早朝。
水城はまだ夢の中のアシリパを起こさないように、外に出ていた。
はあ、と息を吐けば、その息はまるで湯気のように白く変わり、空に散っていく。
その白い息が上空へと上がり、消えていくのを目で追いながら水城は考え込んでいた。
「アレアレ?眠れなかったのかい?不死身の杉元さんよぉ」
頭の中でごちゃごちゃとしたものを考えていると、白石が戻ってきた。
語尾を伸ばす間抜けな声に、水城は白石の方へ視線をやる。
そこにはやはり白石がおり、売春婦らしい女の肩を借りて返ってきた。
その顔は赤く、酔っぱらっていることが分かる。
酔っぱらっているせいか、気も大きくなっているのだろう。
何故か水城に絡んできた。
「今日来るんだろ?兵隊さん達…アシリパちゃんを引き渡して鶴見中尉の飼い犬になるんだよな?」
「ちょっと…聞こえの悪い事言わないでくれる?」
「結局アイツらに加担するならよ…小樽で捕まった時にそうすりゃ良かったろうが」
まるでアシリパを売るような言い方に、水城もカチンときた。
しかし相手は酔っ払いだ。
それに、水城も心のどこかで白石の言葉通りの事も浮かんではいた。
アシリパ奪還のためとはいえ、水城は鶴見の傘下に入ったようなものだ。
まだ正式ではないにせよ、この流れなら普通はそう思うだろう。
白石はムッとさせる水城など気にも留めず、肩を貸してくれている売春宿の女に話す。
「こいつはさ、昔は誰にも懐かねえ一匹狼だったんだぜ」
「へぇ…日和ったんだ」
女は水城を女とは知らないが、白石の言葉に返事を返す。
水城は『いやお前なんで話に入ってくるんだよ』と思いつつも、白石に都合のいい方へと傾いた尻軽女と言われたようで、ギロリと白石を睨む。
「ああ?あの時とは状況が違うでしょうが!!今だって奴らの『北海道どうたら』って計画なんて知ったことか!」
あの時は敵になりうるかをお互い探っているようなものだった。
だからこそ、鶴見は水城に計画の一部を話したのだろう。
だが、水城はそんな計画興味もなく切り捨てた。
そして、それは同時に鶴見と水城が敵対関係となったのを示す。
今はアシリパ奪還という理由で協定を結んでいるだけに過ぎない。
飼い犬になるか、鶴見側から見て狂犬になるか…まだその間にいる状況だ。
「鶴見中尉達は暗号さえ解けたらアシリパさんには何の用もないんだ!土方歳三と違ってアイヌを背負わせて戦わせることもない!アシリパさんを考えたらこれしか選択肢はないでしょ!!」
鶴見はアシリパ自身には興味を持っていない。
彼にとって必要なのは、アシリパの頭の中であり、アシリパという人物は用が終わればどうでもいい存在となる。
しかし、それに対して土方達は金塊を見つけてもアシリパを解放しないだろう。
彼らはアシリパを使って血を流させるために動いている。
アシリパの父と土方の考え方や、目指す目的が全く一緒というわけではない。
だが、そこにアシリパの存在が必要と言うのは一緒だ。
水城はアシリパの手を血で染めたくはなかった。
ならば、アシリパという少女ではなく、アシリパの中にある暗号を解く鍵にしか興味のない鶴見達につく方が、アシリパにとって安全だと思うのは無理はなかった。
「アシリパさん!アシリパさん!お前さぁ〜!惚れた男の奥さんにカネを渡すのはどうなったんだよ!!」
一言目にはアシリパ、二言目にもアシリパ、とアシリパばかりの水城に、酔っぱらっている白石は呆れた。
白石の言葉に水城はグッと言葉を飲み、先ほどの勢いはどこ行ったのか、俯いてしまう。
「ッ、貰う取引はしているさ!その人が治療を受けられるだけの額は…」
「杉元はそれっぽっちでいいかもしんねえけどなぁ…鶴見中尉が金塊見つけたら俺はいくら貰えるんだ?ええ?―――俺が皮算用した分け前は何百円ボッチじゃねえぞコラァ!!」
水城は貧乏になったが、自分の分け前は欲していない。
幼馴染の1人である梅子の目の手術の為に大金が必要だった。
始まりはそのためにアシリパと手を組んだのだ。
それが今は相棒となり、お互いなくてはならない存在となった。
