(217 / 274) 原作沿い (217)

写真館の場所は事前に女将に聞いており、その場所は少し離れていたが迷うことなく辿り着けた。


「いらっしゃいませ」


鈴を鳴らしながら写真館に入るとまず歓迎してくれたのは、暖かい空気だった。
暖房をつけているらしく、外の冷えた空気に晒されて冷たくなった水城達の肌を暖かい空気が優しく撫でる。
その次に写真館独特の匂いと、若い男性の声だった。
この街にはこの写真館しかないらしく儲かっているのは装飾などで分かるが、しかし作りは素朴な感じでまとめており、それがまた好印象を持たせてくれる。
青年は来店を知らせる鈴に気づき営業スマイルを張り付けて振り返ったが、三人を見て一瞬顔を引きつらせた。
否…正確には水城を見て、だ。
しかしその反応に慣れている水城は特別不快感は感じなかった。
水城の姿は女性そのもので、容姿だって整っており短髪という珍しさを覗けば美女である。
だがその整っている顏には隠し切れない大きな傷痕が複数に、首筋には銃弾だと思われる傷痕が残っているのだ。
恐らく女将から連絡を受けてはいるだろうが、実際水城を見れば誰だってそんな反応をするだろう。
むしろ、まだ顔に一瞬だけ出してすぐに営業スマイルを張り付ける青年は良い方だ。


「女将さんから伺っています…鯉登様ですね?」


やはり事前に女将から連絡が来ていたらしく、特徴から水城達だと気づいたらしい。
まあ、顔に傷のある女、軍人、アイヌの少女…と他にない組み合わせだからすぐに気づいたのだろう。
青年の問いに鯉登が頷くその隣で、水城は青年に感心していた。


(私の顔を見ても動じないなんて…プロ意識がすごいのね…)


青年は鯉登やアシリパだけではなく、水城にも視線を合わせて来る。
それは本来なら普通なのだが、こんな顔をしているせいか、まず怖がられて目線を合わせてくれない店が多い。
怖がられるならまだいいが、下に見られて無視されることもある。
だからこそ青年がプロ意識が高い職人というのが分かり、だからこそ、水城の興味を引いた。


「お店はお一人でなさっているのですか?」


興味を持ち、水城は声を掛けた。
水城から声を掛けられるとは思っていなかった青年は一瞬だけ目を丸くしたがすぐに表情を戻し頷く。
どうやらプロ意識は高いものの、まだ若いせいか一瞬感情が駄々洩れになるらしい。
それも不快というよりは、未熟さからくる愛らしさを感じた。


「ええ、僕一人です…1年前までは父が写真師をしていたのですが怪我をしてしまい、今は僕に店を任せて怪我の療養でのんびりと本土にある温泉巡りしてるんです」

「まあ、そうだったのですね」


この姿で男口調は可笑しいということで、水城はこの姿の時だけは昔のような女口調に戻していた。
口元に袖を持っていき驚く姿はまさに淑女である。


「…そんな若くて大丈夫なのか?アシリパはまだしも私との写真で失敗されてはかなわん」


水城の反応に照れたように頬を染めて頭をかく青年を見て、鯉登は冷たい言葉を投げかけた。
この街で唯一の写真師である青年に失礼な事を言う鯉登に水城は『ちょっと、音之進…』と咎め肘でついたが、鯉登は鼻を鳴らすだけで謝ることはなかった。
そっぽを向いた先にアシリパがおり、彼女の目が呆れていたので鯉登は何も言わず静かにそっぽを向く方向を変えた。
誰もが見て分かる様に、鯉登は嫉妬していた。
雪乃は今ではもう昔のように三歩後ろに下がって従う日本女性ではなくなったのは理解しているし、そんなお淑やかさだけに惚れたわけではないので特別気にもしないが、再会し和解してから今まで男に対して自分から声を掛けた事はなかった。
あっても店員と客の会話程度だったのだ。
勿論、鯉登が束縛していた結果である。
鯉登は水城が彼に好意を持っているのだと気づき、不機嫌となっていた。
ただ、そこに恋だ愛だのと言う感情があるとは思っておらず、ただの男の醜い嫉妬である。
そんな鯉登の狭すぎてリスしか暮らせないであろう器など露知らず、青年はキリっとプロの表情を浮かべ鯉登をまっすぐ見つめる。


「安心してください…こんな若造ですが腕は確かですよ」


『自分で言うか』…と言いかけたが、察した水城がギロリと自分を睨むのでその言葉は飲み込んだ。
鯉登のせいで微妙な空気になったので、水城は『なら安心ですね』とニッコリと笑って場を和ませる。
顔に傷があるが元が良いので場を和ませる事ができ、水城は空気が戻ってホッと胸を撫でおろす。
その時、赤ん坊の愚図った声が聞こえ水城はその声の方へ視線をやる。
その声は店の端から聞こえており、衝立が立てられていた。


