意識を向けたせいで腕の力はおろそかとなり、水城はグイっと鯉登に引っ張られた。
鯉登はまた谷垣に抱き着かれてはたまらないと谷垣と距離を置くように数歩後ろに下がる。


「引っかかったな雪乃!こんなに早く見つかるわけがなかろう!!」

「酷い!!音之進酷い!!最低!!最低だこの男!!!騙したわね!!!」


後ろから抱きしめられる形で拘束されている水城は鯉登の腕の中で暴れる。
暴れて抵抗する水城をよそに鯉登はフンと鼻を鳴らした。
腰に回されている腕を叩いても殴ってもビクともしないため、保護者の月島に助けを求める。


「ぐんそ〜〜!つきしまぐんそ〜〜!助けて!!」

「お前は…!!次から次へと男に色目を使いおって!!」

「どこが!?今のどこらへんが色目を使ったことになったの!?ただ助けを求めてただけですけど!?」


助けを求めて手を伸ばすが、月島からは顔ごと逸らされ見捨てられた。
そんな月島に水城は『ちょっと!!そこの保護者!!育児放棄すんな!!』と叫んだ。
確かに同情をしてもらおうとちょっと甘えるような声を出したことは認める。
認めるが、断じて色目を使ってはいない。
水城としては色目を使ったわけではないのに、鯉登としては色目を使ったことになったらしい。


「杉元、落ち着け…鯉登少尉殿も一々杉元を煽らないでください」


まだギャンギャン叫んでる二人に流石に無視し続ける事もできず月島が止めに入る。
すでに一座中にこの騒動は広まっており遅いと思うが、これ以上軍の汚点と恥を見せるわけにはいかない。
上官と弟のように可愛がっていた別師団の元一等卒に月島はそう辛辣に思いながら入った事で水城は落ち着いたのか鯉登に抱きかかえられたままだが、落ち着きを取り戻し大人しくなる。
鯉登は『煽ってなどおらん!』と言いながら月島の言葉には素直に聞く水城に拗ねた表情を浮かべていた。


「鯉登少尉殿も杉元も…いい加減にしてください…鯉登少尉殿は杉元と喧嘩をするためにこちらに来たわけではないのでしょう?」

「当たり前だ…私は雪乃と話をしたくて来たのだ…あのままでは嫌だったからな……だと言うのに私という者がありながら浮気をしおって…!」

「あれが浮気だったら男と目と目が合うのも浮気になるでしょうが!!」

「浮気だろうが!!本当なら網走監獄で負った怪我が治った日に入籍し家に閉じ込めてもよかったのだぞ!!お前がまだ帰れないと言うから自由を許しているだけで浮気を許しているわけではない!!!」

「だぁかぁらぁ!!あんなの浮気じゃないって言ってるでしょうがぁ!!!その目は特殊加工されてるの!?節穴なの!?」

「お前のその目に私以外が写るのが我慢ならんのだ!!!」


話が段々と浮気か浮気じゃないかにすり替えられていた。
再び喧嘩が始まった二人に月島は『見捨ててやろうかこいつら』と若干やさぐれていると…


「なによ!!そっちだって女の子にキャーキャー言われて鼻の下伸ばしてたくせに!!!自分だけ浮気浮気って!!横暴よ!!」


水城の爆弾発言にその場は静まり返る。
しかし、自分だけ浮気だなんだと責める鯉登に水城は腹を立てて気づいていない。


「タオルなんか貰っちゃってさ!!何が『すまん、助かる』よ!!なに格好つけてるわけ!?『鯉登様』とか女の子に呼ばれて嬉しそうにしちゃってさ!!あれだからね!ああいうタイプの女の子は他に美形がいたらすぐそっちに行くからね!!音之進だけが特別好きってわけじゃないんだからね!!なのにちょっと若いからって鼻の下伸ばしちゃってさ!!そりゃ私は音之進よりも年上だし!顔や体に傷あるし!子連れだし!白石には散々ゴリラとか言われるほどガサツだけどさ!散々好きだなんだと言っておいて若い子に鼻の下伸ばすなんて最低よ!!」


