部屋を借りて水城は椅子に座って赤ん坊に授乳させるため胸元を露にする。
大きく開けて泣く赤子の口元に持っていけば、授乳されたことがなくても本能で分かったのか、ちゅうちゅうと吸う。
一生懸命母乳を飲む姿が可愛くて水城はつい顏をほころばす。
片方を吸うと、水城はもう片方を吸わせる。
最近鯉登と再会してから母乳を出す機会がなかったため、味が変わって赤ん坊が嫌がるかと思ったが、まだ味は変わらないらしく美味しそうにちゅうちゅうと吸っていく。
(坊に母乳を与えたのはいつだったかしら……覚えてないほどあの子と離れてしまっているのね…)
お乳を吸う赤子を見てふと息子を思い出す。
もう息子にお乳を与えたのがいつか、はっきりと覚えていないほど水城は静秋と離れているのだと、意識的に強く感じた。
お乳を飲んでお腹が満足したのか、赤子は飲むのをやめる。
それを見て水城は服を簡単に整えた後、赤子の背中を叩いてゲップを出させる。
ゲップを出し終え、赤子の両脇に手を差しいれながら赤子と顔を合わすように抱き上げた。
「お腹一杯になったねぇ」
「あうねー」
先ほどの号泣が嘘のように赤子はご機嫌にきゃっきゃと笑い、水城の真似ているように喋る。
持ち上げてみれば体重も減っているわけではなく、肉付きも良い。
疑ってはいないが、片親で頼りない父親ではあるがあの青年は青年なりにちゃんと見ている証拠だった。
見た感じ、息子と近い年齢のようだった。
「坊よりちょっと下かな?」
「う?」
何となくだが、息子より幼いかなとそう呟くと、赤子はコテンと小首を傾げた。
その仕草が息子と重なって見えて水城は微笑みが自然と浮かんだ。
すると今度は眠くなったのか『くあぁ』と大きな口を開けて目をパシパシとさせはじめた。
それを見て赤子を抱き上げるのをやめて、腕の中に戻す。
「ねんねしようねぇ」
「ちょーねー」
眠たいのに水城の真似をする赤子に水城はクスクスと笑う。
水城が笑うのが嬉しいのか眠たそうにしながらも赤子はご機嫌に笑った。
ポンポンとお尻をリズムよく叩いてやりながら水城の体をゆりかごのように揺らしてやれば、赤子はすぐに眠りにつく。
授乳後泣いてしまう子も多いと聞くが、どうやらこの子も息子同様大人しい子のようだった。
うとうととさせるが、その目はすぐに瞳を落としスウスウと眠りの世界へといざなわれた。
赤子の寝顔を水城は悲し気に見つめる。
「坊…坊…ごめんね…我慢、させちゃって…ごめんね…」
水城は目の前に息子がいるように呟いた。
その声は震えており、水城の伏せられたまつ毛は震えていた。
泣いてはいない。
しかし、心は泣いていた。
目の前にいるのが息子だと思い込むほど追い詰められてはいない。
金塊を探すのだって自分が選んだ道だ。
その道を選んだおかげで鯉登とも再会し、和解だって出来た。
だけどそれでも、一人置いていくしかなかった息子への罪悪感がないわけではない。
まだ安心できるのは、アシリパの祖母という信頼できる人に息子を預ける事が出来てから長旅に出た事だ。
こんな時、頼れる人がいるというのはこんなにも安心できるものなのか。
「坊…ちゃんとご飯食べてるかしら……フチやアイヌの人たちに迷惑かけてないといいけれど…」
本音を言えば息子に会いたい。
だが水城にはやる事がある。
鯉登にも言っていない、金塊が欲しい本当の理由。
親友であり、幼馴染のために、水城はどうしても金塊が必要なのだ。
200円もの大金、普通に働いても到底稼げない。
体で稼いでも、よほど売れなければきっと無理だ。
金塊争奪は一番の近道と言えるが、下手をすれば無駄に終わるかもしれなかった。
自分達よりも勢力も資金もある連中が相手だ。
それも皮の多くをアシリパ奪還のために鶴見に提供してしまった。
確率は半々ならいい方だろう。
「時間がない…早く金塊を見つけないと…もたもたしていたら梅ちゃんの目も治るものも治らなくなっちゃう…」
一番の利点は暗号を解く鍵が仲間にいるということだ。
だが、それでも水城の気持ちははやるばかり。
命を賭けているのだから気を焦ってはダメだというのは分かっているが、息子だけではなく、梅子にだって時間がない。
なんの病気か水城には分からないが、失明しかかっているのだ。
目ももう見えなくなってきて二人の息子が持ってきた花さえも分からなくなってきているのに、これ以上もたもたしていられない。
梅子には子供をちゃんと自分のその瞳で見てほしいと、同じ母親である水城は強く願った。
寅次を守れなかった罪滅ぼしを、水城はしたいというのも嘘ではない。
一番の近道は鯉登に頼むことだろう。
だが、本当にそれでいいのだろうか。
鯉登とは恋人同士で、いずれ結婚する仲だ。
鯉登も頼ってほしいと言ってくれた。
だけど、だからこそ…鯉登には頼れないのもあった。
事情を知ればきっと鯉登は『なぜ私を頼らなかったんだ』と怒るだろうか。
その場面が簡単に想像できて水城はふと笑う。
しかし自分の腕の中ですうすうと眠る赤子を見下ろし、その笑みが消えた。
水城は自分の腕の中で眠る赤子の頬に自分の頬を寄せ、触れる。
赤ん坊の体温は高く、冬だというのに暖かかった。
安心できるはずなのに、その温かさが逆に水城を胸を締め付けていく。
「待っていてね坊…
母、絶対にあなたのところに帰ってくるから…何を犠牲にしようと、あなたのところが
母の帰る場所だもの…だから、待っていてね…」
帰る場所があるから水城は頑張れる。
未来があるから前を向ける。
水城の手は血塗られているが、息子という光を必死に守ると決めた。
水城の瞳から零れた涙が、水城の頬を伝い、赤子の頬へと落ちた。
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