(158 / 274) 原作沿い (158)

少し、トラブルがあった。
曲馬団側のミスで『坂綱』という軽業を鯉登が演じていたのだが、縄が緩み鯉登はバランスを崩し傍で長吉が演じていた『崩梯子上乗芸』に飛び乗り、次に『紙渡り』、次に『サイカホール』…と今行われている演目にほぼ出演した。
最後に無事着地したのだが、本人に自覚はないが事故にも関わらず鯉登はそれを演目に変えた。
見事な軽業に観客も事故とは思わず、鯉登が着地すると一瞬静まり返ったがワッと歓声が上がる。


「軽業の神様は本当におわした…」


それを見て山田がそう感激したように泣きながら囁き、水城は口をポカーンと開けて呆けていた。


(軽業の才能があるって座長達からも言われてたけど…まさかここまでとは…)


鯉登の柔軟さは練習を見ていて水城も気づいていた。
山田達からも軽業の才能があると言われていたが、水城としては気にも留めていなかった。
しかしいざ目の前に見せつけられると驚いてしまう。


(もし…もしも…家を出る選択肢しか残っていなかったら…曲馬団に入団するっていうのもいいかもしれないわね)


しかし意外と冷静だった。
鯉登が軽業師の才があろうとなかろうと水城にとって鯉登は鯉登なのだ。
何者であろうと愛おしい人には違いない。
ただ、家を出た際、軽業師という選択が増えた。
しかし静秋を思えば各地を転々とする曲馬団は可哀想かもしれない。


「さあ!最後のトリは杉元さんですよ!いいですね!大げさな演技はいりませんから!!」


踊っていた少女団達も戻り、最後の演目となる。
最後は水城が演じる演目だ。
水城は山田に呼ばれハラキリショーのための偽物の日本刀を手に持った。


「…?」


それを持ち上げた瞬間、ズシリとした重みを感じた。
スッと鞘から抜いてみて見れば鈍い光が放たれた。
それに水城は違和感を感じた。
練習中に使用した刀はここまで重くはなかったし、こんなに本物のように鈍い光は放っていない。


「どうした?」


戻ってきていた鯉登がジッと偽物の日本刀を見ているのに気づき、声を掛けてきた。
水城は刀を見つめながら首を傾げる。


「いや…なんか変だなって…」

「変?」


ダンベルのように上下に振ればカチャカチャと音が鳴った。
それも本物っぽくてそれを鯉登に告げようとした時、山田に急かされてしまう。


「杉元さん!出番ですよ!」

「あ、はい!…ごめん、やっぱなんでもない」


観客を待たせていると水城は違和感を奥へと仕舞い込み、鯉登に笑って誤魔化して表舞台へと向かった。
観客の歓声を一身に受けながら表へと姿を現す水城に鯉登は嫌な予感がよぎり、心配そうに見つめる。


「さて次はいよいよ最後の演目!ヤマダ曲馬団大トリでございます!!不死身の杉元…ハラキリショ〜オオゥ!」


山田の言葉と共に水城は観客の前に現れた。
鯉登は女性の声が多かったが、水城はその恰好から男性の声が多かった。
そんな観客の声を浴びながら水城は両腕を上げてパフォーマンスを見せる。


(私は生きてるわ!!アシリパさんに届け…!!)


緊張してはいる。
だが、アシリパに自分の名を、存在を届けるために水城は観客の前に出る。
その後ろをチカパシが追いかけるように続き、鯉登はハラハラとさせながら水城を見守る。
水城は露わになっている腕をチカパシに向け、水を掛けてもらう。
水が腕に掛かりついに本番だと鯉登も観客同様ハラハラとしていた。
しかしふと裏方の奥が何やら騒がしいのに気づき眉を顰める。


「全く…雪乃の演目だというのに何を騒いでいるんだ…」

「見に行ってきます」


大切な恋人の大事な演目だというのに騒がしくされ気が散ってしまう。
鯉登のぼやきに月島が動くと鯉登は『頼む』と彼の後ろ姿に声を掛けた。
月島を見送った後鯉登は水城の演技へと視線を戻す。


「ハアァ冷たいッ!冷たい冷たいッ!」

(水が冷たいってくだりもういいからッ!!)


山田は鯉登や観客とは別の意味でハラハラしていた。
案の定水城は大げさに水が冷たいのだと主張していた。


「斬るよぉ?斬るよぉ?」


水城は刀の切先を水に濡れている腕に近づける。
手持ち太鼓もあって観客は肌を斬るという痛々しいパフォーマンスをハラハラドキドキと目が離せず見つめていた。
しかし躊躇するように切先は腕から離れ、観客はそれに安堵の息を吐く。
だがまた濡れた腕に切先を近づければ観客は息を呑み、離せば安堵の息を吐く。
それを二度ほど繰り返すと観客として見に来たエノノカから『早く斬れーっ!』と野次が飛んできた。


「いよしッ!斬ります!!」


誰もが息を呑み、天幕は静まり返り太鼓の音だけが響いていたが、エノノカの野次が合図となったように水城は今度こそ斬る演技を始める。
『『痛い』って言わなきゃいいけど…』と山田は心配そうにハラハラと水城を見つめていた。


「いたッ!」

(んも〜〜〜!)


