(222 / 274) 原作沿い (222)

青年の誘いを水城達は受けた。
丁度お昼時だったというのもあったし、青年の気持ちを無下にもできないのもあった。
青年が料理を作っている間、水城達は客間で待たせてもらっていた。
水城は丁度いい機会だからと、青年の許可と赤子の体調に変化はないのを確認してから少しだけ鯉登に抱く練習をさせる。


「ほら、こっちの手はお尻の方に…」

「こ、こうか?」


鯉登は恐る恐ると赤子を抱く。
鯉登には戦争の経験がない。
しかし軍人として、同じ軍人である屈強な男達を相手に日々来るべき戦場のため体術の練習や訓練などを行い体を鍛えている。
今は鶴見の下で凶悪な脱獄犯を相手にその成果を披露している。
相手が男ならば大して意識せず触れることができる。
女性ならば力を入れすぎないよう気を付けている。
水城が相手ならば更に繊細な力で触れている。
しかし、赤子が相手ではそれさえ怪我をさせてしまいそうで怖かった。
赤子は人の手がなければ簡単に死ぬ生き物だ。
力加減が分からなかいからこそ怖かった。


「そうそう…上手いわよ、音之進」


褒められ鯉登はホッと息をつく。
上手いと言っても赤子の反応から水城は勿論の事、まだ慣れていない手つきの青年よりは下手だろう。
だけど物覚えは良い方なため、初めてにしては上手い方だ。
ぎこちなくてもちゃんと赤子のため抱こうとしているのは伝わっているのか、アシリパは珍しく鯉登に嫉妬せず見守っていた。
赤子は知らない男にぎこちなく不安定な抱っこをされ、愚図ったり大声で泣いたりはしなかったが、居心地悪そうな表情を浮かべていた。
人見知りせず大人しい赤子は、ますます静秋にそっくりに見えた。


「はい、じゃあ…もうおしまいね」


赤子も疲れただろうと、練習は終わりにする。
鯉登から水城へと腕の中に移ると赤子は途端に機嫌のよさを見せた。
それに悔しさはないが、まだまだ精進しなければと思う。


「やはり私はまだまだだな…私の腕の中ではこんな機嫌のよさは見せてくれなかった」


むむむと唇を尖らせる鯉登に水城はクスクスと笑う。
アシリパと水城の腕の中では穏やかな表情を浮かべるのに、自分の腕の中だとモゾモゾと落ち着きがなかった。
幸いなのは、物静かな子だったことだろうか。


「音之進は赤ちゃんと触れ合う機会ないんだもの仕方ないわ…私はお母さんだし、アシリパさんは村で子供を育ててるから慣れてるだけ…」

「私も最初は同じだったぞ?周りの大人たちに習ったり…あとは慣れだな…」


水城は静秋の母だから慣れており、アシリパはアイヌ自体が皆で子供を育てるような部族だったため、必然的に彼女たちは子供の扱いに慣れていた。


「それに私だって最初は音之進みたいに中々上手く抱っこできなかったのよ?」

「そうなのか?」

「ええ…坊が生まれたばかりの頃はやっぱり教えられた通りに抱っこが出来なくて…チヨさんと春子さんに何度も教えてもらったものよ」


水城は母親だというハンデがあったから今は形になっているが、子供を産んでいなかったらきっと鯉登以上にぎこちない抱っこになっていただろう。
二人にフォローをしてもらう事への情けさもあるが、安堵もあった。
しかしふと聞き慣れない名前に鯉登は首を傾げる。


「チヨ?春子?誰だ、それは…」


水城は鯉登の問いにギクリとさせる。
無意識にチヨ達の名前を出してしまったのだ。
別にチヨや春子の名前を出しても支障はないだろう。
しかし、鯉登達に二人の名前を出すつもりもなかった。
とはいえ、出してしまったものは仕方ない。
吉平に手を貸した水城の担当医だった千景は別として、別段彼女達が悪い事をしているわけではない。


「チヨさん達は静秋を取り上げてくれた産婆さんなの…訳ありの妊婦を受け入れる施設みたいなものをしていてね……チヨさん達にはすごくお世話になったけど…それ以上に迷惑も沢山かけてしまったわ…」