普段ゴリラだなんだと怖がっているくせに酒の力を借りた白石は、バチンと派手に音を立て水城の頬を打った。
とはいえ、軍人のように鍛えてもいない白石程度の力など水城には効かない。
「やっぱりそれか!!カネカネ汚いんだよ!!いっつもお前は!!」
水城は結局お金の心配しかしていない白石の言葉に、カッとなって平手打ちをし返した。
女とは言え軍人として力をつけている水城の平手は強く、白石は勢いよく倒れ込む。
その際、宿で食べて飲んでと胃に収めていた物を全て吐き出す。
「へんッ!おめえがアシリパちゃんを正しい道に導くってか?妹でも娘でもねえのに…」
吐き出し、地面に倒れ込みながらも、白石はギロリと水城を睨みつける。
白石の言葉に…
「アタイも束縛するひと嫌いだね」
「うっさいな!!もう帰ってくれる!?」
何故か売春宿の女が返した。
部外者なのに白石を届けてもその場に留まり、なぜか話に入って横やりを入れる女に水城は怒鳴り声を上げる。
そんな水城などお構いなしに、白石は水城にまくしたてた。
「杉元は樺太のアシリパちゃんを見てねえ!!お前が恋人とイチャついてた間彼女は色んなものをこの島で学んで成長したんだ!!もうお前が出会った頃のアシリパちゃんじゃねえんだよ!!お前らは樺太でやっと再会できたのに離れたままだ!!」
白石の言葉に水城は返す言葉はなかった。
裏切り者であり敵に回った二人から、アシリパを守ったのは誰でもない…白石だ。
白石は脱獄しか能がないように見えるが、人好きのする性格にアシリパも水城も助けられてきた。
アシリパと水城は相棒で、自他ともに認める二人の世界がある。
それは水城の恋人である鯉登でさえ立ち入ることのできない空間だった。
だが、その二人の世界の中には白石もいる。
水城とアシリパの世界は、二人と白石で完成されているのだ。
だからこそ、白石は言えるのだろう。
だからこそ、水城は白石の言葉に言い返せなかったのだろう。
離れていた間、白石がアシリパを守ってくれたのだ。
今ではアシリパをよく知っているのは、水城ではなく白石だ。
「キロランケが彼女に伝えたことは嘘じゃねえんだろ!?わざわざクソ真面目に樺太まで連れてきて自分達の現状を本人の目で直に見てもらおうとしたんだからな!!」
キロランケを水城は許していない。
それは白石も分かっているし、裏切られた事は白石もショックでもあった。
仲良しこよしをしたいから水城達の旅に付いて来ているわけではないが、それでもずっと自分達を騙していたと思うと悲しい。
しかし、自分達を騙して、アシリパを誘拐紛いなことまでしてここまで連れてきたという事は、それなりの理由があり、彼にも覚悟というものがあったはず。
水城はそれから目を逸らしていると白石は怒る。
白石は立ち上がり、水城の胸倉を掴んで怒りをそのままに吐き出す。
「全部覚悟の上でアシリパちゃんが『アイヌを背負いたい』というなら背負わせりゃいいだろッ!!彼女を自立した相棒として信じればなぁ!!お前は元のギラギラした女に戻れるのに…!!」
今の水城は腑抜けている。
白石にはそう見えた。
水城と出会った時はもっと物恐ろし気で、アシリパの傍で白石や尾形達出会う人間全てを警戒していた。
その姿はまるで飼い主を守るべく威嚇している犬のようにも見えた。
今の水城はアシリパの事を考えているように見えているが、そうではない。
昨日の二人の話を聞いていて白石はそう確信した。
怒りを込めて水城の胸元をグッと力を入れ、白石は水城を睨みながら零す。
「それにお前…鶴見中尉達がアイヌのことまで考えてくれていると本気で思ってんのかよ」
ぽそりと呟かれたその言葉に水城は怪訝とした表情を浮かべ、『それどういう意味?』と返した。
しかし、それを答える前に白石の口からゲロが吐き出され、白石は力尽き倒れ込んでしまう。
「………」
水城は白石の言葉が頭から離れず、倒れ込んでいる白石から視線を外して考え込む。
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