ひとまず、お腹も減ったという事でアシリパと鯉登は休戦協定を結んだ。
テーブルには多くの手料理が並んでいた。
「こんなに作っていただいて…手伝わずすみません…」
「いえいえ!鯉登様達はお客様ですし…それに奥様には息子の事でお世話になったお礼をするためにお昼をお誘いしたんですから…手伝わせたりしたら私が母に叱られちゃいますよ」
お昼をご馳走すると言っても、まだ乳飲み子の息子がいるため、お客を連れて店に入るのは難しい。
なので料理を作ってくれるということになった。
青年は親として不器用ではあるが、料理は普通に美味しいという事で言葉に甘えることにした。
とはいえ、一応客ではあるが流石に一人で4人分の料理を作るのは大変だろうと手伝おうとしたのだが、断られてしまった。
目の前に並んでいく料理は、確かにお店のような料理ではないが、それでも家庭料理としては見た目は悪くなく、とても美味しそうだった。
「お口に合うか分かりませんがどうぞ…男料理なので見た目も味も大雑把な物しかないですが…」
赤ん坊を青年に返し、青年はゆりかごに赤ん坊を寝かせる。
まだ眠くないのか、仰向けに寝かされた赤ん坊は、青年が用意していた人形やおもちゃに夢中になっていた。
目を離せない時期なため、青年は息子を乗せたゆりかごを自分と水城の間に置く。
青年は手料理をふるまうと言ったものの、絶賛されるようなものは作れない。
特に鯉登達のような上流階級に口に合うものは到底作れないし、外食も奢れるほど稼いでいない。
なので、テーブルに置かれている料理たちは、自分が作れる中で得意料理ばかりだ。
「んっ!とても美味しいですよ!ね、アシリパさん!美味しいね!」
「ああ!これはヒンナだな!水城!」
「うんうん、ヒンナヒンナ!」
「本当ですか?よかった…」
青年の料理を水城は手をつける。
人の料理にケチをつけるつもりもなければ、自分達のために作ってくれたのだから文句なんてない。
しかし、お世辞なしに青年の料理は美味しかった。
『ヒンナってなに?』と思ったものの、アシリパと水城が美味しそうに食べてくれるためホッと胸を撫でおろすが、チラリと鯉登を見る。
鯉登は見るからに軍人だし、育ちの良さが隠れていない。
庶民の味が口に合うか…それが心配だった。
人柄はそれほど悪いようには見えず、不味くても怒りはしないだろうが、不安だった。
「ね、美味しいね」
「ああ、美味しいな」
青年の考えている事を読んだように水城が鯉登に声をかけた。
鯉登は食べていたものを飲み込み、笑顔を浮かべて頷いた。
それを見て青年は安堵の息を密かにつく。
軍人さんに不味い物をご馳走せずよかった…と不安を安堵に変えながら自分も箸を伸ばした。
◇◇◇◇◇◇◇
青年の手料理に舌鼓を打ち、水城達はお腹も満たし食後のティータイムに突入していた。
すっかり片づけもされたテーブルには本土では珍しいロシアのお菓子とお茶が置かれていた。
「水城!これ美味しいぞ!サクサクで甘い!すごくヒンナだ!」
「ねぇ、すごいヒンナだねぇ…でもこれ、クッキーって奴ですよね?いいんですか?こんな高価な物いただいちゃって…」
出されたのは黄金色の長方形型のクッキーだった。
この時代から外国の文化が入りはじめ、それに合わせて外国の洋菓子も日本に入りはじめた。
しかし、バターやミルクといった食材に馴染みがないため、現代に比べて浸透はしてはいないが、無いわけではなかった。
アイヌの村でも食べた事のない触感と甘さに、アシリパは驚いたように目を丸くさせ、水城を見た。
それに頷きながら水城は青年に心配そうに問う。
お嬢様時代、たまに洋菓子を食べた事は時々あった。
だからこそ洋菓子の値段を知っており、こんな高い食べ物を客とは言え今日初めて会った自分達に出すなんて、良い人どころではない。
そんな水城の不安と心配を、青年は笑って吹き飛ばした。
「大丈夫ですよ…ロシア人と結婚した友人が時々送ってきてくれるので無くなってもまた食べれますから」
そう笑う青年に水城はホッと胸を撫でおろす。
胸を撫でおろしていた時、今まで大人しくおもちゃで遊んでいた赤ん坊が愚図りだした。
大人たちの視線は愚図りだした赤ん坊へと向けられた。
「どうした?ミルクにはまだ時間があるのに…」
「排泄も済んだし…眠たいのかも」
排泄はすでに片づけ済みで、ミルクにはまだ時間があった。
なら眠たくて愚図っているのだろうと水城は零し、その言葉に『そっかそっかぁ、眠たいのか〜』とニコニコ息子に向かって笑顔で話しかけ、ゆっくりゆりかごを揺らす。
ゆらゆらと揺らされ赤子の愚図りは多少は収まったが、何かが気に入らないのか中々瞼は落ちない。
むすーっとさせ涙も浮かび始めた息子に青年は焦り、抱っこをする。
「ほーらお父さんだぞ〜、おねんねしようねぇ〜」
