(185 / 274) 原作沿い (185)

はあ、と息を吐き出せば冬の寒さに息が白くなる。


「どうした、水城?」


風に乗って消える白い息を目で追っているとアシリパに声を掛けられた。
首を傾げて見上げるアシリパに水城もそれを真似するように首を傾げて見せる。


「何が?」

「先ほどからぼうっとしているように見えたんだが…何か考え事か?」

「え、う、うーん…まあ、そうかなぁ…これからの事とか…」


アシリパの言葉に水城はドキリとさせる。
嘘ではないが、真実でもない。
これからの事も悩んでいたが、今は腹の中にあるモノに悩んでいる。
鯉登の言う通り布で塞いではいるが、中出しされたというのが強く意識してしまい落ち着かない。
どろっとしたものが落ちてこないのはいいが、異物感が強かった。


(まさか蓋をされるとは…)


水城は若干遠い目をする。
いや、こうなったのは鯉登のせいではなく、意志の弱い自分のせいであって…
すぐ他人のせいにするのはやめよう、うん…、と反省とみせかけた現実逃避をする。
そもそも、鯉登以外にも抱かれた経験があるが、避妊された経験よりも、中出しされた経験の方が多い。
だが蓋をされてまで中に留まらせるのは初めてだ。
吉平と尾形の時は出すだけ出して終わっていたのでまだぼたぼた落ちるよりマシだが、妊娠するために中を出されたと鯉登に意識させられているようにも感じる。
意識しないようにすればするほど下半身に意識が向けられるので、何か気が紛れる物を探す。
すると、三人のニヴフ族が何か作業をしていた。


「アシリパさん、あれ、何やってるのかな?」


正確に言えば、一人が丸太のようなものの上に一枚の皮のような物を上から道具で叩いており、それを二人が見ている所だった。


「魚の皮をナメしている…あれは子供の仕事と決まってるそうだ」


昨日聞いたのか、アシリパがすぐに答えてくれた。
どうやら漁で獲った魚の皮をナメしているようで、アシリパの説明通りあちらこちらでニヴフ族の子供がトントンと皮をナメしていた。
ちなみに、子供達が使っている道具は『ハマムス』という皮なめし器で、北海道のアイヌより靴や服など生活に必要な物を魚の皮を使用しているため沢山必要なのだとか。
アシリパの説明に『流石アシリパさん』と褒めていると女の子が近づいてきた。
その手には帽子らしき物が握られており、ニュアンスでしか分からないがどうやらその帽子をくれるらしい。
それもお金は要らないという。


「タダで帽子をくれるの?でも悪いよ…」


流石に無料で作ったものを貰うのは悪いと断ろうとしたが、少女はなおも水城に帽子を渡そうとする。
丁度チカパシとエノノカが来たので、通訳を頼むとタダの理由がちゃんとあった。


「その帽子、失敗作だって言ってる…家族に見せるの恥ずかしい、だから貰ってほしいって」


失敗作は失敗作でもただ単に模様と縫い方を間違えただけで、それ以外に失敗はしていないのだとか。
ただこの模様は北海道のアイヌ同様意味があるので、失敗したのを見せて笑われるのが嫌なのだとか。
むしろ貰ってくれると助かる、と言われ水城は『じゃあ』と丁度返って来た白石に手を差しだした。


「え、なに…」

「アメちゃん出しな」

「え…ええ…人に物を要求しておいてその態度なんなのぉ??」


見た目は綺麗なので、流石にタダでは悪い気がした。
しかしかと言って水城は金の他に渡せるものはない。
お金は絶対に貰わないと言うので白石のアメちゃんを上げることにした。
頼むわりには態度のでかい水城だが、ゴリラには勝てねえと日々呟いている白石はもぞもぞとポケットからアメちゃんを取り出して渡す。
水城を挟んでアメちゃんは白石から少女へと渡された。


「どう?アシリパさん、似合う?」

「ああ!魚の皮の帽子…似合うぞ水城!」


少女を見送った後、水城は軍帽を取って貰った帽子を被ってアシリパに見せる。
アシリパはコクリと頷いて水城を褒め、水城はアシリパに褒められて『わあ、嬉しいなぁ』と笑った。
その後ろでアシリパには犬モードの水城をほっこりと見守る白石がいた。