言い終えた水城は興奮したのもあって、ハアハアと息を荒くさせていた。
水城が叫び終えると辺りは一気に静まり返り、そこで水城はやっと鯉登達が黙り込んでいるのに気づく。
はたと周りが静かなのに気づき周りを見渡す。
目の前にいる谷垣は驚いた表情を浮かべており、月島は何故か悟りの境地に達した人間の表情を浮かべ遠くを見つめていた。
そんな二人の反応に怪訝とさせていると、水城と目と目が合った谷垣が顔を赤くしてあわあわと水城から目を逸らす。


「その……仲睦まじくて…羨ましい事だ…」


『は?』、と水城は素で返した。
何が仲睦ましいのか、と。
自分達は絶賛喧嘩中なのに。
助けを求めて月島を見たが、月島は相変わらず目線を合わそうとしてくれない。
仕方ないので水城は谷垣が言う仲睦まじいと言われるほどの自分の行動を思い出してみる。
とは言え喧嘩していた記憶しかなかったのだが――――水城は先ほどの自分の発言に気づく。


「〜〜〜〜〜ッッ」


ボン、と爆発したように水城の顔が真っ赤に染まった。
谷垣はそれを見て『人間ってあそこまで真っ赤になるんだな』と冷静に分析する。
水城はそんな谷垣に気づかずハクハクと口を開けたり閉じたりと繰り返し冷や汗を流した。


「ちがっ!!これは…!!その…!!ち、ちがう!!ちがうの!!!」


何が違うのか…谷垣と月島は普通にそう疑問に思う。
違うのだと言うばかりで何が違うのか答えない水城に月島はもう突っ込むのも溜息を吐くのも面倒くさくなった。
まだ真っ赤な顔で違うと繰り返す水城だったが、グッと腰に巻かれている鯉登の腕の力が強くなったのを感じ、思わず『ひっ』とこぼし口を閉じてしまう。
恐る恐る後ろにいる鯉登へ振り向けば…―――煌々と輝く笑顔を浮かべる鯉登がこちらを見つめていた。


「雪乃…お前…」

「お、音之進…こ、これはね…ちがうの…」

「嫉妬しているのだな!!」

「だからああ!ちがうのおおお!!」


鯉登が何を言うのか恐らく三人は予想出来ていた。
水城は必死に否定するのだが、その予想は当たってしまい、水城は思いっきり叫ぶ。
顔を手で覆って首を振る水城をよそに鯉登は興奮に頬を赤らめながら更に続ける。


「私は嬉しいぞ!雪乃!!お前が嫉妬してくれるなど夢のようだ!!!月島!月島ァ!!聞いたか!貴様ちゃんと聞いたな!雪乃が!!私の雪乃が!!この私に!近づく!女達に!嫉妬していたぞ!!」

