(163 / 274) 原作沿い (163)

それからどれほどの時間が経ったのか。
時計もなければ太陽がすでに落ちてしまっているため分からない。
太陽が昇っていたとしてもこんな吹雪では意味はないかもしれないが。


「け」


言葉もなくただ時間が過ぎるのを待っていると谷垣が食べ物を水城に差し出した。
それは谷垣の故郷の食べ物で、カネ餅という物だった。


「少しだが…体温を維持するのに食べるのと食べないのとでは大きく違う」


震える手で取り出したカネ餅を水城に分けた後、チカパシに口を開けさせて食べさせる。
貰ったカネ餅を口に入れて噛みながら水城はふと既視感を感じた。


「なんかこれ…前に同じものを食べたことがある気がする…」

「それはない…俺の地元の秘伝のモチだ…しかも味付けも俺が少し変えたものだから…」

「そうなんだ…おかしいな…確か食べた記憶があるんだけど…」


口に入れて感じる味覚に、水城は既視感を感じた。
しかしそれはありえないと谷垣は否定する。
低体温症の影響か、記憶が曖昧で水城と会った事を思い出せなかった。


「ねえ今の…銃声?それとも波の音?」


寒さしか感じない中、水城は銃声の音が聞こえた気がした。
しかし、猛吹雪の中ではお互い声をかけあっても方向感覚が狂うらしく、音がしたからと言って無暗に歩き回るのは逆に危険だと止められてしまった。
音の方向に正しく行けるとは限らないのだという。
そう言われてしまえば音がしたからと動くことはできない。


「寒い穴の中にいると…塹壕を思い出すな…」

「………」

「寝るなよ杉元!死ぬぞ!」

「うん…」


会話は途切れ途切れだが谷垣は続けるようなんでもいいから話題を振る。
しかし水城からの返答がなく、水城を見れば目を瞑っていた。
寒さで気を付けなければならないのはどれだけ風を凌げるか…ではあるが、眠気とも戦わなければならない。
人の体は寒いと眠くなり、眠ると死んでしまう。
水城が目を瞑っているのが見えて谷垣は水城を起こす。
谷垣の声に水城はゆっくりと瞼を開けた。
しかし、水城には過去の光景が浮かんでいた。


(寒いなぁ、寅次…)


ぼんやりとしながら水城はもごもごと口の中でそう呟く。
隣には死んだはずの幼馴染、寅次がいた。
周囲も谷垣とチカパシはおらず、塹壕に場所が変わっていた。
寅次は水城の呟きに『帰りたいよ水城』と返した。
寅次のその呟きに一気に画面が変わる。
小さい頃の寅次の姿が写ったと思えば、内臓が吹き飛び生気のない顔で『帰りたい』と囁くようにこぼす彼の姿。
場面がまた変わった。
今度は仲間の死体を踏み越えながらどこか真っ直ぐ走っていた。
相手はロシア兵。
銃剣を向けられ、銃剣で刺し殺し、石で殴り殺し、銃剣で相手をメッタ刺しにしていた。
その顔は女でもなければ男でもなく…もはや人間でもない化物だった。
顔どころか手も体も全て真っ赤に染まっていた水城に、小さな手が触れる。


―――水城


聞き覚えのある愛らしい声。
すぐその声がアシリパだと気づく。
はたとその声に導かれるように意識が戻って来た。
相変わらず暗闇でも分かるほど吹雪いていたが、水城の目に一点の光が灯って見えた。


「光だ…」


言葉にし、声に出すと意識がはっきりとする。
低体温症の症状かと思ったが、どうやら違うようだ。


「ねえ、見える?あの光…月かな?」


光なのは分かった。
しかし寒さから霞む目にそれが光か月か判断は難しかった。
水城の言葉に谷垣とチカパシも指さす方へ目線を送る。
そこには確かに光が見えた。


「網走潜入が丁度2か月前だから…あんなに大きいはずは…」


月かと問われたが、月にしては大きい事に谷垣は怪訝とさせた。
しかし次の瞬間、月と思わしき光が瞬いた。


「瞬いてるッ!!絶対に月の光じゃないわ!!あれは…燈台の明かりよ!!」


月ならば瞬くことはない。
雪でそう見えるとしても無理があった。
水城は微かな希望に朦朧としていた意識がはっきりと戻り体を起こした。
水城が見た光は今まで見てきた光の中で最も輝いて見えた。
谷垣も同じ事を思ったのかチカパシを抱えて犬を連れて水城と共に光の元へ走った。
あの光がもしも幻覚なら水城達は死ぬ。
しかし幻覚にしてははっきりと見える。
水城達はあの光に賭けた。
無我夢中で走れば目の前には思った通り一軒の小さな燈台が建っていた。
その燈台の小屋に水城達は雪崩れ込むように入る。
すると目の前がパッと明るくなり、暖かい空気が水城達を歓迎した。


「雪乃ッ!!無事だったか…ッ!!」


『ここは極楽なのだろうか』、と自分達は死んで暖かい極楽に来たのだろうかと一瞬思ったが、その思考を遮るように水城の目の前が暗闇に包まれる。
同時に息苦しさを感じ、水城は鼻をかすめる匂いにその正体を知った。


「お、おと…の、しん…?」


水城は鯉登に抱きしめられていた。
よほど心配したのだろう…ぎゅっと力を入れて抱きしめる彼に余裕は見られない。
猛吹雪の中ジッとしていた水城の体には服越しでも鯉登の温もりに氷が解けるように暖かさを感じた。


「大丈夫か!?だから言っただろう!!私と同じ橇に乗れと!!」


水城の両頬を包むように触れるとその冷たさに暖まった自分の手の温もりが全て水城に奪われていく。
しかしそれでもいいと鯉登は思う。
自分の体温で水城が暖まるのなら、全ての体温を持っていっても構わなかった。
それで死んだとしても本望だ。
『音之進の手…あったかい…』とホッとさせ目を瞑る水城に恋人と離れ離れとなり恋人に飢えていた鯉登はふと気づく。
あれ…これ…キス待ちじゃない?――と。
そう思ってしまうとそうとしか見えず、鯉登は状況も忘れその誘惑に抗う気ゼロで顔を近づけようとした。
しかし…


「鯉登少尉殿、体を温めなければなりませんので睦み合うのは後にして杉元を離してやってください」

「………」


また、月島に邪魔されてしまった。
キスをしようとした鯉登は月島の待ったに律義にピタリと止まる。
しかしぐぬぬとジト目で月島を見たが、月島は素知らぬ顔を浮かべていた。


「杉元、お前も早くペチカの上に乗れ…この部屋で一番暖かくロシア人はその上で寝るらしい」

「えっ!暖かいの!?やったぁ!!」


ペチカとは、ロシアの暖炉兼オーブンの事である。
上には空間があり、その上でロシア人は眠り寒さを凌ぐという。
大人二人子供一人には少し狭いが、いけるだろうと月島は水城に早くペチカの上に行くよう急かした。
水城は流石に冷えてこたえていたためか、鯉登の手からするりと抜け出し、谷垣とチカパシの後に続いてペチカに乗り込んだ。
谷垣を壁に追いやり水城と谷垣に挟まれる形でチカパシが横になって暖を取っていた。
『あああ…あったかいぃ…』と心の底からの声で嬉しそうに笑顔を浮かべる水城に鯉登も流石に何も言えず、テーブルに座って水城とついでに二人の分の暖かい飲み物を入れてやった。(暇だったから)

163 / 274
| 目次 | 表紙 |
しおりを挟む