2人を何とか宥め、水城は二人と共に一階に戻る。
一階に戻れば狙撃手と共に月島と谷垣が座って何かを話していた。
正確には月島と男が話しており、その言語は日本語ではなかった。
内容までは理解はできないが最近耳慣れたロシア語だと何となく分かる。
「早かったですね」
水城達に気づいた月島がそう零し、鯉登はイチャイチャし損ねて拗ねているのか『嫌味かそれは』と返す。
機嫌の悪いのはアシリパを見送ってから覚悟していたが、不機嫌を隠さない上官に『おや』と意外そうに見る。
(最中かと思ったが…その前に特攻されたのか…)
月島は味噌を取りに行っただけなのに中々戻ってこない2人に『あ、これ…』と色々と察した。
そのためアシリパがしびれを切らして二階に上がっていったときは色々と終わったと思った。
まだいたいけな少女にトラウマは植え付けたくないので止めようとはしたのだが、怪我で止めきれず上に向かうのを許してしまった。
月島は行き場のない手をグッと握り締めながらチベスナの顔を浮かべ全てを諦めた。
『降りてこずイチャつくのが悪い』と開き直っていたのだが、どうやらイチャイチャする前に特攻されたらしく、ばかっぷ…上官には悪いがホッと安堵する。
「二階におられた間、彼から話を聞かせてもらいました」
2人が上でイチャつきかけた時、月島は仕事をしていた。
鯉登とアシリパが水城を挟んで座ったのを確認した後、待っている間聞き出した情報を水城達にも教える。
「この男は国境でアシリパ達を待ち伏せていたロシア兵です」
「ロシア兵?そのロシア兵が何故アシリパ達を待ち伏せをしているのだ…?白石を撃った理由はなんだ」
鯉登の問いに月島は仕事を忘れていなかったと安堵する。
普段恋人にデレデレだったため、仕事が出来る男なのをこの旅で忘れてしまっていたのだが、鯉登の日頃の行いを見れば月島を責める者は誰もいないだろう。
ロシア人は樺太で国境警備隊に勤めていたロシアの狙撃兵だった。
理由がありある男を待ち伏せしていたが、尾形に返り討ちにあったらしい。
「どうやら尾形に敗れたらしく…白石とアシリパ達が尾形と同行していたのを覚えていて白石を狙ったのも尾形を炙り出そうとしていたらしいですね…」
「尾形め…逃亡しても私達に迷惑をかけおって…」
心底嫌そうに顔を顰めて零す鯉登の言葉に月島は内心頷いた。
自分達は尾形の問題に巻き込まれただけだった。
特に可哀想なのは白石だろう。
尾形と同行していたという理由だけで餌として足を撃たれたのだ。
悲運以外に何物でもない。
とりあえず、ロシア人の男に尾形と自分達は無関係だと知らせるため、男が描いたキロランケと尾形の似顔絵を手に取る。
『この男は死んだ…この男も逃げて行方は分からない…我々は子供を取り戻しに来ただけだ…皇帝殺しには無関係だ』
そう言ってキロランケは死に、尾形は自分達の傍から離れた事を告げた。
水城はキロランケと尾形の似顔絵を捨てるように月島の手からはらりと落ちるのを目で追い、畳の上に落ちたキロランケを見つめた。
キロランケは15歳の頃、ロシアの皇帝暗殺に成功していた。
しかし追われる身となり、キロランケとアシリパの父親であるウイルクと共に日本に亡命し、そこでお互い妻を持ち北海道のアイヌとして生きることになった。
そのキロランケをロシアの男は仲間と共に樺太で待ち伏せしていたのだ。
意外な一面を持っていたキロランケの過去を聞いて水城はまず脳裏に浮かんだのはキロランケの家族だった。
彼女はこれから亡き夫の代わりに子供を1人で育てなければならなくなる。
周りには親兄弟がおり強い女性だと言っていたから周囲に助けられながら子供を育てるのだろう。
水城は父親のいない苦労は分かってあげれるが、愛する夫を亡くす女の気持ちは分かってあげることはできない。
だが、水城だって他人事ではないのだ。
チラリとキロランケの似顔絵から鯉登を見る。
今は戦争はないが、戦争が始まれば水城が愛する男も死ぬかもしれない。
下手をすれば寅次や吉平のように身体すら帰ってこないかもしれない。
「…っ」
彼が戦地で死に、キロランケのように戦場で屍となり消えるかもしれないと考えるとどうしようもなく怖くなった。
最前線で銃や剣やロシア兵を目の前にしてもここまでの恐怖を感じなかったのに、今は彼を失うかもしれないと思うと恐ろしくてたまらない。
水城はそっと彼が生きているのだと確かめるために鯉登の手の上に自身の手を重ねる。
(…雪乃?)
