(201 / 274) 原作沿い (201)

鯉登と月島は仲居の案内で廊下を歩いていた。
丁度みんな夕食時というのもあって部屋の中から楽し気な声があちこちから聞こえる。


「あ」


暫く歩いていると月島が声を零す。
その声に月島を見れば、彼は立ち止まっていた。


「どうした」

「忘れ物をしました…申し訳ありませんが先に行っていてください」


月島の言葉に鯉登は既視感を覚えた。
あまり思い出したくもない記憶だからか、それとも水城と一緒に食事が出来るという嬉しさからか(恐らく後者)、明らかに怪しい月島の行動も鯉登は見て見ぬふりをした。
『そうか』とだけ言って鯉登は仲居と共に月島の前から消える。


「……上手くいけばいいんだが…」


鯉登の後ろ姿を見送りながら、月島はそうポツリと呟いた。
月島の言う『上手く』とは、鯉登の事ではなく…水城サイドの事だ。
鯉登は水城を餌にすれば簡単に釣られてくれるが、あちらは中々に難易度が高い。
水城サイドが失敗すれば、すなわち…鯉登の機嫌が最悪となるのと同義となる。
下手をすれば今後の鶴見側と水城側の間に溝が深まる可能性もある。
ここはお得意の水城に全て丸投げするわけにもいくまい。
なんて言ってもアシリパは鶴見が望む金塊の鍵なのだ。
彼女には誰よりもVIP対応でなくてはならない。


(頑張れ、杉元…)


ここ最近水城と鯉登のバカップル加減に嫌気がさしていた月島だったが、基本、水城を弟のように可愛がっているため、心の中では水城の味方である。
ぐっと拳を握り水城を応援しながら、月島は一人楽しく旅館の料理に舌鼓を打とうと部屋に戻っていった。



◇◇◇◇◇◇◇



月島達の計画に気づかず、鯉登は呑気にも仲居についていく。
しかしふとおかしい事に気づいた。


(?…何やら大部屋から離れているような…)


案内されるのは大部屋だ。
全員で9人いるので誰かの個室で食べるわけにもいかないらしく、大部屋を取ってもらった。
そう説明されたのに、何故か案内してくれる仲居の足は段々と賑やかな声とは真逆の方へと向かっているような気がした。
それに気づいた時にはすでに酔っ払いの楽し気な声は小さくなりつつあり、鯉登は静かに廊下を進む仲居に声をかける。


「すまないが、どこに向かっているのか聞いてもいいだろうか」

「はい、大部屋にございます」


鯉登が立ち止まったので、仲居も立ち止まり鯉登へ振り返る。
大部屋と応える仲居に、鯉登は視線を更に先へと向け、眉を顰める。


「それにしては奥へと進んでいるではないか?」

「他の大部屋はすでにご予約のお客様で埋まっておりまして…少し離れてしまいますが一つだけ大部屋が空いておりましたのでそちらにご案内させていただきます…普段はご要人様をご案内させていただくお部屋なため、他の部屋とは離れた静かな場所にございます」

「…………」


樺太ではあるが、このくらいの旅館となれば要人も訪れる事も、まああるのだろう。
だが、少しその言葉に鯉登は違和感を感じた。
仲居は営業用の微笑みを浮かべており、一見して怪しさはない。
しかし、それでも鯉登は軍人の勘というべきか…どこか引っかかりを覚え、無意識に腰に触れた。
だが、本来そこにあるべき軍刀はなく、旅館だからと軍刀を置いてきたことを鯉登は後悔した。
舌打ちを心の中で打ちながら、仲居が進んだため鯉登も仕方なく仲居に続く。


(外…いや、離れか…)


黙って付いてきたが、ますます怪しく思えてきてしまう。
仲居は一度外に出て、少し離れた離れへと案内した。
いくら鯉登達が日本兵だとしても、要人用の部屋を簡単に貸すだろうか。
それも、離れへの道のりは決して客を案内させるようなものではなかった。
どちらかと言えば従業員が行き来するような場所を鯉登は通されていた。
普通なら案内されれば玄関が見えるのに、何故か裏から回って玄関に辿り着いたではないか。
怪しく思うなという方が無理だ。
仲居は玄関まで案内すると、玄関の扉を開けて鯉登が入るのを待っていた。


「………」


鯉登は怪しさ満点ではあるものの、仕方なく玄関に入ると、ふと、玄関に靴が置かれているのが見え、片眉を上げる。


(1人…女か…)


その靴は外の国から入って来たものではなく、元々この国で履かれていた草履だった。
それも女性ものの愛らしい物で、鯉登は何となく察した。
これはよく昔から起こっていた事だ。


(こんな大掛かりな事をする女だ…水城に気づかれず断れるだろうか…)