「はいはいそうですねよかったですねおめでとうございます」


明らかに適当な返しの月島など気づかず鯉登は『ああ!』と笑顔で返す。
思えば雪乃から嫉妬されたことはなかった。
昔から鯉登は異性にモテて囲まれたり絡まれたりしたことがある。
それも雪乃の前でもだ。
だが雪乃は一度として嫉妬した表情も素振りもなく、『大変ね、音之進』と苦笑いを浮かべるばかりだった。
毎回浮気だなんだと騒がれて宥める面倒がなくていいじゃないか、と友は言っていたが、それはそれで寂しいものがあった。
ヒステリックまでいくと流石に困るが、それでも本心は嫉妬してほしい。
嫉妬して拗ねて、鯉登はそんな恋人のために一生懸命機嫌を直してもらおうとアレコレするのだ。
そんなやり取りを、鯉登は少し憧れていた。
なのに雪乃は全く嫉妬してくれなかった。
出来すぎた恋人と言うべきだろうか。
浮気しても許して浮気相手の子供も受け入れてくれそうだな、と友の誰かが冗談めいて言ったのを思い出す。
確かに、とその時頷いてしまったのも思い出す。
それに対して鯉登は嫉妬の連続だ。
士官学校に行くようになって別々の生活を強いられた時だって、離れている間に悪い虫がついたらと思うと気が気ではなかった。
鯉登もモテるが、雪乃も異性にモテており、ある子猿からの情報によると恋人である鯉登と遠距離恋愛と知った途端に声を掛けられる回数やラブレターの量が増えたというではないか。
それをある子猿からの報告書という名の手紙を見て何度その手紙を破り捨てたか…
この旅だってそうだ。
恋だ愛だのに雪乃は疎く、そのせいでロシア人達にべたべたと触れられても気づきもしない。
スチェンカの試合で裸を晒し露出をし、その体を自分以外に晒していやらしい目で見られても気にもしない。
もうそこまで鈍さを見せられると嫉妬でのイライラより、水城の無自覚にハラハラ感が半端なかった。
その雪乃が、だ。
その雪乃が嫉妬してくれた。
これほどうれしい事はない。
タオルを貰ったり黄色い悲鳴などに対して鯉登は感情など一ミリも動いていなかった。
正直あの時どうやって水城の機嫌を直すかという事しか考えていなかった。(それが楽しかったりもした)
鯉登はこの一座の女性達に感謝した。
今ならキスなどいくらでも投げてやってもいいくらい今の鯉登の機嫌は良い。


(嘘でしょ…私が嫉妬…?ええ…嘘でしょ…)


水城は顔を赤くしながらも、自分の発言に信じられないと言わんばかりに器用に青くもしていた。
水城としては嫉妬なんて感じているつもりはなかった。
そもそも鯉登がモテるのは水城も知っているし、鯉登が自分を溺愛するほどホの字なのも知っている。
鯉登は自分しか見ていないのだから嫉妬する必要はなかったのだ。
そう思っているから、そう余裕にしていたから、水城は彼氏が女性達に囲まれても、ラブレターを貰っていても、今まで平然としていられた。(鶴見は例外)
ただ、それは昔の話だ。
今は立場が全く異なっており、長い間離れ離れだった事、顔や体の傷や女性らしくない粗暴な振舞いなどが水城のコンプレックスになってしまって雪乃だった頃のような余裕に構える事は出来なかった。
そして恐らく、追い打ちをかけたのは鯉登の傍にいた女性達だろう。
水城を小馬鹿にした笑みで見ながらコソコソと何やら話していたあの女達。
水城は女の世界から弾かれたが、それでもどんな事を話しているのかくらいは予想出来る。
大方鯉登にはふさわしくないだの、あんな傷残しておいてよく鯉登みたいな人の恋人になろうと思ったわねだの、好き勝手言ってくれていたのだろう。
あの時は無視することでズキズキと傷ついた心を見て見ぬふりをしていたが、鯉登と喧嘩して落ち込んでいたのもあって水城は自身が思っている以上に大分参っていたらしい。
知らず知らず嫉妬してしまい、それを月島と谷垣の前で暴露してしまった。
水城は号泣したい気分になる。


「うぅ…なんなの、これ…どんな羞恥プレイなの…??」


公開処刑をされたような気がして耐えられず顔を手で覆って羞恥に体を震わせていた。
そんな水城のチラリと見える真っ赤な耳に鯉登は口づけをし、その口づけに水城はビクリと肩を跳ねた。
肩をビクリと跳ねさせるだけで顔を見せてくれない水城に鯉登は続けて耳輪を甘噛みする。
耳を甘噛みした時点で…いや、水城が本音をぶちまけた時点で二人の喧嘩(と言えるべきかは不明)は収拾付いたと判断し、これ以上馬鹿ップルに付き合ってられるかと目の前でイチャつきだし水城以上に顔を真っ赤にする純情マタギを連れて月島は二人の前から消えた。