抱き方は水城と母に教えてもらった事を守っているおかげか、それほど愚図りはひどくなることはなかった。
しかし、愚図りが収まるわけでもなく、顏をしわくちゃにしながら何か不満を訴えるように愚図る。
お尻をポンポンとリズムよく叩きあやしても泣くことはないが、愚図は収まらない。
どんなにあやしても泣かなくなったのは、以前に比べて大きな進歩だが、愚図りが収まらないことに焦りを生んでしまう。
「お、奥さま…」
青年なりに手を尽くして寝かせようとしたが、中々寝付いてくれず、愚図り続けるばかり。
思わず青年は水城に助けを求めた。
縋るような目に水城はクスクスと笑いながら、手を差し出した。
その差し出された手に赤ん坊を渡し、青年からバトンタッチされた水城は慣れた手つきで横向きに抱っこをし、身体をゆりかごのように揺らしながらお尻をリズム良く叩く。
赤子の愚図りは収まらないものの、父親に宥められている時よりは大人しくなっていく。
それを見て青年は肩を落とした。
「やっぱり僕はダメな父親なのかなぁ…」
「何でもそうだけど…こればっかりは慣れね…」
「慣れ…ですか…」
はあ、と溜息をつきながら息子を見る青年の零しに、水城は苦笑いを浮かべる。
青年は我が子と正面から向き合っているのは、他人の水城達からでも見て分かる。
子供は…特に赤ん坊は言葉よりも雰囲気や相手の感情に敏感に感じ取る。
だから息子を一生懸命愛そうとしている父親の事はちゃんと理解しているはずなのだ。
器用か不器用かなど関係なく、相手からの愛情があるかないかだ。
とは言え慣れも必要で、青年は『慣れだ』と言われてもピンとこない。
ん〜??、と小首を傾げ不安に思っていると、赤子が愚図りはじめた。
「あらあら…どうしたのかな〜?」
先ほどまで眠りはしないものの大人しかった赤ん坊が再び愚図りはじめ、水城は赤ん坊の体を揺らしながらあやす。
しかし中々機嫌がなおらず、水城は『困っちゃったねぇ〜』と零しながらもその表情は笑顔を浮かべていた。
ポンポンとお尻を軽く叩きゆりかごのように体を揺らしながら、水城は子守唄を口づさむ。
すると、暫くして赤ん坊はうとうととし始めた。
「あっ…寝ちゃいそう…」
青年は子守唄にうとうととさせる我が子に、ホッと胸を撫でおろした。
顔を覗き込む青年に頷きながら、子供が完全に眠りにつくまで子守唄を口づさみ続けた。
「おお…すごい…あっという間に寝た…」
暫くすると赤ん坊はすうすうと眠り始めた。
よほど眠たかったのか、眠るまでが早く、寝入りも深い。
動かしても起きる気配がないため、水城は赤ん坊をゆりかごの中に戻し、ゆっくりゆりかごを揺らす。
その姿を鯉登は見つめていた。
(叔母上が歌っていた子守唄か…)
懐かしい子守唄を口ずさむ水城に、鯉登は切なそうに見つめる。
静秋を認めていないわけでもない。
自分以外の男と寝た事や、尾形の子供を産んだことを責めているわけでもない。
ただ切なかった。
自分の知らない間に愛する女が母になったことが。
静秋の存在を否定するわけではないが、自分さえ守っていれば水城は今頃自分と結婚または婚約をし、早ければ子供だって生まれていただろう。
水城は気にするなというがやはり気になってしまう。
だが、切なく感じながらも、安堵もしていた。
水城は川畑家の血を引いていない事を強く気にしており、引け目を感じているようだが、血の繋がりがなくとも水城はれっきとした川畑家なのだと…目の前の水城を見て思う。
静子から聞かされた子守唄がその証拠だ。
(…いつまでもくよくよしてはいられないな…過去は変えられない…雪乃は今、私の傍にいる…私を受け入れてくれている……今からでも遅くはない…)
赤ん坊を優しい声であやす水城を見て、鯉登は肩の力を抜く。
過去を悔やんでも、戻ることは出来ない。
兄を亡くし、雪乃を失い、それは痛いほど実感している。
だったら今を…未来を見るしかないのだ。
幸いにも水城とは和解し、昔のように…いや、昔以上に親密な関係になれた。
過去がどうであれ、その過去ごと愛せば問題ないのだ。
(本土に戻ったら鶴見中尉殿に雪乃を傍に置いてもらえるようお願いしようか…)
このまま帰還すれば、恐らくアシリパ側は鶴見側に吸収されるはず。
水城はアシリパ奪還を鶴見に頼んでいたし、その対価として刺青人皮を鶴見に渡している。
今まで見た限りでは、腹立たしいが水城にとってアシリパは最優先するべき存在である。
その存在を取り返すのに鶴見が力を貸したというのは大きな恩が出来たという事だ。
そうそう寝返ることはないだろう。
鯉登はそう考えるものの…
(何故だろう……水城とは良好な関係を築いているというのに……嫌な予感がしてならん…)
水城を見ていると、まるでモヤがかかったような不安がこみあげてきていた。
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