(21 / 29) 少女時代 (21)

雪乃の過去…それはずっと気になっていた事だった。
初めて会った時に聞いて以来鯉登はその質問はしなくなったが、それでもずっと聞きたい事でもあった。
どうして庶民のはずの雪乃が川畑家に養子として迎え入れられたか、どんな理由があるのか、産みの親はどうしたのか、まさか捨てられたのではないか、と色々な考えが過る。


「…(かた)ってくるっのか?」

「うん…話さなきゃいけないことだから…」


雪乃の言葉に鯉登は嬉しいという感情が生まれた。
雪乃が覚えているか分からないが、鯉登はずっと雪乃と初めて会った時に言われた言葉を覚えていた。
まだ雪乃を受け入れられなかった頃、雪乃になぜ川畑家の養女になったのか聞いたことがある。
雪乃は応えるのを渋り、『まだ信頼していないから』と言った。
それ以来雪乃を振り向かせるのに夢中で気にしないようにしていた。
やっと話してくれると知って鯉登は嬉しかった。
雪乃としては信頼という文字はただ鯉登を納得させるその場しのぎだった。
幼くとも自分のあの過去は人に広めていいものではないと感じ取っていたのだろ。
だが、それでも鯉登は雪乃がついに話てくれるという事に喜びを感じた。
ニヤけるのを必死に抑え『分かった』と真剣な表情を浮かべ姿勢を正す鯉登に雪乃も姿勢を正しまっすぐ鯉登を見つめ、緊張した表情で静かに口を開いた。


「…私ね、関東地方の村で暮らしていたの…」


鯉登は静かに雪乃の言葉を聞いていた。
雪乃の過去はずっと気になっていて、やっと話してくれるほどの信頼を得た。
どんな過去でも受け入れるつもりだった。
しかし…


「でも、幼い頃にね…家族が結核にかかって死んでしまったの…唯一生き残った私は村八分にされて追い出されて…ずっと森の中を彷徨ってたの」


その言葉に鯉登は目を丸くする。
結核はさほど珍しくない病気であるが、明治時代当時にはまだ治療法がなかった。
更には結核は感染する病気で、不治の病と恐れられたこの時代に結核にかかった人間の家は村八分にされる。
だがまだ幼い子供一人を感染を恐れて森へ放り捨てたと聞き鯉登は怒りを覚える。
成人だって知識がなければ森に放り出され一人で生き延びるのは難しいというのに、それが幼い子供ならなおの事だ。
それだけでも衝撃的だというのに、更に鯉登は衝撃的な事を雪乃から知らされる。


「その時…私…山賊に襲われて……その…………お、犯されて……」

「っ――もうよか!もう(かた)らんでよか!」


山で人間が一人で生き残れるはずがない。
幼いのならなおの事だ。
山には多くの危険がある。
自然や動物、そして、山賊と呼ばれる人間。
現代では山賊はもういないが、あの時代は形は違えどまだいた。
男所帯で気性の荒い男達が集まっているため幼い子供といえど女という性別ならば発情する奴らである。
一人で彷徨い歩いていた時に雪乃は目を付けられ襲われた。
恐らく楽しんだだけ楽しんだ後は遊郭や売春宿に売るつもりだったのだろう。
雪乃は自然と視線が下がっていき声も小さく震えていく。
鯉登はぎゅっと握りしめる雪乃の手に己の手を重ね、言葉を遮った。
聞いていられなかったのだ。
好いた女が無体をされたと聞かされて平気な男はいない。
雪乃はそれを拒絶と捉え息を呑み涙を浮かべた。


「…やっぱり……綺麗な体じゃないから嫌だった…?ごめんね…」


2人とも幼い頃から想い合っていたのもあって相手が清らかな体だと思うのは当たり前である。
だから自分以外の男の手によってはじめてを散らされ鯉登には呆れられたと思った。
信じてはいる。
鯉登が初めてじゃないから嫌う人間ではないと信じてはいるが…やはり雪乃だって初めては好きな人にあげたいと思っているのだ。
鯉登に初めてを捧げれない事が悲しくて雪乃の目からは涙があふれた。
それを見て鯉登は握った手を強くし、雪乃の手を引っ張り引き寄せ抱きしめた。


