鯉登はその日、恋仲である雪乃と祭に行く約束をしていた。
鯉登も浴衣を身に包んでおり、恋人を待って立つその姿はとても絵になっていた。
容姿よし、家柄よし、育ちよしの鯉登は17歳になり女が見惚れるほど美男子に成長した。
その証拠に鯉登の前を通る女性はほぼ鯉登に見惚れており、時々女性に声をかけられることもあった。
逆ナンだと気付かない鯉登は『連れを待ってるので』とやんわりと断る。
連れ=男友達だと思った女達からしつこく迫られるがはっきりと『恋人を待ってる』と言えば女達は身を引いてくれた。
幸いな事はそれでも迫る女には当たらなかった事だろうか。
なぜ一人になると女性に声を掛けられるのか分かっていない鯉登はあからさまに不機嫌さを見せていた。
その理由は、女性に声を掛けられるからもあるが、何より約束の時間を過ぎても雪乃が現れないからだ。
それに鯉登は苛立たせていた。
勿論雪乃に、ではない。
(また子猿が
駄々をこねて雪乃を引き留めちょるんか?)
苛立ちの矛先はカナだった。
互い気が合わないとカナも鯉登も公言してるし、周りも知っている。
カナは主人である雪乃を慕っているから、特に鯉登が気に入らないのだろう。
鯉登も鯉登で雪乃の周りをちょろちょろし邪魔する子猿(カナ)を生意気だと対抗していた。
本人達としては不仲だと思われているのだと思っているが、実際は周りに『喧嘩するほど仲が良い』と思われていた。
知らぬは亭主ばかりなり、である。
だから今回もカナが鯉登とのデートを邪魔して雪乃が遅れていると思っていた。
「
迎めに行ってやっか…」
実家に帰っている身としては川畑家と鯉登家は距離はあるものの、家は隣。
そのため、待ち合わせの意味はほぼない。
しかし、雪乃が恋人らしい事をしたいと待ち合わせをすることにしたのだ。
彼女が遅れても怒らず待ってやるのも彼氏の甲斐性でもある。
そして、迎えに行ってやるのも彼氏の甲斐性でもある。
母から雪乃の着物は自分の好みの柄や色を選ばせたと事前に聞いているため、鯉登の機嫌はそれほど悪くはない。
ただ駄々をこねているであろうカナにはゲンコツ一つで済ましてやろうとちょっとばかしの優しさ(?)を見せながら雪乃の家へと向かって歩き出した。
「…?」
暫く歩いていると少数だが人が集まっているのが見えた。
その中には警察が一人交じっており、鯉登は何の騒ぎかと聞こうと近づいた。
しかしふと鯉登の視界に見慣れたものが映り、鯉登はそれに向かって駆け寄る。
「こや…雪乃の…」
気のせいかと思いたかったが地面に散乱していたのは雪乃の荷物だった。
雪乃が好んで着ていた着物に、雪乃が普段使いとして使用していた髪留めと手提げ鞄とお気に入りの日傘(パラソル)が落ちていた。
それどころか下駄が一つ、落ちていたのだ。
鯉登の様子に気付いた警察が声をかける。
「お兄さん、これん持ち主知っちょるんけ?」
「雪乃じゃ…ないごて雪乃の荷物がここに!?」
鯉登がそう問えば警察の人は話してくれた。
最初に見つけたのは通行人だった。
ただ、ただの落とし物にしては着物やら鞄やら片方だけの下駄は可笑しいと思い、丁度通りかかった警察に知らせた。
警察もただの落とし物ではないと察し、応援を呼ぼうとした時に鯉登が現れ、持ち主と知り合いだという鯉登にそれを説明した。
その説明に鯉登は一気に温度が冷え切るのを感じた。
明らかにこれは異常だった。
明らかに雪乃は誘拐された。
そう思った瞬間鯉登は怒りで頭に血を上らせた。
「こいを川畑家に届けてほしか」
「え?」
「こん荷物ん落ち主はそこん令嬢や…事情を説明し、
使用人に渡しちょいてくれ」
腸が煮えくり返るような強い怒りを感じていたが、荷物をこのまま放置する訳にはいかないくらいはまだ冷静さを残していた。
とりあえず荷物は警察に任せ鯉登はその場を後にし雪乃を探した。
探すと言っても証拠は落ちていた荷物しかなく、しかし荷物の中に犯人達の痕跡はない。
鯉登はまず聞き込みを徹底した。
