二週間の滞在も終わり、水城達は豊原を去り、エノノカとヘンケの村まで戻ってきた。
この橇の旅を経て、リュウは頭角を現れ水城達の乗る橇の先頭犬として昇格した。
昇格した証に、頭には先頭犬だけがつけれる『セタキラウ』と呼ばれる飾りをつけてもらった。
「ここでリュウともお別れかぁ…」
リュウはエノノカとヘンケに預けることになった。
リュウの姿を見て、そちらの方がリュウのためになるとみんなで話し合った結果だった。
皆に滅茶苦茶に撫でられ、顔をブサイクにしながらしっぽを振るリュウを見ながら、水城はしみじみに呟く。
「リュウとの出会いは敵だったのに…まさか仲間の1人になるなんてね」
『一人じゃなくて一匹かしら』、とリュウと出会った時の事を思い出す。
今は亡き二瓶の飼い犬だったリュウとの出会いは、決して穏やかではなかった。
しかし、今や頼りになる仲間の一匹である。
自分に息子が出来た事も含め、世の中何が起こるか本当に分からないとしみじみに思う。
「エノノカとヘンケをよろしくね」
エノノカ達犬橇で生活している民族にとって、犬は大事な存在だ。
白石が頭巾ちゃん改めヴァシリに撃たれた時も、白石よりも犬を守ったくらいだ。
いや、まあ…会ったばかりの白石と、飼い犬と比べてしまうと当たり前は当たり前なのだが。
リュウとの別れを惜しんでいる水城達に、馬橇の男と交渉していた月島が歩み寄ってきた。
「通りすがりの馬橇が大泊まで行くらしいので乗せてもらえるように頼んだ…ヘンケとエノノカとはここで別れる」
月島の言葉に水城はエノノカとヘンケを探す。
短い付き合いだったが、お世話になり挨拶をしたいと思った。
それに短い付き合いでも、旅の内容が濃かったため、水城には仲間意識があった。
エノノカはすぐに見つかった。
丁度水城がエノノカを見つけた時、エノノカは鯉登にお金を差し出されていた。
どうやら支払いの途中だったようだ。
しかし、エノノカの顔は泣き顔でくしゃくしゃになり、大きな瞳からは涙が溢れ出ていた。
「ホントにしっかりした子ねぇ〜」
泣きながらもエノノカの手はペンペンペンと札束を数えるのに忙しく、その姿を見て水城はエノノカのしっかりさに関心していた。
「エノノカちゃん、元気でね」
「…うん」
泣きながらお金を数え終えた後、エノノカは鯉登と握手を交わした。
会計を終えたのを見て一言声をかければ、なんとも元気のない声が返ってきた。
その悲しそうな声に釣られて、もうこれでエノノカとヘンケとも別れると思うと水城も寂しさを感じる。
「エノノカ…」
チカパシも水城に続けて挨拶をしようと、エノノカに歩み寄り声をかけた。
しかし、エノノカはチカパシには何も言わず背を向けてしまう。
今まで仲良く遊んでいた仲だったのに、なぜか何も言わず背を向けてどこかへ行ってしまうエノノカを、チカパシは戸惑った表情で見つめた。
「チカパシ…待っててあげるからちゃんと話しておきなさい…後で後悔するわよ」
「……うん…」
エノノカは意地悪でチカパシを無視したわけではない。
ただ、寂しいのだ。
この旅で険悪な空気はなかった。
しかし、所詮は共通の敵を得た事で手を組んだだけの間柄だ。
水城や鯉登の関係を除いたとしても、決して心穏やかではいられない。
しかし、そんな大人たちの心を穏やかにしてくれたのが、子供達なのだ。
エノノカとチカパシは年齢が一番近かったのもあって、とても仲が良かった。
終始一緒にいたし、一緒に遊んで、一緒に楽しそうに笑い合っていた。
だからこそ、余計に別れがつらく、寂しいのだろう。
水城は鯉登と再会できたが、チカパシとエノノカはその逆…下手をすれば一生の別れかもしれなくなるだろう。
水城は黙って見送るチカパシの背を押してやる。
水城は別れを言える時はきちんと言いたいことを伝えた方がいいと思い、チカパシの背中を押してあげた。
母達と碌に話せず離れてしまった自身の経験があったからこそだろう。
子供でも今はチカパシもエノノカも、考える頭があり、口があり、声があり、言葉がある。
伝えれる時に伝える事ができる彼らが羨ましかった。
そのあと押しに、戸惑っていたチカパシはエノノカを追いかけていく。
「仲がいいからこそ…エノノカもつらいのだろうな…」
「そうね…」
鯉登が歩み寄り、水城の隣に立ちながら静かに呟く。
その言葉に水城も賛同して頷いた。
しんみりとしているせいか、水城の声もどこか寂し気に聞こえる。
(別れるのがつらい、か…)
水城は鯉登の言葉を頭の中で繰り返し、胸が苦しくなった。
水城も母やカナや寅次など色々な人と別れてきた。
どれも予期せぬ別れだったし、満足に話さえ交わせなかった。
チカパシとエノノカの別れほど清くも未来性もないが、どれも水城にとって辛く悲しい別れだった。
そして…
水城はコテン、と鯉登の方に頭を預ける。