「す、すみません…少しお待ちください…」


その赤子の声に青年は慌てた様子で一言断り、衝立の方へ消えた。
衝立で隠してはいるが、部屋と部屋とは違い壁はなく、青年の声が丸聞こえだった。
青年は優しい声で『よしよし』やら『どうしたのかなぁ?』と子供、それも赤子に声を掛けるような口調で話しかけており、間違いなく相手は赤ん坊だと察した。
愚図りはすぐに収まり、青年はすぐ戻ってきた。


「すみません…息子がちょっと起きちゃったみたいで…」

「店に赤ん坊を置いているのか…」


苦々しく笑顔を浮かべながら謝る青年に鯉登がポツリと問う。
今度は別に嫉妬とかではなく、何となく思った問いかけだった。
本来なら片親でなければ赤ん坊は母親が見る事が多い。
写真師は最先端という事で出費は高いが、波に乗れば儲かる。
身なりや店の作りや装飾からして共働きするほど貧しそうではないのでただ単純に思ったことを言ったのだ。
しかし、青年は鯉登の問いに寂し気に眉を下げ笑った。


「片親なんです…先ほどは夢見が悪かったのか起きちゃいましたけど普段は大人しくていい子なんですよ…仕事の邪魔をしない子なので安心してください」


悪気があって言ったわけではないので、青年の申し訳なさげの言葉に鯉登は流石に良心が痛み、『すまん…そういう意味で言ったわけではないんだ』と謝った。
鯉登の申し訳ない気持ちを水城も察したのか、フォローするように青年に声をかける。


「男の子なんですか?実は私も息子がいるんです」

「え!?む、息子さんがいらっしゃるんですか!?」


場を和ませるために出した話題だが、なぜか驚かれてしまった。
水城に息子がいると聞くと青年はチラリとアシリパを見た後、水城と鯉登を見た。
その視線で何か誤解していると気づく。


「あ、えっと…この子は私達の子供じゃないですよ…樺太の案内をしてもらっている子なんです」

「あっ…あ、あはは…そ、そうですよね!すみません…」


どうやらアシリパも鯉登と水城の子供だと思われたようで、否定すると青年は笑って誤魔化した。
息子がいると聞いて驚いたのも、水城と鯉登の若さからだろう。
とは言え、水城と鯉登の年齢からして子供は居ても可笑しくはない年齢であるが。
アイヌのコタンで世話になった時、よく関係を聞かれることがある。
アイヌの少女と軍人と和人の組み合わせなど怪しむなと言う方が無理があるだろう。
軍人や和人に騙されているのではないかと心配される事も多いので、案内人で雇っていると嘘をつくことが碇石となっていた。
今回も咄嗟に碇石となった嘘を言うが、アイヌはアイヌでも案内役で雇ったのはエノノカなので…まあ、間違いではない……はず。


「そうか、樺太アイヌの子かぁ…小さいのに偉いねぇ」


青年は屈んでアシリパの頭を撫でた。
アシリパは子供扱いする青年に子供じゃないと否定する理由もないので、複雑な表情ながらも笑顔を浮かべて対応する。
その笑みの意味を知らず、青年はニコッと笑い返しながら水城達に改めて向かい合う。


「息子さんはいらっしゃらないですか?」


水城に息子がいると聞き、やはり青年からは思った通りの問いが掛けられた。
それは水城達が普通に家族旅行に来たついでに写真を撮りに来ていると青年が思っているのもあるのだろう。
そのためその息子も一緒に写真を写すのだと思うのも無理はない。
しかし水城も鯉登も息子を抱いてはおらず、純粋な疑問を投げかけると水城は気まずげに視線を泳がせた。


「えっと…息子は実家に預かってもらっているんです…」

「そうなんですね…」


そもそも青年は水城の息子の年齢を知らない。
そのため、親の手を離れても大丈夫な年齢なのかと勝手に解釈した。
話題はここでいったん途切れ、なんとなく再び微妙空気になり、今度は青年が咳ばらいをして話を逸らす。


「えっと…話してばかりではいけませんね…写真を撮らせていただこうかと思うのですが…鯉登様と奥様のお写真を撮りに来られたという事でよろしいでしょうか」

「いや…私と妻、妻とそこのアイヌとで頼みたい」


『奥様…良い響きだ』、と青年の奥様呼びに鯉登は先ほどの嫉妬が消え、一気に青年に対して好印象を抱く。
チョロイとは言ってはいけない。
便乗して『妻』と水城を呼ぶ鯉登に、水城は頬を赤らめた。
鯉登に妻と呼ばれ慣れていない恥ずかしさ半分、鯉登が妻と呼んでくれた嬉しさ半分である。
熱くなった頬を手で触れる水城の初々しい様子に青年は『新婚かな』と微笑ましそうに見つめる。