水城と再会するまでも度々こんな事がよく起こっていた。
自分に惚れたかなんだか知らないが、全くの初対面の女が周囲を巻き込み、自分と一夜を共にするために仕掛けたものだ。
最初は呼び出しにわざわざ応じて、初対面の女の告白や誘いを断ってきた。
しかし、1人呼び出しに成功すると周りは自分も自分もと次々鯉登を呼び出し始めた。
最初こそ丁寧に断りを入れていたが、『死んだ女なんか忘れろ』と言う周囲に気遣うのが馬鹿馬鹿しくなって相手にもしなくなった。
最悪だったのは、友人だと思っていた相手がそれに乗って、鯉登を騙して女と引き合わせた時だ。
あの時の事は思い出しただけでも腹立たしい。
まだ『〇〇って子がお前に惚れていて会いたいらしい』と言ってくれるならまだいい。
だが友人である自分を騙して連れてくるのは、決して褒められたものではない。
友人達は自分が雪乃一筋だと知っているので、知らなかったなどとは言わせない。
その友人とは絶縁し、今も付き合いはない。
だから、今回も誰だか知らないが、自分の顏"だけ"を見て惚れたと言い、周囲を巻き込んでいるのかと思った。
女を振るのは慣れてはいるが、それを水城に気づかれずに振れるだろうか…と不安に思う。
過去に振ったのに、告白を受け入れて一夜を共にしたと噂を流した女がいたのを鯉登は思い出す。


(…放っておいたとしても…後で騒がれてはたまらん…断るだけ断ってくるか…)


この豪勢な作りからして、要人用の部屋なのは嘘ではないのだろう。
こんな部屋を借りて告白をするような女性だ…その辺の呼び出しだけの告白とは違い、厄介なのは経験上分かっている。
まだ身分差のある女性の方が聞き分けが良い。
前まではまだ自分に迷惑がかかっただけで良かったのだが(それはそれで良くはないが)、今は水城がいるのだ。
水城に要らない誤解をさせて、また壁を作られてはたまらない。
鯉登は嫉妬してほしいと思いつつ、今はアシリパという立ちはだかる壁があるため、そんな余裕はない。
今でさえ雪乃不足だというのに…これ以上水城との距離が離れてしまうのはそろそろ気持ち的に厳しい所がある。
仕方なく会うだけ会い、相手が何か言う前に断って水城の元へと行き、愛らしい恋人に癒してもらおう…そう思い靴を脱ぎ室内に上がる。
部屋が広いためか、仲居の案内に鯉登は黙って続く。
しかし、今頃は水城とアシリパは自分がいない場所で夕食を楽しんでいるのだろう…それなのに自分はこんなところに呼び出されたと思うと、段々と相手に腹が立ってきた。
その気持ちが出ているのか、ドタドタと苛立ちを表すように足音が大きくなっていく。


「どうぞ中へお入りください…お連れ様がお待ちでございます」

「………」


相手側が待っている部屋に着いたのか、仲居はそう言って部屋の襖を開ける。
それに黙って部屋に入ると、仲居は開けた襖を閉めてさっさと退散してしまった。
出来れば証人となってもしもの時に水城の誤解を解いてもらいたかったが、客商売である以上仕方ないのかもしれない。


「……いないではないか…」


仕方ない、と溜息をつき部屋を見渡すと、そこにお連れと呼べる人物の姿はない。
しかし部屋には二人分の食事が置かれており、用意されてすぐに案内されたのか暖かい食事はまだ湯気が立っていた。
こんな状況でも、相手が水城だったら更に美味しそうに見えるだろうな、と一口も口にする事のないであろう食事を見下ろしながら、鯉登は相手を探しに部屋と繋がっている襖へと手をかける。
そこには、予想通りの光景が広がっていた。


「…………」


はあ、と鯉登は溜息を吐く。
食事が置かれている部屋の隣には、いかにも"そういう意味"で敷きましたよと言わんばかりの布団が一枚。
1人用にしては大きく、枕は二つ並んでいた。
枕元には避妊道具と紙が置かれており、薄暗い部屋は淡い色に灯る行燈で照らされ色っぽい雰囲気を演出していた。
その部屋は男女が一夜を共にするための部屋である。
そして、同時に鯉登の予想が当たったということだ。


(相手が来なかった、という事で帰るか…あとで何か喚こうがもう関係ない…)


ずっと女を避けて生きてきたせいか、女性に対して慣れないことが多い。
特に自分に好意を持つ女性。
ヤマダ曲馬団のように憧れの視線を送ってくるならまだいい。
恋愛感情を持っていても正面から告白してくる女性や、告白する勇気がなく見つめるだけの女性もまだ可愛い方だ。
だが、こうして変に行動力のある女性は苦手だった。
断るのが、ではなく、面倒の方が勝っている。
相手の姿もないという理由をつけ、相手が戻ってくる前に帰ろうと襖を閉めて来た道を戻ろうとしたその時、誰かがこちらに向かってくる足音が聞こえた。

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