流石に二人の前で静秋を堕ろそうとしたことは言えなかった。
失望されたくなかったのもあるが、何より今は息子を心から愛しているため伝える必要はないだろうと判断した。
鯉登もアシリパも『訳あり』という言葉に首を傾げた。
その反応に水城は苦笑いを浮かべ、我が子ではないが腕の中にいる赤子を見下ろす。


「静秋を身籠った時は男の恰好をして軍人だったから…名前もそうだけど身分や性別を偽装して戦場に行っていたから普通の産婆さんのところに行くと通報されて捕まっちゃうからね…」


当時はそんな周囲に気を配る余裕はなかった。
自分だけで精一杯なのに、お腹には吉平か尾形か分からない子供を身籠っていていて、水城はそのストレスから心を病んでいたのだ。
当時は千景に手を引かれるようにただ着いてきただけではあるが、今のように冷静さを保っていてもチヨ達にお世話になっていただろう。
お金がなかったのもそうだが、何より偽装し男装して女が戦争に参加したなど密告されては千景の地位が危ぶまれるかもしれないのだ。
相手が吉平だったのならどうでもよかったが、千景は変態ではあるものの、人間性は悪くないと水城は思っており、恩人の1人でもあるため千景の不利になる事はあまりしたくはなかった。


「そうか…水城も色々と大変だったのだな…」


女が男の…それも軍人の恰好をしているだけでも訳ありだというのは目に見えて分かっていたが、静秋一人を産むにしても水城は普通の女性と比べて難しかったのだな…とアシリパは水城の話を聞いて思った。


「雪乃と静秋が世話になったのなら私もお礼を言わなければならないな…その者たちは雪乃だけではなくもう一つの宝も守ってくれたのだから…」


鯉登の『宝』は、勿論水城だ。
そして『もう一つの宝』とは静秋の事だろう。
まだ顔を合わせていないから不安は多いが、尾形との子供だというのに鯉登は受け入れてくれた。
それだけではなく、自分の血を引かない連れ子だというのに、鯉登は静秋を宝だと言ってくれた。
それが嬉しかった。
静秋と合わせた後、どうなるか分からない不安もある。
だけど今は静秋を息子として鯉登の認めようとする気持ちに感謝しかない。


「お前が落ち着いた時でもいい…いずれ静秋と共にその者たちのところへ行こう…手紙ではなく直接お礼を言いたい…」

「音之進…」


確かに、出産は人の手を借りなければ難しい。
事情があって一人で産む女性もいるが、それは本当に極わずかなケースで、金銭問題・周囲の環境などそうせざるを得ず追い込まれたからの事情からだ。
1人での出産は難しいし、何より出産は危険を伴う。
下手をすれば水城は母子共に死んでいたかもしれないのだ。
今、こうして傍に水城がいてくれるのはチヨと春子と呼ばれる産婆のお陰と言っても過言ではない。
いつかお礼を言いに"三人"で訪れよう、と告げる鯉登に水城は胸が熱くなるのを感じる。
感激し、目を潤しながら鯉登を見つめる。
鯉登もふと微笑みを浮かべながら水城を見つめ、二人は自然と距離を近づけていく。
鯉登が顔を近づけてくるのに気づいた水城は目を瞑った。
キスをするのだと思ったし、キスがしたいとも思った。
しかし…


「ごほんっ!」


咳払いに邪魔されてしまった。
水城はその咳払いにハッと我に返り、慌てて鯉登との距離を戻す。
頬を染め、咳払いの主にアハハと笑って誤魔化した。


「…………」

「…………」


鯉登はギロリとアシリパを見る。
先ほど邪魔をした咳払いの主がアシリパである。
デジャブどころではない邪魔に鯉登はアシリパを『邪魔しおって』と睨むが、アシリパはどこ吹く風であった。


「遅くなってしまってすみません!!」


天然記念物と白石に命名された水城が、睨み合う二人に気づくはずもなく…水城は『アシリパさんに見られちゃった…』と片手で恥ずかしさから熱くなっている頬を添えていた。
二人の間にバチバチと火花が派手に散る中、タイミング悪く青年が料理を運んでやってきた。


「……えっと…」


料理を運んできたはいいが、赤子を抱きながら照れるように頬を手で触れる水城、両者睨み合い見えない火花を散らす鯉登とアシリパ。
青年はすぐに思う。

あ、これタイミングミスったな…

と。

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