(新婚旅行で樺太に来られたのか?…旦那さんの方が軍服で息子さんがいらっしゃらないっていうのがちょっと引っかかるけど…まあ、家庭の事情は人それぞれだしね…追求するのはやめよう)


水城達が怪しくないと言えば嘘になる。
妻と言っていたので夫婦なのは間違いないだろうが、旅行ならば夫の方が軍服なのはおかしいし、仕事で来たにしても普通は妻を仕事に連れてこない。
就任したのなら妻や子供を連れてくるのは普通ではあるが、こんなところに軍人が就任するような施設はない。
それに写真を撮る組み合わせもおかしい。
案内人のアイヌの少女と写真を撮るのは珍しいが、アイヌの少女と夫婦と撮るのではなく、アイヌの少女と妻だけの写真を撮るのも少し気になった。
だが、自分も人に言えた義理じゃないのもあって、それ以上突っ込むのはやめようと仕事に専念しようとした。


「では、ご夫婦からどうぞ」


まずは立場的に上の人物から写真を撮ることにした。
この三人では当然夫婦からだ。
指示された通り写真を撮るための場所に移動し、女性である水城には椅子が用意されていた。
その椅子は鯉登に向かって少し斜めに置かれており、その配置は現代もそう変わっていない。
椅子に座る水城の傍に軍服姿の鯉登が立ち、軍人らしく姿勢を正しく凛々しい表情で真っ直ぐカメラを見つめる。
水城も椅子に座りながらも背を伸ばして足を揃え、膝の上に手を置いて真っ直ぐカメラを見つめる。
カメラ越しで二人と目と目を合わせる青年はその美男美女に見惚れていた。


(傷があってぱっと見分からなかったけど…奥さん、すごく綺麗な人だなぁ…旦那さんも美形だし…美男美女夫婦かぁ…写真師として撮りがいがあるし、いいお客さんを紹介してもらったなぁ)


最初こそ水城の顔の傷や首筋にある弾痕に驚いたし、怖かった。
はっきり言って顔の傷と艶やかな着物はミスマッチだった。
しかし、会話を重ねていけば怖かった印象が、好印象となり、カメラでジッと水城を改めて見てみればその整った顔に驚かされる。
傷があるのが勿体ないと本当に思った。
しかし水城は堂々としているし、その伴侶である鯉登も妻に傷があろうと隠すことも恥ずかしく思う事もなく堂々と胸を張って伴侶を妻だと言った。
そこから二人の間には本物の愛があるのだと伺える。
軍人の服装から、きっと鯉登は良い所の出だと青年でも分かる。
写真師として良い所の家柄の人間を多く見てきたが、その多くが周りの目を気にする者が多い。
それは服装ではなく、外見だ。
醜さもそうだが、普通は妻にあんな派手な傷が残っていれば大抵の人間は恥ずかしいからと外出を禁じたり、化粧や布などで傷を隠すことを強要する。
だけど鯉登は傷痕を隠さない妻を責めるでも隠すでもなく、堂々と街中を連れて共に外出し、堂々と自分の妻だと言葉にしていた。
それはすごい事なのだ。
きっと鯉登の立場上、そんな妻を持つことは出世に響き、水城は正妻には迎えられずせいぜい愛人止まりのはず。
いや、本当は青年の読み通り水城は正妻になれず仕方なく愛人になることを受け入れ、愛人だけど正妻よりも愛しているからこそ正妻のいないこの旅の間だけでも愛している愛人を正妻扱いしているのかもしれない。
だけど…だとしても、それは鯉登が傷含めて水城を愛しているからだろう。


(うん…僕も父親として息子にどんな見た目だろうと愛する人を心から愛しなさいって教えなきゃな…)


正妻だの愛人だのは青年の勝手な憶測だし妄想だ。
だが、そうだとしても好きな人を正妻に迎えられない気持ちは同じ男としてよく分かる。
その憶測は間違っているかもしれない。
だけどもしも本当に水城が愛人で、鯉登には正妻がいるとしても、誰が鯉登を責められるのだろうか。
勿論父親として息子には愛人ではなく愛した女性一人を妻として迎えてほしいし、自分の家柄ではまず青年の妄想の中の鯉登のような事はないに等しい。
だから、見た目など関係なく、鯉登のようにどんな見た目であろうと堂々と胸を張って妻を愛する人間になってほしいと願った。
青年はカメラ越しに見える仲睦まじい夫婦を見つめながらシャッターを切った。

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