恐らく鯉登の様子からして警察も察して動いてくれるだろう。
だが警察に任せて自分だけ家に帰り雪乃の無事を祈るのは許せなかった。
とは言っても時間が経っているからか、聞き込みは難航した。
しかし誘拐だとすれば必ず何かしら目撃はあるはず。
根気よく聞き込みをすれば…
「浴衣姿の少女と不審者?」
「ああ、それなら
私見たよ…なんか
寝てるお姉さんと
女の子を抱えちょっおじさん達がおった」
聞き込みは大人から老人まで聞いて走り、その辺で遊んでいる子供達に聞くと鯉登は当たりを引いた。
鯉登は子供の言葉に食いつき、肩を掴んだ。
「本当か!?どこで見た!!どこ向かった!?」
「え、えっと…確かあっちん方に歩いていった…じゃっどんあっち廃屋しかなかし木とか草とか伸ばしっぱなしじゃっでお父さんが入っちゃ
駄目って
言ちょったよ」
鯉登の勢いに押されちょっぴり涙目の子供は不審者達が向かった方を指さす。
その方向に鯉登は走っていった。
子供達はそんな嵐のような鯉登を見送った後『何だったんだろうね』『ね』と顔を見合わせた。
(確か寝ちょったとか
言ちょったな…なら睡眠薬でも嗅がされて意識がなか隙に
運ばれたのか…!!
女の子とか
言ちょったからカナも一緒か…!!)
雪乃ばかりかカナまでも誘拐されたと知り鯉登は焦った。
カナはお互い気が合わないと公言している仲ではあるが、それでも彼らは本気でお互いを毛嫌いしているわけではない。
カナは雪乃の大切な付き人で、雪乃がカナを妹のように可愛がっているのを鯉登も知っていた。
だからカナにも仲間意識はあった。
(子供の
言ちょった草が伸びちょっな…これじゃ人は寄りつかんじゃろ)
言われた通りの場所に足を踏み入れればまず鯉登を歓迎したのは草。
持ち主が分からないのか、それとも持ち主が死んで継いだ人間が放置しているのか、廃屋が一件建っているものの周りの木や草は子供達が言った通り好き放題に伸びていた。
人影もなく、周囲も民家がなく更地や空地なく、家の周辺も高い木塀が囲っているその場は犯罪者でなくても犯罪を犯すのに丁度いいと思うだろう。
音を立てないよう気をつけて進み、もう人の住んでおらず雨風に晒されボロボロな家の隙間から様子を伺う。
だが鯉登から覗く場所には雪乃達はいないのか人の気配すらない。
(こん家には連れ込んじょらんのか…?)
外から覗き込む場所からは雪乃の姿はなかった。
そうなれば中に入っているか…ここには元々雪乃はいないか、のどちらかになる。
子供達が嘘をついていなければ、子供達はただこの場所に男達が入ったところしか見ておらず、この家に入ったかなんて子供達は分からないだろう。
今まさに雪乃の身に危険が及んでいるかもしれないと思うと急ぎたい気持ちではあるが、可能性がゼロではない以上調べる価値はある。
鯉登は土足のまま慎重に家に入る。
茶の間のような場所から入り気配を消して中へと進む。
幸いなのはこの家は平屋だという事だ。
周囲を見て回ったので後は中央の間取りのみ。
何部屋か見たがやはり雪乃はいなかった。
それどころか男達の形跡すらない。
やはりこの家には入っていないのか、と諦めかけたその時―――…
「!―――カナ!!」
最後の部屋の襖をそっと開け、その隙間から覗き込めば少女の足が見えた。
それに慌てて入ればその一室には少女…カナが横たわっているのが見えた。
気を失っているのか身動き一つしないカナに駆け寄り鯉登は抱き起す。
「カナ!!カナ!起きろ!!」
「ッ…、……お、音之進、様…?」
頭から血を流しているので揺らす事は出来なかったが鯉登は声を上げてカナを呼び続けた。
その声に意識を取り戻したのかカナは薄っすらと目を開ける。
ぼやけていた視界がはっきりとし、カナは起き上がろうとしたがズキリと頭が痛み蹲ってしまう。
「頭を殴られたんじゃろう…大人しゅうしちょけ」
頭に手をやれば手の平に血がべっとりついていた。
それでカナは思い出す。