「お、音之進…?」


突然引き寄せられた雪乃は目を丸くし、驚きのあまり涙が止まった。
目をパチパチと瞬かせ抱きしめられているため視線だけ鯉登に向ける。


「すまん…嫌な事を話させて…嫌な事を思い出させて…もうこれ以上無理して(かた)らんでよか」

「無理は…してないよ……いつか話さなきゃって思ってたから…だって…嫌だったんだもの……音之進に隠し事をして…隠し事をしたまま付き合うの、嫌だったから……ごめんね、音之進…嫌な思いさせちゃったね」


無理はしていないのは本当だ。
もう昔の事だと雪乃は思えるようになった。
それは鯉登達のおかげだった。
暖かく見守り、受け入れてくれた人達がいたから雪乃は前を向けるようになった。
鯉登の方こそ嫌な事を聞かせてしまって申し訳なく思う。
謝りながら背中を撫でて慰めると、鯉登の腕の力が強くなる。
ぐっと更に密着させる鯉登に雪乃は戸惑っていると『馬鹿者』と鯉登の呟きが聞こえた。


「お前の事でおいが嫌な思いをするわけがないやろ……おいは情けなか…お前が苦しんじょるんに気づいてやれんかった……おいの方こそすまん…」

「……なんで…音之進が謝るの…謝る必要なんかないのに」

「ある!!おいはお前と夫婦(みと)になる男だぞ!?過去も含めて雪乃を受け入れると決めちょったんじゃ!…じゃっで(かた)ってくれてありがとうな」


――嗚呼、だからあなたが好きだわ

雪乃は言葉にせずそう心の中で囁いた。
父達の言葉も雪乃を癒してくれる。
けれど一番雪乃の心の傷を癒してくれるのはいつも鯉登だった。
鯉登の『夫婦になる』という言葉に雪乃は嬉しくなってニヤケてしまいそうになる顔を隠すように鯉登の肩に顔を埋めた。
一瞬泣かれたと思い焦ったが、雪乃が甘えるようにすり寄ってきて鯉登は泣いているわけではないとホッと安堵の息を吐く。


「ね、音之進…襲われたのは嫌な記憶だけど…でもね、その後お父様に助けてもらったから辛い記憶ばかりじゃないんだよ」

「叔父上に?」


己の肩に顔を埋めながら呟く雪乃の言葉に鯉登は首を傾げた。
鯉登の疑問を思う声に雪乃は頷く。


「そう…犯されている時にお父様に助けてもらったの…身寄りがない私をお父様は養女として迎え入れてくれて…お母様も私を娘と言ってくれたわ……私、家族を亡くしてから初めて暖かさを味わったの…」


もう体の感覚がなくなるほど犯され続けた雪乃を救ったのは父、秋彦だった。
当時用事で近くに来ていた秋彦は山賊が誰かを襲っているところに遭遇し助けた。
性行為に夢中だった山賊は秋彦に気付かず…首を刎ねられ絶命した。
しかし秋彦は絶句することになる。
無理矢理犯されていた相手が甥と近い年代の幼い少女だったからだ。
助けた時にはすでに意識も朦朧としており、秋彦は両親を探すよりも幼い命を優先し街に降りて医者に診てもらった。
その後事情を知った秋彦は家に連れて帰り保護することした。
結核を気にしていたから部屋で隔離して2年間極力人を遠ざけ秋彦とトメが話し相手になったり世話をした。
静子も会いたがっていたが雪乃が気にしてしまうからと最初は遠慮してもらった。
結局雪乃の杞憂いに終わった。
雪乃には結核は移っていなかったのだ。


(2年…)


2年という数字は、結核の潜伏期間である。
結核は感染して大体2年の内に発病すると言われており、2年経っても雪乃に異常がないということは感染していなかったとされる。
だから静子との対面も2年も経ってからだった。
それを聞いて鯉登はある事を想い出す。
雪乃と初めて会う前日に父から叔父は2年前に養子を貰ったのだという言葉だ。
それで鯉登は納得した。
あの時、なぜ2年経っているのに今更紹介するのか、と疑問に思っていたのだ。
それがまさか感染しているか様子見をしていたと思わず、納得と同時に雪乃が結核に感染していなくてよかったと心から安堵した。
安心したからか体の力が抜けていき、雪乃の身体を抱きしめていた力も弱まる。
雪乃は埋めていた鯉登の肩から顔を上げ、鯉登の顔を覗き込むように見上げた。
鯉登と目と目が合い雪乃は嬉しそうに笑みを浮かべ、彼の両頬に手を当てる。