鯉登は、水城が寄り添ってきたことに気づいたが、何も問う事はなかった。
言葉にしなくても、水城が感傷に浸っている事に気づいていた。
何も言わない代わりに、腰に手を回し水城を引き寄せた。
彼の温もりに水城はそっと目を瞑る。
◇◇◇◇◇◇◇
それぞれヘンケとリュウとの別れも済み、馬橇に乗り込んだ。
先頭から月島と鯉登、横には白石とアシリパが並んで座り、後方には左右に谷垣と水城、その間にチカパシが座っている。
「じゃあね!お爺ちゃん!みんな元気でね!!」
エノノカとチカパシがどんな言葉や約束を交わしたかは分からない。
しかし、この別れは彼や彼女達の成長にいい影響を与えるものだろう。
この旅で一番成長したのは、きっとエノノカとチカパシだ。
橇が動き、水城が見送ってくれるヘンケに手を振り、ヘンケも手を振り返してくれた。
エノノカはチカパシの見送りをしてくれたが、やはりすぐに割り切れないのだろう…ヘンケの後ろに隠れて顔を出さなかった。
しかし…水城達を乗せた橇の音が遠ざかっていくのを音で聞き、我慢が出来ず祖父の陰から顔を出す。
「チカパシッ!!!」
エノノカはチカパシの名前を叫んだ。
その声にチカパシは、エノノカに向かって手を振る。
「エノノカ!!待ってて!!おれ絶対に…」
会いに来る事を約束した。
エノノカを忘れない約束をした。
その約束を二人は絶対に忘れないと、幼いながらに心に刻んだ。
チカパシは絶対に約束を守るとエノノカに伝えようとしたが、手を滑らせ橇から落ちてしまう。
「止めてくれ!!一人落ちた!!」
落ちたチカパシに気づいた谷垣が慌てて言うと、月島の通訳で男が橇を止める。
「大丈夫か!チカパシ!!」
体についた雪を払いながら起き上がるチカパシに、谷垣が声をかける。
しかし、チカパシは橇に戻ってこず、ただ立ち尽くしてエノノカとヘンケ達の方へ見つめていた。
「置いてっちまうぞ!チカパシ!」
戻ってこないチカパシに、一同は首を傾げた。
動かないチカパシに白石がそう声をかけ急かすが、チカパシの足は動くことはなく…水城達の方へ振り返っただけだった。
何も言わず、戻っても来ないチカパシの様子に誰もが首を傾げた。
しかし、谷垣は『少し待っててくれ』と言って橇を降り、チカパシの方へと歩み寄る。
「谷垣ニシパ…」
近づいてくる谷垣に、チカパシは一瞬だけ顔を俯いて逸らした。
しかし意を決したように真剣な表情を浮かべ、谷垣を見上げる。
――その頬に雫がポタリと落ちた。
チカパシの目に、泣いている谷垣が映る。
「チカパシ…お前はここに残って自分の本当の家族を作りなさい…」
チカパシはここに残ることを決めた。
アシリパの提案で始まった芝居。
そこで主役を貰い、エノノカとヘンケと家族を演じた。
なんだか胸がぽかぽかと温かくなった。
なんだか、彼らと本当の家族となったような。
しかし、谷垣とインカラマッとの疑似家族だって、チカパシにとって本物の家族だった。
だが、チカパシはここに残ることを決めたのだ。
チカパシはもらい泣きしたように、大きな瞳に涙を溜めながら、決して悲しい顔をせず笑顔で頷く。
「インカラマッもオレと同じ一人ぼっちだから…谷垣ニシパが家族になってあげてね…」
記憶にある谷垣とインカラマッとの旅は楽しい事ばかりだった。
楽しくて、暖かくて…でも、きっと彼らから貰った暖かさや優しさは、チカパシが望んだものとは少し違ったのだろう。
これは別れではない。
これは巣立ちだ。
家族の巣立ち。
弟でもいい、息子でもいい…チカパシは巣から旅立ち、新しい家族と幸せになるための別れだった。
「この銃をお前にやる」
谷垣は肩にかけていた銃をチカパシに差し出した。
それは、リュウの飼い主だった二瓶が持っていた単発銃だった。
「この銃は俺を救ってくれた人から受け継いだ銃だ…これで狩りへ行ってヘンケ達に世話になった恩を返せ」
この銃は二発しか入らないため、水城達が持っているような今の銃よりは便利性はない。
だけど、それでも谷垣はこの銃を大事にしていた。
それはこの銃に思い出があるからだ。
人殺しだが、この元々の銃の持ち主である二瓶には命を救ってくれた恩があり、その生きざまは好意的に思える。
一癖二癖ある人物だったが、彼との出会いが谷垣を変えたと言っていい。
チカパシは差し出された銃を受け取った。
「でも…体が大きくなるまでまだ使うなよ…俺はそばで支えてやれない…その銃を使うときはひとりで立つんだ」
子供であるチカパシの体ではこの銃は扱いきれず、逆に命の危険となるだろう。
そのため、念を押すように注意した。
その強い注意に小さな手でギュッと強く握り締める。
二瓶から谷垣へ引き継がれたその銃は、谷垣からチカパシへと引き継がれた。
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