それに気づき、鯉登はロシア人の男から水城へ目線を向けた。
水城を見るまで水城に甘えられたと嬉しく思っていたが、自分を見上げる水城の顔はどこか不安げで泣き出しそうだった。
それに鯉登は胸が締め付けられ、水城が何に対して不安に思っているのかは分からないが安心させようと触れられている手で水城の手を握る。
言葉なく鯉登は『大丈夫だ』と強く水城に伝えた。
それが通じたのか、水城の不安げな表情が少し和らいだ気がした。
水城の顔に笑顔が戻ると鯉登もつられるように微笑みを水城に向けた。
見つめ合っていると…ゴホン、と咳払いに邪魔された。
その咳払いがした方へと視線を向けると、呆れたような目で見て来る月島がいた。
「彼には事情を説明しました…白石達と合流し先を急ぎましょう」
月島の顏にデカデカと『またやってるよこいつら…』と書かれていた。
自分達が見つめ合っている間に、ロシア人への説明と誤解を解き終わったらしい。
全員の視線がこちらに向けられているため、水城は何だか無性に恥ずかしくなって頬を染めて俯いた。
鯉登から顔を逸らすように俯いたため、アシリパがこちらを見ていたのに気づく。
ただ、青い綺麗な目がジーーーッと凝視するように向けられたのは水城ではなく、水城の鯉登と繋がっている手だった。
鯉登と繋がっている手を凝視されているのに気づき水城は慌てて手を抜き取った。
それでも無言で見つめて来るので、水城は『ナ、ナンデモナイヨ〜』と笑ってアシリパに両手を振って見せる。
それが通じたかは分からないが、アシリパのもの言いたげな視線から逃れる事ができホッと胸を撫で下ろす…―――が、今度は鯉登からもの言いたげな視線を貰ってしまった。
板挟みに水城はもう笑うしかなかった。
とりあえず月島の言う通り、待っている白石達と合流しようとその建物を出るため移動する。
ヒシヒシと感じる鯉登の不満そうな視線を感じながら水城は外国人を連れて外に出る。
外に出れば治療してもらったのか白石は足に包帯を巻き、松葉杖をつきながら水城達を待っていた。
月島の指示なのか、エノノカとヘンケのおかげで今すぐにでも出発できるように荷物と犬橇の準備はすでに終わっていた。
白石は水城達の後ろにいる新たな人物に首を傾げていたが、事情を説明されるとそのアホ面は怒りへと変わる。
「ロシアの兵隊さんよぉ…次に人を探す時はまずは本人がいないか聞け……人の脚を撃ち抜く前になぁ!!」
温厚な白石には珍しく、額に青筋を立てていた。
それを水城は呑気に『おっ、珍しい』と物珍しそうに白石を見る。
しかし対して白石は月島に通訳されて意味は通じているのに全く何も言わない相手に苛立っていた。
「なんか言う事ねえのかよ!!ロシア語に謝罪の言葉は無いのかねぇ!」
白石の怒りも分かる。
確かに白石は尾形とキロランケと同行していたが、たったそれだけで足を撃たれ殺されるかもしれないという恐怖を感じたのだ。
それも相手からの謝罪はなし。
怒るなという方が無理だ。
だが、相手は謝りたくても謝れない事情があるのだ。
怒る白石に相手は顔半分を覆う布を外して見せる。
「ひ〜〜ッ!!」
男の顔を見て白石はその酷さに顔を青ざめた。
男は醜いわけではない。
ただ、顔には酷い傷が残っており、その傷のせいなのか少し変形していた。
尾形との戦いで顎を尾形に撃たれてしまい、一命は取り留めたが口の機能は衰えたらしい。
とは言え、初見の人間には心臓に悪いらしく、白石は自分の知っている中で壁として申し分ない水城に身を寄せた。