「そんなに恥ずかしがるな…私は嬉しいぞ?以前ならどんなに私が女に囲まれても気にもしていなかったお前が嫉妬してくれたのが嬉しい」


耳に息を吹きかけるように囁く鯉登の声に水城は思わず甘い声が零れる。
しかし一応羞恥で一杯一杯とはいえ外だというのは頭に残っているのか、慌てて顔を覆っていた手で口を塞ぐ。
そんな愛らしい反応に気をよくした鯉登は月島達がいなくなったのを知っており、調子に乗ってそのまま耳の中に舌を入れる。
耳の穴を舐めているため、くちゅ、といやらしい水音が余計に近く大きく聞こえ、その音に水城は思わず興奮してしまう。


「おとの、しん…っ、だめ…ん、ンッ」


水城は自分の弱点を分かっている。
吉平と尾形の二人(特に尾形)に開発されたせいか、耳が弱く、耳を愛撫されるとすぐ身体が熱くなる。
しかしここは外で、宿ではなく曲馬団の天幕だ。
裏側なのと通りかかる人がいないのが幸いだが、そういう事をする場所ではない。
そう思って鯉登を止めようとしたが、その口を鯉登に塞がれてしまった。
あっと驚いている間に開けられた口から舌が侵入し、水城は鯉登に深い口づけをされてしまう。


「んっ、ん…」


顔を背けようとしても鯉登の手が水城の顔を背けないように固定させているため、顔を振る事もできない。
手を剥がそうとするもキスで体の力が抜けてしまい上手く抵抗できなかった。
水城は尾形の時もそうだが、一度懐に入れた人間に対して甘くなる。


「だ、だめ…っ、ここ…そと、だからぁ…っ」

「ああ…分かっている…」


鯉登は興奮していた。
水城の甘い声もそうだが、何より水城が自分に対して嫉妬心を持ってくれていたことが嬉しくて興奮したのだ。
鯉登もキスや愛撫をしたものの、外であり曲馬団の天幕だというのは分かっていた。
しかしどうしても抗えない感情というものが男にはある。
今すぐ水城を押し倒して行為に溺れたい気持ちが強いが、流石に所かまわず行為をするのは獣と同じだと自分で自分を叱咤する。
とはいえ口づけや耳への愛撫だけでとろんとさせる水城のいやらしい顔に感情が更に高ぶるのも止められない。
この勝負、理性の方が勝利を収め、鯉登は今すぐ水城を食べることができない苛立ちから『くそッ』とぼやきながらこれで最後だと先ほどより長く激しく口づけを交わす。
鯉登は深い口づけをやめ、しかし名残惜しそうに触れるだけの口づけを何度も落とす。


「恋人に嫉妬されるというのはこれほどまでに嬉しいものなのだな」


火照りから頬を赤らめ、荒い息を繰り返しぐったりと自分にもたれかかる水城の頬を撫でながら、鯉登は幸せそうに呟いた。
その呟きに伏せられていた水城の目が自分に向けられる。
愛撫や口づけのせいでその瞳は熱が込められうるうると濡れていた。
唇も先ほどまで口づけをしたせいか濡れており、まるで鯉登を誘惑するように微かに口が開かれていた。
その誘惑に抗えなかった鯉登はゴクリと喉を鳴らした後、その唇にキスをする。
流石に深い口づけをすればまた止められないので、触れるだけに留めた。
触れるだけのキスに水城も瞳を閉じて受け入れ、鯉登が離れると閉じた瞳を静かに開き鯉登を見上げた。


「ね、音之進…キスを投げることなんだけど…」

「分かっている…お前以外にキスなどするものか」


先ほどまで喧嘩していたのが嘘のように二人の間には甘く桃色の空気が流れていた。
後ろから抱きしめられていた水城は体を鯉登と向き合うように変えて甘えるように彼にしなだれかかる。
すり寄りながら水城は喧嘩の原因となった投げキスを話題にあげる。
そんな水城に鯉登は彼女の肩を抱きながら頷いて見せたのだが…


