オシッコの雨が止んだ。
(顔だけでも洗いたい…)
アシリパの瞼が傷つかず剥がれたのはいいが、代わりにオシッコ臭くなってしまった。
ずっと我慢していたのもあってその匂いは強烈だ。
『あんたどんだけ我慢してたのよ』とぼやく水城に白石は『テヘ☆』と舌を出して誤魔化した。
アシリパもずぶ濡れになっており、2人で『どっかでお風呂入りたいね』と言い合って笑った。
そんな些細な事を言い合えることに水城は嬉しくなった。
「白石、あんた荷物持ってて」
「へ?なんで…ってそうか、尾形ちゃん…」
水城は一物を仕舞いファスナーを上げる白石に荷物を預かってもらおうと背嚢を降ろす。
それに白石は首を傾げていたが、水城が気を失って倒れている尾形に近づくのを見て納得する。
『あとちょっと手伝って』と仰向けに倒れている尾形を水城は背負うつもりなのか、白石に尾形を背中に乗せるよう手伝ってもらう。
そこで『俺が運ぼうか』などとは白石は言わない。
だって自分より女の水城の方が体力も腕力もあるんだもの。
そう、男の白石よりも、女の水城の方が…
『まあ杉元だしな』と女の方が強いというのを気にもせず、水城の背中に尾形を乗せた。
「よし…じゃあ、行こうか」
尾形を殺す気だったが、ひとまず尾形はもう動かないだろう。
アシリパが原因で水城は死なすつもりはない。
だから殺すにしてもまずは回復させてからこの手で殺す…水城はそう思って尾形を背負った。
後はキロランケ一人だ。
どんな理由にせよキロランケは裏切った。
一度裏切った奴は何度でも裏切る。
この背中にいる尾形がいい例だ。
「尾形が網走監獄で私を撃ったの…ウイルクも…そしてその合図を出したのはキロランケよ…インカラマッが見てた」
水城は走りながら網走監獄での出来事を話す。
それは尾形が言っていた事とほぼ一緒だった。
違うとすれば狙撃手だろうか。
「尾形も同じことを言っていた…でもキロランケニシパから直接聞くまでは…」
尾形が言っていたことが信じられなかったわけではない。
水城の言葉通りなら父を殺したのも水城を撃ち殺そうとしたのも尾形なのだろう。
だが、キロランケの事は本人に直接聞きたかった。
「インカラマッはなんでウイルクを殺したのかキロランケ聞いたらしいわ…キロランケは『あいつが変わってしまったからだ』とか『金塊の情報をふるい仲間に伝えに行くはずだったのに…』と言ったそうよ…」
アシリパは水城の言葉に口を閉ざす。
そういえば、と記憶を思い出していた。
「あの時ソフィアが怒っていたのは…ソフィアは全部知っているかも…」
ソフィアと再会した時、キロランケはソフィアになぜか頬を叩かれた。
あの時はどうしてキロランケを叩くのだろうかと思ったが、水城の言葉に線と線が繋がった気がした。
ソフィアは全てを知っているのかもしれない、と。
吹雪の中走っていると爆発音が水城の耳に届いた。
「なに、今の音…」
吹雪く風の音でその音ははっきりと聞こえなかったが、それでも吹雪く風の音でも氷が割れる音でもないのは分かる。
水城達はその音の方へと足を進め急いだ。
暫く進んだその先には…―――キロランケが血だらけになって倒れておりその周囲には鯉登、月島、谷垣が立っていた。
キロランケは鯉登と戦い、後ろから谷垣と月島に撃たれて瀕死となっていた。
倒れたキロランケが隙を突き少し離れた鯉登と月島へと手榴弾を投げた。
しかし、その手榴弾は鯉登の軍刀によって切り捨てられてしまう。
「谷垣!!撃て!!」
月島の指示に谷垣はキロランケに向けて銃を向け、殺すつもりで引き金を引こうとした。
しかし…
「待って!!」
アシリパがそれを見て駆け出して止めた。
アシリパの姿に引き金を引こうとした谷垣は慌てて銃を下げる。
その間にアシリパはキロランケに駆け寄った。