「そういえば谷垣ニシパがアシリパ達呼んで来いって言ってた」

「谷垣ニシパが私達を?」

「うん、ニヴフの人がお菓子作ってくれるんだって」


エノノカと一緒に外に出たチカパシは、外に出た理由を思い出す。
お菓子と聞いてアシリパと白石が目を輝かせた。
この時代、この極寒の地で、お菓子など贅沢品である。
チカパシ達も連れて水城は世話になっているトラフに戻る。


「遅いぞ、雪乃」


トラフに戻ると鯉登に怒られた(水城だけ)。
自分の傍にいないため最近機嫌がよろしくない鯉登だが、それでも最初の頃よりも必要以上に水城を縛らなくなった。
それはただ単に水城の中に"証"を残しているという安心感だからだろう。
アシリパも知らない水城が自分の物だという証だ。
出し抜いた気はないが、自分から水城を守ると言っていたアシリパに気づかれず証を残せているという優越感もある。
水城は『来い』と手を差しだす鯉登に苦笑いを浮かべその手を取ろうとした。
しかし…水城と鯉登の間をアシリパが座った。


「…………」

「…………」


ストン、と二人の間に座るアシリパに鯉登は無言で見下ろす。
その目は冷たくはないが、多少の苛立ちは隠せなかった。


(えっと……アシリパさんが座っちゃったし…まあ、いいか…)


水城は両者の無言の激闘にどうしようかと頬をかく。
だが、第一にアシリパ、第二にアシリパ、三四もアシリパでそれ以降もアシリパ思考のアシリパ厨の水城はアシリパを退かすなどという鬼畜の所業など出来るはずもなく、静かにアシリパの隣に座る。
その隣は白石が座り、ニタニタと水城を見つめていた。
その視線に水城は気味悪げに白石を見て若干体をアシリパの方へと傾かせる。


「…なにそのニヤつき顔」

「いやぁ、モテる女は大変だねえ」

「モテるって……これ、モテるって言っていいの?」


白石の言葉に水城は首を傾げる。
確かに、人生初のモテ期かもしれない。
鯉登とアシリパと、二人から好意を向けられているのだからモテ期なのだろう。
しかし、それをただ単純にモテ期と言っていいのか悩む。
ただ、白石と水城では解釈違いが起こっていた。
水城は天然記念物よろしく鯉登とアシリパにしか好意を向けられていないと思っているが、白石は違う。
白石曰く、そこに尾形と鶴見も含まれるとの事。
尾形は歪んでいるが水城に桃色片思い中であり、鶴見は男女の感情はないがそれを通り越して支配欲という好意を向けられている。
白石が把握し、死んだ人間も含めれば、鯉登、アシリパ、尾形、鶴見、辺見…と少なくとも5人は水城に対して矢印が向けられている。
だが、白石は知らない。
そこに土方と牛山も追加されることを…


「水城!ニヴフの伝統料理を作ってくれるらしいぞ!」


ニタニタと笑う白石にどう返せばいいのだろうかと思っていると静寂の激闘は一旦休戦となったのか、アシリパが水城の袖を摘まんでクイクイと引っ張る。
それに水城は意識を彼女へと向けた。


「ニヴフの伝統料理には魚の皮を作ったものがあり、それを作ってくれるらしい」

「へえ…魚の皮は身に着ける物以外にも使うんだねぇ」


伝統料理というのは、魚の皮を使ったモノらしい。
外での説明に魚の皮は主に身に着ける物に使用するのだと思っていたが、料理にも使うらしい。
和人は使わないと思えばポイポイ捨てるので、試行錯誤して見つける様々な使用方法に驚いてしまう。


「魚の皮だけを煮込んで捏ねて潰す…コケモモとかガンコウランを混ぜてアザラシの油で味付けする」


アシリパの説明をふむふむと聞く。
そんな二人を白石は微笑ましく見つめていた。
…が、ギロリとアシリパの隣にいる鬼に睨まれササっと顔を青くさせて顔ごと水城達から逸らした。
白石はただ微笑ましく思っただけなのだ。
水城が死んだと聞かされてからアシリパの顏から笑顔が消えた。
ここまで旅をしてなんとか笑顔を取り戻せたが、持ち前の元気さはない。
元気に装っていてもやはり水城のいない寂しさは消えない。
そんなアシリパをずっと白石は傍で見ていたから、いつものやり取りを微笑ましく思ったのだ。
それを水城の恋人とかいう輩は恋人を見つめる男に嫉妬して睨みつけてきた。