「いや、そういうのいいから…ちゃんと観客にキスを投げて」


鯉登は『は…?』と素で返す。
呆気にとられている鯉登をよそに水城は先ほどまで女の顔をしていたというのにいつの間にかいつもの調子に戻っていた。


「観客が盛り上がるならキスの一つや二つやっちゃいなさいよ」

「おま…っ、私は嫌だからな!!何が悲しくて雪乃以外の女に媚を売らねばならんのだ!!!」

「何よ!キスの一つや二つ観客に投げても罰は当たらないじゃない!!」

「そういう問題じゃないわ!!!」

「じゃあどういう問題よ!!!」


ついさっきまで恋人同士の甘い空気が流れていたのにあっという間にその空気は散ってしまった。
鯉登は例えそこに愛情がなかろうと、頑なに恋人以外にキスを送ることはしたくないと言い張る。
しかし水城は投げキスはキスの内に入らないと思っており、両者は再びすれ違ってしまう。
そもそも水城の言い方がいけない。
恋人を大切にしすぎる所がある鯉登に対してキスを『たかが』とか『一つや二つ』など傷つかないわけがない。


(ぐぬぬ…なんて固い意志なんだ……キスくらいいいじゃない…そこに愛があるわけじゃないもの…)


水城は自分を棚に上げて彼氏は頑固だと心で愚痴る。
そっぽを向き頑なに拒否し続ける鯉登に水城はむすっとさせていたが、ふと、ある事を思いついた。
水城はむすっとさせていた表情を妖艶な笑みへと変え、するりと鯉登の首を撫でるように首に腕を回す。
そして、甘えた声で鯉登に語り掛ける。


「ね、お願い…キスを投げて?」

「雪乃にか」

「もう、頑固なんだから…」


困ったように笑う水城に鯉登は『お前に言われたくはないんだが…』と言葉にせず思う。
言葉にしたら水城の機嫌を損ねるので言うのはやめた。
機嫌を直させるのは楽しいが、もっと水城との仲を修正してから楽しみたい。
そんな事を鯉登が考えているとは露知らず、雪乃は、ちゅ、と触れるだけのキスをする。
水城からのキスに鯉登の腰に触れている手がピクリと跳ねたのを感じて水城はもう一度触れるだけのキスをした。


「お願い…音之進の投げキスで会場を盛り上げて…私、あなたのかっこいいところが見たいの…」


水城は色仕掛けを決行した。
普段なら決してしない色仕掛け作戦だが(尾形の時(偽アイヌ)は調子に乗っていた)、自分を溺愛している鯉登なら有効なのを知っている。
だから色仕掛け大作戦を決行したのだ。
水城はこの後鯉登が頷いてくれたらいいなと思っていた。
これで頷かなければ色仕掛けを続行するつもりだった。
しかし、そんな水城の予想を超え、鯉登は水城の腰を抱きしめたまま水城の体を持ち上げ、谷垣が座っていた積荷に水城を座らせる。


「お、音之進…?」


突然積荷に座らされ水城は目を丸くして鯉登を見上げた。
鯉登の手が水城の座る積荷に置かれる。
それはまるで水城を逃がさないように身体の左右に手が置かれ、水城に迫るように顔を近づける。
思わず鯉登から逃げるように後ろへ体を傾けるが、積荷の後ろは天幕で逃げられない。
鯉登の肩に両手を置いて水城は鯉登をおずおずと見た。
怒っていると何となく思う。
表情こそ笑いもせず怒りすら浮かべていないが、空気が何だかピリピリしていた。


「私にキスを投げさせたいのはアイヌの少女のためか」


鯉登の言葉に水城は目を見張る。
驚いた表情で自分を見上げる水城に鯉登は眉を顰めた。
頷かなかったが、鯉登はその反応を肯定として受け取った。
グッと積荷に置いている手を握りしめ、水城の肩に顔を埋め、はあ、と溜息をつく。