「聞かなきゃいけないことがある!!撃つな!!」
キロランケからまだ色々聞いていないことが沢山ある。
それを聞き出す前に殺されては分からないままに終わってしまう。
それに騙され父を殺した男と言えど、今までの思い出が憎むことを邪魔をする。
結局、アシリパは尾形もキロランケも憎めなかった。
「どけ!そいつは手負いの猛獣だ!!」
しかしそんなこと月島には関係のない事だ。
手負いの人間ほど何をしでかすか分からない。
アシリパとキロランケ、どちらを優先にすべきか等問うほどでもないだろう。
鶴見からアシリパを最優先と命じられている以上、アシリパ安全を第一に考えたい。
「離れてッ!!殺したら分からなくなる!!」
キロランケを守るようにアシリパは傍に寄り添う。
月島はキロランケを庇うアシリパに苛立ちを覚えた。
「逃げるぞ…アシリパ…」
そんな2人のやり取りをよそにキロランケがアシリパにそう語り掛ける。
その声は出血と痛みそして寒さで、震え掠れていた。
「ソフィアと…ウイルクの話を…!きっとお前の中にカギがある…」
重傷を負っている。
それは本人も…いや、本人だからこそ分かっていることだ。
だがそれでもキロランケは未来へと進もうとアシリパを連れて逃げ出そうとしていた。
アイヌの織物であるアットゥシが真っ赤に染まっているのに。
氷までもが赤く染まっているのに。
それでもキロランケは未来を変えるべく進もうとしている。
「キロちゃん…」
ずっと旅をしてきた白石は悲し気にキロランケを見つめていた。
いつ殺されるか分からない恐怖はあったが、それでもキロランケという男に情がなかったわけではない。
結果的に裏切られたが、彼も仲間として長く共に旅をしてきたのだ。
アシリパと接して言う彼を見てきて白石は心からキロランケを憎むことも嫌う事も出来なかった。
「…………」
その隣で尾形を背負う水城は無感情に見つめる。
感情を隠しているのか、それとも本当に無感情なのか…傍から見たら分からない。
ピクリとも表情を崩さず、水城はキロランケの耳元に顔を近づけるアシリパを目で追っていた。
「――――」
何を言ったのか、水城の耳では分からなかった。
だがアシリパが小声で何かを囁けばキロランケはハッとさせ月島達を睨んでいたその目を見開きアシリパを見る。
「ありがとう、思い出させてくれて…」
何を言ったのかは水城には分からない。
きっとキロランケ以外は聞こえていないのだろう。
だけど、表情を変えないまま水城はアシリパからキロランケを見る。
キロランケは…
「…そうか」
穏やかな顔をアシリパに見せていた。
脳裏にこれまでの旅が流れていく。
これが走馬灯というものかとキロランケは思うが、意外と気持ちは穏やかだった。
「あとは頼んだぞアシリパ…!『俺達』のために…ソフィアと…!」
キロランケはソフィアを愛していた。
しかし、ソフィアは自分ではなくウイルク…アシリパの父親を愛していた。
悔しくなかったわけがない。
好いた女のためにと身を引くことも出来た。
好いた女を振り向かせることも出来た。
だが、結局三人共別の人生を歩むことになった。
妻と子供がどうでもいいわけではない。
今も愛している。
だけどそれ以上にキロランケには大切なものがあった。
「キロランケニシパがアチャを殺したというのは本当か…?」
息も絶え絶えだが、アシリパは最も聞きたかったことを問う。
しかし…
「キロランケニシパ…」
キロランケは息を引き取り、アシリパの問いに答える前に帰らぬ人となってしまった。
キロランケの遺体のそばに寄り添うアシリパの囁きが水城の耳に痛いほど響いて聞こえた。
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