(いや俺の好みゴリラじゃないんで…)


そう言いたいが、怖くて言えない。
白石は水城の容姿を認めてはいる。
美人どころか体つきだってわがままボディだと認めてはいるが…中身がゴリラだと思うと抜くに抜けない。
白石はある意味安全圏ともいえるだろう。
だが、嫉妬の鬼はそんなこと知らないし、きっと知ったら知ったで『私の雪乃がゴリラだと!?今度こそ貴様の首を切り落としてくれるわ!』と軍刀を抜くに決まっている。


「外で冷やして固まると完成!冬にしか食べれないお菓子で『モス』と呼んでいるそうだ」


最強の盾である水城の影にそそそと隠れている間にニヴフのお菓子が完成した。
モス、と聞き、鯉登が嬉しそうにした。
水城は一瞬首を傾げたがその理由に心当たりがあった。
モス、とは鯉登の故郷である薩摩弁にある言葉で、それを思い出したのだろう。
育った故郷とは長い間足を踏み入れていないが、水城も懐かしく思い暖かい気持ちでモスと呼ばれるお菓子を見つめる。


「ん、寒天みたいで美味しい!」

「うんうん」


配られて食べてみれば和人のお菓子に例えれば一番近いのは寒天だろうか。
外で冷やしていたため冷たいが、和人の口にも合っていた。


「それは何の料理なの?」


モスを食べているとモスを作ってくれた世話になっているトラフの住人の奥さんが何か作業をしていた。
それを水城は何か料理を作っていると勘違いし、そう問えば翻訳してくれたエノノカが首を振った。


「食べるんじゃなくてキズの薬だって」


奥さんがしている作業は食べ物ではなく傷薬を作っている最中だった。
それを聞いて昨日奥さんが尾形や月島に塗っていた物と同じだと気づく。
海岸に生えている『シロヨモギ』という草を使ってニヴフの人達はキズに塗って治すという。
水城は『へえ』と関心したように作業を見る。
アイヌや和人も異人も、最初の人はよく草を薬になると思って実験してみたなと見てて思う。
しかし奥さんは心配そうにある方へ目をやる。


「でもあっちの人、草だけじゃ治せない」


月島は傷薬である程度回復に向かっている。
だが、奥さんが視線をやった先にいる尾形は薬だけでは治せないのだという。
確かに、水城がすぐに毒抜きしたが、彼は右目を失っている。
素人が下手に治そうと意固地になればいずれ死ぬだろう。


「…医者をここに連れて来なくちゃ」


顔色の悪くピクリとも動かない尾形を見つめ、水城はポツリと呟いた。
その呟きに鯉登が顔を顰める。


「亜港の医者を?我々は密入国者で日本兵だぞ…通報されたらどうするんだ…危険を犯してまで尾形を助ける必要はないはずだ」


水城達もアシリパ達も、密入国で樺太にいる。
今まで樺太の人と接触していたが、運が良かっただけで普通なら通報ものだ。
尾形一人のために通報されるリスクを負う行為、鯉登は賛同できなかった。


「でも月島軍曹だってちゃんと医者に一度診てもらった方がいいでしょ?」

「……」


水城の言葉に何も言えなかった。
月島は薬で容態は安定してはいるが、それが治っているとは言えない。
世話になっていてこう言ったら礼儀知らずだが、民間薬と医者の医学…どちらを信用するかと聞かれれば後者だろう。
何も言い返せない鯉登を水城はジッと見つめ返す。


「みんなでニヴフの格好すればバレないんじゃない?ロシア人に私達の見分けなんかつかないでしょ」


日本人が外国人の見分けがつかないのと同じく、外国人も日本人を見分ける事はできない。
水城だってそうだ。
特にアシリパ、エノノカ、チカパシのような子供と、ヘンケのような老人、そしてどこからどう見ても女の水城を連れて行けば日本軍という選択肢は隅へと追いやられるだろう。
現在それしか手がない以上、水城は反対意見など聞く耳持つつもりはなかった。

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