お互い黙り込み、静まり返る中…口を開いたのは水城だった。
「確かに、それもある…」
静けさの中、その静けさを遮らないように、しかし、はっきりとした声で水城はアシリパの言葉に答えた。
「ウイルクが網走監獄で撃たれる直前…なんて言ったか私はアシリパさんに伝えずにいた…」
アシリパに今まで伝えずにいたのは、アシリパを戦争で戦えるように育てた、と言っていたのっぺら坊の言葉だった。
アシリパの父親であるウイルクは、何も知らない愛すべき娘を金塊争奪戦の中に無理矢理巻き込んだのだ。
それはウイルクだけではなく、キロランケもそうだ。
キロランケはアシリパに懐かれているのに、アシリパに『戦って守る』しか選択肢を与えなかった。
そう辿り着くようにしたのだ。
自分の命と引き換えに。
アシリパの手を血で汚すような選択を、自分の命と引き換えにさせようとした。
戦争を経験した身としては、命を軽んじてしまう部分があるのは否めない。
戦争では命はあまりにも軽い。
それを水城は目の当たりにしてきた。
だからこそ、同時に命の重さも知っている。
矛盾しているが、水城やキロランケや戦争を経験してきた人間は、人の命がどれだけ軽く、どれだけ重いのか、知っている。
キロランケの行動の理由は知った。
きっとキロランケにとってそれは…祖国での革命は自分の命を賭けてまですべき事だったのだろう。
愛すべき家族を捨て、友の娘を血で染めてまでもやるべきことだったのだろう。
しかし、だからこそ、水城は…
「――私はそれが許せない」
はっきりとした拒絶に、アシリパは息を呑み水城を見つめた。
キロランケとウイルクを、水城は許せなかった。
許せるわけがなかった。
平二は言った。
アイヌに戦って死ねと言うのであれば、娘を先頭に立たせるのが筋だと。
その言葉が水城はいつまでも頭に残っていた。
「私は武人の娘で…将来的には妻になって母にもなるけど…でも、一人の親として…静秋の母として…まだ自分の子供に『戦って死ね』なんて言えない……武人としての親の責任のとり方っていうのがあるのかもしれないけど……でも…―――アシリパさんは本当にそうしたいの?」
水城はあの時、平二には何も返さなかった。
平二は生粋の武人肌だ。
薩摩と言えば、島津をはじめとした強い男達を輩出してきた。
国を開かせ栄えさせたのも薩摩の男だ。
水城は養子と言えど川畑家という武人の娘として生きてきた。
将来的には鯉登と結婚し、武士の妻として…軍人の妻と母として、夫と息子達が死にに行くのを見送る事になるだろう。
最愛の家族に向かって『死んでこい』と言うのだろう。
だけど今はそれができそうにない。
静秋はまだ赤ん坊なのだ。
まだ言葉という言葉を覚えてもいないし、離乳食と授乳がご飯だし、おしっこやうんちだって母や他人の手を借りないとできない。
人の手を借りなくなったらすぐに死んでしまう存在なのだ。
そんな子供に『死んでくれ』と言いながら育てるなんて…母としてできるわけがない。
でもこの時代…戦争となれば男は戦場へ駆り出される。
男の戸籍を得ている人間の元には検査のための手紙が届くのだ。
アイヌなども少数部族だからって免除になるわけではない。
アイヌでも戦争に召集される事はキロランケが証明していた。
だけどアシリパは女だ。
水城のような特例がなければ、本来なら戦争や争いごとなんて無縁の生活を送れるはずの性別だ。
水城には選択肢がなかった。
だけど、アシリパには選択肢がある。
「人を殺せばなんとかって地獄に落ちるって言ったよね…信心深くないアシリパさんはそれをどう解釈してる?」
アイヌにとって人殺しというのは、和人以上に禁忌とされている。
人を食べた熊でさえ、『悪い神』という意味の『ウェンカムイ』と呼んで決してその肉を口にしない。
信心深くないアシリパでさえ、人を食べた動物を口にしないくらい、アイヌにとって『殺す』という行為は禁忌である。
そのため、父親やキロランケの言う『アイヌの為に手を血で染めろ』や『戦って死ね』などはどう解釈するのか…水城は問う。
「地獄を考えたやつはそいつも私みたいに沢山人を殺して…元の自分に戻れず苦しんだのかもしれない…アシリパさんはまだそれを知らずに済んでいる…」
地獄はアイヌだけではなく、和人…日本人にもある。
全部で100個以上あるくらい細かく別けられているが、落ちる人間は同じ犯罪者だ。
アシリパはまだそれを知らないでいる。
本来ならアシリパが普通で、水城が異常なのだ。
ゴクリと喉を鳴らして自分を見つめるアシリパを、水城は強い視線で刺すように見つめ返した。
「私はアシリパさんにこの金塊争奪戦から下りてほしい…知ってからではもう遅いから」
それは水城の心からの願いだった。
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