「音之進…音之進と出会って私ねとても幸せだよ…あなたは私に幸せを沢山くれたもの……何も持っていない私は一体なにをあげたらあなたへの恩返しになるかしら…」


川畑家の養女として迎え入れられた雪乃は地位があるわけでもない。
金はあるが、それは親のお金で自分が自由にしていい物ではない。
そもそもそれら全ては鯉登だって持っているもので、嫡男である鯉登の方が雪乃よりも持っているだろう。
だから与えられた分を返す何かが雪乃にはなかった。
雪乃の言葉に鯉登は雪乃の鼻を摘まんだ。


「馬鹿者…恩を返してほしかで与えたわけじゃないわ……おいが雪乃を幸せにしてやりたいと思ったから与えたもんなんじゃ…お前に恩を返してほしいわけじゃなか」


鼻を摘ままれ『わっ』と驚いた声を出したが、鯉登の言葉に雪乃は目を瞬かせた後嬉しそうに笑った。
『そっか』と嬉しそうに笑う雪乃につられて鯉登も笑みを浮かべ、その笑みに雪乃は更に笑顔を深め『そっか、そっか』と何度も呟き鯉登の首に抱き着いた。
勢いよく抱きついたため鯉登はそのまま後ろへ倒れてしまう。
抱きつかれて驚いたが、雪乃の嬉しそうな声が聞こえ、鯉登は雪乃が自分の身体から落ちないよう腰に腕を回して支えてやる。
嬉しそうに自分にすり寄ってくる雪乃に答える様に鯉登もすり寄り、雪乃の髪を撫でる。
その優しい手に雪乃は嬉しくなってつい子供のように足をぱたぱたと上下に動かした。


「音之進」


まるで小さい子供のお遊びのようにお互い抱きしめ合っていると、雪乃から呼ばれ鯉登は雪乃に寄り添いながら『ん?』と何気なく返事をする。
雪乃は顔を上げ、鯉登の上から鯉登を見下ろす。
鯉登の表情は先ほどとは違いとても優しく愛し気で穏やかな表情を浮かべていた。


「お兄様の事、今はどうにもできないと思うの」


鯉登は雪乃の言葉に穏やかだった表情を真剣な表情へと変える。
雪乃の過去で話が逸れたが、兄が自分に恋慕しているというのを冗談だと笑い飛ばすにはいかない。
実際雪乃は半信半疑だった。
雪乃と接している時の兄はそんな色っぽい目線は見えなかった。
触れるのだって頭を撫でたりするだけで、下心を持って触れてきた覚えはない。
それに兄は東京、雪乃は九州で離れ離れに住んでいるし、会うにしても特別親しいわけではない。
だから鯉登の言葉が最初信じられなかった。
だけどそんなくだらない冗談を鯉登が話すわけがないのも確かなのだ。


「証拠もないし…お父様やお母様に話したってきっと何もできないわ…」

「そうじゃな…おいも確かな証拠があったわけじゃなか…じゃっで気を付けてくれ…雪乃に何かあればおいは気が狂いそうじゃ…」


雪乃はずっと想い続けた相手だ。
想いが通じた今、今更雪乃を手放す気なんて更更ない。
独占欲を表すように雪乃の腰に回している腕の力を入れ雪乃を閉じ込める。
そんな独占欲を見せる鯉登に気付かず雪乃は大げさだが想ってくれている恋人の言葉に嬉しそうに笑みを浮かべ『本当?』と聞く。
その問いに鯉登はすぐに頷いて返した。
それに更に雪乃は嬉しそうに笑みを浮かべ、鯉登の胸元に顔を埋め甘える様にすり寄る。
甘える雪乃に鯉登は目を細め愛し気に微笑み、雪乃の美しい髪を撫でた。

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