「っ音之進様!!お嬢様が…!!雪乃様が!!!」
「分かっちょ…そいでないごてお前だけがこけいる?雪乃と
一緒き攫われたんじゃらせんじゃったんか?」
縋る様にカナは鯉登に訴えた。
雪乃が攫われたのだと。
しかし、カナは鯉登の問いに顔を更に青ざめながら俯き、何故か言いよどむ。
「そ、それは……」
怖い思いをしたからという理由で顔を青ざめたのなら分かる。
だが鯉登はそうではないと何となく気づいた。
そこで鯉登は周りを気にする余裕ができたのかふと辺りを見渡してみた。
そして気づいたのだ。
この部屋だけ血の匂いと…―――生臭い匂いで充満していることを。
その匂いは男なら誰だって嗅いだことのある匂いであった。
鯉登はカナを静かに座らせた後、立ち上がり特に匂いが強い所へと歩み寄る。
そこには血と、白い液体が散らばっていた。
「お、音之進様…実は…」
鯉登が気づいてしまったとカナは分かった。
隠し通せるわけがないが、主人を思うと言いたくはなかった。
鯉登と主人は恋仲で、祖母や母達から聞けば長い間片想いをしやっと結ばれたのだ。
それも普通は結ばれたのなら体を繋げるものだが、鯉登は雪乃を大切に想い未だ体を繋げていないという。
それなのに主人のされた非道さを鯉登に話すのは心が痛む。
しかしそうは言っていられないのも確かだ。
このまま警察に行っても動くのは遅い。
そうしている間に雪乃は売春宿に売られてしまう。
だからカナは鯉登に全てを話した。
菊之丞が主犯なこと、白いソレは菊之丞が連れてきた男達の物だということ、そして、散らばっている血は雪乃のものだということも。
全て話を終えると鯉登はカナに歩み寄り、肩を掴む。
「あいつは雪乃をどけ売っち
言ちょった!?」
「わ、分かりません…」
雪乃を売春宿に売るという言葉は鯉登をどん底に落とすのに十分だった。
唯一情報を持っているであろうカナに聞こうにも、どこの店に売るという話はここではしなかったらしくカナは首を振るしかなかった。
鯉登もそれは承知なのかすぐに引いてくれたが、カナはふと引っかかる事があり黙り込む。
「あ…でも……私を殴って気を失わせる前にあの男が言ってました…『寝床に持って帰って楽しむ』って…」
「―――ッ」
頭を殴られ一時的に記憶が混乱していたが、冷静に思い出すとすぐにその引っ掛かりを掘り起こす。
しかしそれは最悪な言葉だった。
その言葉を聞いた瞬間鯉登は走り出し、家を出ていった。
「音之進様ッ!!!」
カナの呼び声など聞こえないのだろう。
鯉登はカナを置いて家を飛び出していった。
その時見えた鯉登の表情にカナは震えあがった。
鯉登はまさに鬼の形相をしていたのだ。
いつも喧嘩する時に見せるムッとさせた不機嫌な顔とはくらべものにならないほどの恐ろしさをカナは感じた。
だが、それは当たり前だと納得もしていた。
愛する女性が顔に傷をつけられ更には強姦されたのだ。
怒るなと言う方が可笑しい。
しかし…
(ま、まずいかも…!!こんままじゃ音之進様が人を殺してしまう!!)
話したのは仕方ないにせよ自分のせいで鯉登が殺人犯になってしまうかもしれないとカナも慌てて起き上がり追いかけた。
すぐに追いかけたので遠目ではあるが鯉登の姿を見つけることが出来た。
頭の痛みなど忘れるほどカナは必死に鯉登を追いかけた。
「お、音之進様!!!居場所分かるのですか!?」
息を上げながら鯉登にやっと追いついたカナは後ろからそう問う。
だが、我を忘れているらしい鯉登からは返事はなく、カナはそれから何も言わずついていく。
というのも足の長さや体力から鯉登に付いていくのにカナは精一杯だったのだ。
それでも10歳が体力有り余る17歳の男に距離を開けず付いていけているのはすごい事ではあるが。
鯉登はまっすぐある方向へと向かっており、迷いのないその足にカナは鯉登を信じた。
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