「お前はいつもアイヌの少女の事ばかりだな…」

「そりゃあ…だって…アシリパさんを追いかけてますし…傍にキロランケと尾形がいるんだから気が気じゃないもの…」


『確かにそうだ』、と鯉登は思うが納得していない。
アシリパ、アシリパ、アシリパ…水城の頭は今でもアシリパの事ばかりだ。
本当ならその立ち位置が自分だったかもしれないと思うと腹立たしい。
本来なら興味すら湧かない曲馬団で演目の練習するのだってアシリパのためだ。
色仕掛けもアシリパのためだ。
自分のためではない。
いや、少女に向けているのはただの八つ当たりなのは分かっている。
その感情を向けるべくは別の人物だというのも。
だが、もう少し早く…それこそアシリパよりも早く再会出来ていたのなら、今頃水城を説得して入籍していたに違いない。
アシリパにさえ会っていなければ、北海道に来る前に会ってさいえいれば…雪乃はこれ以上命をかける戦いも避けられただろう。
そう思うと罪のない少女に八つ当たりしてしまう。
深い溜息を吐く鯉登に水城はピーンと来た。


「えぇ〜??なになにぃ??音之進ってばアシリパさんに嫉妬してるのぉ??」

「そうだ!」

「んも〜!素直ぉ〜!」


正直『なんでアシリパさん??』と思っていたが、ふと彼がアシリパに嫉妬しているのだと気づく。
天然記念物の水城にしてはよく気づいたと褒め称えたい。
水城は否定せず力強く肯定する鯉登にクスリと微笑み、鯉登の頭を抱きしめるように腕を回す。
優しく撫でてやると甘えたようにグリグリと頭を首筋に押し付け、そのくすぐったさにクスクスと笑みがこぼれた。


「なんだか最近の音之進は甘えん坊だねぇ」

「雪乃との時間が少なすぎる……北海道にいたのなら何故すぐに旭川に来なかった」

「ふふ、すごい無茶振り」


なぜと言われても鯉登が北海道にいるなんて思っていなかった。
そもそも分かっていたら余計に会いになんて行かなかっただろう。
無茶な事を言う鯉登に水城は可笑しそうに笑った。
そんな水城に鯉登は彼女を抱きしめる。
抱きしめられ彼のぬくもりや匂いに水城は安心するように目を瞑り、彼に寄り添う。


「確かにこの公演に出演するのはアシリパさんのためだし、これからも私はアシリパさんのために動くけど…でも、演目に出てる音之進がかっこいいって思ってるのは本当だよ…キスを投げるのはさ、アシリパさんのためじゃなくて私のためって思ってくれないかな」

「雪乃のため?」

「そう、私のため…私の演目は最後だからね…音之進が会場を盛り上げて私の演目に繋げてよ…それならいいでしょ?」

「……………」


むすっとしたままだったが、気持ちは幾分か軽くなったのを感じる。
しかし、それはそれで不服である。
水城は黙り込む鯉登に『まだ足りないか〜』とうりうりと鯉登に甘えるようにすり寄った。
それで鯉登は完全に落ちたと言えよう。


「…良いだろう…雪乃のためならば仕方ない」


素直ではない鯉登の言葉に水城はクスクスと笑う。
その声を聞きながら鯉登は水城の首筋から顔を離し、水城を見下ろす。
水城は自分を見下ろす鯉登に首を傾げた。


「その代わり、褒美が欲しい」

「褒美?」


仕方ないと諦めたが、不満はまだある。
だから褒美を欲した。
鯉登は首を傾げる水城の頬を両手で包み込み…――口づけをした。
触れるだけの口づけだったが、長く触れる口づけだった。
キスをやめて顔を離せば、状況が把握できないように呆けている水城の顔が写った。
そんな水城に鯉登はニヤリと笑い…


「褒美だ」


そう言った。
水城は一瞬何を言われたのか分からない表情を浮かべたが、しかしすぐに理解したのか、頬を赤らめる。
その反応に鯉登は目を細めた。

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