(186 / 274) 原作沿い (186)

水城は貰った帽子をかぶり、ニヴフの人からコートを借りてニヴフ族に扮した。
一応気づかれた時にと銃を布で包んで隠し、医者の元へと向かった。
せっかく変装したのに鯉登達を連れて日本軍だと気づかれたら意味がないと、連れていくのはエノノカとフンケ、医師への案内人に1人のニヴフ族だけにした。
病院と集落は少し離れており、犬橇で二人を運んで連れて行った。


『患者が一杯なので無理です』


しかし、断られてしまった。
医者として行きたいのは山々だが、治さなければならない患者が多すぎるのだ。
大きな街だったら他の医者を探せば済むだろうが、こんな場所ではそうはいかない。
鯉登が居たら『なら仕方ないな』と言うだろう。
尾形など死んでせいせいするが、生かしたとしても彼らに特はない。
だが、水城はどうしても死んでは困る理由があるのだ。


「ほっといたら死ぬから来てほしい、お金なら(音之進が)いくらでも払うから―――そう伝えて、エノノカ」


尾形のために使う金などない、と鯉登は言うだろうが水城はどうしても尾形をこんな形で死んでほしくなかったため、どうにか宥めることくらいはできるだろう。
そう思いながら水城はエノノカに日本語でそう伝えるよう言った。
どうせロシア人に日本の言葉は気づかれないだろうという怠慢があった。


『日本語か?』


そのため、医師が水城の言葉を聞いて日本語だと気づかれたのは予想外だった。
どうやら医師は先の日露戦争に参加していたようで、多少の日本語を知っているようだった。


「…バレたらなら話は早いわね」


水城は気づかれるのが早かったなと思いながら隠し持っていた銃の銃口だけを布からチラリと見せた。
女性に似合わない日本兵の銃に医師は目を丸くし、息を呑む。



◇◇◇◇◇◇◇



半分脅しで医師にニヴフ族の集落まで来てもらった。
医師は誘拐なのではと不安そうだったが、トラフ内に怪我人二人を見て内心ホッと安堵する。
これから誘拐紛いで連れ回される可能性や殺される可能性があるものの、少なくとも水城の言葉が嘘ではないのは確かのようだった。
まず重傷の尾形を診た後、彼に比べて軽傷である月島を診て治療した。


『お前達、日本の兵士か?』


ロシア語が通じる月島に医師はそう問う。
警戒している様子の医師に月島は連れ去られた少女を取り返しに来た事と、回復したら大人しく日本へ帰る事を伝えた。
その答えに満足したのかは分からないが、医師はそれ以上は事情を聞こうとはせず尾形へと振り向く。


『彼は重傷だからもっと清潔な場所で手術しないと駄目だ…私の病院に運ばなければ…私の病院なら機材が揃っている』


彼らは仲間を殺した憎い相手ではあるが、患者は患者だ。
医師にとって国や人種の前に患者を放っておくことはできなかった。
彼らの事情は知らないが、彼を助けたかったら病院に運ぶしか方法はないと医師としての判断を伝えた。
しかし…


「ダメだ、ここでやれ」


月島の通訳を通じての医師の言葉に鯉登が拒否した。
鶴見からの命令はあくまでアシリパ奪還だ。
そこに尾形の生死までは指示されていない。
元々水と油の関係ではあったが、それに加えて女の取り合いもあり、鯉登からしたら尾形が死んだ方が都合がいい。
それが大半の理由だが、何より自分達は密入国者だ。
通報される可能性がないわけではない。
アシリパを奪還したから仕事が終わりなわけではなく、鶴見にアシリパを引き渡すまでが仕事だ。
だが、鯉登の言葉に医師は目を吊り上げて叫ぶ。


『彼を助けたいんだろ!?』


月島の治療はここで出来たが、尾形の容態からしてそうはいかない。
下手をすればその場で死んでいたかもしれない怪我だ。
わざわざこの場に自分を連れてきたという事は彼らを見捨てる気はないのだろう。
警戒しているのはどうやらお互い様のようで、だからこそ、医師として強く出る。
日本人だとか、日本兵だとか彼には関係なかった。


「分かった…運びましょう」

「雪乃!いい加減に…」


医師の言葉に鯉登は言い返そうとした。
だがその前に水城が頷いてしまう。
先ほどから勝手に決める水城に鯉登は流石に注意しようとしたのだが…水城の表情を見て言葉を飲み込んだ。


「尾形には色々聞きたいことがある…まだ死なせない」


そう呟く水城は低く唸るような声色で、その表情は静かに殺意に満ちていた。
それは怒りというよりは強い執着にも見える。
鯉登は普段の水城との差にざわつき、思わず口を閉ざしてしまう。


「『ロシア軍に通報すればせっかく治療したのが無駄になる』だとさ」


加えて、月島の言葉に鯉登が折れる形となった。
決断したら早く、医師の指示のもと尾形を寒さから守るため布を巻いて犬橇に運んで乗せた。


「よし、出発ね!」


怪我を負っている月島を置いていき、水城達は尾形を病院に運ぶため犬橇に乗る。


「尾形を救ったとして…あいつが改心して本当の事を話すなんて期待してるほどおめでたくはないよな?」


水城が運転する橇にはアシリパ、白石、鯉登が乗り、ヘンケが運転する橇にはエノノカ、チカパシ、谷垣、医師が乗る。
残す月島をニヴフの人に預け、水城は出発しようとする。
そんな水城に白石を押しのけて水城の後ろに乗り込んだ鯉登が話しかける。
鯉登の言葉に水城は…


「救いたいのはあいつじゃないわ」


そう答えた。
その答えに鯉登は怪訝な表情を浮かべたが―――…

尾形は口角を上げた。

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