対して水城はすでに知っているので彼の顔を見ても全く動じず事情を説明する。
「尾形に撃たれた傷らしいわよ…その傷のせいでうまく話せないらしいわ」
「お、尾形ちゃ〜〜んッッッ!!」
白石は思わず叫んだ。
あの時、尾形が居なければ自分達はこのロシア人達に殺されていただろう。
そこは感謝しているが、それはそれ、これはこれである。
話せないのなら仕方ないと謝罪させる気満々だった白石は諦めた。
ロシア人の男の誤解も解いたという事で、一同はロシア人の男と別れ豊原へ急ぐことにした。
鯉登曰く、味噌はそこで購入してくれるとの事。
「早くロシアに帰れバカアホ!」
水城が運転する橇に子供達3人に怪我人の白石を乗せる。
白石はまだ根に持っているのか、子供じみた憎まれ口を放ちながら水城達と共にロシア人の男から離れていく。
―――静香を出ると建物に囲まれていた光景から一気に雪道と森しかない殺風景な光景しか広がらず、水城達は会話もなく前だけを進む。
「あのロシア人付いて来てるぞ…」
暫くしてふと白石の耳に犬橇以外の音が聞こえ、後ろを振り向く。
そこには自分の脚を撃ったあのロシア人の男がいた。
ロシア人の男は馬に乗っており、どうやら自分達を追いかけるためあの町の馬を盗んだらしい。
「皇帝殺しの仲間だってまだ疑ってんのかな?キロちゃんが死んだのも嘘だって…」
言葉が通じないため、相手が何を考えているのか分からない怖さがある。
一定の距離を保って付いてくるロシア人の男に白石はまだ誤解しているのではないかと不安に思う。
その不安をアシリパが否定した。
「いや、あいつはもうキロランケニシパに興味がない…あの似顔絵…手配書の裏に描かれていた」
「俺達と一緒にいれば尾形に会えると思ってんのか…」
「どちらかが死ぬまでやり合うつもりなんでしょ…『死んでないなら負けてない』って…」
水城とお絵かきをしていた紙も手配書だった。
もしもまだ誤解をしているのなら、大切な手配書を破ったりはしないし、絵描きとしての紙には使用しない。
水城は女としてはロシア人の男の考えは理解できない。
男と男の勝負など女にしたら心底どうでもいいものだ。
きっと男も女達の勝負事をそう思っているのだろう。
ただ…不死身としては何となく、気持ちは分からないでもなかった。
何度も怪我を負って死にかけても水城はこうして生きている。
生きていればまた道を歩む事が出来るのを水城は知っている。
それが例え血塗られた道しかないとしても。
「尾形はまた戻って来ると思うか?」
思考に意識をよそへやっていたのか、アシリパの声に現実に帰る。
アシリパの問いに水城は頷いた。
「アシリパさんが金塊の暗号を解く鍵ならまた来る可能性はある」
「……でも私を殺す素振りも見せた…本当に金塊が欲しいんだろうか…」
水城の言葉にアシリパはポツリと呟いた。
尾形の行動はアシリパも予想がつかない。
自分を懐柔するためとはいえ、樺太で多少は仲を深めることが出来たと思ったのだが…尾形は決して誰にも心を開いてはいなかった。
尾形が何を考えて脱走兵となってまで金塊争奪戦に参加したのかは水城も分からない。
彼は誰にでもそうだった。
裏に何者かの影があろうとなかろうと水城は今、知るすべはない。
「引っ掻き回して遊んでるだけかもしれないわね」
水城は静かにそう呟き、林へと消える小さなオオヤマネコを目で追って見送った。
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