食事も楽しく終え、水城は満足げに膨れたお腹を擦った。
「美味しかったね」
「そうだな…こんな豪勢な食事は久々だ」
鯉登の言葉に水城もしみじみと頷く。
今まで水城が食べてきた貧乏な食事に比べると天と地の差がある。
鯉登も今は実家を離れて暮らしているため、二人とも豪華な食事は久々だった。
「お湯、貰ってくるね」
食後のお茶を飲もうとしたが、お湯がぬるくなっているのに気づく。
やはり今の季節、飲むとしたら暖かいお茶の方が良いだろうと思い、水城はやかんを持って部屋を出る。
鯉登の『頼む』という声に見送られながら部屋を出て台所へと向かう。
襖を閉めようとした時、『あ』と水城は何かを思い出し襖の隙間から顔をひょこりと出す。
「お湯湧くまで時間かかるし…先にお風呂入っちゃっていいよ」
「…は?」
「この旅館のお風呂、温泉を引いてるらしいから気持ちいいんだって…疲労回復の効果もあるって言ってたし、旅の疲れを落としてきたらどうかな?」
そう言って水城は台所へ向かうため襖を閉める。
鯉登は呆気に取られ目を瞬かせ、水城が消えて閉められた襖を見つめた。
「……入っていいって…」
はっきり言おう。
期待した。
一緒に入るものだと、すごく、すごく、期待した。
それなのに、水城からは一人で入れ宣言されてしまい、鯉登は『待て』とも『なんで』とも言えなかった。
(どうも様子が可笑しい…)
水城の様子がおかしいのは、気づいてはいた。
何故か甘い雰囲気になったと気づいた時、水城は意識的に避けていた。
ただ、確かに夕食も食べていないのにすぐにそういう空気を出してしまったのは、性急すぎたのかもしれないと鯉登も反省した。
それに恋人らしい事をしたいと言っただけで、イチャイチャ(暈し)したいとは、水城の口から聞いたわけではない。
ただ、恋人なら夜を共にするのは当たり前なのも確かだ。
そこに清らかでなければならない事情がない限りは、男と女、惚れた者同士なのだから体を重ねるのは確認するまでもないだろう。
水城に身体だけが目的だと思われないようにと、鯉登はすぐに抱きたい衝動を抑えていた。
(…これは…あれか?倦怠期というやつだろうか…)
浴衣とタオルを持って鯉登は廊下を歩き風呂場へと向かいながら考える。
水城がそっけない理由として、考えられるのは、言葉にするのも恐ろしい…倦怠期とやらだろう。
倦怠期とは、パートナーへの気持ちが冷めるという、悪夢のようなものである。
主に飽きと慣れが原因であるが、水城もそうなのだろうかと、風呂場の扉を開けながら思う。
(それはまずい…というか、やばい…最悪別れることになるかもしれん…)
友人達が女性と付き合うのを多く見てきたが、それと同時に、倦怠期となり別れていくのも見てきた。
当時は恐ろしい現象ととらえ、『こうならないよう気を付けよう』と思っていたのだ。
それが…ついに、自分達にもその現象が起こったのだろうかと肝を冷やす。
ただ、原因に心当たりがあった。
(……やはり、求めすぎたのだろうか…)
ほぼ毎日水城を求めていた自覚は勿論ある。
だがしかし、それは仕方ない。
鯉登はずっと水城を一途に思い続けて女を避けていたほどだ。
人肌が恋しいと思う事だって当然あったが、相手が水城でない時点で興味がそそられるものはなかった。
それに水城に触れるまで一人で発散するだけで満足していたため、人の肌に触れたいと思うこともなかった。
今まで無意識に溜めていた性欲が、水城と再会し爆発したのだろう。
だが、それを水城に押し付ける気は一切ない。
一切ないが…調子に乗っていたのも事実だ。
「…別れを切り出されないためには…やはり、我慢が必要か…」
幸い、別れたがっている気配は水城からは感じられない。
どういうわけか、甘い空気になれば避けられるが、嫌がっている素振りはない。
倦怠期であるならば少し距離を置いてみるのも大事である。
距離を置く…それはすなわち、水城との接触を控えるということだ。
鯉登は服を脱いでいた手をピタリと止めた。
「…………」
出来るだろうか…、と思う。
考えてみれば、水城と再会してから一日触れていなかった事などまずなかった。
アシリパと再会してから触れる回数も減ってしまってはいたが、隙を見て水城に触れていた。
柔らかな肌に、ふわりと香る優しい香り…鈴を転がすような愛らしい声に、蜂蜜のような甘く美しい瞳…あげればきりがない。
それらを、控えろという。(誰もそんなこと言っていない)
(…いやいや…何を躊躇する必要がある?雪乃と再会する前の事を思えば触れるのを控えることくらいどうって事も……ない…と思うんだが…)
はあ、と溜息を吐く。
たかが触れるのを控えることくらい、どうってことない……はずである。
水城と再会するまで、水城は死んだ事にされており、傍にいなかったのだ。
触れたくても触れられなかった時の事を思えば、今は触れられなくとも水城の姿を目視できる。
見ているだけというのは辛いものがあるが、それでも、雪乃という存在がいる、というだけで大分違うはず。
……だが。
今は手を伸ばせば触れることができる距離に雪乃がいるため、それさえ我慢できるかが不安だった。
(できるか、ではないな…するのだ…でなければ籍を入れる前に別れることになる…)
水城が恋人らしい健全な触れ合いがしたいというのなら、それに合わせ我慢するのが男…そして彼氏、延いては旦那としての力量を見せつけるチャンスである。
倦怠期には決まった周期もなければ、終わりも人それぞれだという。
数週間で終わる恋人もいるが、何か月も続く恋人もいるという恐ろしい情報も得ている。
なあなあとなってただ他に相手がいないから傍におり…他に惹かれる男が現れ水城と別れる事にならないために、ここは彼氏の踏ん張りどころであった。
良好な関係に戻れるためには、我慢も必要である。
もう我慢我慢言い過ぎて、我慢がなんなのか分からなくなってきた。
「…きばっど」
鯉登は思考も停止し、そうポツリと呟きグッと拳を握った。
水城は一晩だけ借りたと言っていた。
その一晩ひたすら我慢すれば、後は月島との同室なので我慢できなくもないだろう。
だが…
「我慢…できるだろうか…」
ふと、寝室の寝具を思い出し、鯉登は珍しくも弱音を吐いた。
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