しかし山田が心配した通り、水城は痛いと言ってしまう。
それにぷくりと頬を膨らますように声を零すが、少し様子がおかしい事に気づいた。
水城はズキリとした痛みに思わず声がこぼれてしまう。
その痛みに腕を見れば―――真っ赤な血があふれ出ていた。
それを見た観客は痛そうに顔を顰めたり息を呑んだりと様々な反応を見せてくれた。


「え…嘘…これ…本当に痛いんだけど…マジで斬れてる?」


だが、これは明らかに本当に斬れていた。
水と一緒に地面に垂れる血は決して染料ではなく、水城の体に流れている血である。
ズキズキと鈍い痛みだって本物だ。
水城は目を丸くして裏方の方へ目をやる。
そこには焦った顔をする鯉登と月島が柄を取った刀身を持って水城に見せていた。
それを見て水城は全てを察した。


(嘘でしょ!?真剣なのこれ…!!?)


水城の今持っている日本刀は手元だけが本物の偽物ではなく、全て真剣の本物だった。
あの時感じた違和感は正しかったのだ。
水城は息をゴクリと飲み込んだ。


(どうして真剣に!?…いや、それよりどうしよう…中断する?あっちのと刀を取り替える?…いや!不自然すぎるッ!絶対に観客が盛り下がる…!!)


どこで取り替えられ、誰がそんな事をしたかは分からない。
真剣と分かった以上、続けるのは危険だと水城は思う。
真剣だと気づいた鯉登と月島、山田も焦った表情を浮かべて水城を見ていた。
足や腕ならまだいい…だが、水城は最後に腹を斬らなければならない。
カラクリがあるなら演じるだけだ。
だが、手に持っているこれは真剣…本当に斬れる刃なのだ。
続けるか、中止するか。
水城は脳裏にアシリパの姿が浮かんだ。
そして―――水城はその手に持つ真剣で練習通り足を斬った。


「!!、雪乃…続ける気か…っ!」


鯉登としては中止を選んでほしかった。
誰が取り替えたは知らないが、何もそんな事をされてまで続ける義理はないはずだ。
なのに水城は続ける。
鯉登はギリッと奥歯を噛みしめる。


(アシリパか)


全てはあのアイヌの少女のため。
水城が命を賭してでも守り抜きたいと思っているアシリパのために水城は痛みを我慢して続けている。
それが腹立たしい。


(いやいや…落ち着け…落ち着くんだ…会った事もない少女に嫉妬してどうする……雪乃は私を愛しているのだ…同性相手に嫉妬する必要があるか?――いいや!ない!!)


鯉登は太鼓の音にハッと我に返り、自分を落ち着かせる。
同性相手だ、相手は同性相手なんだ、まだ少女で、女に嫉妬してどうする、嫉妬相手は尾形で十分だ…と自分に言い聞かせなんとか気持ちを落ち着かせ、鯉登は一歩大人に近づいた。
そうしている合間に水城は敷いた敷物の上に移動し、手で持つ刃の部分に巻いた紙の上から握る。


「…ッ」


座り切先を腹部に当てる。
冷たくちくりとした感覚が生々しく、水城は唾を飲む。
後ろでチカパシが『水掛けなくていいの?』と聞いてきたがそれに答える余裕は今の水城にはない。
ドンコドンコと手持ち太鼓も場を盛り上げ、クライマックスに突入する。
観客もついに腹切りが見れるのかと、怖いもの見たさもあり目を逸らさず水城に注目していた。


(ハラワタだけは…傷つかないように…―――アシリパさんを見つけるためだ…!!)


皮膚一枚斬ればいい。
中の臓器を傷つけず、皮膚も斬りすぎないように細心の注意を払えばいい。
たったそれだけだ。
たったそれだけだが、それが一番難しいのだ。


「い、行くよ…ッ」


水城は深呼吸をし、ついに意を決してプツリと切先を腹に食い込ませる。
小さい痛みを感じながら、これから来るであろう激痛を予想して下唇を噛んだ。
しかし―――…


「なんだ?あのロシア人…」


腹を斬ろうとした水城の目の前に三人のロシア人が乱入してきた。
静かに入って来たロシア人はハラキリショーを演じている水城の前に立ち止まる。
それに気づいた水城はロシア人に顔を上げ……ロシア人の1人が水城に向けて拳銃を向ける。
その瞬間水城の表情が一変した。


「――――ッ!?」


水城は腹を斬ろうとしたその刀を持ち直し、素早い動きで拳銃を持っているロシア人の手ごと切り落とした。
ロシア人は痛みに悶える暇もなく切り殺され倒れる。
倒れるロシア人を気にも留めず水城は後ろにいるロシア人へと視線を向ける。
血しぶき越しに見える水城に先ほどの表情豊かな様子はなく、冷たく凍えるような殺意を浮かべロシア人を見つめていた。
その冷たい瞳にロシア人は銃を撃つ。
しかしその弾は咄嗟に水城に避けられてしまう。
それでもロシア人は何発もの弾を水城に向けて撃つも水城は身軽に転がり避けてしまう。
その間もまるで演出のように手持ち太鼓を持つ男は手を休まず叩き続けた。
そして、水城は起き上がり弾を避けながら刀をロシア人に向けて投げ…ロシア人は胸元に日本刀が刺さり絶命した。
最後の一人は月島が殴って気絶させる。
ロシア人が倒れたその瞬間、歓声が上がった。


「すごい仕掛けだ!!」

「なんだぁ!驚いた!あのロシア人も芸人だったのね!!」


まさか目の前で本当の殺し合いが起こっていたとは思わない観客達はロシア人も含めてのハラキリショーだと思っていた。
最後の一人となった水城に向けて、そして芸人だと思っているロシア人に向けて観客達は拍手を彼らに向ける。


「全員で挨拶!!その隙に遺体を回収だ!!」


山田は水城とロシア人の戦いに唖然としていたが、観客の拍手に我に返り慌てて指示を出す。
全員が観客に挨拶をし、その間にロシア人の死体を回収した。
水城も挨拶に加わり、そして、樺太公演は終了した。

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